美女優遇制度
美しい女性は、性格もよい……。
「嘘《うそ》。そんなこと絶対にない」
という反論も当然あろうけれど、どちらかと言えば私はこのテーゼを信じてしまうほうである。
私も五十年ほど生きて来て、もちろんそうではないケースに何度も遭遇しているし、煮え湯とまではいかないけれど、ちょっと熱いお湯くらいなら美女に飲まされたこともある。それでもなお、美しい女性は性格もよいと、つい、つい思ってしまう癖が抜けきれない。
「あなたのお父さんもそうだったわ」
と、私の父をよく知っている人が言っていたから、これは一族の血なのかもしれない。血のせいなら、私の一存ではどうしようもない。
——しかし、本当にそうなのかなあ——
このテーゼの是非について、つれづれなるままに考えてみた。
まず美女は幼いときから陽のあたる場所を歩く。いいめにあっている。だから明るく、屈託がなく、ひがみが少ない。心がゆがんでいない。それで性格がよろしい、と、一般論としては言えるだろう。これがプラス要因である。
だが、お立ちあい。美女であるがゆえに性格がわるくなるということはないのだろうか。
残念ながら、これもある。
えてして美しい女は冷淡になりやすい。表情こそさわやかに笑っていたりするけれど、なにかの拍子にドキンとするほど冷たい面が垣《かい》間《ま》見えたりする。
その理由は簡単だ。
温かい心とは、やっぱり、
——他人に温かく接していれば、自分も他人から温かく扱われるだろう——
と、そういうバーター・システムを無意識のうちに抱き続けて来た結果、育成されるものである。そういう歴史と無縁ではない。
そこへ行くと、美女は自分でなんにもしなくても他人からやさしく、大切に、温かく扱われやすいから、どうしても思いやりが不足してしまう。習い性となり、これは性格として大きなマイナス要因となる。
つまり、プラスとマイナスと両方あって、テーゼの是非は決めにくい。困っている私に助け舟を出してくれたのは、友人のK君だった。
「しかし、性格ってものは、表われかたに時間差があるからな」
「どういうことだ?」
「ちょっと顔をあわせるくらいの仲なら、明るくて屈託のない人がいいだろ。いくら美人だって、いきなり冷淡てのはめずらしい。恋人だったり女房だったり、深くつきあってみて、しみじみ〓“こいつは冷たいな〓”ってわかるわけだろ、たいていは」
「まあな」
「香水だって、うわ立ち、中立ち、あと立ち……三回ぐらいにわけてべつな匂《にお》いがするって言うじゃないか。人間の性格もつきあいの浅い段階で表われるものと、少し深くなってから見えて来るものと、しばらくたってようやくわかるものと、いろいろある。美人は最初の〓“うわ立ち〓”がいいんだ」
「なるほど」
すこぶる論理的である。たしかにサラリと接している限り、美しい女性は性格もよい。
数年前、ある美女と知りあった。かりにT子としておこう。だれが見ても、
——きれいね——
とわかる美女であった。
早く結婚をすればいいのに、T子は、
「私、本当に結婚に興味がないの。これからは骨《こつ》董《とう》品《ひん》がはやると思うわ。そういうのを外国から仕入れて、小さなお店を持ちたいの」
資金も多少はあるらしい。英語も堪能である。相談を受け、私はたまたまその方面で仕事をしている旧友にT子を紹介した。
数日後、その旧友に会い、
「どうかね。仕事のできそうな娘《こ》だろう」
と言えば、相手は「うん。すばらしい」と頷《うなず》く。
「どう、実現しそうかね、彼女の希望は」
旧友はゆっくりと首を振り、
「無理だろうな」
「どうして」
「もともとそう簡単な仕事じゃないし……一番よくないのは美人すぎる」
「美人は駄目かね、骨董屋には?」
「骨董屋に限らず、この手の仕事は、だいたい美人は駄目なんだ。店があって、ウインドウの前に立ってるぶんには美人がいいよ。でも、これはかなりやくざな仕事だからな。そりゃ、初めはいいんだよ。美人にはみんなが手を貸してくれるけど、それはやっぱり野心があってのことだもん。〓“俺《おれ》の女になるんなら、いくらでもおいしい商売をさせてやる〓”って、みんなが少しずつそういう気分を持っている。ほとんどが男なんだから……それに乗っちゃえばわけないさ。しかし、それじゃ本当の商売は覚えられない。器量で商売してるのと同じことだからな」
「うん」
言ってることは、わからないでもない。
「美人であることが邪魔になるケースってのも案外あるんだよ。どこへ行ってもかならず男がつきまとう。地道な商売で苦労するより、それを利用したほうが楽だから、どうしてもそっちへ傾く。だから顔がきれいな人は、それが一番有効な職業に就くのがいいんだ。女優とかホステスとか。ほかの道では、いい思いをさせてもらえるぶんだけ本当のことがなかなか覚えられない」
「うーん」
私は考え込んでしまった。
この世には美女優遇制度というものが存在している。
男たちはみんな私同様美女に弱いから、ちょっといい女が現われると、すぐに手助けをしてしまう。手助けのレベルは何億円もの肩入れから、手荷物を持ってやる程度まで多種多様だが、美しい女がいろいろな形で有利な取り扱いを受けているのは論をまたない。
だが、神様は思いのほか公平なところもある。
美女であることだけが長所という状態も、たしかにつらいだろう。ほかに多少の長所があっても美女優遇制度の適用が断然強い。それにいつまでも美女ではいられないし、そうなればいつのまにかこの制度の適用も消滅してしまうだろうし……。