パンドラの箱
ギリシャ神話の中のエピソード�パンドラの箱�については、たいていの人がある程度の知識を持っているだろう。
プロメテウスが神々の国から火を盗んで人間に与えたので、これに怒ったゼウスが、人間たちをこらしめる意図で贈った贈り物、それが�パンドラ�という名の女だった。
パンドラの�パン�は、今でも�パン・アメリカン航空�などの名称に用いられている�パン�と同じで、�全《すべ》ての�という意味である。そして�ドラ�のほうが�贈り物�の意。パンドラはその名の通り神々からの全ての贈り物を身に帯びて人間世界へ舞い降りて来た。たとえば、美貌《びぼう》、器用さ、知恵などを。
しかし�全て�と言う以上、よいものばかりではない。外見の美しさとはうらはらに、彼女は邪悪な贈り物を持参の箱の中に隠し持っていた。
プロメテウスの弟エピメテウスは、かねて兄より�ゼウスの贈り物にはろくなものがないから気をつけろ�と言われていたが、パンドラの美しい声と美しい姿に惑わされ、つい、つい迎え入れてしまう。
一方、パンドラは、ゼウスから�この箱はけっして開いてはいけない�と言われて来たのだが、そう言われれば言われるほど開けてみたくなるのが人情だ。
とうとう我慢ができなくなり、封を切ると中からムラムラと怪しい煙が立ちのぼり、病気、災害、戦争、悪意、嫉妬《しつと》など、ありとあらゆるこの世の悪が飛び出した。
人類の不幸はこの時から始まった、とギリシャ神話は説いている。
箱の中から諸悪が飛び出すのを見て、パンドラはあわてて蓋《ふた》を閉じた。時すでに遅く、諸悪の根源はみんな飛び散ってしまったが、かろうじて箱の底に一つだけ残ったものがあった。それは�希望�であった。
このへんがギリシャ神話のよくできているところだ。パンドラの箱の話を知る人は多いが、この最後の部分まで知る人は少ない。もろもろの悪にさいなまれながらも、人間が希望だけを一縷《いちる》の救いとして持ち続けられるのも、このせいなのだ。
こんな昔話を思い出したのは、ほかでもない。総選挙がめぐって来るたびに、私はいつも�パンドラの箱�を考える。
解散の声と同時にセンセイがたが選挙区に飛び散る。さながらパンドラの箱の中からパッと黒い煙が飛び散ったように。とてつもない金額の札束が闇《やみ》から闇へと動き、いまわしい取引が交わされ、これが諸悪の根源となる。選挙民に残されているのはただ�今度はもう少しましになるんじゃないだろうか�といった希望だけ。
違うだろうか?
話は少し変わるが、私は自分の略歴を書くときに、いつも�東京生まれ�と記す。
だが本当のことを言えば、これは正確ではない。実際の出生の地は新潟県の長岡市だ。当時、私の父は東京と長岡に家を持っていて、母は常時行き来していた。私は長岡で生まれ、間もなく東京へ移り、小学校も東京で入学した。本籍も東京にある。戦争中に疎開をしたが、育ったのは大部分東京である。そんな事情もあって�東京生まれ�としているが、もう一つ主体的な理由がなくもない。
長岡市は衆議院の選挙区で言えば、新潟三区で、ここからはその名を言えば日本中だれでも知っている大物政治家のT氏が出ている。
T氏は目下ある疑獄事件の被告として裁きを受けている。これも天下周知の事実だ。解決までにはまだ何年か日時がかかるだろう。
私はT氏の政治的手腕を疑わない。T氏のおかげで新潟県はずいぶんと豊かになった。雪国の生活は——私も経験があるのでよくわかるのだが——なかなか厳しいものである。
選挙民がそういう苦境から自分たちを救ってくれる存在としてT氏に傾く理由も実感としてそれなりによくわかっていると思う。
しかし、国の最高のポストまで極めた人間が、その周辺にあれほどいまわしい噂《うわさ》を立てられ、それで平然としているのは、どうなのか。不思議と言えば不思議である。
昔風の言葉で言えば�しめしがつかない�という気がしてならない。
他の政治家も似たようなことをやっている、というのは多分本当だろう。
だが、せめてそんないかがわしさが明るみに出た場合くらいは、おそれいっていただかないと、本当にしめしがつかない、と私はごく控え目ながら考えてしまう。
当人の政治的業績、あるいは地元の期待がどれほど大きいものであったとしても……。
私は政治的関心はすこぶる薄い人間だが、いかがわしい噂のある人物がいっこうに批判を受けることもなく、選挙のたびごとに当選してしまう事実を不思議に思う。そういう選挙民に対して、これでいいのかな、と思わないわけにはいかない。
なんとなく�東京生まれ�にしてしまったのは、そんな事情からでもある。
このこととパンドラの箱とどう関係するのか、無関係であることを願ってはいるのだが……。