雨だから
今年は本当に雨が多い。
朝、起きてカーテンを開けると、懲りもせず灰色の雨が落ちている。
——よくもまあ、雨が空に残っているもんだな。もういい加減、下に落ちてしまっただろうに——
と、ため息をつく。
もちろん私は雨があまり好きではない。
よく見る夢の一つに、雨がザアザア降っているのに傘がない。濡《ぬ》れながら行かなければならないと、しきりに困惑している。少々なさけない夢である。目ざめて、
——ああ、よかった——
と思う。
二十代に貧乏していた時期があり、正直な話、傘一本買うお金も苦しい。本当に傘を持っていないときもあっただろう。そんな記憶が頭の片すみに残っていて、私に夢を見させるらしい。
若い頃といえば、ガール・フレンドと日曜日のデートを約束して、これが彼女とは初めてのデート。映画に行こうか、なにを食べようか、今日は手を握るくらいのところまで進んでもいいのかな、いやいや、一回目からそれはまずい、やめておこう、などと考える。
ところが、雨……。
電話がかかって来て(管理人室に電話のあるアパートに住んでいたのだが)受話器をとると、
「今日、やめましょうよ」
「どうして?」
「だって、雨が降ってるじゃない」
「そりゃ……雨くらい降るよ」
「私、雨、きらいなの」
「ちょっとぐらい、いいだろう」
「気分もすぐれないし」
押し問答のすえ、とりやめになってしまう。
——なんて言うことだ——
あの頃の私は、こんな女性の理屈を知らなかった。
私だって、雨はきらいである。
しかし、だからと言って、雨が降ることを理由にして予定を大きく変更するなんて……私の頭にはないことだった。運動会やピクニックを計画しているわけではない。映画を見て、ご飯を食べる程度のことである。台風が来ているわけじゃないんだ。
第一、彼女は丸の内のオフィスに勤めている。雨が降るからと言って、会社を休むのだろうか。そんなはずはない。
だったら日曜日のデート、雨くらい傘をさして出て来ればいいのに……。傘がないわけじゃあるまいし……。
なんたる屁《へ》理《り》屈《くつ》。
答は一つしかない。
——俺はそんなに好かれていないんだ——
昨夜からの楽しい想像がたちまち吹き飛んでしまう。
この恋は残念ながら実らなかった。
今になって考えると、七、八割がたは、あのとき考えた通りの事情だったろう。つまり、私はさほど彼女に好かれていなかったのである。
どんな女だって、惚《ほ》れて惚れて惚れぬいている男のためならば篠《しの》つく雨の中でも会いに行く。
「雨降りだからやめましょうよ」と言ったのは、私に対してやはりその程度の関心しかなかったからである。
だが、絶望的なほど脈のない情況であったかと言えば、かならずしもそうではない。女性の中には、かなり本気で雨の日の外出をいとう人がいて、こんな人にとっては「雨降りだからやめましょうよ」は「あなたに会いたくないの」と、かならずしもイコールではない。私もはやばやとあきらめたりせず、もう少し押してみれば……そう、次の晴れた日曜日を狙《ねら》えば、
「このあいだ、ごめんなさい。天気がいいと私、うきうきしちゃうの」
そのままホテルへ行ったかもしれなかった……。
ホテルはともかく、人は自分を基準にしてものを考える。もし私が「雨だからやめておこう」とデートを断ったのなら、これはもう百パーセント、その女に会いたくないからである。けっして雨のせいではない。ほとんどの男がそうなのではあるまいか。だから、相手の女もそうなのだろうと私は考える。
だが、このあたりにほんの少し誤《ご》謬《びゆう》があるようだ。
今、述べたように、ただ雨がきらいという女性もいて、それがデートを断る二、三〇パーセントくらいの理由になっているケースもないではないらしい。
女は誘われて動きだす性である。もともと、そう作られているのか、それとも長い歴史の中でそういう役割を強いられたからなのか、そこまではわからないけれど、とにかく男が誘い、女が誘われる、これが普通のパターンである。
誘うほうは、おおいにおのれの心を鼓舞しなければいけない。楽しい想像をめぐらし、ほっぺたを叩《たた》き、
——よし、行くぞ——
エネルギーをみずからかき立てなければ、ことが始まらない。雨くらいでやめてなるものか。
一方、誘われるほうは、はじめからそう激しく燃えたりはしない。恋のテクニックとしてそうする場合もあるが、事実、ゆっくりと動きだし少しずつその気になる。しばらくは腰を引き加減にしている。
——あんなに誘ってくれるんだから、少しつきあってあげようかしら——
そのくらいの気分である。厭《いや》ではないけれど、なにがなんでもという心境にはほど遠い。
そこに、雨……。
——なにもこんな日にデートすることないじゃない——
髪は濡れるし、おしゃれもできない。
——傘を持って歩くのって、なんか厭じゃない。断っちゃおう——
となってしまう。
雨がきらいな彼女としては「雨だからやめましょう」のひとことで男が絶望的なほど傷つくとは考えない。これまた人は自分を基準にしてものを考える、もう一つの例である。
たったこれだけのことを理解するのに、私はずいぶん長い年月をかけたような気がする。
親しい女性編集者に、この話をしたら、
「わかります」
と頷《うなず》いたあとで、
「でも、この頃は若い男の人の中に〓“雨だから、俺、出たくないな〓”そう言う人、いるみたいですよ」
と教えてくれた。
雨の日に会社を休む男がいたりして……。