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猫の事件33
日期:2018-03-31 12:49  点击:280
 こわい話
 
 
 その女とめぐりあったのは、今から三十年以上もむかし、歯科医の待合室だった。
 虫歯が悪化して骨髄炎を起こし、どうにもやりきれないほど痛い治療を受けたあとだった。私は貧血を起こし、治療のあとしばらくは、待合室のソファに寝転がっていなければいけなかった。
「どうかなさいましたか」
 やさしい声が響いて、目をあげると女が笑っている。ひとめ見たときから美しい人だと思った。年齢は三十歳前後。どこかの若奥様といった感じ……。成熟した女のあやしさが微笑の中に漂っていた。
「貧血を起こしちゃって」
 私は二十歳になったばかり。男としてはあまりみっともいい状況ではない。おおいに恥じらいながら答えた。そんな様子が、彼女の母性本能を刺激したのだろうか。
「それは大変。もうよろしいの?」
「まあ、なんとか」
「お送りしてあげましょ、車で来ておりますから」
 女は運転手つきの車で通っているらしかった。
 誘われるままに車に乗ったが、あれはどういう女だったのか。
「コーヒーはおきらいかしら」
「いえ、べつに……」
 あまり飲んだことがなかった。
「今、ホテルにおりますの。ちょっとお寄りになりません?」
「はあ……」
 ホテルなんてところへも行ったことがなかった。
 狐につままれたような気分でいるうちに話は妙な方向に進んで一時間後にはその女とベッドの中で抱きあっていた。まっ白い肌。しなやかな肉づき。今でも忘れることができない。
 あれから三十余年。私もいろいろな女を知ったが、あれほどすばらしい人にはまだお目にかからない。あの女とすごした一時間ほど甘美な時はない。
 だから……あのあと工業大学を卒業して技師になり、苦心のすえやっとタイム・マシンを完成したときに、まずまっ先に思ったのは、あの女とめぐりあうことだった。
 ——もしかしたら二度とこの世に戻って来られないかもしれない——
 そんな不安もあったが、あの女に会えるものなら、それでもかまわない。命なんかいつまでも続くものではない。未来永劫にあの女と抱きあっていられるものなら、私にはなんの不足もない。
 私はカプセルの中へ入って機械の目盛りを過去の日時にあわせた。
「これでよし」
 スイッチ・オン。
 ブルブルブルブル……。白い時間が流れ、タイム・マシンはみごとに作動を始めた。
「OK。三十数年前のあの日に戻ったぞ!」
 だが……機械にはまだ少し不十分なところがあったらしい。
 あれっ? ほんの少し時間を古く戻してしまったぞ。
 ブルブル……ガツン。いけねえ、機械は過去に戻ったところで故障。どうやら未来永劫に私はこの時間の中に置かれているらしい。
 気がつくと、私は治療室のいすにすわり、骨髄炎の治療を受けていて……。

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