新築祝い
デパートの家具売り場で、女店員の顔を見たとたん、ヤマダ氏は、
——あ、タナカ先生に似ている——
と思った。驚きのあまり持っていた鞄を落としてしまうところだった。
長い顔。ギョロリと光る眼。三十四、五歳。
だが、ゆっくり考えてみれば、タナカ先生が昔と同じ年齢でいるはずもない。タナカ先生に習ったのは、二十年も昔のことなのだから。いわゆる�他人のそら似�というやつだろう。
「なにをお捜しですか」
「職場の上役が家を新築したものですから、なにかちょっとしたものを贈ろうかと思って」
ヤマダ氏は入社以来ずっとサトウ課長の下で働いている。あまりそりのあうほうではない。サトウ課長は、敏腕にはちがいないが、部下たちの評判はあまりよくなかった。部下の手柄はみんな自分の手柄にしてしまう。そのくせ自分の失敗はみんな部下のせいにする。部下にとっては、一番好ましからざる性格の持ち主だ。
——会社の幹部はそんなことがわからないのだろうか——
と、ヤマダ氏は訝《いぶか》しく思うのだが、サトウ課長はトントン拍子で出世し続けている。今度の家もなかなか豪華なものらしい。
「ご予算はどのくらいでしょうか?」
「まあ、一万円くらい。簡単なもので、なにか本当に役に立つようなものを」
「そうでございますか。実用品のほうがおよろしいんでしょうね」
女店員は声までタナカ先生に似ている。
中学一年生になったときだった。主任は顔の長い女の先生。国語の教官だった。
新学期が始まって間もなく、ひとりひとり、なにかお話をするように命じられた。ヤマダ氏は雑誌で読んだ�馬の話�を語った。語り終るとタナカ先生が、
「それは、どういう意味なのですか」
と尋ねる。ヤマダ少年は真顔で、もう一度お話の要点を語った。
タナカ先生のあだなが�馬�だと知ったのは、ずっと後のことだ。
中学を卒業するまでタナカ先生には睨まれていたような気がする。
「これなどいかがでしょうか」
女店員は相変らずタナカ先生とそっくりな声で言って、美しいデザインの踏み台を選び出した。
「うん?」
「新築の家ではわりと便利なものでございますのよ」
なるほど、そうかもしれない。主だった家具はそろえても踏み台までは頭がまわるまい。部下は部下らしく。こんなさりげない品物を贈ったほうが、かえって喜ばれるのではあるまいか。
「じゃあ、これをください」
「お届けいたしますか」
「お願いします」
ヤマダ氏は課長の住所を記して売り場を離れた。
「ありがとうございます」
背中に女店員の声が響く。
国語はけっしてきらいな学科ではなかった。小学校ではよく�5�をもらったくらいだ。ところがタナカ先生は、けっしてよい成績をつけてくれなかった。どんなに試験でよい点を取っても成績は�3�どまりだった。
思い返してもくやしい。
——やっぱり馬の話がいけなかったんだなあ——
相手は女の先生だ。当人が長い顔を気にかけているその目の前で、しゃあしゃあと馬の話をしたのだから、むこうは、
——いやな子どもだ——
と思ったにちがいない。先生のあだなを知ったあとで、「誤解です」と叫びたかったが、そう釈明するチャンスもなかった。
——ついていなかったなあ——
人生にはときどきあんなことがあるのだろう。
サトウ課長にも、そうよくは思われていまい。きらわれないように努力しているつもりだが、根があまり好きなタイプではないから、むこうもそれに気づいているのではあるまいか。�けっして悪感情を抱いていません�と、言わば忠誠心の一端として新築祝いを贈ったのだが、うまく心が通じるか、どうか。実用品の贈り物は、なんとなくサトウ家で愛用されそうな気がして、心がなごんだ。
二日後、贈り物がサトウ家に届いた。サトウ夫人は、
「まあ、便利なものを」
と、喜んだが、課長は眉をしかめた。
——あの野郎、�部下を踏み台にするな�って、謎をかけやがったな。いやなやつだ——
人生には、同じようなことが二度起こる場合もあるらしい。