二日目
勝手知らない自分の城では、ナビゲーションシステムが必要だ。
人工衛星がないから無理だとしても、せめて詳《くわ》しい地図さえあれば、現在地も脱出路《だっしゅつろ》も把握《はあく》できたのに。
「混雑|渋滞時《じゅうたいじ》の裏道|抜《ぬ》け道もね」
求む、|眞魔《しんま》国の伊能《いのう》忠敬《ただたか》。
「居場所はちゃんと判《わか》るだろうが。ミッキーから遭《こ》げてるうちに落下したのだから、ここは迎賓棟《げいひんとう》の最下層に決まっている」
「そして|環境《かんきょう》的にはモンスターの巣穴なー」
おれとヴォルフラムは部屋の隅《すみ》にうずくまり、壁《かべ》に寄り掛かって膝を抱《かか》えていた。|緊張《きんちょう》の一晩をやり過ごし、頭上の穴からは朝の光が差し込んでいる。陰《かげ》になったすぐ|脇《わき》には、うずたかく積まれた人骨の山が、燐《りん》の色に青白く光っていた。
念願|叶《かな》って目標生物までは辿《たど》り着いたものの、|怪物《かいぶつ》が怖《こわ》くてオールスターで寺原の球が捕《と》れるかーっという当初の勇ましさはどこへやら、おれたちは幼虫にのし掛かられ、文字にはできない悲鳴をあげてギブアップしていた。
奇声が脅《おど》しになったのか、はたまた保存食として干物《ひもの》にしようと決めたのか、連中はおれたちを即座《そくざ》には食おうとせずに、退路を断った状態で放置している。
「自分の城中でみっともなく|遭難《そうなん》するとは、お前ときたら骨の髄《ずい》からへなちょこだなっ」
「……そーなんです……しかもおれ、くんかくんか嗅《か》がれた上、服の上からちうちう吸われちゃったよ……」
「それはぼくもだ」
ヴォルフも不快そうに|眉《まゆ》を顰《ひそ》める。
「美味《うま》そうかどうか、確かめたんかな」
「さあな」
「あいつら立派な成虫になってから、成人式のパーティー料理がわりにおれたちを食うつもりかな」
「さあな」
「おれ今日からオードブル・ユーリって改名すっかな」
「やめろ」
ヴォルフラムが表面上は落ち着いているのは、夜半|頃《ころ》から幼虫達が糸を吐《は》き、すっかり繭《まゆ》になってしまったからだ。白と茶と黄色の|横縞《よこじま》の奇妙なカプセルは、大きさにしてワゴン車一台分は軽くあった。十二匹《ひき》分のそれが縦になり横になり、所狭《ところせま》しと転がっているのだ。ぼんやり体育座りのおれたちには、部屋の壁がどこにあるかも確認できない。
しかも繭の内部では、真っ赤な両眼《りょうめ》が輝《かがや》いていた。見張っているぞといわんばかりに、ビカっとこちらを向いている。
「ロッククライマーでもなけりゃ壁は登れないし、かといってこのまま待ってたら、あそこの皆《みな》さん同様になるだけだし」
クリスマスツリー天辺《てっぺん》の星よろしく骨山の頂上に置かれた頭蓋骨《ずがいこつ》は、今は空洞《くうどう》となった眼窩《がんか》から、哀《あわ》れみの視線を投げかけていた。髑髏《どくろ》に同情されるのは、|幼稚園《ようちえん》時の肝試《きもだめ》しの夜以来だ。
あのときはちょっとだけパンツを濡《ぬ》らしていたが、もう十六歳なので屁《へ》の|河童《かっぱ》だ!
「|威張《いば》ることか?」
「なんだよ。お前がコンラッドに報告するなとか念押しするから、一晩|経《た》っても誰《だれ》も探しに来てくれないんだろ」
「ユーリが迎賓棟の怪物を倒《たお》すなんて言いださなければ、ぼくはこんな所に居なかった」
「いやその前にだなっ……よそ、きりがねえや。敵がどんな生物なのか、事前にデータ集めなかったおれのミスだよ」
そう。どんなときでもデータと閃《ひらめ》きは重要だ。怪物退治なんて|冒険《ぼうけん》にいきり立って、情報収集を怠《おこた》ったのは迂闊《うかつ》だった。繭の中でビカつくアンタレスは、忌《い》まわしく赤き二十四の瞳《ひとみ》だ。
「また大声出してみるかなあ」
「もう|叫《さけ》ぶ言葉も尽《つ》きただろう」
暗唱している応援歌《おうえんか》は全《すべ》て歌い尽くしていた。宿敵ダイエーや大阪《おおさか》近鉄、六甲颪《ろっこうおろし》まで披露《ひろう》している。いい加減、喉《のど》もかすれてきて、水くれ水ーという状態だ。
「喉が渇《かわ》いた」
「ああくそっ、思い出さないようにしてたのにっ」
このまま干からびて保存食になるか、その前に脱繭《だつマユ》したオオクワガタに食われるか、残る一つは当初の目的どおり、動きが鈍《にぶ》いうちに奴等《やつら》を駆逐《くちく》するかだ。
「……もしかして……繭のうちなら……」
おれはゆらりと腰《こし》を上げ、喉笛一号を捻《ひね》って刃《は》を出した。手近なカプセルに歩み寄り、目を合わせないようにして少しだけ鋸挽《のこぎりび》いてみた。
三往復で刃が欠けた。
「……硬《かた》い」
「ユーリのすることには必ずオチがあるな」
余計なお世話だ。
縦になっている繭の上に立ち上がれば|天井《てんじょう》の穴に届くのではないかと、中でも一番上背のありそうな三色縞々のカプセルにチャレンジする。
二十回とも滑り落ちた。
「……つるつる」
「見るからに」
「あーもうヴォルフっ! ぼんやり座ってるだけじゃなくて、何か画期的なこと考えろよ! お前、助かりたくねーの? このままここで死んでもいいのか!?」
「死ぬ前にこれに署名しろ」
上着の内ポケットから、薄《うす》緑色の折り畳《たた》んだ紙と彼愛用のペンを出す。おれの未熟な国語力では読解不能な文章群。しかし文頭に大文字で書かれた短い単語なら理解できるぞ。
「婚《こん》、姻《いん》、届、って……い、生きるか死ぬかの瀬戸際《せとぎわ》だってのに」
「それが問題なんだ」
ばからしさに全身の力が抜けて、へにょりと床《ゆか》に|崩《くず》れ込む。相変わらず部屋の殆《ほとん》どは繭が|占拠《せんきょ》していて、座る場所さえ満足にない。最初のうちはなるべくモンスター達から離《はな》れようと、両足を身体《からだ》に引き寄せていた。だが人間の神経というのは不思議なもので、どんな|状況《じょうきょう》にも順応してしまう。半日も繭のままで進展がないと、この環境にも慣れてきて、白、茶、黄、と三色のカプセルに平然と寄り掛《か》かれるようになってきた。だってどうせ重くて動きやしないんだし、表面は滑《なめ》らかで冷たくて、意外に触《さわ》り心地も良かったし。
それに縮こまって怯《おび》え続けるのは、もういい加減に疲《つか》れてしまったのだ。
他《ほか》にすることもなくなって、相方と理不尽《りふじん》しりとりをし始めた。ごく晋通《ふつう》にゲームをしていても、おれは野球用語ばかり並べるし、返ってくるのは聞いたこともないような動物名ばかりなので、結果的には相互《そうご》理解は不可能という理不尽な遊びになってしまう。
「べースランニング」
「グジボキゴドラ」
「ライオンズエキスブレス」
「スグバニヤコッポ」
「ぽ? それどういう動物よ。ぽ、えーとポテンヒッ……ちょっと待て、この繭かすかに震《ふる》えてるぞ」
背中を預けているカプセルから、空気の漏《も》れる音が聞こえてきた。慌《あわ》てて正面に回り込むと、赤い二つの光がはっきりと明滅《めいめつ》している。
「ピンチなんだ。カラータイマーが点滅《てんめつ》してる。ああここ、穴が空いてるよ! っかしーな、さっき切ろうとしたやつは傷も残らなかったのになぁ。なあ、何か穴塞《あなふさ》げるような物持ってないか? 粘土《ねんど》とかガムとか、|米粒《こめつぶ》とか」
ヴォルフラムは素《す》っ頓狂《とんきょう》な声を上げ、わざとらしく自分の耳に手を当てた。
「はあ!? ぼくの聞き|間違《まちが》いだろうな、まさかその繭の中身を助けるはずがないものな」
「聞き間違えてねーよ、この穴塞いでやろうぜって言ったの」
「何のために!? お前はこいつらを退治するためにわざわざ迎賓棟まで来たんだろう? ところが計画は失敗して、自分達が危機に陥《おちい》ってるんだぞ。敵は一|匹《ぴき》でも少ないほうがいいだろうが。助かる可能性が高くなる」
「けどなっ」
認めたくはないが今回に限っては、どう考えてもわがままプーの意見が正しい。おれたちが成人記念のオードブルにされることなく、生きてこの部屋を出るためには、硬い繭《まゆ》から出た瞬間《しゅんかん》の虫(?)達を要領よく始末していくしかない。どんな成虫が這《は》いずり出てくるか判《わか》らない以上、一匹でも減らしておくのが得策だ。
百匹よりは九十匹、十二匹よりは十一匹……。
「えーい十二匹が十一匹になったところで、こっちの不利は変わりゃしねーよっ! 今のうちに一匹でも減らしておこうなんて、みみっちい作戦に走りたくないんだよっ。だってせっかく繭にまでなったのに、こいつだけ成人できないなんて不公平だろ? いやそりゃどんな虫かは不明だけどさ、もしかして空をブンブン飛んだり、遠い国まで旅する種族かもしんねーだろ」
頭の奥底の知能指数の高い部分では、そりゃないだろうと解ってはいる。感情論で事を運ぶと、必ずと言っていいほど失敗する。中学野球を断念することになったのも、理性よりも感情に従って動いたせいだ。
それでも。
「こいつ一匹だけ青い空も飛べなけりゃ遠い世界を見られないなんて寂《さび》しすぎるよ。自然界の掟《おきて》ってそういうもんかもしれないけど、今ここで誰かが少しだけ手え貸してやれば、どうにかなるかもしれないじゃんか。だったらおれが手を貸すよ! なんだこんな穴、十円ハゲを隠《かく》すようなもんだろが」
撒《ま》き散らされたままの黄色い粘液《ねんえき》を掬《すく》い、硬化《こうか》一枚分の破損|箇所《かしょ》に塗《ぬ》ってみる。数秒間は膜《まく》を張るのだが、すぐに流れて落ちてしまう。瞳の光は|徐々《じょじょ》に弱くなり、繭の震動《しんどう》も|途切《とぎ》れがちだ。
「おい、なあ、もうちょいしっかり|頑張《がんば》れってば。オードブルの顔も見ずに死んじゃったら、あの世でも一生|後悔《こうかい》するぜ?」
おれの指先を見ていたヴォルフラムが、どこかで聞いたことのあるような、長く|呆《あき》れた|溜息《ためいき》をついた。
「お前みたいなへなちょこには会ったことがない」
「へなちょこ言うな」
「でも……」
先の言葉は飲み込むことに決めたらしい。
彼は手にした紙を何枚かに破り、粘液をしっかりと含《ふく》ませてから繭に貼《は》り付けた。丁寧《ていねい》に間の|気泡《きほう》を抜《ぬ》いて、重ねて同じ作業をする。やがて穴はしっかりと埋《う》まり、空気の漏れもなくなった。
「やった、カラータイマーも元気になりつつあるぞ! 機転が|利《き》くなヴォルフラム……でもなんで急に……?」
「へなちょこにも五分の|魂《たましい》とか言うからな」
「言わねーよ」
別の方向に視線をやって、二人して照れ笑いを隠す。
カプセルの外殻《がいかく》を|拳《こぶし》で五回ノックして、無事に出てこいよと語りかける。連中がどんな種族かは不明だが、恩を仇《あだ》で返すとは限らないじゃないか。