男と女の接点
あなたがもし結婚をしているならば、
「どんなきっかけで奥様と(あるいはご主人と)知りあいましたか」
と尋ねてみたい。
配偶者でなくてもかまわない。今の恋人といつ、どこで、どのような理由で親しくなったか、と……。
「職場結婚です」
月並みだなあ。
「友だちの紹介で会ったのが最初でね」
これもよくあるパターン。
月並みなケースだからと言って、けちをつける理由は少しもないけれど、小説家は……私は、いつも考えているのです。作品の中の男女をどのような形でめぐりあわせようか……。
男が公園のベンチに腰をかけていて、女がその前を通りかかり、ハンカチがヒラヒラヒラ。
「落ちましたよ」
拾って追いかければ、
「あら、すみません」
「きれいな柄だなあ。ディオールですか」
「ええ。好きなんです」
「香水は……ディオリッシモ」
「よくおわかりですね」
「いやあ、本当にいいご趣味だ。いかがですか、お茶でも」
こんな書き出しでは、読者から、
「古いんだよなあ。五十年も昔の手を使うな」
と叱《しか》られてしまうだろう。
少なくとも編集者はいい顔をしない。
もう少し気のきいた男女の出合いがないものだろうか。
数年前バンコクへ行った帰り道、飛行機が乱気流に巻かれ、機体のどこかに不調が生じたのだろう。香《ホン》港《コン》の空港に降りたままいっこうに飛びたってくれない。数時間待たされたあげく、
「整備不良のため今日は出航いたしません。ホテルを用意しましたからお泊まりください」
となってしまった。
私は一人旅だった。
——まいったなあ——
しかし、もしこのとき私と同様に一人旅の女性が同じ便の乗客の中にいたならば、いかがなものだろうか。空港ロビイで待たされているときから、
「まったく、どうなってるのかなあ」
「本当に。よくあることなんですか」
「いえ、僕は初めてです」
「ほかの便、ないのかしら」
などと語りあい、もう一度ホテルのフロント付近で顔をあわせて、
「香港、ご存知ですか」
「いえ、ぜんぜん」
「僕もよく知らないけど、せっかく入国したんだから、どうです、散歩してみませんか」
「ちょっと怖いけど」
「大丈夫でしょう」
と、見知らぬ者同士がすぐに親しくなることができるだろう。
私の現実はそのように運ばなかったけれど、帰国して間もなく小説のプロットを作ることとなり、
——そうだ、あれで行こう——
かくて〓“花の図鑑〓”という小説の冒頭シーンがたちまち浮かんだ。
体験をほとんどそのまま書けばそれでよい。ディテールの描写もやさしいし、現実感も保証されている。長篇小説の滑り出しとしては、まことに好都合であった。
この作品が民放でテレビ化されることとなり、ある日、プロデューサーから、
「あの、冒頭の場面ですけれど」
と相談の電話がかかって来た。
「ええ……?」
「少し変更したいんですけれど」
「どうして」
理由を聞けば、民放では航空会社が有力なスポンサーであり、海外のロケーションをおこなうとなれば少なからず航空会社の協力をあおぐ。
「飛行機の事故ってのがまずいんですよ」
「うーん」
「お願いします」
「仕方ないか」
簡単に仕方がないと思ってはいけないケースだったのかもしれないが、テレビにとってスポンサーが大切なことは私もよく知っている。
シナリオができあがってみると、飛行機事故はどこにもなく、ただ香港の町中でヒロインがトラブルに遭遇し、それをヒーローが横から助け、それが馴れそめとなる。やや平凡な出合いに変っていた。
このテレビ・ドラマは、田村正和さん、いしだあゆみさん、小川知子さん、市毛良枝さんなどなど豪華なキャスティングで制作放映され、私としては、
——原作とちがうけど、まあまあ楽しめるんじゃないかなあ——
と、七、八割がたの満足を覚えたのだが、
「ずいぶん軽い感じの作品になったじゃない」
と、そんな意見も多かった。
「軽いのはテレビの特徴だろう」
「でも、主人公がC調過ぎて……。あんなサラリーマン、いないね」
それは私も思わないでもなかった。
——やっぱり冒頭がまずかったのかなあ——
つまり、たまたま飛行機が事故を起こし、知らない国の空港に長時間待たされ、心ならずも異国のホテルに泊まることとなり……そこで声をかけあうことになった男と女。とりわけ男性はそういう情況におかれて初めて女性に話しかけることができた……。そうでもなければ、知らない女性に声をかけられない。日本のサラリーマン諸氏の中にはこのタイプが多いと思うのだが、私の原作では飛行機事故から書き始め、そういうタイプの男性としてヒーローを登場させている。
ところがテレビ・ドラマでは、旅の女性が困惑しているのを見て、気軽に声をかける。ちょっと軽い感じ。英語をしゃべったりして……。このちがいは、やはりある。
冒頭の変化はスポンサーに気がねをしたせいだったけれど、そのためにヒーローの性格のプレゼンテーションが変り、作品全体のムードも変ってしまった。
作品というものは、いろいろなバランスの上に構築されているから、一部分を変更すると、それが思いがけないところに影響を与えてしまう。
当然のことながら人間の心理と、その行動とは結びついている。木に竹をつぐようにちぐはぐなことはできない。男と女を、自然な形でありながら、けっして月並みではない方法で、どうめぐりあわせるか、すてきな体験をお持ちのかたがいらしたら、ぜひとも教えていただきたい。