青と赤の二人
なぜ私がそんな考えに取り憑《つ》かれてしまったのか、自分でもよくわからない。
幼い頃に聞いた童話のせい……。
──そうかもしれない──
なにとは思い出せないけれど、そんな不思議な童話を聞かされ、それがほんの少しだけ頭のかたすみに残っていたのではあるまいか。
考えの背後には、とても曖昧《あいまい》な感触がある。
ある日、その感触を覚え、それに引きずられるようにしてその考えが芽生えた……。
いつから?
それもよくわからない。
四、五年前にはなかった。
一、二年前にもなかった。
そう、やっぱりこの部屋に住むようになってからだろう。それもここ二、三カ月のうち……。ちがうだろうか。
去年の秋、長年住んでいた広尾の家を改築することになり、両親は一時的に鎌倉の奥へ引越した。
「お前はどうする?」
と、父に聞かれ、仕事がら私は都心を離れたくない。
たまたま麻布十番の裏手に、適当な貸しアパートが見つかり、
「三、四カ月だろ? じゃあ、部屋でも借りるよ」
と、生まれてはじめて独り暮らしをすることになった。ささやかながら私にとっては新しい体験である。生活の中にいくつかの発見がなくもなかった。
意外なことに都心部にも結構さびしいところが残っている。商店街から坂を登り、坂をくだり、谷のような一郭《いつかく》。ガレージの二階にたった一つだけ1LDKのアパートがあった。家主は坂の途中に大きな屋敷を構えている。老夫婦が二人だけで暮らしている。ガレージの二階という構造から考えると、かつてはおかかえの運転手の住居だったのかもしれない。きっとそうだろう。今は車もなく、そのスペースは物置きに使われている。裏手の木戸を境にして主家の庭へと繋《つな》がっているのだが、木戸の錠前《じようまえ》も錆《さ》びついているから、めったに人の出入りはないようだ。前の道は袋小路になっていて、まるで世を忍ぶ人の住まいみたい。訪ねて来るのは新聞配達の人くらいである。この地域の新聞配達は……なんと、中年のおばさんだ。人手不足のせいかな。ちょっと肥《ふと》っているが、Gパンをはいて、威勢がよい。しかし、そのおばさんとも、せいぜい月に一回、集金のときに顔をあわせるくらいのものだった。
私はべつに世を忍んでいるわけではない。
ただ、ほんの少し、世間の人とは変った生活を営んでいる。夜出かけて朝帰る。泥棒じゃないよ。ラジオ局で深夜の番組を担当しているから。夜通しでパーソナリティを務めている。
普通の勤め人とは正反対の生活時間。日中はおおむね眠っているわけだから、静かな環境は大歓迎だ。よい部屋を見つけたと思った。
食事はほとんど外食ですますが、まれには自分で作る。とはいえ、ご多分に漏れずコンビニエンス・ストアで求めたファスト・フードのたぐいを電子レンジで温める程度だ。ピザ、ハンバーグ、トースト。コーヒーをいれるのは広尾の家にいたときから私の仕事だった。
キッチンのガラス窓から、向かいの家が見える。
この家も大きい。
とにかく庭が広い。冬だというのに鬱蒼《うつそう》と木々が繁っている。枝を広げ、褐色の葉を重ねている。枝にはこれまた褐色の蔦《つた》がからんで、手入れがゆきとどいていないことは、ひとめでわかった。
高い石塀で囲まれているが、キッチンの窓から斜《はす》かいに見えるあたりに裏門があって、そこの押し戸だけが新しい。ペンキは素人《しろうと》が塗ったものだろう。表札は西野。曲がった釘《くぎ》で打ちつけてある。
私が引越して来てすぐにこの家で葬式があった。それより少し前にも葬儀があったらしい。
「ご不幸続きで、お気の毒ねえ」
「どうなさるのかしら」
「お子さんがたも大きくなっていらっしゃるんだから」
小耳に挟んだ噂《うわさ》から察すると、西野家は四人家族だった。まず父親が交通事故で亡くなり、それを追うようにして長く患《わずら》っていた母親が死んだ。残された子どもは男と女。二十代のなかばくらい。二人とも勤めている。毎朝、前後して裏門からあわただしく出かけていく。
この二人の両親ならば、六十前の死ではあるまいか。七十に近いということは想像しにくい。当節としては、ずいぶん早い死に属するほうだろうけれど、
──どの道、親は先に死ぬんだし──
と私は思った。多少の早い遅いはあっても、結果は似通っている。むごい言いかたかもしれないが、世代交代は自然の摂理である。いたいけな幼児を残してというのならともかく、遺族はもうりっぱに成人しているのだ。それぞれが配偶者を見つけて、自分たちの家族を作っていけばよい。
それに……都心にあれほどの屋敷を残してもらって、
──いい身分じゃないか──
と、思わないでもない。
不幸は不幸として、兄妹の前途はさほど暗いものではあるまい。惨めになるようなら、それは当人たちの責任だろう。世間にはもっとひどい不幸がいくらでも転がっている。
時折、見かける兄妹のうしろ姿からは、
──その通りよ──
と、わけもなくそう思っているように感じられた。母親は長く患っていたということだし、若い二人には、重荷をおろしたような気分もあったのではなかろうか。
とはいえ、私もそれほど深くこの兄妹に心を向けていたわけではない。私にとってはどうでもよいことである。あえて言えば、
──いつも日中は留守なのか──
窓越しに大きな庭を見つめて、無用心の状態に少し不安を覚えていたくらいのものである。それとても、けっして強い関心ではなかった。
──どうしたのかな──
そう訝《いぶか》ったのは、多分、二カ月ほど前の朝だったろう。たしか正月の休みを過ぎていた。わりと暖かい日だったような気がする。
朝九時過ぎ……。私はいつものように七時頃家に帰って、コーヒーを沸かし、朝刊を広げた。キッチンに立っていると、どちらが先かはともかく、たて続けに眼下の門の押し戸が開いて兄妹が出て行った。それだけは確かに見たと思う。いつもあとに出て行くほうが鍵《かぎ》をかけるのだが、それは毎朝のことなので、その朝どちらが鍵をかけたのか、その情景についてはなにも心に残っていない。とにかく、それから少したって、私がコーヒー・カップを洗い場に戻しに行ったとき自転車が二台、裏門より少し離れた位置に置いてある。まるでだれかが西野家に訪ねて来たみたいに……。青と赤の自転車が石塀に沿うように並んでいた。
だれもいないはずの家なのだから、不思議と言えば不思議である。鍵もかかっているはずである。
もちろん、さまざまな事情が考えられる。
出て行った兄妹のどちらかが、私の知らないうちに帰って来たのかもしれない。曜日の記憶はないが、とにかくウイークデイだった。しかし休暇をとることもあるだろう。さっきは出勤姿のように思ったが、私はそれほどよく見たわけでもない。
あるいは、留守中に、
「だれもいないけど、入っていいわよ」
知人に鍵を渡すとか、親戚《しんせき》に合い鍵を預けてあるとか、なにかしらあらかじめ約束があって、二台の自転車が訪ねて来たのかもしれない。
それに、自転車はかならずしも西野家を訪ねて来た人のものとは限らない。むしろ私がとっさに考えたのは、
──捨て自転車かな──
と、このほうだった。
あちこちで社会問題になっている。今まで使っていた自転車が不用になると、平気で人気《ひとけ》ない路上や空地に放棄してしまう。無責任このうえない。一台が置かれると、
──ここが捨て場かな──
と、まさかそう思うわけではあるまいが、みんなで渡れば怖くないの心境、二台、三台、四台と同じように放置されて、たちまち収拾がつかなくなる。まだ充分に使える自転車が雨ざらしになって錆びている姿はいたましい。
──ひどいなあ──
ものをこんなに粗末に扱ってよいものか。文明の荒廃をさえ感じてしまう。
窓から見える二台は、青と赤の車体を輝かせて、まだ新しい自転車のようだ。よくはわからないが、少なくとも古くはない。生きて走っているものが、ちょっと小休止をとっているような、そんな気配を漂わせている。やっぱりだれかが乗って来て、一時的にそこに置いたのだろう。
かならずしも西野家へ来た人とは限らない。この近くに用があり、なにかの理由で、この袋小路の奥へ自転車を置いたのかもしれない。
青い自転車は男性用、赤い自転車は女性用。断定はできないが、そんな気がする。石塀に寄せて、あい前後して同じように置かれているところを見ると、べつべつにやって来たものではなく、二人連れではあるまいか。
──人眼を忍ぶ恋かな──
とりとめのない想像を描いたが、長く気にかけることではない。すぐに忘れた。
午後の三時すぎ、小用に起きたときには、そのままの位置にあったけれど、夜、出勤のときには消えていた。
──捨て自転車じゃなかった──
安堵《あんど》を覚えたのは、毎日眺める窓辺の風景に自転車の墓場ができてしまってはやりきれない。そんな心配があったからにちがいない。
その後もときどき自転車を見かけた。
いつも二台。いつも青と赤。同じ自転車と思ってよいだろう。
わけもなく気がかりで、少し注意して観察をしていると、ほとんど毎日、自転車は来ているようだ。止める位置は少しちがっている。窓から見えないときもある。だが、いずれにせよ朝来て、夕方帰る。朝は八時と九時のあいだ。夕方は、五時と六時のあいだ。これにも多少のちがいがあるようだが、おおむねそんな時間帯が推定できた。サラリーマンの勤務とよく似ている。
しかし、依然として目的はわからない。
──どんな人たちかな──
当然、それを考えてしまう。自転車はよく見かけるのだが、それに乗っている人となると、いっこうに見当たらない。
二人の男女は、どこからか乗って来て、石塀の脇《わき》に自転車を置き、そして、この近所のどこかへ行くのだろう。夕刻はその逆の行動……。
西野家の妹のほうが押し戸に鍵をかけて出るのを見た。二時間ほどのち……その日も自転車はあった。合い鍵を持っていなければ、自転車の男女は西野家へ入ることはできないはずだ。
──どこへ行ったんだ──
当初はぼんやりとした観察だったが、少しずつ興味が募《つの》る。気を入れて調べたくなる。
とはいえ、私も仕事を持つ身である。部屋へ帰ったときは、眠らなければならないし、生活のペースを崩してまで事情をさぐることではあるまい。
それでも、自転車のそばまで行って、どんな自転車か、一応は調べてみた。色あいはすでにわかっている。くすんだ青と、ピンクに近い赤。車輪の大きさは同じだが、車体の様子から見て、赤いほうは女性用だろう。どちらも新品ではないが、そう古くもない。乗り始めて一年くらい経《た》ったところ……。同じように古びているから、同じ時期に、
「俺は青にする」
「じゃあ、私は赤」
一緒に乗ることを前提にして入手したのではあるまいか。鍵はかけてあるが、名前とか住所とか、あるいは電話番号とか、持ち主を特定する手がかりはなにもない。
──わからん──
私は首を振った。
二人はいつやって来て、いつ立ち去るのか。おおよその時間は見当をつけたが、その現場を見つけるチャンスがいっこうにやって来ない。
コーヒーを沸かしながら窓の外を見る。
自転車はない。
そして、数分後、ヒョイと見ると、自転車がひっそりと置いてある。
──しまった──
言うまでもなく、この数分間のうちに二人はやって来て、どこかへ行ったのだろう。
あるいは、これとは逆に、夕刻、
──まだいるぞ──
自転車を見て、しばらく注意をしているのだが、なんの変化も起きない。
──今日はどうしたのかな──
ほんの二、三分、眼を離すと、
──えっ、そんな馬鹿な──
もう自転車は消え去っている。
意地になって三十分あまり注視していたが、このときも、見ているときには二人は現われず、ほんの一瞬、窓辺を離れると、もう自転車はなくなっていた。
──どういうことなんだ──
私をからかっているのではあるまいか。そんな馬鹿げたことまで考えてしまう。
それとはべつに、ある日の午後、西野家の裏門がほんの一センチほど開いているのに気がついた。
──鍵をかけ忘れたのだろうか──
そうではあるまい。やはり自転車の二人が合い鍵を持っていて、押し戸の中へ吸い込まれて行ったのだろう。
そう思った理由は……と言うより、そのことを確かめたくて、私は二、三度、留守であるべき家の木戸を押してみた。自転車があるときには、きまって扉が開いた。鍵はあいていた。
さらに四、五日たって、偶然、思いがけない風景を目撃した。ある夜、西野家の兄が押し戸の鍵を開けている。留守宅に帰って来たのだから、そうしなければ家に入れない。当たり前の行動だが、その日の午後、押し戸の鍵ははずされていたのである。私はそっと確かめたから知っている。
となると……自転車の二人は、兄妹が家を出たあとにやって来て、鍵をあけて中へ入り、そして数時間を屋敷の中で過ごしたのち、鍵をかけて帰って行く、そんな行動が想像されてくる。
──なんのために──
西野家の兄妹に頼まれて、その了解のうえで、たとえば留守番をするとか、家の中でなにか仕事をするとか、そういうことなら当然そんな行動をとるだろう。合い鍵を作るのはやさしい。これが一番ありうべきことだが、
──本当にそうかなあ──
私は釈然としなかった。
私はこの二、三カ月のあいだに何度も西野家の兄妹が出入りする姿を見ているのである。ところが自転車の二人のほうは一度も見ていない。
おかしいではないか。
どちらも�門を出入りする�という点においては同じような行動である。確率の法則が等しく作用するものなら、こんなことはありえない。兄妹を見るのと同じように、自転車の二人を見るはずではあるまいか。
──そうとも限らないか──
兄妹はべつべつに家に出入りする。自転車の二人は一緒に行動しているだろう。見られるチャンスは兄妹のほうが二倍多い計算になる。
それに……私自身の行動のリズムと兄妹の行動のリズムとが偶然似かよっていて、それでよく見るということもあるだろう。ウイークデイの行動なんて、だれしもが類似のスケジュールで動いている。電車の中でも毎朝会う人がいたりするものだ。いつも同じ食堂で食事をする人がいるものだ。
だが、それにしても、一方は何度も見て、一方は一度も見ない、という現実は納得がいかない。
ほかにも不思議なことがある。休日には自転車はけっしてやって来ない。兄妹がいないときに限って自転車は石塀に寄りかかっている。兄妹がいるらしいときには、けっして自転車は現われない。ちがうだろうか。
私が奇妙な考えに取り憑かれたのは、この前後からだったろう。
どう説明してよいのか……むつかしい。
たとえば、昼と夜のように、一方が存在しているときには、一方は存在しない。同じ空間を占めていながら、おたがいにまみえることがない。そんな関係を考えてしまう。
──兄妹は自転車の二人を知らないのではあるまいか──
この想像は少し無気味である。留守中にやって来て、留守中に帰っていく。自転車の二人は、紙の裏表のように兄妹とは交りあわずに独自の生活を営んでいる……。
ひっそりと置かれた自転車は、そんな想像にこそふさわしい。そして、その二人の姿が見えないのは、
──魔性《ましよう》のものだから──
そんな気配を感じて……それをさぐり当てたような気がして、私はかすかな恐怖を覚えた。
たとえば外出から帰って来て、
──変だな──
そんな感触を覚えたことがないだろうか。
部屋の様子は少しも変っていないのだが、どことなくおかしい。留守中にだれかがこの部屋に入って、一定の時間を過ごしたのではあるまいか、そんな気がしてならないときがある。
本当にだれかが来た場合もあるけれど、それとはべつに、奇妙な感触だけで終るケースがけっしてまれではない。部屋のどこを捜しても、はっきりとした証拠は現われない。
──勘ちがいだったらしい──
と、最後は理性の判断に譲ることになるのだが、二度、三度と同じ感触を覚えたとなると納得がいかない。無気味である。
私はどうかしていたのかもしれない。さびしい環境で、はじめて一人だけの生活を営んでみて、心が微妙に揺れていたのかもしれない。
ぼんやりとしたイメージが浮かぶ。
私は少年だった。
少年は自分の部屋を持っている。少年は毎日、きまって学校へ行く。帰って来ると、いつも、
──だれか来た──
そんな感触につきまとわれる。
先に�幼い頃に聞いた童話のせい�と書いたのは、このことである。なんだか頭の隅にうっすらとそんなイメージがぶらさがっている……。�私は少年だった�と書いたけれど、これは、あまり正確ではない。少々説明が必要だろう。童話の主人公なら、きっと少年だろうと、勝手に想像しただけのことだ。
つまり、童話を聞くとき、子どもはたいてい自分自身で物語の中へ入っていく。自分が主人公になってしまう。
少年であった私も、きっと物語の中へ入って行ったにちがいない。その記憶が頭の隅にかすかに残っていたのではあるまいか。それが突然、不思議な自転車を見て急に甦《よみがえ》ったのではなかろうか。ほとんど忘れていたことだから、その記憶は取り戻してみてもはっきりとはしない。
西野家の兄妹も気づき始めているのかもしれない。
「お兄ちゃん、今日の午後、家に帰って来た?」
「なんで?」
「なんだかさっき帰って来たとき、だれかが、昼、ここにいたような感じがしたから」
「馬鹿なこと言うなよ。今日は一日中、得意先を駈《か》けずりまわっていたよ」
「そう。変ね」
「お前こそ、ときどきそんなことしてんじゃないのか」
「そんなことって、なによ」
「昼飯を食いに帰って来るとか」
「どうして私がそんなことするのよ。いちいち帰ってたら、大変でしょ」
「そりゃそうだけど、このあいだ、鍵を開けて家に入ったら、だれかいたなって、完全にそんな感じがしたからな」
「なにか変っていた? テーブルの上の新聞とか、茶碗《ちやわん》とか」
「わからんよ。きちんと見て出て行ったわけじゃないから」
「なにか盗まれた?」
「いや、べつに。それはないな。ないと思う」
「空巣狙《あきすねら》いもベテランになると、しばらくのあいだ入られたこともわからないそうよ」
「この家じゃ、入ってもなにも持っていくもの、ないだろ」
「でも、気味わるいわ。私も、よくそういうこと感じるのよ。だれかいたんじゃないかしらって」
「変だな」
まさしくだれかがいたのである。
童話の中でも少年の部屋にだれかが来て、ひっそりと遊んでいた……。
正体はわからない。
だれも見たことがないのだから。
多分、この世のものではあるまい。
わけのわからない存在が、居どころを求めてさまよっている。そのうちに、まるで海辺のやどかりが身にあった住まいを発見するように、
「ここがいい」
ほどよい場所を見つけて、そこに住みつく。
たとえば、青と赤の自転車に乗った二人。二人は自転車で走っている最中に事故に遭《あ》い、一緒に死んでしまった恋人同士かもしれない。男は青い色が好きだった。いつも青い服を着ていた。帽子も靴もみんな青かった。女は赤い色が好きだった。いつも赤い服を着ていた。帽子も靴もみんな赤かった。当然、自転車も青と赤の色だったろう。
「一緒にすごす場所があるといいわね」
恋人たちはたいていそう考える。
「とてもいい家を見つけたよ」
「あら、本当。どこ?」
「麻布十番の奥だ。さびしいとこだから、人に見られない」
「空き家なの?」
「ちがう。兄妹が二人で住んでいるんだけれど、昼間は勤めに出ている」
「麻布十番? 少し遠いわね」
「自転車で行けばいい」
二人は普段どこに住んでいるのか? 夜はどうしているのか? なぜ自転車だけが私に見えるのか?
矛盾はいくらでもある。
矛盾を指摘すること自体が馬鹿らしくなるような、とりとめのない空想である。
ただ、それが奇妙なほど切実な現実感をともなって、私の脳裏に浮かんでしまうのである。それがわからない。そのイメージは本当の現実ではないけれど、たとえば少年の頭が、
──本当のことかもしれない──
と、そう感じ取った虚構の現実、少年の意識にとってのみ一時はたしかに現実として認識されたフィクション……それが頭のかたすみにぼんやりと、残っているという情況を思うのが一番ふさわしい。
──狂ったかな──
私は自分の周辺にさえ不思議な気配を感じてしまう。だからこそ表の自転車を見て奇妙な連想をめぐらしたのだろうか。それとも表の自転車を見て、想像をめぐらしているうちに、それが私の周辺にも移って来たのだろうか。どちらが原因で、どちらが結果かわからないけれど、二台の自転車の周辺に怪しい気配を感じたのは本当だった。
もとより私は四六時中、こんな途方もない思案を抱いていたわけではない。それを思うのは、ほんの短い時間である。毎日というわけでもない。
私自身が外から帰ったとき、
──変だな──
微妙な気配を感じて、ふいと窓の外を見る。自転車を見つけて空想がふくらむ。すると、さらに自分の部屋の様子が奇妙に感じられてしまう……。
少年の部屋に同居していたのは、美しい少女だったかもしれない。物語なら、きっとそうだろう。
少年はその少女に会いたいと思った。
気配を感じて一生懸命会おうとする。もしかしたら少女のほうも会いたがっているのかもしれない。少女は会いたくて、なにかしらサインのようなものを残すのではあるまいか。花模様のハンカチが一枚、置き忘れたように少年の部屋に残っていたりして……。
「お母さん、これ、だれのハンカチ」
「知らないわ。きれいね」
ハンカチの美しさが少女の美しさを髣髴《ほうふつ》させる。そんなイメージがふくらむ。
──自転車も同じような作用かな──
西野家で起きている出来事は、少年の物語ほど単純ではなさそうだ。なぜ自転車でやって来るのか、二人は何者なのか、西野家となにか関係があるのだろうか。どれもわからない。
もし、それが魔性の世界にかかわることであるならば、わからなくて当然だろう。わからないこと自体が、魔性の世界であることの証明なのだから。
少年も、少女に会えなかった。それが本当に少女なのか、なんのためにこの部屋に来るのか、最後までわからなかった。そして、いつのまにか微妙な気配も消えてしまった。
それだけのこと……。ただ、時折、断片的に魔性の世界の存在がだれかに感じられる。今の私のように……。
──ただの妄想──
それが正しい。そう思いながらも、私は二、三カ月にわたって、ときどき馬鹿らしいことを考え続けた。なぜそんな考えに取り憑かれたか、自分自身を怪しんでいた。
広尾の家が完成して、私はふたたび両親と一緒に暮らすことになった。
引越しの支度をしていると、西野家の兄が、石塀の外に出た庭木の枝を切っている。
部屋を引き払ってしまえば、もう自転車の謎《なぞ》を解くこともできまい。
サンダルをつっかけて外に出た。
「精が出ますね」
「はあ」
怪訝《けげん》な顔で私を見る。
しかし、私がガレージの部屋を借りている者と、そのくらいの見当はついたにちがいない。
「よく自転車がここに置いてありましたけど……日中、お留守のときに」
さりげなく問いかけてみた。
「そうですか」
相手は、なぜそんなことを聞かれるのか、見当もつかないようだ。
「お留守のときに、どなたかが訪ねていらっしゃるのかと思って」
「いえ、心当たり、ありませんけど」
西野家の客人ではないらしい。彼はなにも知らないようだ。
「青と赤の自転車」
「知りません」
「じゃあ、お宅にいらしたんじゃないんですね」
「そうでしょう」
私としては「ときどき裏門の鍵が開いてますよ」と言いたかったが、それを言うと、あらぬ疑いをかけられるかもしれない。戸を押して確かめてみなければ、わからないことなのだから。
「大分暖かくなりましたね」
と話題を変えた。
「そうですね」
「明後日、引越しますので」
「あっ、そうですか」
自転車の二人について描いた想像は、とても彼に語れるようなものではない。頭がおかしいと思われてしまう。私は一礼をして部屋に戻った。
その翌日も外から帰って来ると、奇妙な感覚を覚え、またも想像が広がった。
──夜はどこへ行くのかな、あの二人は──
と、埒《らち》もないことを考えた。
昼のあいだは、ひっそりと西野家の広い屋敷の中で過ごすとしても、夜はどこへ帰るのか、自転車はどこへ向かって走っていくのか。
──どこかで見かけるかもしれない──
ある日、突然、青と赤の自転車が並んで走っていく風景を……。
──そのときはどうしよう──
追いかけていくわけにもいくまい。
引越しの当日、新聞配達のおばさんが代金を取りに来てくれた。あらかじめ電話をかけておいたから。
おばさんは私の仕事を知らない。その種のことはなにも話してなかった。
「奥様は?」
と、おばさんはお釣りを出しながら尋ねる。
「いないよ」
「あら、お一人でしたの」
「うん。どうして?」
「ええ……」
と、戸惑《とまど》ってから答えた。
「夜、うかがうと、よくドアの外に傘が二本置いてありましたから」
胸騒ぎを覚えた。
「ほう?」
「青い傘と、赤い傘とが二本並んで」