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三角のあたま40
日期:2018-03-31 13:29  点击:257
 選挙区三景
 
 リクルート事件の火の手がはっきりと政界に及び始めた頃、私は、
 
 ——新潟三区のみなさんはどう感じているのかなあ——
 
 マスコミが取材してくれればいいと思った。
 
 新潟三区は、リクルート事件と、ほとんどなんの関係もない。だが、すぐこの前のロッキード事件にはおおいにかかわりがあった。つまり、ここは田中角栄さんのお膝《ひざ》元《もと》。この刑事被告人に対して従来に倍する二十二万票の得票を与えた、その選挙区である。
 
 私は、政治家にいかがわしい匂《にお》いが漂い始めたら、選挙で落とすのが、一番とかねてから考えている。
 
 まったくの話、この種の疑惑は刑事事件として扱うのが極度にむつかしい。裁判には〓“疑わしきは罰せず〓”の原則もある。立証できても氷山の一角。そんなときは選挙で罰するのがよいのであり、だから私としては新潟三区の二十二万票はまことに不本意であった。
 
 もちろん生きて行く道は、きれいごとだけではすまされない。田中角栄さんは、典型的な利益誘導型の政治家だったから、この人の存在により、地元はかなりの利益を受けているはずである。
 
「お世話になったんだから、こういうときこそ御恩返しをしなくちゃあ」
 
 と、これが二十二万票の背景だろう。その気持ちはわからないでもない。
 
 だが、利益誘導型には、本質的な破《は》綻《たん》が内蔵されている。田中角栄さんが勢力を握っているうちはいいけれど、そうでなくなれば今度はほかのところに利益誘導型が誕生し、そっちが得をすることになる。あえて簡単な図式で示せば、新潟三区の利益は他の諸地域の犠牲によって成り立っていたわけであり、星変り時移れば今度は新潟三区が犠牲にならなければいけない。
 
 リクルート事件は、まさにその一つと言ってよい。社会現象は理科の実験とちがって、まったく同じような出来事がくり返して起こることはないけれど、二つの事件は政治家の利権が特定の人々の利権と結びついたところはよく似ている。底流は同じものと言ってよい。この現実を前にして、新潟三区の世論は、
 
「この前は角栄さんのおかげで俺たちがちょっと得したんだから、今度は我慢する番だこてね」
 
 となるかどうか……。論理の一貫性としては当然そうなってしかるべきだが、多分そうはならないだろう。そのあたりの庶民感情と困惑の表情を、少々意地のわるい趣味かもしれないが、テレビの画面などで眺めてみたい。マスコミが取材してくれればいいなあと思った由縁である。私たち自身の実像を鏡に映し出してみる手段としても、これはけっして意味のないことではあるまい。
 
 新潟三区から県境を北へ越えると、会津に入る。福島二区。この地域は昨今すこぶる鼻息が荒い。言わずと知れた伊東正義さんの地元である。ついこのあいだまでは、さほど著名な政治家ではなかったけれど、あちらこちらでシュプレヒコールが起こって、にわかに伊東さんは時の人となってしまった。
 
 たしかに、一かどの人物であることはまちがいない。言行には納得できるものが多いし、東京の自宅のトタン屋根のひどさを見ただけでも、ただものではない。
 
「やっぱり会津の人間はちがうのう」
 
 地元の様子はしばしばテレビの画面にも映し出され、その表情は二〇パーセントくらい残念だが、なにはともあれ誇らしそう。
 
 伊東正義さんは、利益誘導型の政治家ではないらしい。この人が作った橋だの、道だの、地元の人もとんと思い出せないふうだった。
 
 よってもって伊東さんは、言葉は古いが、義に生きる人……。選挙民としては、橋を選ぶか、義を選ぶか、これはなかなかむつかしい問題ですね。
 
 結果として新潟三区は橋を選び、福島二区は義を選んだような恰《かつ》好《こう》になってしまったが、県境一つで人の心はそんなに異なるものなのだろうか。
 
 ——やっぱり橋のほうがいいわな——
 
 目の前に利益がぶらさがれば、ついつい心が傾いてしまう人も多いだろう。
 
 もちろん私は義を選ぶ人に拍手を送りたい。義を選ぶなんて、橋に比べると、武士は食わねど高楊子、現実にはなんのたしにもならないように見えるけど、人間としての満足感は捨てがたい。
 
 よいことは高らかに誇ったほうがよろしい。福島二区のみなさんは、このさいおおいに誇ってください。そのぶん、言っちゃあわるいが、新潟三区のみなさんは、少し恥じてください。ゆめゆめ衆議院議員として一回も出席できなかった人を再度当選させたりはしないでください。
 
 こんなことをとりとめもなく思いめぐらしていたら、三重二区、つまり藤波孝生さんの地元で、自民党の県議会議員あたりを中心にして、藤波さんに対して、
 
「次の選挙には立候補しないでほしい」
 
 と、強い要請が出されている、とテレビ・ニュースが報じていた。
 
 県会議員たちの自己防衛的な思惑も感じられるが、立候補がなければ当選もありえない。控え目に生くる幸せ根深汁、なんて言っちゃって、この人はそんなにわるい人柄ではないような気もするけれど、いかがわしい匂《にお》いが立ったらとにかく落選させるのが一番である。
 
「いい人だから」
 
「お世話になったから」
 
「この選挙をみそぎにしてもらいたい」
 
 従来以上の得票なんかを集めてしまっては本当にしめしがつかない。
 
 三重県議会議員の要望は新潟三区との対比においてそれなりに評価されてよいものだろう。
 
 田中さんと藤波さんとでは実績も立場も人格もずいぶんちがうけれど時代も少しずつ動いている。国民の政治意識も微妙に変っている。ロッキード事件とリクルート事件とどこが異なるのか。少しは私たちも賢くなっていなければ、本当に救いようがない。
 
 新潟三区には……その中心地である長岡市には、私は少なからず地縁があるのだが、ごめんなさい。少しひどい言い方になってしまった。でも本音です。県の外から見れば、こんなふうに見えるのです。
 

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