らせん階段
研究所の宿直を終え、東京駅まで来たとき急に海が見たくなった。
房総の荒い海。
時刻表を見ると、ちょうど十時三十分発のL特急がある。館《たて》山《やま》までは二時間ほどの距離だろう。長いエスカレーターを駆けおり、発車まぎわの車両に乗りこんだ。
いくつかの鉄橋を渡り、千葉駅でビールとおつまみを買った。昼間の酒はよくまわる。少しまどろんだらしい。目をさましたときには列車は木《き》更《さら》津《づ》を過ぎ、すでに半島の先端にほど近いところまで来ていた。
空は薄曇り。風も少しはあるようだが、内房の海は和《な》いでいる。
幼い頃から私は腺《せん》病《びよう》質《しつ》だったので、夏はよく海辺で過ごした。おかげで、ほとんどの運動は不得意だが、水泳だけは人並みにできる。海遊びに慣れている。時折海が見たくなるのは、そんな私の原体験のせいなのかもしれない。
終点の館山で降りた。
ここまで来ると乗客の数も少ない。ほとんどが地元の人だろう。タクシーに乗りこみ、
「布《め》良《ら》の海岸まで行ってくれないかな」
と頼んだ。
「はい」
走り出してから、
「布良のどこですか?」
と尋ねる。
「海が見たくてね。海岸を少し走ってほしいんだ」
「はあ?」
おかしな客だと思ったにちがいない。
「フラワーラインですか」
名前が美しい。それでいこう。
「うん」
道は案に相違して山の中に入った。館山から布良の海岸まで、ほんの短い距離だと思っていたが、これはいつも小さな地図で眺めているからだろう。
「館山市の人口って、どのくらいなの?」
「七万弱ですよ。少ないですよ」
「七万ありゃ、りっぱな市でしょう」
日本の各地には人口三万足らずの市がいくらでもある。
「なんもないとこだからねえ」
「夏はにぎやかでしょうが」
「海水浴でね。一時的にパッとにぎやかになるけど、それでおしまいだね。あとはゴルフか魚釣りか……」
「今はなにが釣れるの?」
「このあいだのお客さんは、いい形の石《いし》鯛《だい》をあげたって、喜んでたねえ」
「そりゃすごい」
石鯛は引きが強い。簡単には降参しない。そこが格闘の相手としておもしろい。味もわるくない。海釣りの醍《だい》醐《ご》味《み》だと聞いていた。
「でも、あれは本当の鯛じゃないらしいね」
「ああ、色もちがうもんね」
「鴨《かも》川《がわ》のほうで鯛を見せるところがあったね」
「鯛の浦でしょ」
舟で行って、船頭が餌《えさ》を撒《ま》く。すると海の底からゆったりと鯛の群が現われるのだった。ずいぶん大きな鯛がいたような記憶がある。
「もう近い?」
周囲の景色が畑地に変った。つつじが今を盛りと咲き乱れている。
「もうすぐですよ。布良は初めてですか」
「いや、二十年ほど前に来たことがある」
「二十年。そりゃ大昔だ。大分変っているでしょう」
「ほとんど覚えがないね」
もっと鄙《ひな》びたところだった。道はわるかった。大きな建物はなかった。旅館も少ない。せいぜい民宿くらいだったろう。しかし、それとても正確な記憶ではない。海辺に着いて車から降りると、かすかに海の形に覚えがあった。
大学の二年生、いや、三年生の夏だった。休暇に入って間もなく旧友の西島から連絡があった。
「海へ行こうよ」
「いいよ」
西島は中学時代の友人で、高校を出たあと石油会社に勤めていた。
私のほうは、うまいアルバイトもなく、家でぶらぶらしているときだった。
「しかし、いい宿がとれるかなあ」
「千葉に行こう。もう部屋もとってある。バスのキップもある」
「手まわしがいいんだなあ」
「旅行社に勤めている子がいるんだ」
女連れの旅らしい、とわかった。
事情を聞いてみると、この海水浴は西島のガール・フレンドの文江と、その友人の秋子が計画したものらしい。秋子は旅行社に勤めている人だった。女二人で、
「男の子がいたほうがいいわね」
「西島さんを呼ぼう」
「彼のお友だちにも来てもらって」
そんな相談があったのだろう。
結局、男のほうは、西島と私と、もう一人中学のときから親しい手塚の三人、女のほうは、文江と秋子の二人となった。
朝早く秋《あき》葉《は》原《ばら》に集ってバスで出発する。男女の交際はずいぶん自由になっていたけれど、一緒に泊りがけの旅へ行くのは、まだめずらしい頃だった。私は初めての体験だったろう。
「房総半島の先っぽの、布良ってとこよ。知ってます?」
「いや、知らん」
「知ってるやつ、いないんじゃないか」
「とってもきれいな海よ。民宿で、私たちだけ。四畳半を二つ借りたわ」
若い者同士はすぐに親しくなる。
バスには何時間乗っていただろう。ずいぶん長い旅だったと、そのことだけが記憶に残っている。途中でいくつもの海水浴場を通過し、乗客が少しずつ減り、最後にたどりついたのが、私たちの目的地だった。
「地球の果てじゃないのか」
「途中にも海がいっぱいあったじゃないか」
「いいのよ。それだけいい海なんだから」
民宿は海水浴場を見おろす丘の上の農家で、庭のすみにプレファブ造りの四畳半が二つ並んでいた。男の部屋と女の部屋とに分かれた。
「三対二。不公平ね」
「一人こっちに来てもいいぞ」
「いやらしいのね」
着いた日の午後、すぐに海に出ただろう。三泊四日の旅だから時間を無駄にするわけにいかない。もう太陽は西に傾いていた。たしかに人の少ない海だった。水も澄んでいた。
房総半島の突端とはいえ、布良はかろうじて内海に属している。海もほどほどの荒れようで、私たちにむいている。本気で泳ぐわけではない。波打ち際で遊んでいるだけなのだから、波は少々あったほうが楽しい。岩場のあたりには蟹《かに》や小魚がたくさん住みついていて、それを追うのも一興だった。いま思い返してみても、あの頃の布良は遊び場の多い、愉快な海だった。
閉口したのは風呂のないこと。民宿ではお湯をわかしていて、庭先で体を拭《ぬぐ》うのだが、それだけでは体の塩っ気が取れない。とりわけ女性たちは、戸外で水着を脱ぐわけにいかず困っていた。西島が銭湯を見つけて来たのは、二日目の夜だったろうか。
夕食のテーブルでは、酒盛りが始まる。ビールに鯵《あじ》のひらき、それに、持って来たピーナツと柿《かき》のたね、さほどの酒《しゆ》肴《こう》ではないけれど、一日太陽の下で遊びまわって飲むのだから、とてもうまい。すぐに酔ってしまう。
酔えば、夜の海へ出る。沖にはほんの一つか二つ、細い灯が光っていた。波打ち際の波だけが横一線に白い線を引いている。
「あたし、こんな海が好きなの」
「うん」
「暗くて、潮の音だけが聞こえて」
そうつぶやいていたのは秋子だった。
西島と文江はどういう仲だったのか。恋人に近い関係だったろう。寝るときをのぞいて二人はたいてい一緒にいる。いきおい秋子は一人になる。手塚は無口な男だし……私が秋子の話相手になることが多かった。小柄で、会ったときはむしろ陰気な印象だったが、海で一番はしゃいでいるのは、だれかと思えばいつも秋子だった。感情の起伏の激しい人のように思った。
「彼女、お前のこと、好きなんじゃないのか」
西島がそっと私に囁《ささや》く。
「まさか」
つい一昨日会ったばかりじゃないか。好きも嫌いもあるまい。
「情熱家なんだってサ。いっぱい恋愛をしていくつも失恋をして……」
「へえー」
けっして秋子は私の好きなタイプではなかったが、こんなことを言われれば、ちょっと気がかりだ。私はそれとなく秋子の様子に目を配っていただろう。
「だれか起きてる?」
夜明けもそう遠くない頃、隣の部屋から細い声が聞こえた。私は目をさましていた。秋子の声とわかった。
「うん」
と、小声で答える。
「散歩に行きません?」
「今から?」
「目が冴《さ》えちゃって」
前夜は疲労と酔いとで早く眠った。こんなときは、えてして早く目ざめてしまうものだ。
「いいよ」
西島も手塚もぐっすり眠っている。私は服を着て外へ出た。秋子は身仕度を整えて廊下に出ていた。
「日の出が見られるかもしれないわ」
「うん」
時刻は四時をまわっていただろう。足音を忍ばせて玄関を出て、急な坂道をくだった。海に出ると、すでに東の空が明るくなり始めていた。雲が厚い。このぶんでは水平線に浮かぶ太陽を見ることはできないだろう。潮風の匂《にお》う海岸を往復して砂浜に並んですわった。
「情熱家なんだって?」
「だれが言ってた?」
「西島がそう言ってたよ」
「文江が言ったのね。オーバーなんだから」
雲の先端が輝くほどの朱の色に染まった。海が赤くなった。だが太陽の姿は見えない。
「失恋なんか……やった?」
遠慮がちに私は尋ねてみた。その頃の私は恋を知らなかった。当然、失恋も知らない。
「ほんの少しね」
この〓“少し〓”は、数のことなのだろうか、分量のことなのだろうか、そんな馬鹿らしいことを私は考えた。
「男女の仲って、ごく単純に考えてみても、四分の三はうまくいかないのよねえー」
と秋子が言う。
「へえー、どういうこと?」
「四通りあるわけでしょ。男が好きだけど女が嫌い。女が好きだけど男が嫌い。両方ともが嫌いの場合と、両方ともが好きな場合。このうちうまくいくのは、最後の一つだけね。失恋て、数学的に考えてみても多いんじゃないかしら」
おもしろい理屈だと思った。とても印象的で、秋子を思い浮かべるときは、いつもこの理屈を思い出した。
男女の図式は、けっして単純ではないけれど、煎《せん》じ詰めれば、この四つのどれかに属する。うまくいくのは両方が好きな場合しかない。これは本当だ。その後、何度か身にしみて私はこの理屈の正しさを実感させられた。
「頭が数学的なんだなあ」
「ちがうわ。私、文学少女だったの。今でも小説書いてるわ」
「どんな小説?」
「今、書いているのは、ちょっと怖いの」
次第に明けていく空と海を見ながら秋子の物語を聞いた。その小説は不思議な灯台にとじこめられてしまう女の話だった。
「たしか灯台があったよね」
私はタクシーの運転手に尋ねた。
布良は海水浴場だから波が穏やかだ。わざわざ訪ねて来たのは、もっと荒い海を見るためだった。
「野《の》島《じま》崎《ざき》かな」
「半島の一番先端のところ」
見たことはない。地図に記してあった。
「じゃあ白《しら》浜《はま》の野島崎灯台でしょ」
「海は荒いかね」
「あそこまで行けば、荒いね」
「一見の価値がある?」
「どうかな。展望台にはなっているけど」
「とにかく行ってみて」
しばらくは海岸線を走った。
午後に入って天気は少しずつわるくなり始めた。風も強くなった。車の走る道筋には、とりどりの花が咲いていて、目に美しい。
「あれですよ」
海辺の低いブッシュのむこうに白い灯台が見えた。ほとんど人影はない。とりわけ観光客らしい姿はない。曇天のウイークデイに、わざわざここまで灯台を見に来る人は少ないだろう。みやげもの屋もガラス戸を鎖《とざ》している。
「灯台には……昇れるんだね」
「有料だけどね」
「じゃあ、ここで少し待ってて」
道路からのび出した広い岩場の先端近くに灯台は立っていた。
ここからが外海。明らかに海の様子が変っている。遠くから白いしぶきが見えた。
野島崎灯台。北緯34度53分54秒、東経139度53分28秒と位置が記してある。光度百二十万カンデラと書いてあるが、どれほどの輝きか私にはわからない。光達距離十七海里は長いのか短いのか。明治二年十二月十八日の点灯というのは、おそらく充分に古いものだろう。
狭い出入口から入ってらせん状の階段を昇った。左手の壁には、ところどころ窓があって、外の光がこぼれて来る。右手は灯台の心《しん》棒《ぼう》になっている壁だ。
何度まわったかわからない。とにかくたくさんの階段を昇った。最後は細い梯《はし》子《ご》になっていて、それを昇りきると展望台だった。
「すごい」
期待通りの海が眼下に広がっていた。
見渡す限り視界が黒みを帯びた青に染まり、ところどころ白く荒れ騒いでいる。打ち寄せる波は白く色を変え、獣のように走って岩に砕ける。数メートルのしぶきがあがる。風の唸《うな》りと波の響きが周囲を満たし、遠《とお》吠《ぼ》えのような海の声が全身に染みこんで来る。
十数分も眺めていただろうか。
——きりがない——
車も待たせてある。この光景を見ただけで満足だ。私は階段を降りた。
——今、この灯台の中にいるのは、私だけだな——
だれにも会わなかった。展望台も私一人だった。らせん状の階段を踏みながらふと秋子のことを考えた。昔、秋子が語ってくれた物語を思い出した。
たしか女が独り、さびれた岬の灯台に昇る話だった。灯台の中は、ここと同じようにらせん状の階段がついているが、窓はない。光がかすかにどこからかこぼれて来るだけだ。
女は階段の果てまで昇るが、天板が行方をさえぎっていて、そこより上に出ることができない。仕方なしに階段を降り始めた。今、私が歩いているのと同じように……。
ところが女は降りても降りても、さっきの入口にたどりつけない。
——どうしたのかしら——
左も壁、右も壁。階段は曲折して、前もうしろも見通しがきかない。女は狼《ろう》狽《ばい》して足を速める。どこまでも降りる。
——こんなはずはないわ。どこかで出入口を見落したんだわ——
気を取り直して今度は上へ戻ったが、どれほど昇っても、出入口はおろか、さっき見た天板にさえたどりつかない。らせん状の階段は行っても戻っても果てがない……。
秋子の小説は、そんな粗筋だった。
——ありうるな——
まったくの話、壁に挟まれたらせん階段は、見通しがきかないから自分の位置がたしかめにくい。どれほどの長さの階段の、どの位置にいるか、見当がつけにくい。
——もし窓がなかったら——
一層無気味だろう。
人気ない、この灯台の中では、たやすく秋子の描いた恐怖を味わうことができる。あの作品は完成したのだろうか。結末はどうなったのだろうか。
私はゆっくりと足を進めた。
二十年前、三泊四日の海水浴を終えて私たちはまっ黒に焼けて東京へ帰った。帰りのバスは、道路の渋滞などもあって、さらに長い道のりだった。
西島と文江の仲は、あの旅行の頃がピークだったのではあるまいか。
「喧《けん》嘩《か》しちゃったよ。性格があわないんだ」
「そうかなあ。お似あいに見えたけど」
「いや、駄目だね」
そんな話を九月に入って聞いた。
私自身はといえば、東京で秋子に二度会った。秋子に誘われ、夕食をご馳走になった。仕事を持っている秋子のほうが断然金持ちだった。
「楽しかったわ。また来年行きましょうよ」
「西島たち、うまく行ってないみたいだな」
「そうみたい。失恋のほうが多いものなのよ」
なにを話したか、このときのことはあまりよく覚えていない。
「じゃあ。またね」
来月になれば、また誘いの電話がかかって来るような感じだった。……が、電話はかかって来なかった。
「秋子のやつ、どこかへ行っちまったらしい」
知らせを持って来たのは西島である。
「どこかって、どこよ」
説明を聞けば蒸発のようなものらしい。
日を追うごとに事態の深刻さがはっきりとして来た。家族は捜索願いを出した。失恋のすえの自殺、その疑いが濃かった。事故死や他殺の可能性も皆無ではない。誘拐の線もないではない。
みんなが懸命に捜した。とりわけ家族は捜し続けた。何カ月も、何年も。
なんの手がかりも見つからなかった。つまり……ある日を境にして秋子はこの世から忽《こつ》然《ぜん》と姿を消してしまったのである。
以来二十年、事情は少しも変っていないはずだ。なにかがわかれば私の耳にも聞こえて来るだろう。
私はいつの頃からかずっと思い続けている。
——秋子は知らない階段に踏みこんでしまったんだ——
たとえば、どこかの灯台のらせん階段に……。だれもいない海辺の……。
——ちょうど今みたいな——
ふと私の頭上で足音を聞いたように思った