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猫の事件13
日期:2018-03-31 11:12  点击:299
 ネズミ酒
 
 
 お客さん、近頃よくお見えですね。
 ああ、東町に分譲住宅をお買いになったんですか。お若いのに、偉い。高かったでしょうが……。
 なるほど、奥さんと共働きで……。
 わかった。奥さんのお仕事は月、水、金ときまっていて残業かなにかがあるんでしょ。それで、お客さんはひとりで膝小僧かかえていてもしょうがないから、その夜はここへ飲みにいらっしゃる。ねえ? はい、水割りをもう一ぱいですね。
 図星でしょうが。ここじゃ常連さんが多いから、お客さんのこと、ひとりひとり観察して、この人、どんな人かな、なんて思っているんですよ。
 お客さんのお勤めは、この町じゃないね。でもここで分譲住宅をお買いになるくらいだから、ここからそう遠くはない。N化成か、P石油か一流企業の技術屋さんと睨んでいるんですよ。アハハハ、当たったでしょ。まるでシャーロック・ホームズだね、こりゃ。なんとなく匂いでわかるんですよ。
 この町もね、昔はなんもない漁村だったらしいね。いえ、私ゃ知りません。私はここへ来てからまだせいぜい七、八年だから。東町のあたりは海だったって話ですよ。それを埋め立てて……。
 大きな工場が二つも三つも誘致されて、それで急にふくれあがったんですね、このへんは。私が来た頃で、人口が二千あったかどうか。
 そりゃ、自然が破壊されるのはうれしかないけど、ちっぽけな漁村じゃなんの金儲けの道もないしね。鰯《いわし》の四、五匹とれたって、どうもならん。背に腹は替えられんでしょうが。工場ができれば、町は整備されるし、人口は増えるし、地価はあがるし、生活は楽になるし……昔はね、ちょっと時化《しけ》が続くと、娘を売らなきゃならんかったんだね、ここらあたりじゃ。それに較べりゃ……景色なんか……景色をながめてると腹がいっぱいになるわけじゃなし。あ、すみません、私にも一ぱいくださるんですか。
 いえ、飲めないくちじゃありませんがね。酒場の親父が自分で飲んでたんじゃ一円にもならんからねえ。じゃ、どうも、遠慮なく。私はストレートでいただきます。水割りもよろしいけど、本当に味がわかるのは、やはりストレートだね。うちのウィスキー、味がよろしいでしょ。アハハハハ、どうしてかって?
 企業秘密、企業秘密、種あかしはできません。ちょっと細工がしてあってね。
 同じウィスキーだって、ちょっとした心使いでおいしくもなるし、まずくもなる。そのへんがバーテンダーの腕のうち……なんて言ったら嘘になるか。
 ええ、もう二十年以上もこの道をやってるのかな。いや、いや、そんないい仕事じゃありませんよ。ご覧の通り。いまだに女房も持てずにフラフラしてるんだから……。人に勧められる仕事じゃないね。そりゃ若いうちは多少カッコウはいいし、女の子にももてるし、いい思いもできたけど、四十過ぎたらもういけませんよ。
 まあ、この年になって、いつまでも人に使われていたんじゃつまらない。流れ者の生活から足を洗って小さいながらも自分の店を持とう、そんなしおらしいこと考えるようになったんですよ。お客さんみたいな一流会社のエリートさんには、なかなかわからん生活ですわ。
 この町かね? いえ、生まれ故郷ってわけじゃないね。自分が住むまではぜんぜん知らんところでしたよ。一度くらい車で通ったことがあったかなあ。縁もゆかりもないとこですわ。
 ちょっと東京に居づらい事情があって、ちょうどいい機会だから、どこか地方の町へ都落ちでもして店を持ってみようか……初めはせめて地方の県庁所在地くらいの町を考えていたんだけどね、そういうとこはもう酒場なんか掃いて捨てるほどたくさんあるし、他所者《よそもの》が行ってうまく商売ができるはずがない。権利も意外と高いしね。
 新興の町がよかろうと思ってたら、たまたまこのへんの土地が売りに出ていたもんだから……それだけのこってすよ。
 いやあ、初めの頃は苦しかったねえ。すぐにでも工場が建ち、住宅が建つような話だったから、こっちも出遅れちゃあいけない、この界隈で第一番の店になろうって……毎日監視に来て大工たちの尻を叩いたんだけど、こっちの店ができてみれば、工場のほうの建設はいっこうに始まらないし、住宅だってそうすぐには建ちゃしない。
 そりゃ初めっからポンポン儲かるとは思っていなかったけど、あれほどひどいとは予想しなかったね。半年たっても一年たっても閑古鳥が鳴いているのにはまいったね。
 用意しておいた運転資金も底をついてしまって、もういよいよ駄目かなって思った頃になって、ようやく工場が動きだしてね。
 聞いてみりゃ、工場の設備に危険がないか、なにを製造する工場なのか、住民運動の反発なんか食わないよう、土地の顔役を使って根まわしをやっているうちに時間をくっちまったらしいね。いくらかヤバイことやってんだよ、このあたりの工場は……。仕方ないよね、モタモタしてたら会社だってやっていけないさ。
 仕事が始まれば、ドッと人は集って来るし活気は出るし、このあたりにはほかにスナックも酒場もないからね。たちまち大入りさ。
 はいよ、水割りのおかわりね。
 あ、すみません、私にももう一ぱいですか。いただきます。
 えっ、儲かっただろうって? ああ、工場が動きだしたときですか。それが大笑い。お客が押しかけて来たとたんに、肝心の酒のほうがなくなっちまった。
 ね、おかしいよなあ。普通なら考えられんことだよ。
 東京の、多少顔のきく酒屋に頼んで酒を卸《おろ》してもらってたんだけど、なにしろ金がないもんだから、それまで一銭も支払いをしてなかった。「いい加減代金を入れてくださいよ」「すまん。ほかの借金を払うので精いっぱいなんだ」「そんな馬鹿な話があるものですか。もう酒を入れませんよ」「どうせお客が来ないんだから、酒なんかいらないッ」こっちも気が立ってたから喧嘩をしちまって、今度急にお客が増えて来ても、なかなか品物を持って来てくれないんだよ。
 ホント。お客がいるのに酒のほうがもうすっかりなくなっちまった日があったなあ。昼のうちに電話しておいても「はい、はい」なんて返事をしておきながら持って来てくれないんだから。くそッ、あんな酒屋、二度とつきあってやるもんか。酒屋なんかほかにいくらでもあるんだから。そう思っていたときちょうど妙な男が酒の売り込みに来てね。セールスマンにしちゃやけに陰気で、ちょっとネズミみたいな顔をしている。私ゃ、こっそりネズミ男ってあだ名をつけたんだけどね。
 いえ、べつに特別なウィスキーを持って来たってわけじゃないんだ。
「サントリーでもニッカでもオーシャンでも、ご指定の銘柄を配達いたします。お代はほかの店より勉強させていただきます。決済は半年後ということで……」
 どの条件を聞いても、どこの酒屋よりもいい。渡りに舟ってものですわ。
「じゃあ、お願いします」って注文しましたよ。すると相手が、
「ただ、たった一つだけ……」
「なにかね?」
「どなたにもお話になっては困ります。よろしいですね」
「ああ、口は堅いほうだ」
「すみませんが、ウィスキーの中にこのエキスをちょっと入れてくれませんか」
 そう言ってネズミ男のやつ、ポケットから茶色の液の入った小壜を取り出したんですよ。
「なんだね」
「ウィスキーや清酒の味をよくする薬です」
「本当かいな。まさか毒じゃあるまいな」
「とんでもない。現に私が飲んでお目にかけます」
 ネズミ男のやつウィスキーに一、二滴たらしてグイと飲んでみせたよ。それから舌なめずりをして、
「確実に味がよくなります。目下実験中でして……。どうかこの店で飲ませるお酒にすべてこの液を垂らして、それでお客がどんな反応を示すか�この店の酒はなんだか他と違っておいしいね�と言うかどうか、その感想をさりげなく聞いて報告していただきたいんです。いかがでしょうか」
 報告に対しては、そのぶん別に協力賞をはずむという話なんだね……。
 私も一、二滴垂らして飲んでみると、たしかにおいしくなったような気がする。まあ、気のせいだったかもしれんけど……。
 しかし、たとえおいしくならなくても、まずくさえならなきゃ答はきまってらあね。こっちは酒がほしかったし、取引きの条件は抜群にいいんだし……。
「いいよ」
 そう返事をしたら、その日のうちに必要な酒を必要な分量だけ届けてくれた。いい問屋を持てば、この商売もやりやすいよ。金のことはうるさくないし、電話一本かければいつでも即刻酒を入れてくれるし……。
 もちろんオレのほうも約束を守ったさ。なにべつにたいしたことじゃない。口をあけた壜なら、茶色のエキスを数十滴垂らしておけばいいし、新しい壜の酒なら、マドラーに液をつけてクルクルとかきまわせばそれでいいんだから。
 不思議だねえ。やっぱりあのエキスのせいでいくらか味がよくなるのかな。たしかにお客さんの中で言う人がいるんだよなあ。
「この店の酒、うまいぞ。味がまるい感じでいい」
 とか、あるいは、
「ウィスキーが軽く感じられるな。いくら飲んでも悪酔いしない」
 とか……。
 ああ、お客さん、覚えていますか。あんたもそう言ったですよね。
 私のほうは報告のため記録を取ってるからよく覚えていますよ。
 いくらか習慣性があるんじゃないのかな、このエキスは。いったんうちの酒を飲んじゃうと、どうも他の店の酒がまずくなるのと違いますか。事実私もそんな気がするんだな。
 商売のほうはそれからトントン拍子ですわ。今夜はちょっとすいてるけど……。あの、ご存知でしょ。今日明日はここの工場が二つとも創立記念日で、いっせいに休みなんだね。みなさんどこかへ出て行ってしまって、それでお客さんが少ないけど、いつもはこの時間帯は大入り満員だよ。会社の人たちはもちろんのこと、この町の飲んべえがたいていお得意さんだから。このごろは夜中の二時までやっていても席がいっぱいだ。特に土曜日の夜なんかいつまでたっても店がしめられないよ。みんなエキス入りの酒を飲んで「おいしい」「うまい」だと……。エキスさまさまですよ。
 ま、それは結構なんだけど、私も不思議に思って、例のネズミ男に尋ねてみたんですよ。
「たしかに評判はいい。これはなんのエキスなのかね」
 なかなか教えてくれなかったよ。でもしつこく尋ねたら、ニヤニヤ笑いながら、
「ネズミ酒ですよ」
 ネズミ男がネズミ酒だなんて、びっくりしたなあ。
「ネズミ酒? 聞いたことないな」
「そうでしょう。秘密の製品ですから。ネズミの脳味噌のエキスを抽出して、それを濃縮したものです」
「なんでそんなものがいいのかね」
「これ以上はお話できません。まあ、ネズミなんてものは、だれにとってもあまり気持ちのいいものじゃないから、くれぐれも黙っていてくださいよ」
 こっちとしては理屈なんかべつにかまいやしない。酒がおいしくなって、それでよく売れればそれでいいんだから……。
 不思議なものだなと、その時はそれ以上深く考えずにいたんだけどネ、そのうちにだんだんわかって来たよ。ネズミ男も親しくなるにつれて少しずつ話してくれたしね。
 わかる? わからんよねえ。ネズミ酒と言えばたしかにネズミの酒かもしれませんけど、ただのネズミじゃないんだから……。
 いや、私は動物のことなんか競馬の馬をのぞけばまるで知らんから、チンプンカンプンだったんだけどね。話を聞かされてから百科事典を引いて調べてみたよ。
 あ、水割りをもう一ぱい?
 お客さんもよく飲むね。毎晩六ぱいは確実に召しあがる。週に三回来て、もうかれこれ二年ばかりになるから、千五百ぱいは飲んだね。もうネズミ酒の中毒になってますよ。
 ま、だから私も秘密をうち明けているんだけどね。もちろん私だって中毒だ。この味に慣れたらもうやめられませんわ。
 ええ、そうなんだ。ネズミの脳味噌のエキスと言ってもただのネズミじゃないんですよ。
 お客さん、知ってますか。ヘンテコなネズミがいるんだね。レミングって名前のネズミ。このレミングって野郎はある日、突然群をなして海に向っていっせいに走り出し、群全体が自殺をしてしまうって……理由はわからんけど、とにかく数が増えると集団自殺をするんだな。
 アハハハハ、どうもこの酒を飲んでいるうちに、私もレミングの気持ちがわかるようになってきてね。
 あんたの会社じゃなにを作っているんですか。やっぱり危険なものじゃないのかね。
 うん、この町の工場じゃ、ヤバイことやってるよ。こっそりと核エネルギーの開発をやっているらしいよ。爆弾だなんて話も聞くけど……。
 まあ、いいじゃないかね。おたがいに今がしあわせなら。いまにみんなで衰びたって。
 それにしても、あのネズミ男、工場のまわし者なのかな……住民の反対運動が起きないように、町中をネズミ酒びたりにしようとして……、笑い顔が陰気で、なんかこの世の者じゃないみたいなドス黒い笑いだったけど……。

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