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今日からマ王7-2
日期:2018-04-29 22:21  点击:403
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 フォンヴォルテール卿が扉《とびら》を開けると部屋から薄紫《うすむらさき》の煙《けむり》が流れ出した。
 作業台の前で容器を振っていたアニシナは、|不吉《ふきつ》な泡《あわ》に気をとられていて、幼馴染《おさななじ》みの方など見ようともしない。
 |窓際《まどぎわ》に避難《ひなん》し、|膝《ひざ》を抱《かか》えて硝子《ガラス》に寄り掛かっていた少女だけが、グウェンダルに反応して顔を上げた。
「ユーリみつかった?」
「いや」
「……そう」
 再び両膝に顔を埋《う》めてしまう。|両脇《りょうわき》で結《ゆ》われた巻毛まで、しょげかえったみたいに萎《しお》れている。もう夜も深いというのに、今晩もここで過ごすつもりだろうか。
「どうだ」
 |眞魔《しんま》国三大魔女の一人であり赤い悪魔の異名を持つ女性、そして密《ひそ》かに彼の編み物の師匠《ししょう》でもあるフォンカーベルニコフ卿アニシナは、やっと気付いたという様子で|爆発《ばくはつ》寸前の|瓶《びん》を置いた。
「そちらこそどうです? いえ、答えなくても判ります。あなたのその|眉間《みけん》の皺《しわ》を見ればね。陛下の行方《ゆくえ》は杳《よう》として知れず、|捜索《そうさく》隊からの報告も芳《かんば》しくない、と」
「しかもあのわがままプーまでもが……いやそれはいい。フォンクライスト卿の件に進展はあったか」
「まあ本人が、あのとおりですからね」
 粉雪と氷の中に横たわる雪ギュンターは、股間《こかん》の雪ウサギともども白さを増していた。仮死状態というよりは、本物の死体に近い色だ。
 一方、コンパクトサイズのおキクギュンターはというと、切り|揃《そろ》えられた美しい|黒髪《くろかみ》によく似合う、切れ長で一重《ひとえ》の|目蓋《まぶた》をいっそう細めて、くわえ煙草《たばこ》で椅子《いす》に鎮座《ちんざ》していた。
 遠い目をしている。
「やさぐれているな」
「そのようですね」
「……グレタは、あまり寝《ね》ていないだろう」
「そういえば」
 アニシナにかかると、実験以外のことは殆《ほとん》どが「そういえば」だ。この場に末弟がいれば良かったのだが、と、すっかり親気取りだったヴォルフラムの姿を思い出す。
 そのフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムも、勝手に姿を消して七日になる。
「父親が行方不明では、|眠《ねむ》る気にもなれんか」
「そういうときにはこれです!」
「う」
 アニシナが勢いよく振《ふ》り返ると、燃える赤毛がピシリと鳴った。狙《ねら》い澄《す》ましたかのように、グウェンダルの顎を強く叩いた。
「わたくしの最新|傑作《けっさく》。ねーるーねーるーこーどーもーぉ」
 分厚い本の並ぶ背後の|書棚《しょだな》から、少し薄《うず》めの冊子を取りだしている。とはいえフォンクライスト卿の日記帳ほどもある本は、子供用にしてはいささか重そうだ。
 赤と紫の混ざり合った不気味な表紙には、おどろおどろしい文字でこう記されていた。
『|毒女《どくおんな》アニシナと秘密の研究室』
「……ど、毒女……」
 言われてみれば表紙の絵は、赤毛の女が長い髪で何人もの男の首を絞《し》めている場面だ。
 著者本人は鼻息|荒《あら》く、こちらに本を押しつけてくる。
「昨今の幼児達は不規則な生活のせいか、夜とはいえなかなか寝付かぬ様子。世の母親は子供を眠りにつかせるために、毎日神経をすり減らしています。町内会でハゲナマを決め、なぐごはいねがー、いうごときがねごはいねがーと各家庭を脅《おど》して回っても、子供なりに小賢《こざか》しい智恵《ちえ》を働かせ、正体を見破って|騒《さわ》ぎ立てる始末。そんな|状況《じょうきょう》を憂《うれ》えるわたくしが、この国の母親達の労働を軽減するべく開発したのが、これ、『寝る寝る子供』なのです!」
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「単なる長い絵本のよう……」
「絵本などとは笑止《しょうし》千万《せんばん》! 見た目の単純さに隠《かく》された、百発百中|完璧《かんぺき》な魔術効果。使い方も至極《しごく》簡単、枕元《まくらもと》でこれさえ読まれれば、どのような寝付きの悪い幼児でも必ずや数|頁《ページ》で陥落《かんらく》すること保証付き、苦し|紛《まぎ》れに|寝台《しんだい》を叩いて、降参すること|間違《まちが》いなし! 万が一効果がなかった場合は、十日以内なら返品も受け付けます」
 ふと裏表紙に目をやると、商業出版物に義務づけられた|書籍《しょせき》通し番号がついていない。
「ああそれは、出版されていないからですよ。もちろん眞魔国中央文学館から|接触《せっしょく》はありましたが、よりによってこの|素晴《すば》らしい傑作児童文学を、|恐怖《きょうふ》部門から発行したいなどと見当違いなことを言うものですからね。おあいにくさま、こちらは慈善《じぜん》事業でやっているのですっと一蹴《いっしゅう》してやりました。まったく、ま、すます目が離《はな》せない展開の第二|弾《だん》が、いったいなぜ恐怖もの扱《あつか》いされなくてはならないのですか」
 なるほど、折り返しの部分には第一弾の書名とあらすじ、更に続編紹介まで載っている。
『毒女アニシナと患者《かんじゃ》の意志』……患者の意志より魔術の発展、実験実験また実験。鬼《おに》か悪魔か毒女アニシナ!
『毒女アニシナとあるカバンの修理』……危ない! そのカバンの中には毒女アニシナが!
「……ビックリ魔族大集合のようだな」
 なんだか切ない気分になってきた。
「さあ、それをグレタに読んでやれば、あの子も一発でコロリと眠ってしまいますよ。そうだ、あなたが朗読すれば効果も倍増のはずです。なにしろ声だけは無駄《むだ》に|威厳《いげん》がありますからね。子供もきっと|騙《だま》されるでしょう。またデンシャムが録音して商品化したいなどと言いだしそうな企画《きかく》ですが……とにかく、その低音で迫《せま》られたら、気弱な男の子など布団《ふとん》を被《かぶ》って動けなくなったぎり、粗相《そそう》などするかもしれません!」
 それは「寝る寝る子供」というよりも、「泣く子も黙《だま》る」ではなかろうか。
 自信作の説明に熱弁を振るうアニシナに急かされ、絶対無敵の重低音、フォンヴォルテール卿グウェンダルは、最初の一文に目を通した。
 
 
 墓場は、何者かに荒《あ》らされていた。
 
 
 冒頭《ぼうとう》からしてエンギワルー。
 
 
 
 青春真っ盛《さか》りの八十二歳は、この一年でかなり成長したと自負していた。
 婚約《こんやく》もしたし、義理の娘《むすめ》もできた。食わず嫌《きら》いも克服《こくふく》した。だが。
「ごっ、ごえぇぇぇぇ……お、おぐぽふぅー」
 船に弱いのは相変わらずだ。
「なんだかしばらくお会いしないうちに、吐き方まで男らしくなってきましたね」
 後ろでは戦場の天使、超《ちょう》一流|治癒《ちゆ》者のギーゼラが、ゆっくりと背中をさすってくれている。
 言っていることは適当だが、手つきは|優《やさ》しく慈悲《じひ》深い。
「男らしいって……おぷ……ぼくは昔からぷ、おとこらしうぷ」
「そうでしたっけ?」
 ギーゼラに同行していた四人のうち二人は、早々に船室へと退散していた。頭部丸刈りの中年兵士と、人相の悪い三白眼の男だけが、|甲板《かんぱん》で遠巻きに見守っている。
「閣下ぁー、夕食の列には並ばなくてもいいですかー?」
「食べ物の話を、するなっぷ!」
「無理もないわ、ヴォルフラム閣下。貴族の皆《みな》さんはこういう船で旅をすることなどありませんものね」
 |魔王《まおう》陛下の命のかかる急ぎの旅に、乗り物など選んではいられなかった。観光用の豪華《ごうか》客船どころか、貨物船に毛が生えた程度の|粗末《そまつ》さだ。それでも人々は文句も言わず、|狭《せま》い船室に詰《つ》め込まれている。
 食事は一日に二回、汁碗《しるわん》を持って長い列に並ぶ。|薫製《くんせい》肉がつけばましなほうで、固い麺麭《パン》のみの日さえあった。
 ヴォルフラムだって軍人としての教育は受けているし、水軍の訓練|艇《てい》で何月も過ごしたこともある。だが今になって振り返ると、あれは十貴族の子弟として「預かられて」いたに過ぎなかった。厳しいと思っていた鍛錬《たんれん》も、|恐《おそ》らく|一般《いっぱん》兵とは要目自体が違っていたのだろう。実戦経験も多少はあるが、どれも苛烈《かれつ》とはいえない後方だった。
 これまで自分はずっと上辺しか見ず、甘やかされ庇護《ひご》されてきたわけだ。
 彼にとっての船旅といえば、夜ごとのきらびやかな|晩餐《ばんさん》会だ。|巨大《きょだい》魚に銛《もリ》をうつ昼間の余興、賑《にぎ》やかな港に錨《いかり》を降ろし、荷役に運び出される色とりどりの豪華な箱、そんなものしか思い浮《う》かばない。
 だが今、実際に海をゆく木造船には、多くの客がごく当たり前に乗っている。価値がありそうなのは初代船長の銅像くらいのもので、それだって|沈没《ちんぼつ》時の錘《おもり》にしか役に立たない。つるぴかっとした頭部の触《さわ》り心地《ごこち》は良かったが。
 自分が|特殊《とくしゅ》だっただけで、これが一般的な光景なのだ。
「部屋で少し横になりますか」
「……いい。あんな寝棚《ねたな》に転がっても、気分が良くなるとは思えない。まったく、皆よくあんな部屋で耐《た》えていられるものだ。牢獄のほうがずっとまし……」
「もうしばらく|我慢《がまん》していただかないと。わたしたちにとってはごく|普通《ふつう》の旅なんですけど、閣下には向いていなかったかもしれません」
 ギーゼラは弟でも諭すように、ヴォルフラムの背中を二回叩いた。口調に非難の色はない。それでも彼は自分の言葉が恥《は》ずかしくなり、海面を見詰めたままで短く詫《わ》びる。
「すまなかった」
 甘えを自覚したばかりなのに、またしても幼稚《ようち》なことを言っている。
「いいえ、|戸惑《とまど》われるのももっともです。これまでご存知のなかった階級ですもの。余程のことがない限り、この隔《へだ》たりは越《こ》えられませんよ」
「だがあいつは、いつも『そちら側』に行こうとする」
「陛下のお話ですか?」
 癒《いや》しの手の一族特有の、白い肌《はだ》が|僅《わず》かに上気した。|思慮《しりょ》深く静かな濃緑《のうりょく》の瞳《ひとみ》が、|睫毛《まつげ》の奥で細くなった。
「陛下は素晴らしい。特別な|御方《おかた》よ」
「ギーゼラもそう思うか?」
「ええ、わたしだけじゃない、皆そう思ってるわ。陛下は最高よ。あんな御方にはお会いしたことがない。|誰《だれ》とも違っていて、でもどこかで必ず皆と同じ。民と同じ高さに立たれている。下部《しもべ》であるわたしたち兵士や街の者も、対等の存在みたいに扱ってくださる。お生まれや地位を決してたのみにせず、かといって力の大きさに怯《ひる》みもしない……不思議な方」
「そう、実に不思議で、変なやつだ」
「変だなんて、そんな」
 空気の動きを感じて横を向くと、ギーゼラは今にも沈《しず》もうかという夕陽《ゆうひ》に向かって、右手を真っ直ぐに伸《の》ばしていた。指の先から肘《ひじ》を過ぎて頬《ほお》に至るまで、朱色《しゅいろ》の光に染まっている。
「……亡《な》くなられたフォンウィンコット|卿《きょう》も、そうでした」
「スザナ・ジュリアのことか」
「ええ。ジュリアも、いいえスザナ・ジュリア様も、クライストの|籍《せき》に入って間もないわたしに向かって、まるで昔からの友人みたいに言葉をかけてくれました。血にまみれて汚れた手を取って、気持ちのいい指ね、とおっしゃった……似ていると思いませんか?」
 不意に|訊《き》かれて、ヴォルフテムは|一瞬《いっしゅん》だけ吐き気を忘れた。あまりに|唐突《とうとつ》な質問だ。
「誰と? ユーリとか? さあ。ぼくはウィンコットの一門とは、あまり付き合いがなかったからな。コンラートなら返事もできるだろうが」
「そう……そうですよね。わたしも、何となくそんな気がしただけです。陛下は目がお見えになるし、お身体《からだ》もご健勝そうですもの。ただあまりに魔石がお似合いで、正統な持ち主のように感じたものですから」
「前々から気になっていたんだが……」
 ここで彼女に尋《たず》ねていいものかと、フォンビーレフェルト卿は少しの間だけ逡巡《しゅんじゅん》した。けれど結局は好奇《こうき》心に負けて、長年の疑問を一気にまくし立ててしまう。
「スザナ・ジュリアは何故《なぜ》亡くなったんだ? ああ・コンラートと少々|謂《い》われがあったことや、予備役だったのに実戦にかかわった経緯は聞いている。戦没した場所も救われた街の数も知っている、けれど……彼女の死因はなんだったんだ? 戦死とも撤退《てったい》中の事故とも言われている。火器の爆発に巻き込まれたとも。だが、実際に遺体を埋葬《まいそう》した者がいない以上、どれも確かとは言い難い。ギーゼラ、知っているか? スザナ・ジュリアは何で死んだんだ? 彼女の心臓はどうして止まった? いや、正直に訊く。本当に心臓は止まったのか? 彼女は本当に死んだのか?」
「どうしてそんなことを」
「……不安でならないんだ。ユーリに|囁《ささや》きかける女の声が、彼女のものだとしたら。白のジュリアが生きていて、あのへなちょこが|魔術《まじゅつ》を使うのに手を貸しているのだとしたら……いずれあいつも彼女自身のいる場所へと導かれてしまうんじゃないかと思って……」
 ダカスコスではないほうの、三白眼の男がゆっくりと船室に入っていく。やけに長くて太い矢立を肩《かた》から提《さ》げて、片時も傍《そば》から離《はな》さない。|妙《みょう》な男だ。弓は寝棚に放りだしたままなのにと、ギーゼラの返事を待つ間、ヴォルフラムは個人の奇妙な習慣を思って小さく笑った。
「フォンウィンコット卿スザナ・ジュリアは、確かに亡くなられています」
 答えを聞いた瞬間に緊張《きんちょう》が解けた。途端《とたん》に、常軌を逸《いっ》した質問を後悔《こうかい》する。相手に謝るべきだろうか。
 だがギーゼラは言葉を続けた。表情には苦痛も悲しみもない。ただ事実のみを|淡々《たんたん》と語っているようだ。
「事故ではありませんよ。公《おおやけ》にはされていませんが、厳密にいえば戦死とも呼べないかもしれない。直接|斬《き》られたわけでもなく、弓で射られたわけでもない。それどころか致命的な外傷は身体のどこにもありませんでした」
「だったら何故、遺体を埋葬した者がいない? まさか眞魔国の兵ともあろう者達が、同胞《どうほう》の遺体を回収に向かわなかったわけではなかろうな」
「ご遺体には、わたしが火を放ちました」
 何だと?
 ヴォルフラムは甲板の手摺《てす》りを掴《つか》んだ。一度は自分の耳を疑う。
「フォンウィンコット卿スザナ・ジュリア閣下に同行していた副官は、わたしです。命じられてわたしが遂行《すいこう》しました。火葬にするしかありませんでした。ご存知のこととは思いますが、ウィンコットの一族の肉体は、亡骸《なきがら》といえど放置することはできません。その血を古来の手法で精製することで、稀少《きしょう》な毒を生み出すので」
「だからといって」
「彼女自身が望んだことです」
 ギーゼラは一度目を閉じて俯《うつむ》いた。それから静かに顔を上げて、お話ししておくべきかもしれませんと言った。
「一部の者にしか報《しら》されていませんでしたが、閣下にもその権利がおありでしょう。あの人は、自ら死を選んだんです……いいえ、これはあまりいい言い方ではありませんね……でも、彼女は分かっていたはず。魔族に従う要素の少ない人間の土地で、強大な魔術をつかえばどうなるか。傷つき衰弱《すいじゃく》した身体と魂《たましい》で、限界を超えるほどの魔力をつかえばどうなるか。知っていて、それでも、するべきことをした。敵軍を食い止め、いくつかの村や街を守るために、躊躇《ためら》うことなく命を投げ出した。結果は……悲しいことに予想どおりでした。でもそのとき、わたしはジュリアと約束したんです」
 母や自分とは対《つい》を成すような、深く潔く落ち着いた緑の瞳が、沈んでいく夕陽を映している。
「もう誰も、こんな死に方はさせないって」
 思い出に浸《ひた》る時間も必要とせず、ギーゼラはすぐにこちらに顔を向けた。傷病者を癒す優《やさ》しい笑《え》みだ。
「陛下を取り戻《もど》しましょう、フォンビーレフェルト卿。あの方が見も知らぬ人間の土地で、無茶なことをなさらないうちに」
「ああ」
 船が大きく揺《ゆ》れ、波が|船縁《ふなべり》を強く叩いた。遠く南に陸が見える。
 ちょうどこのくらいの沖合《おきあい》から、こっそりと救命|艇《てい》で上陸したことがあった。四人の逃亡《とうぼう》者は白み始めた夜明けの海を、揺れる島の灯《ひ》めざして必死に漕《こ》いだものだ。|居眠《いねむ》りしかけている自分に、ユーリは異世界での掛《か》け声を教えてくれた。
 不意にその語呂《ごろ》のいい拍子《ひょうし》を思い出して、ヴォルフラムは|甲板《かんぱん》に並ぶ道連れに訊《たず》ねた。
「小舟《こぶね》を漕ぐときの掛け声をしっているか? ギーゼラ。こうやって」
 引いて戻す|身振《みぶ》りも交えてやる。
「ヒーヒーフー、ヒーヒーフーってやるんだ」
「まあ、閣下……それは出産のときの呼吸法よ」
「なにっ!?」
 プーの動きはフーで止まった。

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