木に縁りて魚を求む(きによりてうおをもとむ)
意味:方法を誤ると目的を達成できないということ。
戦国時代のこと。孟子(もうし)が斉(せい)の宣王(せんおう)に会って話をした。
「王は戦争を起こし、臣下を危険なめにあわせ、諸侯に恨みの種をまいて愉快でいらっしゃいますか。」
王が答えた。
「まさかそんなことはない、ただ、わしには大望があるのだ。」
「ほう、王の大望とやらをお聞かせ願えますか。」
孟子がこう聞いても、宣王は笑って答えようとしない。
「では、伺いますが、お召し上がりになる珍味が足らないためですか。暖かいお召し物が足らないためですか。美しい装飾品を見足らないためですか。美しい音楽を聞き足らないためですか。近臣の者がご用を足すのが足らないためですか。しかし、そんなことではございますまい。」
王は慌てていった。
「もちろん、そんなことではない。」
「王の大望とやらはよくわかっております。領地を広げ、秦(しん)や楚(そ)を来朝させ、中国に君臨し、蛮族を手なずけようとお考えです。しかし、今までのような方法で、これを為そうとしても、それは木に登って魚を得ようとするようなものです。」
王が聞いた。
「なに、それほど難しいことだろうか。」
孟子は言った。
「いえ、これより悪いと言えましょう。木に登って魚をとろうとして、魚がとれなくても、悪いことは起こりませんが、戦争によって大望を実現しようというやり方では、いくら力を尽くしても後に災いを引き起こすばかりでございます。」
王は、
「どういうことか、もっと詳しく話してくれ。」
と膝を進めた。そこで孟子が聞いた。
「今、鄒(すう)と楚が戦ったら、どちらが勝つと思いますか。」
「楚に決まっておる。」
「そのとおり、小は大に勝てません。多勢に無勢はかないません。弱は強にかないません。今、天下千里四方には九つの国があります。斉はその中の一つに過ぎません。一つで八つを征服するのは鄒が楚に戦いを挑むようなものではありませんか。なぜ、根本に立ち返ろうとなさらないのですか。王が仁政を施せば、役人はだれもかれも王の朝廷に仕えたいと思い、百姓はだれもかれも王の田畑を耕したいと思い、商人はだれもかれも王の市場で商いをしたいと思い、旅人はだれもかれも王の土地を通りたがり、自分の君主に不満がある者は皆だれもかれも王に訴えようとするでしょう。もし、そうなれば誰がそれをとめることができましょう。」