文学部は駄目よ
日本の国際化はどれほど進んでいるだろうか。海外生活の長いNさんの意見では、
「一国の国際化の度あいを判定するのは、とてもやさしいんだ」
「ほう?」
「国際結婚がどのくらいあるか、それを見ればすぐわかる」
なるほど。むつかしいことをあれこれ考える必要はなにもない。庶民がどのくらい異国の人と溶けあっているか、本音の部分はきっとこのあたりに現われるだろう。
正確な数値は知らないけれど、日本人の国際結婚は極端に少ないだろう。親族をグルリと見まわして五親等以内に一組くらいいるようにならなければ、とても国際化が進んでいるとは言えない。論より証拠、数字を見れば、おのずと見えてくるものがある。
だが、この章のテーマは日本人の国際化ではなく、女性問題……。昨今はなにかとかまびすしい。
私が学んだ高等学校は男女共学のはしりで、いま思い返してみてもすこぶる優秀な女性が多かった。そのあと私が入学したのは早大フランス文学科、ここも女性が半数。みなさん優秀で、成績なんかは確実に男性より上だった。そして私が十年あまり勤務した国立国会図書館も半数までが女性で、女性の職場としてはわるいところではなかった。だから優秀な女性が集まって来る。つまり私は十代から三十代のなかばくらいまで、いつも能力的にすぐれた女性と机を並べて学び、仕事をしていた。
こんな事情もあって私は女性の能力が男性に比べて劣っているかどうか、ほとんど意識したことがなかった。周囲にいる女性が、男性と少しも変らないのだから、それどころかときには優秀なのだから、
——みんなこんなものだろうな——
差異を実感するのがむつかしかった。
図書館をやめ、フリーの物書きとなり、広く、さまざまな世間を見るようになってはじめて、私はこのテーマに直面した。いろいろな声を聞いた。
「女は使いものにならん」
「責任感がないんだ、女性は」
「とんでもない嘘《うそ》をつくだろ。男だってつくけどサ、みすみす尻《しり》が割れるような、馬鹿な嘘はつかんよ」
「本当に女って自己中心的だよな」
全部が全部その通りだとは思わなかったけれど、正直なところ、広く世間を見るようになって、男性たちのこの種の嘆きもあながち理由のないことではないな、と私は思った。私は三十代のなかばまで女性の社会的能力を充分に信じていたから、むしろ少し裏切られたような気がしないでもなかった。
昔はもちろんのこと、今だってこの世の中はどこもかしこも男性優位のシステムで貫かれている。(女性上位なんてほんのジョークでしょう)女性がなかなか社会的に進出しにくく、その結果、社会的能力においてどうしても男性に遅れがちになってしまう、これも充分に理由のあることだろう。私は男だから、
——そうみたいですねえ——
なんて、ついつい薄情になってしまうけれど、心ある女性が切歯扼《やく》腕《わん》、怒りの声が高まるのも当然のことだろう。
——俺が女だったら、やっぱり憤慨するね——
と、そのくらいの理解力はあるのです。
「理解だけじゃなく、女性の地位向上のためにもっと協力してくれなきゃ駄目」
「はあ。できる範囲で」
なにしろ、男と女、利害の対立する場合もあるから、そうそういいお返事ばかりはできない。
それはともかく、昨今は大学へ進む女性も増えている。せっかく高等教育を受けるチャンスを与えられ、
「どうして文学部ばかりが多いんですか」
と、私は尋ねてみたい。文学はけっしてこの世に無用な学問とは思わないけれど、社会的に役立つ能力を磨くには迂《う》遠《えん》すぎる。そんなものよりまず、この世の中で仕事を得て働いて行くうえで具体的に役立つ学問、女性はそれを身につけるべきではあるまいか。
外国語学部や家政学部のたぐい……これも理念はともかく現実には文学部と大差はない。せっかくチャンスを与えられながら、お嬢様芸のたぐいばかりでは、もったいないのとちがいますか?
医学とか、理化学とか、建築学とか、司法試験をパスしちゃうほどの法律学とか、実質的な学問は少なくはない。もちろん医学なんかは、当人の努力もさることながらお金もかかり、女性はこの点でハンディキャップを負わされる率も高いだろうけれど、もう少しなんとかならないものだろうか。
女性の社会的進出がどれほど進んでいるか。
「その度合いを判定するのは、そうむつかしくないね」
「ほう?」
「文学部を選ぶ人がどれだけいるか。少ないほうがいいんだ」
私自身、文学部の出身ではあるけれど、先の国際結婚と同じように、こんな会話を交わしてみたい。
眼に見えて役に立つ仕事だけが必要なことではないけれど、この社会を動かしていくうえで眼に見えて確実に必要な仕事、そこに従事する女性の数が増えないことには、女性の社会的進出なんて、チャンチャラおかしい。それを拒んでいるものについてはよく言われているけれど、女性の側にも、もう少し実用の学への熱意があってよいだろう。
文学部を出てテレビのアナウンサー、英文学を専攻して週刊誌のエディター、そんなに必要じゃないですね。
かくいう私にも娘が一人いて、なんと、フランス文学科などへ通っている。仕方がない。当人が好きなのだから、止められない。
先の国際結婚についても同じことが言えるのだが、人はそれぞれ自分の好みで道を選ぶものだし、それが当然であり、他人が干渉できることではない。太郎と結婚したい娘に「トミーにしなさい」とは言えないし、文学部へ行きたい娘に「いや、医学をやりなさい」とは言えない。
だから、以上はあくまでも巨視的な視点でみる。結果として、文学部あたりを志願する女性が今の半分くらいになったとき、つまり個々の女性の総意がそんなふうになったとき、女性の社会的進出は明白に進んでいるだろう。