私の西遊記
たしか英語のことわざに、
〈らくだを水辺に連れて行くことはできるが、水を飲みこませることはできない〉
と、そんな意味のものがあったと思う。水を飲みこむのは、らくだの意志である。周囲の者はお膳《ぜん》立《だ》てを調えることはできても、最後はらくだにその気があるかどうか、そこにかかっている。
このことわざに従って説明すれば、私は水辺に連れて行くのには、ちょっと手間のかかるらくだである。そっぽを向いたり、すねたりしていて、なかなかすなおに動かない。しかし、水辺に連れて行ってしまえば、だれよりも先にみずから進んでせっせと水を飲み始める。
若いときからそうだった。友人のS君は私自身より先にそのことを見抜いていた。仲間うちで私のことを噂《うわさ》していたらしい。
「とにかくあいつには仕事を始めさせればいいんだ。あとは放っておいても自然に一人でせっせとやるから」
たとえば、パーティの計画などを立てるとき……。私は、まず、
——そんなもの、くだらん——
へそを曲げている。尻《しり》を引いている。消極的で、すこぶる立ちあがりがわるい。周囲の者はそこをなんとかおだてて私を実行委員にでも据えてしまえばそれでいいのである。あとは一生懸命にやる。まわりは遊んでいても、まあ、いい。
あとでこの噂を聞いて少々鼻白んだが、S君はなかなかの慧《けい》眼《がん》の持ち主であった。
数カ月前から私の家にパソコンを置くようになった。妻がワープロを習いたいと言うし、子どもたちもパソコンを使ってやりたいことがあるらしい。これからはどの道コンピュータの時代になるだろう。若い世代には遊び感覚で慣れさせておくのも無駄ではあるまい、と考えた。
リビングルームの片すみに一式を据えさせ、私のほうは例によって、
——なんだ、こんなもの——
と横目で見ながら触りもしなかった。いろいろ便利なこともあるらしいが、私は今の生活方法で満足している。未知の世界に足を踏み入れるのはわずらわしい。それに……わけもなくこういうときには尻ごみをするたちなのである。
ところが、つい先日、子どもがパソコン麻《マー》雀《ジヤン》をやっているのを見てしまった。
「おい、俺にもやらせろ」
と、すわりこみ、たちまち夢中になってしまう。らくだは、いともたやすく水辺に引かれ、ガボガボと水を飲み始めたわけである。
使っているソフトはシャノワール社の〓“悟空〓”である。箱に孫悟空の絵がかいてある。
——なんでこんな名前かな——
初めは首を傾《かし》げたが、今はよくわかる。うまいネーミングだ。そのことは、あとで触れよう。
このソフトでは九級から始まり、昇級昇段試験を突破し、やがて、十段まで至る。試験は実戦であり、当然のことながらだんだんむつかしくなる。対戦相手の三人には、羅《ら》刹《せつ》女《によ》、百眼魔王、牛魔王、李天王、菩《ぼ》薩《さつ》など〓“西遊記〓”の登場人物が入れ替り立ち替り現われる。
三級くらいまではほとんど一気に進んだ。そこで最初の壁にぶつかった。
——こりゃ本気でやらなきゃ駄目だぞ——
まず相手を機械だと思っていてはいけない。おりるときには、ちゃんとおりなければいけない。それに、
——相手がなにを考えているか——
段位が高くなると、それがゲームのキイ・ポイントとなる。
画面の中の相手は牛魔王であったり菩薩であったりするが、本当の相手はプログラマーである。どういうプログラムを作ったか、それを見抜いて戦わなければいけない。
少しずつ昇段のペースが落ちたけれど、なにしろ水飲みらくだだから、やりだしたら止まらない。子どもたちが、
「親《おや》父《じ》、大丈夫かなあ」
と、心配するくらいである。
七段にまで昇った。六段から七段への道は、まことにけわしく、一時は無理だとさえ思った。
しかし、道はなお続く。八段には七、八回挑戦したが、まだなれない。半《ハン》荘《チヤン》を十八回やって、平均18点を取らなければいけない。二万五千持ちの三万返し。一位にはプラス10点、二位にはプラス5点の上のせがつくが、逆に三位はマイナス5点、四位はマイナス10点だから、この平均点のすごさがわかるだろう。つねに一位か二位でなければ到達できない。
しかも相手が滅法強い。本当に鬼のように強い。強いばかりではなく、
——うしろから見てんじゃないかなあ——
と思うくらいすごい。
こっちは三面待ちでもなかなかあがれないのに、むこうは〈間《カン》チャン・リーチ・一発、ウラドラ……ドーン〉手がつけられない。
本当のところ、私はうしろから見られている……つまりそういうプログラムになっている、と睨《にら》んでいる。
おそらく私は八段になれないだろう。原稿の締切りを延ばし、寸暇を惜しみ、日夜戦っているが、相手が強すぎる。率直に言えば「ずるいよ」と叫びたい。
麻雀の常識から考えて、少し不思議なことが起こりすぎる。リーチをかけても、なかなかあがれない。もちろん相手三人のリーチに対しても、こっちは簡単に振りこまない。これはこちらの努力でできることだ。ところが相手は三《サン》色《シヨク》 同《ドウ》順《ジユン 》や一《イツ》気《キ》通《ツウ》貫《カン》でリーチをかけずにあがってしまう。麻雀をやる人ならおわかりだろうが、この二つの役は、できそうでなかなかできないものである。
おそらくプログラマーは、むつかしくする手段として私の手を少しずつ〓“うしろから見る〓”ような方法を講じているにちがいない。
ここまで来ると、本当に道は遠い。まさしく西遊記の旅にふさわしい。絶望的に困難な道がはるばる続いている。
どうあがいてみても、私はコンピュータのプログラマーに操られているのではあるまいか。私があがるのも、相手にふりこむのも、みんなプログラマーの胸先三寸にある。さながら悟空が仏様の掌の上で走っているように。
「悟空よ、自《うぬ》惚《ぼ》れるな。まだ未熟じゃのう」
そんな声が聞こえる。〓“悟空〓”とはうまいネーミングである。おそらく私は八段にはなれないだろう。