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三角のあたま34
日期:2018-03-31 13:25  点击:313
 虫の知らせ
 
 
 相撲のテレビ中継を見ていたら、東方の力士ばかりがズラリと勝っている。正確には数えなかったけれど、十人くらい続けて東の電光板だけが光っていた。
 
 こんなとき、これから取組む二人の力士はどう思うものだろう。
 
 西方の力士は、
 
「縁起がわるいな。俺も負けかな」
 
 東方の力士は、
 
「ぼつぼつ東が負ける頃だな」
 
 それぞれにネガティブな思案を心に抱くのではあるまいか。
 
 私が見ていたときは西方が勝ち、他人事ながら、なんとなく安《あん》堵《ど》を覚えた。
 
 
 
 コインが一枚あって、これを投げて裏表を当てる。そんなゲームを考えてみよう。
 
 四回たて続けに表が出て、さて、五回目はどうなるか。
 
 なんとなくもういい加減裏が出てもよい頃だと思ってしまう。賭《か》けごとなら、おそらく裏に賭ける人のほうが多いのではあるまいか。
 
 たしかに五回続けてコインの表が出る確率は、二分の一の五乗、つまり、三十二分の一である。滅多にないことと言ってよい。
 
 だが、それはゲームを始める前のこと。現実に四回投げ終えてしまい、四回はすでに過去の出来事となり、そのつぎの五回目は、ただの一回目となんら変りがない。
 
 表が出るか、裏が出るか、確率は二分の一。
 
 むしろたて続けに表が出たコインは、表の出やすいコインで、五回目も表が出る確率のほうが少し大きいかもしれない。
 
 理屈はその通りなのだが、それでもなお感情としては、
 
 ——そんなにたて続けに同じものが出るもんか——
 
 と、私たちは思ってしまう。
 
 子どもが三人女ばかりで、
 
 ——四人目は男だろう——
 
 ところが、あははは、四人目もまたまた女だったりして……いえ、いえ、これは女性蔑視ではありません。男が三人続いて、
 
 ——今度は女だろう——
 
 楽しみにしていたのに、また男。薄汚いのばかりが並んでしまい、閉口している親も私は知っている。
 
 そう言えば、麻《マー》雀《ジヤン》 好きのFさんが、ある雑誌の誌面で自分の打った麻雀を解説していた。
 
〓“この二萬は当たらないと信じて捨てた〓”
 
 と書き、その根拠として、
 
〓“その日のゲームでは、もう二萬で二回も放銃していた。二萬ばかりが当たるはずがない〓”
 
 と記していた。
 
 もちろんFさんも、これが根拠として正当でないことを知っている。その日、二萬が三回当たっていようと、五回当たっていようと、たとえ十回続けて当たっていようと、今、このとき相手が二萬で待っていないという保証はどこにもない。危険な牌《パイ》はやっぱり危険のはずである。
 
 そうであるにもかかわらず、
 
 ——そんなに二萬ばかりが当たってなるものか——
 
 その心境もよくわかる。
 
 麻雀の牌は三十四種類。牌の機能によって多少の差はあるだろうけれど、ゲームを始める前にはみんな等しく三十四分の一ずつの危険性を持っているはずだ。何千回とゲームをやり、当たり牌を調べてみれば、三十四種類が一定の平均率で当たっているはずである。
 
 しかし鰯《いわし》の頭も信心から……。
 
 Fさんの放った二萬はめでたく放銃とはならず、ピンチを脱することができたようである。
 
 
 
 話は突然変るのだが〓“私は飛行機事故で絶対に死なない〓”と固く、固く確信を抱いていた時期があった。
 
 そして、その理由。
 
 当時、私は南青山のMDマンションに住んでいた。同じマンションに向田邦子さんが住んでいらして、みなさんもご存知の通り向田さんは飛行機事故で他界された。
 
 向田さんも私も、同じ直木賞の受賞者である。
 
 あははは。論旨の行方はすでにお気づきであろう。
 
 そう、その通り。
 
 直木賞の受賞者なんて百数名しかいない。それが同じマンションに住むことだけだって滅多にない偶然である。さらに、そのうえ同じ飛行機事故で死ぬなんて、そんな偶然があってよいものだろうか。この確率の計算はむつかしいが、極度に小さいことだけはまちがいない。
 
 ——いくらなんでも神様はそんなことをしないだろう——
 
 それが〓“私は飛行機事故で絶対に死なない〓”と信じた論拠である。
 
 五年前にMDマンションから杉《すぎ》並《なみ》へと住居を変え、今は少し心配である。
 
 
 
 ふたたびお話変って……なべて原稿というものは、みなさんがお読みになるより少し前に書く。
 
 当然のことだ。印刷、製本、発送……筆者と読者のあいだには、いろいろな手続きが介在している。
 
 週刊誌について言えば、書く時点と読まれる時点とで、十日ほど差があるだろう。月刊誌なら、もっと長くなる。この時間差が長ければ長いほど困ったことが起こりやすい。
 
 たとえば、そのあいだに飛行機事故が起きたりして……こうなると、このテーマについてジョークめいた発言をしているのは、はなはだまずい。まことに不謹慎、と相成る。
 
 テレビ・タレントのKさんは、アメリカ旅行中に、日本で飛行機の大事故が起きたことを知り、即刻、国際電話に飛びついたとか。
 
 Kさんは、いくつものテレビ番組で司会をやっている。それはみんなビデオ録画にされて放映を待っている。録画の時点と、視聴者がそれを見る時点とに時間差があるのは、原稿の場合と同様である。
 
「俺、まさか番組の中で、飛行機事故のジョークなんか言ってないだろうな」
 
 ニュース番組が悲しみの遺族を映しているとき、これはまずい。国際電話に飛びついてチェックをさせたのも、プロフェッショナルとしての心遣いだったろう。
 
 私としてもこの原稿を書いた以上、願わくは、この十日間あまり飛行機事故の起きないことを祈る。
 
 そして私自身もその間に二度ほど飛行機に乗る予定になっている。
 
「あんなこと書いてて……。虫が知らせたのかしら」
 
 なんて……これはもう最悪と言ってよい。

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