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時のカフェテラス11
日期:2018-03-31 13:58  点击:250
 川向こう
 
 
 通子《みちこ》のマンションを出たのは九時を少し過ぎる頃だった。玄関のすぐ前は低い垣根の仕舞屋《しもたや》になっていて、薄闇の中に白い、大きな花がポッカリと咲いていた。
 ——まいったなあ——
 安雄は、ただそう思った。
 今、急に目の前に困ったことが落ちて来るわけではない。だから、なにがどう困るのか、自分でもよくわからない。
 だが……確実によくない。だんだん悪くなる。遠からずきっと困ったことが起きる。そんな予感に対して安雄は困惑を覚えたのだろう。
 妻の朋美《ともみ》には、
「麻雀で遅くなる」
 と告げて出て来た。
 今から帰ったのでは早過ぎる。せめて十一時頃まで時間を潰さなくては恰好がつかない。
 飲んべえならば酒を飲むのだろうが、安雄はアルコールに体があわない。コップ一ぱいのビールで心臓が喉までせりあがって来る。
 喫茶店へ行くとしても、その前にもう少し時間を潰す手段がないものか。
 遊園地の脇を抜け、駅の近くまで来て、線路のむこう側に小高い丘があることに気づいた。
 通子のマンションへは何十回となく行っている。車で行くことが多かったが、渋谷から東横《とうよこ》線で行ったケースも一度や二度ではない。駅の南口のほうに繁みに覆われた丘があって、散歩道らしいものが細く延びている。そのことも一応知ってはいたけれど、実際にその道を歩いてみたことは一度もなかった。
 風がここちよい。
 月は、十三夜ぐらいだろうか。
 いや、そうではないか。一昨日の夜がまんまるい月だった。夜ごとに欠けていく月。今夜は立待月《たちまちづき》あたりらしい。ほんの少しだけ欠けて天にかかっている。とても美しい。
 ——少し歩いてみるか——
 ガードを抜け、散歩道に入った。街灯の下にベンチがあって、二人連れが肩を寄せあっている。急にゴソゴソと音が響き、暗闇のほうの二人は体を重ねて揉《も》みあっているようだ。
 ——男と女——
 今、この公園の中に、いくつ恋が住んでいるのか。とりとめのない想像が浮かぶ。よい恋、わるい恋、芽生えたばかりの恋、もう終ろうとしている恋……。
 ——俺たちは、どうかな——
 ほんの一時間ほど前、安雄は通子を抱いていた。
 通子は爪を立てる。脚をVの字にして宙につっ張る。そして声を漏らす。むしろ猛々しいほど粗野な反応。野獣の気配を含んでいる。
 初めのうちこそ、そんな嵐のような歓喜に感動したが、今はうっとうしく思うことさえある。熱が少しずつさめていく。
「男ってサ、結局は女を手に入れるまでなんだから、熱心なのは」
「そうとは限らない、抱きあっているうちにだんだんいとおしくなることもあるさ。俺はそのほうだな」
 安雄は次から次へと女を漁《あさ》ったりするタイプではない。これは本当だ。一つ一つを大切にする。自分ではそう信じていたのだが、通子については少し勝手がちがう。
 ——厭な女だな——
 まだ愛が充分にあった頃に一度、そう感じて、われながら愕然《がくぜん》とした。
 そのうちに同じ思いを抱く回数が少しずつ多くなり、昨今はもう驚くこともなくなった。
 美人と言えば、たしかに美人だろう。今でもはっとするときがある。だが、
 ——本当にそうかな——
 見なおして首を振る。
 ——厭な顔だ——
 とさえ思う。額がやけに狭い。猿に似ている。
 ——頭がわるいんだ——
 考えてみれば、その兆候は早い時期からいくつもあった。感情を抑制できないのは、頭のわるさに通じている。テレビ欄のほかめったに新聞を読むことがない。
 散歩道は登り坂になっていて、てっぺんまで行くと、展望がきく。その先は急な下り坂となり、横一線の川土手。さらにそのむこうに水の帯が光って見えた。
 ——なんだ、多摩川があるのか——
 新鮮な驚きを覚えた。
 他の川は考えにくい。東横線が渋谷から横浜へと走っていることを思えば、このあたりで県境の川を通過しなければなるまい。当然のことだ。ただ安雄が地理にうとかっただけ……。
 ——行ってみるか——
 坂を降りて土手に登った。
 川下のほうに鉄橋が見える。オレンジ色の窓をいくつも連ねた電車がちょうどその上を走って行く。
 安雄はそれとは反対の方角へ向かって進んだ。
「秘密の関係なんて厭よ」
 耳の奥に突然声が響く。通子がそんなことを言い出したのは、三ヵ月くらい前だったろうか。
「どういうことだ?」
「私がいるってこと、ちゃんとはっきりさせてほしいのよ。あなた、まるで秘密にばっかりしているでしょ」
「そりゃそうだろう。秘密の関係だもん」
 妻を持っている男が、ほかの女と親しくなる。あまり結構なことではないけれど、これは昔から秘密の関係と相場がきまっている。広く天下に知らせることではない。わざわざ念を押さなくても、わかりきっていることだと思っていた。
 それなりの金銭は与えている。
 円高の影響もあって、小さな企業の経営は苦しい。今、通子に渡している月々の手当だって、本当はとてもつらい。ほかのことに使えたらどんなにいいかとさえ思う。従業員に知られたら……そう、たとえ安雄自身の金とわかっても、けっしてよい反応はあるまい。
 まったくの話、小さな企業の経営者なんて心の安まるときがない。金策、人間関係、先行きの見通し、いつも心配ばかりしている。
 そのことに今さら苦情を言う気はないけれど、ほんのいっときのくつろぎがほしかった。
 安雄ももう五十の坂を越えた。家には病気がちの妻と、二人の娘がいる。娘はそれぞれに大学と高校の受験生。特別わるい家庭ではないけれど、あそこには安雄が心をポカンと空《から》にして休むゆとりがない。
 ——女房は体の丈夫なのが一番だな——
 今度もらうときは、きっとそうしよう、などと馬鹿らしいことをつい考えてしまう。
 朋美はどこがわるいというわけではない。体そのものが脆弱《ぜいじやく》で、よく風邪を引く、胃をわるくする。気分がすぐれない。一年の半分くらいは不調を訴えている。それでも子育てだけは一生懸命にやってくれた。安雄としては、それだけなんとか無事にやってくれればいいと、ずっとそんな方針を取って来た。
 娘たちも大きくなり、いくらか母親の手助けができるようにはなったけれど、長年の習慣は変らない。朋美はいつも苛立っていて、家族の中に安雄がくつろぐ場はほとんど見出せない。
 まったくの話、家ではプロ野球のテレビ中継だって満足に見られない。
「勉強の邪魔になるでしょ」
「毎晩野球ばっかり見せないでよ。頭が痛くなるわ」
 一日仕事で馳《か》けまわった安雄が、テレビの前でジャイアンツに声援を送ることくらい、本来なら許されていいことだろう。
 だが、それもままならない。苦情を言えば、朋美のヒステリーが高じる。
「協力してくださいよ。家族の中に緊張感がないと駄目なのよ」
 仕方なしに布団の中にラジオを持ちこみ、イアフォンで聞いたりする。
 ——なんだ、これは——
 これではろくなくつろぎにもならない。
 そんなときに通子と知りあった。
 二十八歳という年齢は、今になって考えると、少し若く言っていたふしがある。辻褄《つじつま》のあわないところがある。三十一、二くらいではあるまいか。つく必要のない嘘なのに……。
 いずれにせよ、安雄の年齢から見れば、桁《けた》ちがいに若い。
 すぐに体を重ねた。
 若い体には、安雄の命を新しくするほどの魅力があった。
 それに……通子はどんな性技もいとわない。商売女のような……と言ったら語弊《ごへい》があるかもしれないが、妻にはない快楽に熟達している。それに少し溺れた。月々の手当を払ってまで親しさを続けようと思った。
 ——時代錯誤かな——
 今はそう思う。
 当初に安雄が考えていたのは、古い妾宅《しようたく》のイメージ。まさか黒塀に見越しの松とはいかないが、女をマンションに住まわせ、気のむいたときにふっと訪ねる。女は湯あがりの肌に薄化粧などを匂わせていて……なんの屈託もない安らぎとめくるめく情事。
 ——俺にもそのくらいのことがあっていいだろう——
 そう思って始めたことだったが、少しずつ様子が変った。
 通子はデパートに勤めている。正規の店員ではなく、問屋筋が派遣している店員だ。その前には水商売の経験が少しあるようだ。男と同棲くらいやったことがあるだろう。
 ゆくゆくはアクセサリー関係の店を持ちたいと言っている。
 それもよかろう。商売のセンスがあるならば援助してやってもいい。今は苦しいが、そのうちにまた景気のいい時期が来る。きっとあげ潮に乗ってみせる。
 だが……気がかりなのは、通子が次第に自己主張を始めたこと……。どんどん横柄になる。
 安雄に世話になっているという意識がめっきりなくなってしまった。節度を越えた要求を匂わせる。いろいろな権利を主張する。もう一人の女房みたいな顔をして……。はじめの頃は新鮮だった情事も、だんだん惰性を帯び、むしろ通子の快楽のために安雄が奉仕させられているような、そんな気配さえ感じられるようになった。
 それだけならまだいいのだが、とうとう、
「秘密の関係なんて厭よ」
 とまで言い出す。
 二十歳も年がちがうのだからと、ずいぶんおおめに見て来たが、このごろは諍《いさか》いも多い。なんのために通子のマンションへ通うのか。くつろぎがくつろぎでなくなってしまう。
 これまでに女遊びの経験がないわけではない。だが、いつも家庭には波風を立てずにやって来た。離婚をする気など毛頭ない。朋美は不充分なところがたくさんある妻だが、娘も二人いることだし、とにかくこの家族を背負って最後まで歩いて行く、それはすでに安雄の心の中で堅く、堅く決定している事項なんだ。根底を崩したら、この世のことはみんな目茶苦茶になる。それは安雄が小さな会社を経営して、肌で覚えた実感だ。絶対譲ってはいけないことは、最後まで守らなくてはいけない。
 ——通子はなにを考えているのか——
 まさか安雄が家族と別れて、通子と一緒になることまで考えているわけではあるまい。
「奥さんに電話してみようかなあ」
「なんて?」
「おたくのご主人の恋人でーすって。困る?」
「困るにきまっているだろ」
「意気地ないんだから」
「意気地の問題じゃない。なんのたしになるんだ」
「こういう関係って、暗くて厭なのよね。もう少しはっきりさせてほしいわ」
「馬鹿なことを言うんじゃない」
「でも、私、本気よ」
 本宅があり、別宅があり……それを世間にはっきりさせたいと、通子はそんな途方もないことを考えているらしい。
「そんなことを本気で考えるなら、別れるよりほかにないな」
「そう? もう別れたいんでしょ」
「そんなことは言ってない」
「私、ただじゃ別れないわ。大切な時間を使ったんだから……」
「なにをする?」
「いろいろと」
 醜悪な表情で笑っていた。
 
 いつのまにか川土手を大分歩いていた。
 ここにも二人連れが来ている。草が揺れていると見れば、きっとその下に一組|潜《ひそ》んでいる。見て見ぬふりがいい。せっかくのお楽しみを邪魔するつもりはない。
 暑くもないし、寒くもない。ちょうどよい季節。月あかりが白く行く手を照らしている。思ったより明るい。手を見ると、筋目までよくわかる。新聞の見出しくらいなら充分に読めそうだ。一年のうちで、こんなにここちのよい夜は、そういくつもあるわけではあるまい。
 川土手を降りて、川床の細い道を進んだ。草っ原が切れると、石を埋めたコンクリートの傾斜があって、その先が川になっている。水が揺れている。�川に入ってはいけません�と、大きな注意書きが立ててある。水深はわからない。少し先の流れは速い。
 石を一つ拾って投げてみた。
 石は川幅の半分までも行かず、流れの中にポーンと落ちた。それがはっきりと見える。どう投げてみても対岸までは届くまい。
 傾斜に腰をおろし、さらに寝転がってみた。水の流れが低い位置に見える。月の光の中で無気味に走っている。
 このあたりまで来ると、人の気配はない。ふたたび身を起こし、安雄は川面に向かって歌を歌ってみた。
「ふけゆく秋の夜……」
 その先の歌詞が思い浮かばない。
 それからはただ黙って水の動きを見つめた。むこう岸の様子がぼんやりと見える。
 ——人間かな——
 対岸にもだれかいるようだ。
 二人連れが並んで川面を見つめているのかもしれない。木の切り株かもしれない。少しも動かないので、わからない。
 それを凝視しているうちに、
 ——ああ、いけない——
 わけもなくそう思った。
 不確かなイメージが心に浮かんで来る。これまでに何度も思い浮かべたことだ。
 広い川がある。対岸に男と女がいる。それを子どもが見つめている……。
 どうして�ああ、いけない�と思ったのか、それがよくわからない。説明するのがむつかしい。わからないながらも、そう思ったのは本当だった。
 人はだれしも自分の脳の働きを疑わない。しっかりコントロールができていると信じている。理性は自分の支配下にあると思っている。
 ——本当にそうかな——
 曖昧《あいまい》な部分がないものだろうか。安雄はそれを考える。しばらく忘れていたけれど、今、急に思い出す。もしかしたら、それを思い出すために、多摩川の川べりに立ってみたのかもしれない。�ああ、いけない�と思うのが、本当にいけないことかどうか考えるために……。
 広い川がある。対岸に男と女がいる。子どもがそれを見つめている。景色ははっきりと脳裏に浮かぶのだが、それが自分で本当に見たことかどうか、はっきりとしない。
 子どもというのは、安雄自身だろう。
 自分の姿がイメージの中に存在しているのは、それが想像の産物だからだろう。実際に見たものなら、広い川、対岸の男女、それだけで、子どもの姿はない。見たのはそれだけのはずなのだから。
 しかし、だからと言って、そのイメージがなにもかもすっかり想像の産物とは言いきれまい。広い川と対岸の男女を見たのは本当だった。それを凝視している自分が強く意識に残り、自分を含めた全体がイメージとして固定化することも充分にありうるだろう。
 つまり半分までが事実、残りが想像……。いくら考えてみても、そのあたりが判然としない。どこまでが実際に見た風景なのか、どれが脳味噌が作りあげたイメージなのか、さっぱりわからない。
 とにかくずいぶん昔のことなのだ。実際に見たことであれ、勝手に想像したことであれ、古い記憶であることだけはまちがいない。安雄は三歳か、四歳。いくらなんでも二歳ということはあるまい。
 昼なのか、夜なのか、季節はどうなのか、それもはっきりとしない。
 もし事実だとすれば、対岸の男女の姿はかなり明確に見えた。目鼻立ちから表情まですっかりわかった。
 だから……とても夜とは思えない。満月の月あかりだって、ああは明るくはない。第一、幼い子どもがそんな時刻に川べりにいるはずがない。安雄はたった一人だった。
 昼。しかも太陽がさんさんと照りつけているとき。しかし、イメージの外枠のあたりが奇妙に薄暗いのは、どうしたことだろう。もう宵闇が迫っていたのかもしれない。子どもは忍び寄って来る夜の気配を感じていたのかもしれない。
 夕暮れの少し前。ただ西日だけが、ほんのいっとき強く射していた……と、そう考えてみれば、それが一番ふさわしいようにも思える。明るさの中に夜が漂い始めている……と。
 奇妙なことにその風景を見た、という実感だけは疑いないほど鮮明に心に残っている。
 それは、海水浴で見た海の色、入学式の花吹雪、五歳のときに死んだおじいちゃんの棺《ひつぎ》、みんな現実であったと同じように、一つの現実として安雄の記憶の中に残っている。だから、意識という面に限って言えば、現実以外のなにものでもない。
 訝《いぶか》しく思うのは、あまりにも突飛な出来事だったから。加えて、事実にしては辻褄のあわないところが多過ぎるから。
 ——どこの川なんだ——
 まずそれがわからない。
 幼い頃は荻窪《おぎくぼ》に住んでいた。あのあたりには大きな川なんかありゃしない。戦前のことだから家族で旅行に出たりする習慣はない。少なくとも安雄の育った家では、そんなことはなかった。
「子どもの頃、どこと、どこへ行った?」
 思いあまって一度母親に尋ねたことがある。
 母はいくつか思い出してくれたが、どれもみな近くに大きな川のある土地ではない。
 ——待てよ——
 子どもの目には、なにもかも大きく見えるものだ。知りあいの家までの距離なんか、昔は結構遠く感じられたが、今行ってみると、ほんのすぐそこだったりする。低い視線で眺めれば、中ぐらいの川でも大川に見えるだろう。その程度の川なら、どこへ行ってもある。
 川土手にポツンと一人で立っていたのか。それともどこかに隠れて見ていたのか。
 こちら側から対岸がはっきりと見えたのなら、むこうからもこっちがよく見えたはずだろう。子どもが一人、川岸にいるのを、むこうは気づかなかったのだろうか。隠れていたとすれば、なぜ隠れていたのか。それもわからない。
 男と女の表情まで見えたのは、多分嘘だろう。人間の記憶というものは、思いのほか強く後日の修整を受ける。油絵のカンバスみたいに、新しく描き加えられたり、古い部分を削ってべつな画像を載せたりする。この記憶には原型を失うほどたくさん修整があるらしい。
 そう言えば……もうひとつ、関係があるのかどうか。幼い頃、夜中にふと目をさました記憶がある。父と母とが激しく言い争っていた。父が他所《よそ》に情婦《おんな》を作り、それが原因で母が怒っているらしい。
 父が死んだのは、安雄が十一歳のとき。通夜の席にその女がやって来た。母の白い表情。女の火を吹くような眼差し。
 ——この人だな——
 とわかった。
 しかし、この記憶だって少しおかしい。
 父と母とが言い争っていたのは、安雄がいくつのときだったのか。そんな幼い子どもに情婦のことなど理解できるものだろうか。通夜の席で�これが、その人だ�と見ぬいたのも、少し唐突だ。みんな後日の修整なのかもしれない。
 夜中に目をさましたら父と母とが、今までなかったほど激しく争っている。どこかに女の人がいるらしい。わからないなりに情景だけが鮮明に頭に残り、ずっとあとになって、
 ——あれは親父の女性関係だな——
 とわかったのだろう。
 通夜の客については、母がなにかひとことくらい漏らしたのかもしれない。
 子どもの脳味噌は、父の周辺に漠然と一人の女を想像し、その女がなにかしら家族に危害を加えようとしている……ただそれだけのことを考えていたのだろう。
 大人は、ものごとの因果関係で事の重大さを判断する。こういう原因で起きたことだから、重大だ、こういう結果をもたらすことだから、大変なんだと考える。
 子どもの頭にはその知恵がない。事件全体が周囲に放つ気配だけで考える。みんなの顔が引きつれている。だから、きっと大変なことなんだ……と。
 夜中に聞いた諍いと、川土手で見た風景とは、かすかに繋《つな》がっている。同じ頃のことかもしれない。それともどちらも曖昧という点だけが似ているのだろうか。
 
 肩まで来るほどの、草の原だった。子どもの身長を考えれば、川土手の繁みはそんな様子だったろう。
 たとえば、ボールをその中に投げ込んでしまった。あるいは、大便をしたくなった。とにかくなにか必要があって、子どもは川土手の傾斜に身を埋ずめた。
 草いきれが体を包む。葉先が肌を刺す。どれほどの時間そこにいたのか。
 首を伸ばすと、灰色の水がゆったりと流れている。
 ——あの中に落ちたら死んじゃう——
 草むらに、たった一人でいることだけでも怖かった。水の流れを見るのは、さらに無気味である。長くいるところではない。水のむこうを見たのは、なぜだったのか。
 ——人がいる——
 服装から見て、男と女とわかった。喧嘩をしているらしい。それも、ちょっとやそっとの喧嘩ではない。男がいきなり女をなぐった。女が逃げようとする。男が押さえつけ、押し倒す。掌で口を押さえているのは、きっと声を出させないためだろう。
 固唾《かたず》を飲んで見つめていた。
 女がバタバタと手足を振って暴れる。と見るうちに男の腕が女の首にかかった。
 引きずられて女の体が折れた。男はすごい目つきだ。表情が黒い。歯を食いしばっている。腕に力を入れているにちがいない。
 ——殺そうとしているんだ——
 首を締められれば人は死ぬ、と、幼い子どもは知っていたかどうか。
 女の顔が赤く脹《ふく》れあがる。とても苦しそうだ。声も出せない。
 しっかりと瞼《まぶた》に残っているのは、女の白い腕だった。草の中から突き出し、激しく暴れていたが、すぐに草を握り、そのまま少し震えた。と思ううちに、ピンと棒みたいに伸びて動かなくなった。
 ——死んじゃった——
 そう思った。
 川面のほうに首を垂れて転がっている姿は、たしかに死んでいるように見えた。それでも男は、もう一度|紐《ひも》を取り出して、女の首に巻く。そして殺しなおす。
 ——お父さんじゃないかな——
 どうしてそんなことを考えたのか。潜在的な不安があったのかもしれない。
 男はお父さんに少し似ているけれど、やっぱりちがうだろう。
 女の首が揺れる。今度は本当に死んでしまった。さっきよりもっとぐったりしている。死んでいるのを、また殺したんだから、今度こそ絶対に助からない。
 男は肩で息をつき、周囲を見まわす。
 ——見つかっちゃいけない——
 少し前から本能的にそのことを感じていたにちがいない。そっと草の中に身を沈めていただろう。ポツンと立っていたような気もするが、やはり本当のところは草と草のあいだから見ていたのではなかったか。
 男はポンポンと手についた土を払い、女の体を足で押す。体は二度、三度、転がって川の中に落ちた。白い腿《もも》が見えた。
 バシャーン。
 水音が響き、女はいったん見えなくなったが、すぐに現われる。いつまでも岸に近いところに浮いている。
 男の姿が見えなくなった。
 ——あんなところに浮かべておいたら、すぐに見つかっちゃうぞ——
 だが、心配することはない。
 間もなく男が戻って来た。長い棒を持っている。それで水の上の死体を押し出す。
 死体がゆっくりと流れ始めた。少しずつ本流のほうへ移って、最後は滑るように遠ざかって行く。
 もう一度対岸を見たときには、男の姿はなかった。
 ——お父さんだったかなあ——
 あんなことをするお父さんを、それまでに見たことがなかったから、見当もつかない。
 ——すごいものを見ちゃった——
 急いで草むらを出て走った……。なぜだれにも話さなかったのか。
 記憶はひとつひとつ鮮明に残っている。おそらくあとになって修整を受けた部分もたくさんあるだろう。デッサンだけのカンバスに、絵具を使って確かな絵を描きつけたみたいに……。幼い子どもの記憶にしては少しこまか過ぎる。そこが嘘くさい。明らかに修整がプラスされている。
 だが、デッサンそのものは本当にあったこと……ちがうかな。
 平凡な事件ではない。人ひとり殺されている。ほかに目撃者はいなかったのだろうか。犯人は無事に逃げ延びたのだろうか。
 見ている前で人が殺される。めったにめぐりあう事件ではあるまい。ほとんどありえない。そう言ってかまわない。だから、
 ——やっぱり本当に見たことじゃないんだ——
 そう思いたくなる。
 昼日中、幼い子どもが行けるような川べりで残忍な殺人事件が起きるなんて……どうもおかしい。
 男と女は、ただ喧嘩をしていただけだったのかもしれない。幼い子の頭の中には、現実と想像とが、よく区別できない状態で収っている。おとぎ話を真実だと思ったりして。
 父と母の喧嘩……。
 人殺しの話を、だれかから聞かされていたのかもしれない。
 そんなことがみんな脳味噌の中で一所くたになって、あんな物語を描かせたのではあるまいか。それにいろいろと後日の修整が加わる……。
 ——ただの幻想だな——
 今では、それが正解だと考えている。
 母に聞いてみても、安雄が幼い頃行った町で殺人事件など起きたりはしなかった。女の死体が川を流れて行ったのなら発見されないはずもないし、発見されれば話題にもなっただろう。
 考えてみれば、川の向こうというのは、それ自体、想像の世界に似ている。想像の世界と手を握りやすい情況を帯びている。この世とはちがった、もう一つの世界……。
 ——それにしても、あの鮮明さはなんだったのか——
 もの心のついたときから、ずっと不思議な幻想を持ち続けている——そんな自分の脳の作用に対して、安雄はかすかな不安を覚えずにいられない。
 
 頭の中に流れる川よりも、多摩川はずっと広い。月は照っているが、対岸の風物をこまかくうかがうのはむつかしい。黒くうずくまっているのが人影かどうか、相変らずわからない。
 ——人じゃないな——
 そう判断したのは周囲にだれもいないから。
 ここまで来れば、日中でもほとんど人の気配はあるまい。もう少し先の川原は、深い草むらになっている。さらに寂しい。
 ——いつかもう一度ここに来るな——
 ひどく明瞭な予感を覚えて安雄は驚いた。
 自分自身がむこう岸から見ている二つの目になったように感じた。いや、こちら側からむこうを見ている目なのかもしれない。
 いずれにせよ、対岸に男と女がいる。見ているのが安雄自身のくせに、その男はやっぱり安雄である。連れの女は……だれだろう。
 川がある。男と女がいる。喧嘩をしている。男の腕が女の首にかかった。
 ——ああ、そうか——
 知らない女だと思ったが、今、思い出してみると、遠い記憶はたしかに通子の顔だ。
 男が父に似ているのは当然だ。
「安雄はお父さんそっくりなんだから」
 母親によく言われる。
 通子は、
「秘密の関係なんて厭よ」
 と言う。それをしつこくくり返す。
「奥さんに電話してみようかなあ」
 とうそぶく。安雄をおびやかす。
 それを許すわけにはいかない。いつか通子を連れてこの川岸に来る日があるだろう。
 幼い日に見た鮮明なイメージは、そのことだったらしい。気がつけば、月の光は夢幻なまでに白く地上にこぼれ落ちている。この月ならばきっと現実を夢に変えてしまうだろう。いっさいの幻想を事実に変えてしまうだろう。
 川むこうに、たしかに男と女の風景が見える。安雄と通子が諍いあっている。
 今、本当にそれが起きているのか。それとも、やがて起こるべき事柄の前ぶれなのか。安雄は、たしかな現実感を心の中に覚えながら、光る川面から対岸へといつまでも凝視を続けていた。
 

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