眠られない夜
京都のホテルでなかなか眠られず、その少し前、
「京都にはよくいらっしゃいますか」
と尋ねられたのを思い出し、
——はて、京都には何回来ているかな——
と薄《うす》闇《やみ》の中で記憶をたどってみた。
修学旅行で一回。新婚旅行で一回……。
修学旅行は高校の二年生から三年生へ変る春休みで奈良に行き、吉野にまわり、吉野山は桜のまっ盛り、京都では金閣寺、銀閣寺、清水寺、それから今ではなかなか入れない御所を見学したような記憶がぼんやりと残っている。
新婚旅行のほうは、自分で計画を立てたことだから、これはよく覚えていて当然。六甲山から奈良の西の京をめぐり、京都は竜《りよう》安《あん》寺《じ》、西《さい》芳《ほう》寺《じ》、大原の三千院、寂光院、保《ほ》津《づ》川《がわ》下りなんかもやっちゃって嵐《あらし》山《やま》を見た。まあ、月並の観光コース。
——銭がなかったなあ——
と、すぐにそのことを思い出してしまう。
——三回目はいつだったろう——
と自分史をたどることになる。
私が勤めていた国立国会図書館は出張の少ない職場で、係長になって初めて出張を命じられた。広島、岡山、大阪、ついでに京都へ。
寝台特急の安《あ》芸《き》号で東京を発ち、広島に着いたのは朝の十時ごろだったろう。
「広島大学へ」
駅前でタクシーに乗りこみ勇んで最初の目的地を告げた。広島大学図書館に所用があったのである。
ところが、二、三分走ったところでタクシーの運転手がふり向き、
「兄さん、女はどうかね。きれいな奥さんがアルバイトしてるんだけど」
驚きましたねえ。午前中だというのに……。
もちろんお誘いは辞退した。大学図書館にアポイントメントがとってあったし、いくらなんでもその気にはなれない。
——広島とはこういう町なのか——
なにしろ初めて着いてこの体験。広島と聞くと、しばらくはこの出来事を思い出した。
「隠語かもしれないね」
と解説してくれた人もいる。
つまり、下《げ》賤《せん》なことを表わすのに一番それと反対の言葉を使う。広島大学がいかがわしい場所の隠語だったりして……。
二度目に広島に行ったのは市内の女子大に呼ばれて……。ここはうって変って、今どきめずらしい純朴なお嬢さんの多いところ。どちらが本当の広島なのか、いまだに少し迷っている。
出張の帰りにちょっと京都に下車して市内を散策した。宿泊はしなかったが、あれがたしか三回目だったろう。
図書館を退職して、もっぱら雑文を書いて糊《こ》口《こう》を潤していた時代があった。懇意の編集部から、
「京都へ行ってほしいんだけど」
「はい?」
なにかと思えば、ヌード・ショウの見学。
当時京都はこの方面の文化でも第一級の劇場を持っていた。劇場見学の詳細は省略して、劇場からの帰り道、すぐ近くの東寺に立ち寄り、ここは真言宗の名《めい》刹《さつ》。
「アニハンドガシンダラハラバリタヤ、ウオンアボキャベイルシャノウマカホダラ……」
経文を唱えて。汚れた心を清めた。
五回目は、きっと小説の取材で行ったときだろう。目的地は琵《び》琶《わ》湖の北端であったが、お膳《ぜん》立《だ》てを調えてくれた編集者が、
「泊まりは京都です。早朝にタクシーで出発すれば行けるでしょう」
「ああ、そう」
これを信じたのがいけなかった。
まず京都に泊まって酒を飲み、八時に起床して出発。それでもまっすぐひた走りに走って行けば大湖の北端を極めることもできたのかもしれないけれど、運転手が、
「北のほうなんか、なんにもないすよ」
と、こっちの目的をとんと理解せず、堅《かた》田《だ》の浮《うき》御《み》堂《どう》を見ましょう、琵琶湖大橋を渡りましょう、白《しら》鬚《ひげ》神社の鳥居は一見の価値があります、いちいち止まっているうちに今津のあたりまで行ったところで引き返さなければならなくなった。取材の目的は果せず、なんともしまらない旅だった。
このあたりまでは順を追って正確に思い出せるのだが、そのあとは、
——嵯《さ》峨《が》野《の》へ行ったのは、いつだったろう——
——鞍《くら》馬《ま》に登ったときは寒かったなあ——
——常照皇寺にも行ってるんだ。タクシー代が高かったけど——
——大覚寺に行ったのは、古都税がもめているときだったな——
入口で五百円取られ、てっきり参拝料だと思っていたら、これは写経料。参拝料なら税金の対象になるが、写経料ならきっと抜け道があるのだろう。
見学の道順の最後のところで、どうでも写経をやれと言う。
「したくないから」
と断れば、
「ほんの一字でもいいから」
と強要する。
そんな写経があるものか。こっちも頑固に拒否をした。
「じゃあ、五百円はいらないから持って帰ってほしい」
「そうしましょう」
「受付に連絡しておきますから」
しかし帰り道、受付で呼び止められることもなく、そのまま五百円は寄進したことになってしまった。
観光のためばかりではなく、映画の仕事で太《うず》秦《まさ》にも行っている。セミナーのため同志社大学へも行っている。
多分二十一、二回……。同じ旅を二度数えているかもしれないし、忘れていることもあるだろう。いずれにせよ、このくらいの回数。このあたりで眠りがやって来た。
眠れないときには、羊の数を数える手段があるらしいが、いかにもばからしい。京都の旅を数えたのは、よいアイデアであった。
旅先で眠れないことは、よくある。四十歳そこそこのころ、
「睡眠薬をください」
と頼んだら、主治医が顔をしかめて、
「自慰をなさい。そのほうが体にいいです」
実行はしなかったけれど……。