色川武大さんのこと
「麻《マー》雀《ジヤン》の必勝法を教えてください」
講演会のあとなどに「どんな質問でもどうぞ」と言うと、こんな質問をあびせられ、私は何度か狼《ろう》狽《ばい》したことがある。
私も麻雀はやる。きらいではないし、エッセイに書いたこともある。ショートショートなら麻雀をテーマにした作品を二、三篇書いているだろう。だが、腕前のほうは、そこそこ。他人に必勝法を教えるような立場ではない。
——阿佐田さんとまちがえられたな——
と、わかった。
わざわざ説明する必要もあるまいが、過日急逝した色川武大さんは、ペンネームを阿佐田哲也と言い、これは主として麻雀小説を書くときの名前。一時はプロの麻雀打ちとしてその名を鳴らした人である。阿佐田哲也ならこのゲームの必勝法を語るにふさわしい。
小説家の名前なんて、世間の人はそうそうキチンと覚えているわけではない。阿佐田と阿刀田と、まちがえても少しも不思議はない。
「あなた、このあいだ、死んだんじゃなかったんですか」
ことの性質上、まだこれは言われていないけれど、そう思った人はきっといるだろう。作品も風《ふう》貌《ぼう》も大分ちがうと思うけれど……。
色川さんに初めてお会いしたのは銀座の酒場だったろう。〓“まり花〓”といって、十人も入れば満員になる店である。色川さんは常連だったし、私も時折顔を出す。
なにを話したか……覚えていない。
軽い挨《あい》拶《さつ》程度のものだったろう。
色川さんはシャイな人である。こちらが飛び込んで行くぶんには懐も広いし、とてもやさしい人だが、人はそうそう簡単に親しくなれるものではない。私にもシャイなところがある。
それに……私は酒場の友情をあまり信じていない。酒場は、もともと愉快になるために行く場所である。だれだって不愉快にはなりたくない。多少気に入らない相手でも、話くらいはあわせるものだ。酔った勢いで仲よくなってみたところで、たかがしれている。あまり深入りをしてはいけない。色川さんに対しても遠慮がなくもなかった。
多少なりとも懇意の間柄になったのは〓“小説現代〓”新人賞の選考委員になってから。つまり、昭和六十年から色川さんのほかに津本陽さん、西村京太郎さん、そして私がこの賞の選考委員となり、年に二回の選考会のほかに授賞式でも顔をあわせる。選考会では、その都度、真剣な論議を重ねた。
色川さんと私とは小説の評価の物さしが似ていた。いや、正確に言えば、最後の二作に絞るあたりまではよく似ているのだが、そこから先、色川さんは穴狙《ねら》いの傾向を帯びる。私は本命のほうへ傾く。
「このほうが文章もいいし、まとまってるじゃないですか」
「ウーン。しかし、こっちのほうがこの先、化けるような気がする」
一定の水準を越えていれば、色川さんはきまって斬《ざん》新《しん》なもの、わけがわからないけれどなにかありそうなもの、下手をすればキッチュになりかねないものを選ぶ。眼のつけどころがいかにも色川さんらしい。
新人発見のためには、おそらく色川さんの眼が正しいのだろう。示唆されることも多かったし、この選考会を通して色川さんの人柄をよく知ることができた。色川さんの気配りは本物である。大きな肩を小さくすぼめて、そんな気配りがけどられるのを少し恥ずかしがっているみたいだった。
ある雑誌の主催で、ギャンブルについて対談をやったこともある。
この人選はわるくない。
色川さんがギャンブルについて語るのは、当然至極。これ以上の人選はない。私はと言えば、室内ゲームはほとんどみんなできるし大好きである。ただ賭《か》けることにはそれほど興味がない。ゲームに含まれている論理や哲学や遊戯性がとても好きなのである。
つまり、この対談は、ギャンブルが大好きな色川さんと、ギャンブルは下手くそだがゲームの理屈には通じている私との組合わせであった。
そして、おもしろいことに、話は大筋においてよくあった。
色川さんの信条は九勝六敗の思想である。十五勝だの、十四勝一敗だのを狙《ねら》っているうちはプロにはなれない。勢いに乗ったとき全部勝とうとするのは、当然の欲望であり、それを抜きにしてどこに勝負事の楽しさがあるのか、と、そんな気もするけれど、そこが素人のあさはか。犠牲も大きいし、思いがけない落とし穴もある。全勝狙いは全敗の道に通じかねない。
「ギャンブルなんて、楽しんだらお金を払わなくちゃいけない。お金を残して帰ろうと思ったら、楽しみのほうは我慢しなくちゃいけないんですよ」
そんな言葉が印象的だった。
シャンポンで待てばオール・グリーンの役萬貫、リャンメンで待てば、ただの緑発入りの混一色。
それでも色川さんは、
「原則としては、リャンメンのほうを選びますね」
なのである。
オール・グリーンなんて一生に一回できるかどうか……。せっかくめぐって来たチャンスなのに、実現の可能性が少なければ、よりよくあがれそうなほうを選ぶ。まことに勝つためには楽しむことをあきらめなければいけない。
この対談は文春文庫の〓“ビッグトーク〓”の中に収められているが、私自身、読み返すたびにあらたに発見するものがある。このテーマでもう一度色川さんとお話がしたかった。
色川さんと何度か麻雀を打ったこともある。そう多くはない。文壇の親《しん》睦《ぼく》会《かい》のような席だった。色川さんは本気ではなかっただろう。実力に横綱と十両くらいの差がある。
色川さんがリーチをかけた。
——まさか色川さんほどの人がソバテンはやるまい——
と思って、牌《パイ》を振ったらドカーンと命中。
色川さんの解説は、
「勝つためにはなんでもやらなくちゃ駄目ですよ。セコイ勝ちはカッコ悪いとか、やらないことがあったら負け。あれはやらないだろうと思わせると、それだけ相手に楽をさせますからね」
非常に親しい人ではなかったが、今はひどくなつかしい。