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今日からマ王3-7
日期:2018-04-29 21:45  点击:288
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 あの程度のことで音を上げるとは、フォンクライスト|卿《きょう》の力もたかが知れている。これだから最近の男達は(魔力が)弱くなったと言われてしまうのだ。
 本日も、とっ捕《つか》まえてきたギュンターを見下ろして、眞魔《しんま》国|随一《ずいいち》のマッドマジカリスト、フォンカーベルニコフ卿アニシナは水色の瞳《ひとみ》を光らせた。もにたあは床《ゆか》の一点をじっと見詰《みつ》め、小さく何事かを呟《つぶや》いている。
「……|今頃《いまごろ》きっと陛下は|首尾《しゅび》よくゲーゲンヒューバーと落ち合われて、|魔笛《まてき》で|素晴《すば》らしい演奏をなさっていることでしょう。ああ私の陛下……音色は清く気高く美しく、心豊かに」
 小学校の校歌みたいになってきた。
「そして笛は雨を、いや嵐を呼び、陛下の漆黒《しっこく》の御髪《おぐし》を濡《ぬ》らして、いっそう黒く美しく艶《つや》めかせるのでしょうねぇ……はあ……」
「魔笛が雨を呼ぶとおっしゃいました?」
 背筋も凍《こお》る、魔女ボイス。
「それにゲーゲンヒューバーの名も出ていたようですが、わたくしあの男は好きません。魔族と人間の恋愛《れんあい》は|御法度《ごはっと》だなどと、前時代的な考えを振《ふ》り翳《かざ》して!」
 怒《いか》りの感情に左右されずトーンを抑《おさ》えた口調だからこそ、地の底から響《ひび》いてくるような恐怖《きょうふ》がある。ギュンターは振り向けなくなってしまった。
「あの男のせいで、スザナ・ジュリアがどれだけ心を痛めたか」
 今は亡《な》き友人の名を語るときだけ、懐《なつ》かしさで言葉が|僅《わず》かに震《ふる》えた。
「ゲーゲンヒューバーを魔笛探索の任に就《つ》けたのは、グウェンダルの数少ない英断でした。|係累《けいるい》だからそう重い責めを負わせるわけにもいきませんからね。けれど……」
「アニシナ?」
「まさか本当に見付かろうとは」
 赤い悪魔は|巨大《きょだい》な甲羅《こうら》を運ばせて、頂点に上等な翡翠《ひすい》細工の皿を載《の》せる。尻《しり》込みするギュンターを掴《つか》んで引き寄せ、彼の掌《てのひら》に皿を置いた。
「さ、フォンクライスト卿。雨の降る光景を想像するのです」
「いいえその、その前に、この魔動力装置はどういう機能を持っているのかを、簡潔にご説明願えませんか」
「余計なことを考えず、魔力を提供するだけでいいのです」
 あんまりな物言いだ。彼女は実験台に対して同等な人格を認めていないのか。超絶《ちょうぜつ》美形で頭脳|明晰《めいせき》、奇想天外《きそうてんがい》、四捨五入、出前|迅速《じんそく》、落書無用な教育係は、一晩かけて寝《ね》ずに考えた言い訳を、目を白紫させながら言い募《つの》った。
「そっ、そうは参りませんよっ! もしも貴女《あなた》が国家の転覆《てんぷく》を密《ひそ》かに画策していて、陛下への大逆のために技術を高めているのだとしたら、みすみす実験に付き合って|謀略《ぼうりゃく》の|一端《いったん》を担《にな》うわけにはいきませんっ。このフォンクライスト・ギュンターの生命は陛下の盾《たて》となるために存在するのであり……」
「|雨乞《あまご》いですよ」
「雨乞いなどという大それた行為《こうい》は……は? 雨乞いですか?」
 拍子抜《ひょうしぬ》けして口が半開きだ。
「魔笛とやらの不確かな力を借りなくとも、我々自身の魔力で雨は呼べるはず。ここのところ近隣《きんりん》諸国も水不足だと耳にしています。この理論が実用化されれば、わたくしたち魔族への畏怖《しふ》と尊敬の念は一気に高まるはず! ではご|紹介《しょうかい》いたしましょう。魔力倍増雨乞い装置、その名も、今すぐふるぞーくんッ!」
「……ふるぞー……なんだか私、無性《むしょう》にキュウリが食べたくなってきました」
 背中に負った緑の甲羅と、頭に載せた翡翠の皿に、特別な意味でもあるのだろうか。
 
 
 吹いたら悲鳴をあげたのは、笛ではなくて、人間だった。
 幼児の泣き叫《さけ》ぶ声は、家の外から聞こえてくる。真っ先にシャスが部屋を飛び出し、慌《あわ》てるおれに鎖《くさり》を引っ張られて、グウェンダルも|億劫《おっくう》そうに立ち上がる。婚礼衣装《こんれいいしょう》のままのお嫁《よめ》さんに、そこにいろと言い置くのを忘れない。
「うちの子から離《はな》れろ! 手を離せ、触《さわ》るんじゃない!」
 四、五人の子供に取り囲まれ、乾《かわ》いた地面に転がされて、ジルタが大声で泣いていた。ライトブラウンの巻毛は砂にまみれ、投げ出された袋《ふくろ》からは野菜が覗《のぞ》いている。この国の人達はキュウリが大好きなのか? そんなこと今は関係ない。
 駆《か》け寄ろうとした祖父も、がくりと転んだ。足下《あしもと》に紐《ひも》状の武器を投げられたのだ。ガキどもは悪びれもせずに袋の中身を物色している。暮れかけた紫の空の下で、彼等は堂々と強奪《ごうだつ》を続けていた。十歳そこそこの集団で、ジルタよりは|随分《ずいぶん》と身体《からだ》がでかい。
 子供の仕業《しわざ》といったって、許容|範囲《はんい》を超《こ》えている。
「お前等、小さい子供に何てことをーっ!」
 のっぽさんを牽引《けんいん》しなきゃならないので、なかなか現場に到着《とうちゃく》しない。悪童達は果物と瓶《びん》を選び出し、引き上げようと腰《こし》を浮《う》かせた。シャスは孫|息子《むすこ》に這《は》い寄ってゆく。
 集団の一人がおれを見た。
「小さい子? こいつオレたちより年上だぜ」
 そうだった。ジルタは魔族の血のせいで、普通《ふつう》の子供より成長が遅《おそ》い。
「どっ、どーでもいいから盗《と》ったもんを戻《もど》せ! いや違《ちが》う、どうでもよくないっ。袋を戻してジルタとシャスの足を解《ほど》け。それから二人にちゃんと謝……」
 一人がおれにも何かを投げた。ばかやろ、万年ベンチウォーマーといえど、こちとら捕手《ほしゅ》歴十年だ。リトルリーグのお子ちゃまの球くらい、ミットなしでも捕《と》れないわけが……。
「げ」
 顔の前で構えようとした左手は、鎖の重さで持ち上がらなかった。間一髪《かんいっぱつ》、首を傾《かたむ》けて危険球を避《よ》けたが、後ろにいたグウェンダルは死球を喰《く》らってしまった。多分、ものすごく腹を立てているはず。
「だってこんな奴《やつ》、どうせちゃんとした大人になんねーんだから、食っても食わなくても同じだろ」
 |薄暮《はくぼ》で顔は見えないが、言葉だけはしっかり耳に届く。
 憎《にく》しみも悪戯《いたずら》心も籠《こ》もらない、当然のことを告げる声だ。
「背が伸《の》びてデカくなって一人前の男になって、兵士にでもなんなけりゃ食い扶持《ぶち》も稼げねえ。ずっと育たないまんまのガキなんて、高い金|遣《つか》って生かしとく意味ないだろ」
「お前等なんでそんな恐《お》っそろしいこと言ってんの!? 親とか大人に教えられたの!? どっかのヒネた小学生みたいな、夢のない口きいちゃってさ」
「夢って飲めんのかよ」
 おかしいじゃないか。
 一番背の高い痩《や》せた少年が、細い足でジルタを蹴《け》りながら言った。
「夢で|家畜《かちく》は元気になんのか? 夢で畑は緑になんのか? 夢で食いもんが増えるんなら、何日だって寝てやらぁ」
 おかしいじゃないか。
 おれはRPGを何本クリアした? その中でいくつの国を救い、どれだけの子供を助けただろう。剣《けん》と魔法のファンタジー世界では、子供はいつも素直で悪戯好きで。
「……最近、野球ばっかでゲームしてないからかも……」
 目の前にいた男の子が、二、三メートル吹《ふ》っ飛んだ。電光石火の|一撃《いちげき》で、|鉄拳《てっけん》制裁が加えられたらしい。グウェンダルは乾いた地面に身を屈《かが》め、ばらまかれた小銭《こぜに》を拾い上げる。意外と細かい。
「釣《つ》りで好きな物を買っていいとは言ったが、お前等にやったわけではない」
「なっ、なんだよそんな金ッ」
 尻餅《しりもち》をついたまま後ずさる。他《ほか》の子供達もじりじりと、角に向かって退路を確保した。
「なんだよそんな汚《きたね》え金、どうせ密告して儲《もう》けた金じゃねーか! お尋《たず》ね者を引き渡《わた》して、代わりに受け取った卑怯《ひきょう》な小銭だ。あんたたちも間抜《まぬ》けだぜ、その鎖、逃亡《とうぼう》中の罪人なんだろうが、よりによって爺《じい》さんの家に逃《に》げ込むとはね。いいかい、逃亡犯」
 しまった、|手錠《てじょう》を出しっばなしだ。
 やっと自分の足を解き、シャスが孫を抱《かか》え起こした。ジルタはまだしゃくり上げている。
「シャスは自分の娘《むすめ》さえ役人に売って、金をせしめた男だぜ」
「まさか」
 まさかそんな。彼は|魔族《まぞく》のモレモレで、娘を嫁《とつ》がせてやってもいいとまで言っていた。街でしゃがみ込んでいたおれたちを、|匿《かくま》ってくれようとしていたのに。
 数十人分の足音が|一斉《いっせい》に響《ひび》いた。薄暮の路地に何方向からも明かりが照らされ、おれたちは遠巻きな円の中央で、全員の視線を受けることになった。
「そのまま動くな!」
「ちょっと誰《だれ》か、嘘《うそ》だと言ってよ」
 嘘じゃなかった。完全に包囲されていた。火器を手にした三十人以上の兵隊達に。
 |坊主頭《ぼうずあたま》の若い祖父は、おれの視線を避《さ》けて顔を逸《そ》らす。これだけが大事なのだというように、ジルタをぎゅっと抱《だ》き締《し》めている。子供達の言葉が浮かんできた。
 兵士にでもなんなきゃ食い扶持も稼げねえ。
 シャスは髪型《かみがた》も普通だし、歩くときも片足を庇《かば》っていた。しかも軍隊に入るには、いささか年をとりすぎている。
「……そうだよな……やっぱ孫が大事だもんな」
「逃亡犯らしき者がいるとの通報があった。お前達の名は? どんな罪で追われている?」
 それはこっちが聞きたいよ。
 バッハと|見紛《みまが》う二重|顎《あご》の男が、隊長なのか声を張り上げる。バッハ顔にウニ軍艦《ぐんかん》の髪型《かみがた》だ。
「なんかおれたち、どんどんクライムランキングが上昇《じょうしょう》してるよ。どうするグウェン?」
「知るものか」
「おい、こそこそ話すな! 昼に教会から新婦が強奪される事件があったが、その二人組に風体《ふうてい》が似ている。どうだお前達、もしそうなら、早いところ認めてしまったほうがいいぞ」
 そうだった、ニコラだよ! おれたちは健康だし鍛《きた》えてるから何とかなるけど、彼女はできちゃった結婚《けっこん》直前の身だ。あまりお腹《なか》が目立たないとはいえ、これ以上|過酷《かこく》な|状況《じょうきょう》に置かれたら本気でやばい。これから縁戚《えんせき》関係になる娘さんなんだから、グウェンダルだってきっと同じことを考えてるだろう。
「知りませんねー、新婦さんなんて!」
 おれは殊更《ことさら》声を張り上げた。周囲では集まり始めた野次馬を、数人の兵士が追い払《はら》っている。
 いつの間にか袋《ふくろ》も食糧《しょくりょう》も持ち去られ、少年達も消えていた。シャスがジルタを抱いたまま、獣《けもの》から逃《のが》れるみたいに離れてゆく。
 なんだか無性に泣きたくなるが、出来ることがあるうちは|諦《あきら》めない。
「そんな女、全然知らないよな?」
 うまくアドリブ決めてくれと、祈《いの》るような気持ちで相方にふる。フォンヴォルテール|卿《きょう》は眼光|鋭《するど》く、自信たっぷりで舞台《ぶたい》に上がった。
「ああ。確かに我々は逃亡中だが、罪状は見てのとおりの駆け落ちだ」
 シーワールド・ワンデイフリーパス付きの、右手の甲《こう》を翳《かざ》してやる。どうだ。
「駆け落ち者は、他の女に用はない」
「そうそう。だっておれたち、ラブラブだもん。なー?」
「……なー」
 グウェンダル、真顔でドスを利《き》かせすぎ。|精一杯《せいいっぱい》の背伸《せの》びで肩《かた》を組もうとするが、鎖《くさり》が短くてうまくいかない。
 後ろから腰を蹴飛《けと》ばされ、地面で膝《ひざ》を強打する。
「隠《かく》すとためにならんぞ!?」
「いてて……もっとバッハみたいに|訊《き》いてくれ」
「隊長ーっ」
 変声期真っ最中みたいな若者が、離《はな》れた路地で白い布を振《ふ》り回している。
「こっちに婚礼衣装が!」
「よし、そっちを探せ」
 よかった、ニコラは逃げてくれたんだ。けれどドレスを脱《ぬ》いでしまって、どんな格好で走っているのだろう。もしかして、ラ? ぎゃーそんな、できちゃった嫁入《よめい》り直前のお嬢《じょう》さんが、はしたなーい。
 隊長は舌打ちし、誰にともなく呟《つぶや》いた。いーや、絶対にこう言った。確かに聞いた。
「ちっ、つまらん」
 お生憎《あいにく》様《さま》、ただの単なる駆け落ち者です。てゆーか本当は駆け落ちさえしていない。だっておれたち……心の中で自己ツッコミ……男同士じゃん!
「連れて行け。いや待てその前に、名前は何だ?」
「名前……あ、えーと名前ね、そう、おれ誰だっけ」
 グウェンダルの出した助け船は、予想以上の大ヒットだった。
「私はヤンボーだ」
「あっ、じゃあおれマーボーだわ」
 得意|技《わざ》は天気予報。明日も晴れ。
 
 
 こんな時にどうだろうとも思うのだが、ここ数日間は実にハードな行程だったので、護送中の馬車というとんでもない場所にもかかわらず、おれは|睡魔《すいま》に襲《おそ》われていた。|緊張感《きんちょうかん》も極度の疲労《ひろう》には勝てないらしい。木製の車輪がガタピシいう振動《しんどう》も、波間に浮《う》かぶ心地よさだ。
「大物だなー」
「……ありがたいねえ、ナイスな嫌味《いやみ》」
「今のは私ではないぞ」
 |狭《せま》い箱に同乗している小太りの兵士が言ったらしい。
 気付くと、グウェンダルの肩にもたれ掛《か》かっていた。慌《あわ》てて背筋を真っ直《す》ぐにする。通勤ラッシュで隣《となり》のサラリーマンに寄りかかっちゃった気まずさ。
「眠《ねむ》れるうちに寝《ね》ておけ」
「そうは言ってもさ。おれだけ楽するわけにいかねーじゃん。あんただって相当|疲《つか》れてるんだから、隣でぐーすか寝られたら腹立つだろうし。おれたち一応、駆《か》け落ちカップルなんだから、仲悪いと思われちゃ困るだろ?」
 長男が微《かず》かに鼻を鳴らした。もしかして笑ったのだろうか。
「妙な奴《やつ》だな」
「なんだよそれ。ああっ待て待て、迂闊《うかつ》に|喋《しゃべ》ると全部聞かれるぞ」
「そうだな、それでは王宮魔族語で話せ。そうすれば方言同様、理解されづらい」
 なにそれ。語尾《ごび》におじゃるとか付ければいいのか? だが心配は杞憂《きゆう》に終わった。見張りが居眠りをし始めたのだ。標準語の会話が可能になる。
「何故《なぜ》そんなに厄介《やっかい》ごとに首を突《つ》っ込みたがるのだ?」
 フォンヴォルテール卿は真っ直ぐ前を向いたまま、不|機嫌《きげん》そうな青い瞳《ひとみ》も動かさない。
「お前は王だ。国のことは臣下に任せ、城で|享楽《きょうらく》に耽《ふけ》ることもできるのに」
「キョウラクのフケリかたが判《わか》んないんだけど」
「好きなものはないのか、富や美食、それに女」
 そりゃあもちろん嫌《きら》いじゃない。金《かね》もグルメも女の子も、堪能《たんのう》したことはないけれど|恐《おそ》らく好きだろう。
「でも今んとこ、野球がトップかなあ」
「ではその野球とやらをすればいい。思う存分」
「もうやってるよ、十年近く」
「なんだ、それは魔王の地位がなくても出来ることなのか?」
「情熱さえあれば」
「ではもっと、金のかかる遊びを……」
「なんで?」
 思わずこちらを向いた表情が、彼らしくなく困惑《こんわく》していた。どんな美女でも治せないはずの不機嫌そうな眼《め》が、ほんの少し自信を失っている。
「皆《みな》さんの税金で贅沢三昧《ぜいたくざんまい》するのが王様の仕事なの? それが正しい王様像だって、あんたもコンラッドもギュンターもヴォルフも思ってんの?」
「それは……だが、これまで平民から選ばれた者は、いずれも……」
「おれ、そんなこと知らなかったし」
 公衆便所から異世界へ呼ばれて、いきなり魔王だと告げられたのだ。最低限必要な予備知識も無く、事前研修も|一切《いっさい》無し。一国一城の主《あるじ》たる者の心構えもできていなかった。
「とりあえずの手本はツェリ様なんだろうけど、あのひとは大人の女性で、こっちはその辺の野球|小僧《こぞう》だよ。同じようにやれるわけがない。だったらおれなりに精一杯、自分らしくやるしかないでしょうが。その結果が新前でへなちょこで、|記憶《きおく》に残る史上最低君主と称《しょう》されようと、これまでの十六年間の経験で、判断してくしかないわけだ」
 欲しい相《あい》づちが貰《もら》えず、心細い。不意に馬車が大きく揺《ゆ》れて、兵が聞き取れない寝言を発した。格子《こうし》の填《はま》った窓からは、すっかり暮れた空が見える。
「教科書に絵付きで載《の》ってるような、ルイルイの生活が似合うわけないじゃん。それに、もしおれがどうしようもなく間違《まちが》った判断しちゃったら、そんときは……」
 だってそうだろう? おれには教育係がいて保護者|兼《けん》ボディーガードがいて、成り行きでそうなってしまった婚約者がいる。その上、誰《だれ》よりも国のことを愛していて、献身《けんしん》を惜《お》しまない真の魔族が、過ちを犯《おか》さないように見張ってくれてる。
「止めてくれるだろ?」
 今度こそ見《み》間違《まちが》いでなく本当に、頬《ほお》を緩《ゆる》めて目を細める。思ったよりずっと穏《おだ》やかで、感情のこもった笑《え》みだった。
 彼はこうやって笑うのだと、おれだけが知らずに損してたんだ。
「なあ、ちょっと訊《き》きたいんだけど」
「なんだ」
「ヤンボーって誰の名前? 突然《とつぜん》どこから出てきたの」
「あれか。あれは最近里子に出した子の名だ」
「やっぱり隠《かく》し子が!」
「うさちゃんだ」
 なんだ自分の赤ん坊《ぼう》じゃなかったのか。しかし謎《なぞ》の多い男だから、兎《うさぎ》のブリーダーくらいやっていてもおかしくない。サイドビジネスとして成立するのかは不明だが、ご一緒《いっしょ》にピヨコちゃんもいかがですかーなんて……ちょっと待て、今。
「今、うさちゃんて言った!?」
 返事がくる前に馬車は止まった。外側から扉《とびら》が開けられて、厳重な警備の中を降ろされる。サングラスとパイブが加われば、これまた日本史の教科書にいる、タラップを下《くだ》るマッカーサーだ。単なる駆《か》け落ち者の出迎《でむか》えに、こんなに兵士が必要だろうか。
 国会議事堂の一階部分だけを使ったような、石造りの建造物に連行される。エントランスに庁舎名が書かれていたが、相変わらずおれは文字が読めない。
「ここどこ?」
「家裁だ」
 それは家庭裁判所ということか? 夫婦《ふうふ》が婚姻《こんいん》関係を解消したり、子供の親権を争ったりする場所だ。耳鳴りくらいのポリュームで、BGMが流れていた。素人《しろうと》が面白《おもしろ》がってテルミンをいじるような、曲というよりホラー映画の、恐怖感《きょうふかん》を盛り上げる効果音だ。
「親でも夫婦でもないおれたちに、裁判所がどんな命令を……グウェンダル!? どうしちゃったんだ、顔が悪いぞ」
 超美形種族をつかまえて、信じられないベタな言い間違いだ。顔色が悪い、だ。夜になって寒いくらいの気温なのに、額と首が|脂汗《あぶらあせ》で光っている。
「……法力がそこら中に……満ちている」
「えっ、なに、どーいうこと? |匂《にお》いもしないし煙《けむり》もないし。あ、もしかしてこの不気味なシーン用の効果音かな」
「私には何も……聞こえないが」
 それでも具合は悪そうだ、屈《かが》み気味でゆっくりとしか歩けない。おれのほうはしんどいところは特にないのだが、胸に触《ふ》れている魔石が異様に熱を持ち、|火傷《やけど》しそうなくらいだった。程度の軽い罰《ばつ》ゲーム状態だ。
「入れ」
 突《つ》き飛ばされてホールに踏《ふ》み込むと、裁判所でいう法廷《ほうてい》だった。中規模な講堂くらいの広さがあり、磨《みが》き上げられた乳白色の石が床《ゆか》にも壁《かべ》にも使われている。高い場所に四人の老人が座っているが、あれは|恐《おそ》らく判事だろう。白くなった髪《かみ》を辛《かろ》うじてモヒカンに固めている。四方八方に余っている警備兵は、皆《みな》一様に無表情だ。
 もったいぶった傍聴席《ぼうちょうせき》もあるけれど、一般人《いっぱんじん》の姿はどこにもない。木製の境の向こうには、陪審員《ばいしんいん》どころか弁護人もいない。スヴェレラにミランダ法はないらしい。
 部屋の中央では三人がもめている。泣き叫《さけ》ぶ女性の|両腕《りょううで》を二人の男が引っ張り合い、互《たが》いにどちらも譲《ゆず》らない。地獄《じごく》の三角関係だ。一方の男が後ろに転び、ようやく勝負……いや決着がついた。
「ほら、先に手を離《はな》しちゃった方が、愛があるから本当の彼氏なんだぜ……あれ」
 最後まで腕を掴《つか》んでいた|大柄《おおがら》な男が、意気《いき》揚々《ようよう》と引き上げてゆく。痛みとショックでぐったりとした放心状態の女性を連れて。
 大岡裁《おおおかさば》き、通用せず。
「次ッ」
 他にお客さんはいないから、おれたちの順番らしかった。
「ヤンボー、マーボー」
「天気予報」
 思わず口をついて出てしまう。
「おや、両方男だね」
 促《うなが》されて中央に進むと、正面にいる四人の判事のうち、一人はそう年寄りでもないのが判った。髪は白く染めているらしい。円錐《えんすい》状の服から首だけ出していて、てるてる|坊主《ぼうず》が座ったような姿だ。|目尻《めじり》と額と口元に、日に焼けて深い笑い皺《じわ》がある。
「おお、鎖《くさり》が重そうで気の毒だ。それに長身の……ヤンボーか。そっちは魔族だな。かなり体調が悪く見えるが、まあ無理もない、この館は法力の源で厳重に守られているからね。魔力のある者には辛《つら》かろう。では、手早く済ませてしまおうか。お前達だって一刻も早く|手錠《てじょう》を外したかろう」
 裁判官という感じはしなかった。早口で朗《ほが》らかでいい人そうだ。権威《けんい》を笠《かき》に着た物言いも、もったいぶった難解な言い回しも多用しない。この人なら正直にうち明ければ、無罪|放免《ほうめん》もありそうだ。
「さて、お前達は駆け落ち者ということだが、手配書を探しても該当者《がいとうしゃ》がいないのだよ」
「あの実はおれた……」
「そこでだ」
 はい?
「その枷《かせ》を外してもいいように、縁《えん》を切るとこの場で決めてもらおう。互いに決められた正当な相手の元に戻《もど》り、婚姻を結んで正しい家庭を築くことを、わたしの前で誓《ちか》ってもらおうか」
「えーとでも正当な相手と言……」
「皆に追われ指差され辱《はずかし》められて、こんな目に遭《あ》うと知っていれば、神の意に添《そ》わぬ相手と良からぬ関係になど落ちなかろうに」
「落ちるって……」
 しまった、この男が早口で朗らかなのは、他人《ひと》の話を聞かないからだ。裁判官は自らの人生観と、男女、時には同性関係の概念《がいねん》について思う存分まくし立て、「鳴呼《ああ》人生に涙《なみだ》あり」をフルコーラス三回歌い終わった頃《ころ》に、ようやく二度目のチャンスをくれた。
「お前達の行為《こうい》がどんなに愚《おろ》かなものか、骨身に染《し》みて解ったろう。では互いに相手をどこまで憎《にく》むようになれたかを、ここで聞かせてもらおうか」
 またまたわけの解らないことを言い出した。いくら説教が長くても、水戸黄門《みとこうもん》のテーマ三回分だ。その程度の時間で冷める感情なら、駆け落ちなんかしないって。おれたちは元々、してないけどね。
 しかし、今は手錠を外させるのが先決だ。ここはひとつ、心を入れ替《か》えた二人になりきって、馬鹿《ばか》なことをしましたと認めてしまおう。
「もう、ほんっとに浅はかだったと後悔《こうかい》してます。例えばシングルヒットでも四球でもいいのに一発|狙《ねら》っちゃって、外野フライでゲームセット、みたいな」
 なにそれ。判事は右手をひらひらさせている。他の三人は微動《びどう》だにしない。
「最初からこいつとなんか合いっこないんですよ。性格不|一致《いっち》なんだから。だって初対面の時からおれのこと嫌《きら》ってたし見下してたし、コレとか言っちゃってガキ扱《あつか》いだしっ、言葉にはいっつも険があるしね。なあ、そうだったよな?」
「……ああ」
 相当、具合が悪そうだった。大急ぎで此処《ここ》を離れなくてはならない。笑い皺の白モヒカンを言いくるめなくては。
「しかもおれがついて行こうとしたときも、戻れとか足手《あしで》纏《まと》いだとか言うんですよ。会話もろくに成立しないし、こんな奴《やつ》と一緒にいても楽しくないっスよ!」
 けれど確かにあの時に、彼の言葉どおり引き返していれば、こんな場所に立たされはしなかっただろう。おれはカーベルニコフのご用邸《ようてい》とやらで、海辺のリゾートを|満喫《まんきつ》していて、グウェンダルだって|首尾《しゅび》よく|従兄弟《いとこ》と合流し、|魔笛《まてき》を国内に持ち帰っていたかもしれない。何もかも、おれのわがままのせいだ。そこから災難が始まってる。
 自分らしくやろうとした結果がこれだ。なにひとつ正しいことなんてありはしない。
 馬車の中で打《ぶ》っていた王様像とやらに、一歩どころか数ミリだって近付けていない。迷惑《めいわく》をかけることばかり得意で、自分では始末もつけられない。この世界に来て何かをするたびに、おれは誰《だれ》かに助けられている。
「……それに馬から落ちるとこを、必ずあんたに見られててさ」
 ライオンズブルーの魔石の熱が、心臓にまで届きそうだった。ぎゅっと|握《にぎ》って拳《こぶし》をつくると、右腕《みぎうで》に填《は》めたままのデジアナが手首の骨に当たって少し痛んだ。
「……やっぱおれが」
 なんで嫌われてるなんて思ったんだろう。
「……ごめん、おれが、ばかだったよ」
「そうでもない」
 腰《こし》にくるはずの重低音が、痛々しく掠《かず》れて聞き取りづらい。やっとのことで立っているのに、彼は再び背筋を伸《の》ばし、威厳《いげん》と自信を取り戻す。
「そう悪い王でもないと思っている」
「どんな|経緯《けいい》なのかは知らないが、まだ確信が持てないね。愚かな行為を悔い改め、正しい相手との関係を維持《いじ》するためには、もう二度と逢《あ》いたくないくらいに、|過《あやま》ちを犯《おか》した相手を憎むべきだ。わたしの目にはどうもまだ、お前達が決別しそうには見えないのだよ」
 白モヒカンでてるてる坊主のくせに、判事はおれたちの足元へ細長く|輝《かがや》く鋼《はがね》を投げた。石の床に弾《はず》んで音を立てる。
「取りなさい」
「え?」
 刃渡《はわた》り二十センチほどの短剣《たんけん》だった。象牙《ぞうげ》に似た手触《てざわ》りの柄《つか》には細工が施《ほどこ》され、一彫《ほ》り一彫りの|僅《わず》かな溝《みぞ》に、錆色《さびいろ》の粉が残っている。
 血だ。
「それを取って。どちらでもいい、刺《さ》しなさい」
「……なに」
「たとえ死んでも責任は問わない。不実な関係を終わらせるんだ。そして明日からは定められた配偶者《はいぐうしゃ》の元に戻る、もう二度と道を踏み外すまいと誓ってね。さあ、早く。早く済ませてしまおうじゃないか。お前達だって鎖を外したいだろう?」
 それはもちろん外したい。一生このままだなんて考えたくもないし、一刻も早く此処から離れなくては。グウェンダルがよろめきながら屈《かが》み、鈍《にぶ》く光る刃《やいば》を手に取った。
「グウェン……?」
 もう立ち上がる気力もないのか、膝《ひざ》をついたままこちらを見上げ、おれの手に黄ばんだ柄を握らせる。
「利《き》き腕は、右だったな」
「そうだけど……そんな、おれ」
「殺せと言っているわけではない。この辺りが楽だ、さあ早く済ませろ」
 彼は自分の左肩《ひだりかた》を示し、不|機嫌《きげん》で|冷徹《れいてつ》な視線を向けてきた。まるで爆弾《ばくだん》でも渡されたみたいに、五本の指がみっともなく震《ふる》える。
「どうした、剣を持つのは初めてではないだろう。その時と同じようにやればいい」
 焦《あせ》りと苛《いら》つきを押し殺した口調。
 ヴォルフラムとの決闘《けっとう》騒《さわ》ぎのときも、モルギフと闘技場に立たされたときも、もっとずっと長くて重い剣を、生身の人間相手に振《ふ》るったはずだ。それに比べればこの短剣は、華奢《きゃしゃ》で玩具《おもちゃ》のようなものだ。反撃《はんげき》されるおそれもないし、軽く刺せばいいだけだと判っている。血だってそんなには出ないだろう。
 でも。
「……変だろ」
 少女|漫画《まんが》的美少年フォンビーレフェルト|卿《きょう》ヴォルフラムは、プライドを傷つけたおれを叩《たた》きのめそうと、明らかに本気で挑《いど》んできた。下《した》っ端《ぱ》海賊《かいぞく》少年リックは、おれを|倒《たお》せば死刑《しけい》を免《まぬが》れるからと、決死の覚悟《かくご》でかかってきた。何がなんだか判らないうちに斬《き》り掛《か》かられて、おれも必死で応戦した。
 あの時は、どこかに理由があった。
 今さら非暴力主義だなんて言うつもりもないが、お互《たが》いに戦意も遺恨《いこん》もないのに、どうして傷つける必要があるんだ?
「だって変だろ、同じなわけないじゃん。敵意もないのに。やっと少し理解できたような気がするのに。じゃああんたやれよ。おれを刺せる? この穢《けが》れた|凶器《きょうき》で、おれを刺せるか?」
 グウェンダルは唇《くちびる》を微《かす》かに上げて、こうなると思ったという顔をした。その一瞬《いっしゅん》の面《おも》差《ざ》しに、コンラッドの苦笑いが重なった。ああ、やっぱり兄弟なんだよな。とても控《ひか》えめな遺伝子で、彼等の血液は結ばれている。
「……いや」
「だろ? おれもそう。だいたいおかしいよ。常軌《じょうき》を逸《いつ》してる。目の前で人間|綱引《つなひ》きなんかさせたりしてさっ! しかも今度は別れる|証拠《しょうこ》に刺しあえなんて、江戸《えど》時代の不義密通じゃねーっつーの! しかもそれを良識ある裁判官が、にこにこ楽しげに見てるなんて。おれがなにより腹立つのはね」
 相棒が立ち上がるのに手を貸してやり、判事席の四人に目を向けた。他の三人の老人は、青白い肌《はだ》で動かない。|藁人形《わらにんぎょう》を崇拝《すうはい》する国だから、あれも精巧《せいこう》な作り物なのかも。どのみちおれが対決するのは、笑い皺《じわ》のある男一人だけだ。
「自分達のケンカをあんたみたいな他人に指図されること! 嫌いたきゃ勝手に嫌いになるし、好きになりたけりゃそうするよ。なのにそれを、別れろだの憎みあえだの、横から口出しするなっての! ヤンボーマーボーで血の雨だなんて、お天気の森田《もりた》さんだって言いやしねーよ!」
 象牙の柄をぎゅっと強く握ってから、短剣を床《ゆか》に投げつける。一度だけ大きく跳《は》ね返り、銀の放物線は素早《すばや》く止まった。からんと響《ひび》き渡る金属音に、周囲の警備が息を呑《の》む。
「さ、行こうぜグウェン。どっか他で鎖《くさり》を切ってもらおう。こんなとこに長くいたら血圧上がっちゃう」
「待ちなさい、他ではその|手錠《てじょう》は外せんよ!」
 白モヒカソの声にいくらか|焦燥《しょうそう》が混じる。
 長男はそちらを向きもせず、軽い調子で|訊《き》いてきた。
「外れないとさ。どうする」
「じゃああんたには|審判《しんぱん》やってもらう。捕手《ほしゅ》と主審《しゅしん》はくっついてるからね」
「待つんだ! 警備兵、拘束《こうそく》しろ!」
 先程の剣を武器代わりに拾おうと、おれは反射的に振り返った。男達は眼球が飛び出すほど目を見開き、唇だけで笑っていた。背筋を冷たい|汗《あせ》が落ちてゆく。
 判事席で動かない四人のうち、誰が喋《しゃべ》っているのか判《わか》らなくなる。
「お前達の考えはよく解った。そうとまで思うのなら仕方がない。私の責任で外してやろう」
「……ほんとに?」
「ああ」
 もう連れションをしなくて済むのか。
 一瞬信じかけた時、首筋に冷たい痛みが走った。すぐに視界が暗くなり、数秒後には意識が霞《かす》み始める。
「ユーリ!」
 遠くで誰かが呼んでいる。
 おれの名前を、叫《さけ》んでる。

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11/25 02:57