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三角のあたま55
日期:2018-03-31 13:41  点击:316
 一年回顧
 
 
〓“一番新しいものが、一番早く古くなる〓”という現象については、どなたも思い当たるふしがあるだろう。
 
 たとえばファッション。このところ日本全国を席《せつ》捲《けん》するほど顕著な大流行はないけれど、たとえば、かつてのミニスカート、パンタロン、一年遅れてしまうと、もう古くて古くて、着ては歩けない品物になってしまう。
 
 流行語なども、去年のはやり言葉をとくとくとして使ったりしようものなら、
 
 ——古いんだから。おじさんだねえ——
 
 と、周囲の顰《ひん》蹙《しゆく》をかう。
 
 ことのよしあしは別問題として、そういう心理傾向があまねく存在していることは疑いない。
 
 雑誌というものは、そのときそのときの時流を反映して作られているものだから、一年もたってしまえば、かならず古くなる。そこで、その雑誌に連載するエッセイはどうあるべきか、書き手にとってはないがしろにできない問題である。
 
 連載エッセイが、雑誌の記事同様、時流にそったテーマばかりを選んでいると、そのときはタイムリイでも、連載が終って一冊の本にまとめたりすると〓“一番新しいものが、一番早く古くなる〓”という法則そのもの、六日のあやめ、十日の菊、あまり読みたい本にはならない。
 
 それではと言うことで、時流とほとんど関係のないテーマばかりを選んでいると、本にまとめたときには結構だが、雑誌掲載のときは、どこか寝ぼけた印象を与えるものになりかねない。
 
 この矛盾に対して、どれくらいのスタンスを取って書くか、執筆者が時事問題に精通した評論家のような人ならば、そのときそのときのトピックスを大切にするだろう。一方小説家などは、あまり時流にはとらわれず、いつでも通用するようなテーマを扱うケースが多いだろう。私も、どちらかと言えば後者のほうであった。
 
 
 
 だが本書は週刊誌の連載であり、そんな私でもまったく時流と無関係というわけにもいかない。頭に思い浮かぶことが、どうしても視下の社会の動きから影響を受ける。一年間の連載をふり返ってみると、ところどころにそんな内容の記述もあって、
 
 ——たった一年のうちに、情勢が変るものだなあ——
 
 読み返してあらためて考えさせられたり、苦笑を浮かべたりする部分も少なくない。
 
 連載の第二十三話では、クレマンソーのエピソードを紹介して、
 
「最悪の政治家はだれですか」
 
「最悪の政治家をきめるのは、実にむつかしい。これこそ最悪と思ったとたん、もっとわるいやつがかならず出て来る」
 
 これを書いたときには、竹下登さんが総理大臣で、その評判が最悪のときだった。これよりひどい首相はいないような話だった……。その後のことは、今ここでは書かない。今は海部総理だが、はてさて、海部さんは今から一年後にどうなっているだろう。
 
 第十四話では、いかがわしい政治家は選挙で落とすのが一番と書いたが、その後のいくつかの選挙でリクルート事件のお灸《きゆう》はみごとにすえられた、と言ってよいだろう。
 
〓“これだけの国民にこれだけの政治家〓”という言葉も紹介している。国民が賢くなければ政治家が賢くなるはずがない。国民のモラリティが低いのに、政治家だけが高いモラリティを持つはずもない。同じレベルと考えてよい。国民は少し賢くなった。政治家はどうなのだろう。
 
 
 
 第二十七話では〓“アメリカ讃江〓”と、ちょっとおどけたタイトルをつけ、しかし、内容はすこぶる生まじめなもの。
 
〓“昭和二十年代、私はアメリカに三度負けたと思った〓”
 
 と書いた。戦争で負け、物資の豊かさに圧倒され、そして〓“人間としても負けたな〓”と思った。
 
 アメリカの占領政策はみごとなものだった。日本軍が戦時中大陸でおこなったことなどと比べてみれば雲泥の差がある。文化的視点でも、奈良、京都を焼かなかったこと、これも帝国軍人とはおおいにちがっていただろう。この文章は、現在、世界のきらわれ者になりつつある日本と日本人に対して、自戒をこめ、アメリカのよかった点だけを引きあいにして、
 
「みなさん、もう少し気をつけましょうよ」
 
 と、そんな気分を記したものだった。ところが、これが訳されてシカゴ・トリビューン紙に転載された。
 
「うーん」
 
 日本人にだけ読まれることを考えて書いたのだが……英文を読むと、微妙に印象がちがっている。アメリカ人が、アメリカ人の常識でこの文章を読むと、どう感ずるだろう。
 
 わるい気はしない。当然だ。アメリカがとてもよく書かれているのだから。
 
 しかし、これを書いた私の本心は……もちろん心にもないことを書いたわけではないけれど、ことさらにアメリカのよい面だけを強調し、日本人に対して警鐘を鳴らしている。言ってみれば、母親がわが子に対して、
 
「あんたは本当に駄目ね。お隣の一郎ちゃんを見なさい。とってもいい子よ」
 
 と叱《しか》っているようなものなのだ。
 
 双方を公平なレベルにおいて比較しているわけではない。読みようによっては、ちょっと卑屈なまでにアメリカをほめあげている。
 
 ——転載を許可して、よかったのかなあ——
 
 と、今は少し思い悩んでいる。
 
 第五話ではコンピュータ麻《マー》雀《ジヤン》〓“悟空〓”に挑戦し七段にはなったが、八段はとても無理だろう、と書いた。
 
 しかし、その後の努力精進めざましく、とうとう私は名人になった。名人のさらに上があるらしいのだが、これはもう本当にむつかしい。絶対に勝てないプログラミングになっているのではあるまいか。さすがに根負けしてしまった。飽きてしまった。今後は本当にこれ以上の昇進はあるまい。
 
 第十話で蕗谷虹児のことを書いたが、平成二年にはこの詩人にして画家の伝記小説を書く予定である。これからはしばらく蕗谷虹児の資料を整えたり、取材をしたりするのが、仕事の中心となるだろう。

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