なんじはここまで狐《きつね》ども
むかしの小学校唱歌に〓“楠木正成の歌〓”というのがあった。正式な題名かどうかはわからない。
楠木正成が死を覚悟した戦いに挑むその途中、桜井の駅でわが子正《まさ》行《つら》と別れる情景を歌った歌である。〓“青葉しげれる桜井の里のわたりの夕まぐれ……〓”私以上の世代ならたいていの人が知っているだろう。
画家の村上豊さんは子どものころ、この歌の二番か三番の一節を、
なんじはここまで狐ども、
そう思って歌っていたそうである。
正成は山の中から出て来たのであり、正成を慕って何匹もの狐が桜井の駅までついて来たのだろう。そこで正成が「お前たちもここまでついて来たけれど、俺も戦いに行くのだから、ここで別れよう。早く故郷の山に帰れ」と、さとしているのであり、正成の前に狐がすわっているイメージが頭の中にしきりにあったとか。正しくは、
「なんじはここまで来つれども、とくとく帰れふるさとへ」
である。わけもなくおかしい。私はこのイメージが村上さんの画家としての才能をひらくのになにかしら役立ったように思えてならない。村上さんは狐や狸《たぬき》をよく描く画家である。
古い歌の文句を子どもの頭で勝手に解釈しイメージを描いているケースはよくあることのようだ。向田邦子さんは有名な〓“野ばら〓”の一節を〓“わらべは見たり夜中のばら〓”と思っていたらしい。正しくは〓“野中のばら〓”である。このまちがいは、たしかエッセイ集のタイトルにもなっている。
私はと言えば……〓“父よあなたは強かった〓”という軍歌である。出征した父が、戦地で大活躍をしている。〓“荒れた山河を幾千里 よくこそ撃って下さった〓”といった文句である。私が勘ちがいをしていたのは、この部分だった。
幸か不幸か、そのころ近所に〓“タツさん〓”という職人がいて、みんなに送られて出征して行った。だから、ここは、
あーれ、タツさんが幾千里、
となる。事実、この歌はそんなふうに歌うのである。「あーれ」は感嘆詞である。市井の一職人であるタツさんがなぜ歌にまで登場するのか、子どもの頭は、そこまでは考えなかった。
文章はわかりやすく書いたほうがいい。普通の常識と教養を持った人が読んでみて、すぐに理解できない文章というのは、書いた人の頭がわるいのである。
いや、頭がわるいと言うより、書いた人自身、心の底に、
——むつかしく書いたほうが、きっと尊敬される——
そんな先入観があり、若いときからずっとそれに支配されて自分の脳みそを作りあげてしまったからだろう。平易な言葉で語れないことなんてない。あったとしても、めずらしい。
しかし、詩歌の文句を、へんにやさしく変えてしまうことには、私は反対です。
これも子どものころのことだが〓“春の小川はさらさら流る〓”と歌っていたものが急に〓“春の小川はさらさらいくよ〓”にされてしまい、釈然としない思いを抱いた。
詩歌はもともと日常の言葉とちがった用語やリズムで作られ、歌われている。少々わからないところがあっても、今にわかる。それを通して知らない言葉を知ることにもなる。よしんばまちがったイメージを描いたとしても、それがなにかの役に立ったりする。なんじはここまで狐ども、でいいのである。
私は〓“苫《とま》屋《や》〓”という言葉を、これも小学唱歌でよく知られている〓“われは海の子〓”で覚えた。〓“煙たなびくとまやこそ わがなつかしきすみかなれ〓”の部分である。さしずめボロ屋であろうか。ずっとあとになって小倉百人一首を読み、
秋の田のかりほの庵《いお》のとまをあらみ
わが衣手は露にぬれつつ
にめぐりあって、
——ああ、この〓“とま〓”は〓“とまや〓”のとまか——
と納得した。
なんだかひどくうれしかった。
勘ちがいとはべつだが、童謡の文句もなかなか正確には覚えていない。〓“赤い靴〓”は、私の大好きな童謡だが、私はずいぶん長いこと、
赤い靴 見るたび思い出す
異人さんを見るたび思い出す
そう思っていた。ところが、本当は、
赤い靴 見るたび考える
異人さんに逢《あ》うたび考える
である。一見わずかなちがいのようだが、本物のほうがずっといい。思い出すでは、過去の情景が浮かぶだけだ。考えるのほうが、あのときから始まって現在に至るまでの時間がかかわっている。深さがある。
先日、私自身の出版記念会を開いた。私の最初の小説集〓“冷蔵庫より愛をこめて〓”から十年たち、ちょうど四六判の本を五十冊出版したので、それを記念して関係者に集まっていただいたわけである。
私は主として短篇小説の書き手だから、手数だけは多い。十年間で五百篇ほどの短篇を書いた。五百のアイデアを使い果たし、もう頭はカラッポになりそう。
——いまに書けなくなる——
その不安にはつねにさらされている。
出版記念のパーティでは、編集者のかたがたに改めて〓“唄《うた》を忘れたかなりや〓”の歌詞を訴えてみた。
カナリヤは歌を歌うのが存在理由であり、歌えなくなったらもう価値がない。うしろのやぶに捨てられそうになったり、柳のむちで打たれそうになったりする。
小説家の運命も同じではあるまいか。
お集まりいただいた大勢の編集者に、ちょっと牽制球を投げてみたわけである。
あらためて聞くと、これはかなり残酷な歌詞である。はじめの三節は、これでもか、これでもかとばかり、むごい提案をしている。ほとんど同じようなコンセプトが、くり返して三つ続くが、文章は微妙にちがっている。それはなりませぬ、それもなりませぬ、それはかわいそう、と変えている。メロディも、リズムも、少しずつちがう。最後は、まあ、ハッピイ・エンド。〓“象《ぞう》牙《げ》の船に銀の櫂《かい》〓”である。
しかし、月夜の海はカナリヤにとってつらくはないのだろうか。象牙の船は沈まないのだろうか。
この歌を聞くたびに思うことである。