7
深緑に濁《にご》った水を前にして、おれは密《ひそ》かに悩《なや》んでいた。
久々の夜泣きで|充血《じゅうけつ》している目は洗いたい。しかしこの水で洗顔するのは、自ら眼病を呼び込む|行為《こうい》だ。カモン結膜炎《けつまくえん》、ウィズ眼瞼炎《がんけんえん》。サングラスを外せば色も変わるかと試《ため》してみたが、ダークグリーンが苔緑《こけみどリ》になっただけだった。いっそ思い切って、と決意しかけた時だ。
「うわはっ」
大きな革袋《かわぶくろ》が流れてきたと思ったら、川面《かわも》がばっくりと割れて中から河太郎《かわたろう》が現れたのだ。
「か、カッパ!?」
濡《ぬ》れて顔に貼《は》り付いた髪《かみ》を掻《か》き分けると、汚《きたな》い水から上がってきたのは、ごく普通《ふつう》の人間の子供だった。
午前中の暖かな日差しの中、彼は見えない向こう岸から泳いできて、|誰《だれ》の許可も求めずにデッキによじ登った。船員達も慣れているのか、びしょ濡れの子供が乗ってきても文句も言わない。
白っぽいシャツと半ズボンから伸《の》びる手足は、少年と呼ぶほどの逞《たくま》しさがない。まだ十歳そこそこだろうか、男の子は牽《ひ》いてきた革袋を、おれの前にそっと置いた。自分の身体《からだ》と同じくらいの大きさだ。
「ども」
アジア系の血を受けた欧州《おうしゅう》人というか……一重《ひとえ》|目蓋《まぶた》や小さめの鼻に、どこか東洋的な印象がある。もちろん瞳《ひとみ》は黒ではなく、髪はきついウェーブのかかった赤茶だ。
「カッパーフィールド商店のデビドです。お疲《つか》れさまです船の旅」
「そっちこそお疲れ。荷物の紐《ひも》引っ張って、川岸からずっと泳いできたの? すげーな」
「何がですか、泳ぎですか? 慣れてますから、仕事ですから」
「それにしたって寒くない? もうすぐ冬だぜ」
「平気ですよ、乾《かわ》きますよ。すぐです、慣れてます。何かご入り用の物ありませんか? 葉巻ですか、石鹸《せっけん》ですか、何でもあります……羊の餌は……代用の物なら探せます」
|完璧《かんぺき》な営業スマイルと接客トーク。
フリンは山脈隊長に朝食に誘われていて、村田は朝から川釣りにチャレンジしていた。携帯食料で胃袋《いぶくろ》を|騙《だま》してから、おれとTぞうは|暇《ひま》を持てあましていた。そうはいっても|甲板《かんぱん》でスクワットしているだけでは、精神的|疲労《ひろう》の回復は難しい。
身も心も休息を求めている、それは自分でも判っているのだが、あまりに立て続けに衝撃的なことがありすぎたので、|緊張感《きんちょうかん》を解いてゆっくりすることができないのだ。
気分|転換《てんかん》にでもなればいいと思って、おれはデビドの広げた商品を覗《のぞ》いた。
「どんなもんがあるの? 土産《みやげ》物とかある? ご当地名産の食いもんとかさ」
「ありますよ。シマロンマロンなんかどうです、硬《かに》いですよ、|美味《おい》しいですよ」
防水加工を施《ほどこ》した革袋から出てきたのは、想像していた栗《くり》ではなかった。三大|珍味《ちんみ》のトリュフに似丸外見と、鼻をつく懐《なつ》かしい|匂《にお》い。
「にがっ、うわ苦ッ! 正露丸《せいろがん》の味じゃん」
どこかに小シマロン貨幣《かへい》があったはずだと、作業用ズボンのポケットを右手で探る。ふと乗船時にもめたことを思い出し、商売人に訊いてみた。
「こういうのしか持ってないんだけどさ」
「ええもちろん、ここ小シマロンですから普通ですよ。お釣りがちょっと足りないですが」
「うんでもさ、戦争が始まると使えなくなっちゃうんじゃねぇの?」
デビドは好感の持てる笑《え》みを見せ、釣り銭《せん》入りの|巾着《きんちゃく》を腰《こし》から外した。
「今目明日の食事と明日の仕入れだけで使っちゃうので、戦争が始まるまで手元に残ってるはずがありません」
「仕入れ先まで自分で回るのかあ。偉《えら》いな、信じられないよ。まだ子供なのに」
「とんでもないです」
商人は笑顔のまま片手を振《ふ》る。
「来年はもう十二ですから、|兵役《へいえき》があって家族にお金を送れます。でもそれまではこうしてお客さんを探《さが》して、少しずつ稼《かせ》がないと弟達が飢《う》えてしまいます。でも今日は運が良かったな。いつもは|囚人《しゅうじん》移送船だと、他にあまりお客さんが乗りてないんですよ。今日はとてもついてます、お客さんみたいな気持ちのいい大人が乗っていてくれて」
「くそーうまいなあ。えーいもうこの札で買える分だけ買っちゃおうかなっ。その毛の生えたやつも入れといて」
「どうもありがとうございますッ。この紙切りなんかはいかがですか。|珍《めずら》しい骨でできてるんですよ」
頭上を鳥の群が通過していった。濁った緑の川面では、アメンボ風の虫がやはり群れをなして滑《すべ》っている。
「最近、|妙《みょう》な天気が続きますね」
売れた商品の埃《ほこり》を拭《ふ》き取りながら、デビドが空を見上げて言った。
「変な空ですよ、なんかありますよ、地震《じしん》かなにか。鳥は時季外れに渡りに発つし、魚は大量に網《あみ》にかかる。この間なんか外海では|巨大《きょだい》イカが現れたらしいです。誰も目にしたことがない巨大イカが、どうして急に深海から上びってきたのか……やっぱり何かあるんだと思います。動物にしか感じ取れないような何かが。そのせいかどうかば判《わか》らないけど、村の大人も|嘘《うそ》みたいな怖い|噂《うわさ》をし始めちゃって。森の中の空き家に幽霊《ゆうれい》が出たとか、|葬式《そうしき》があったばっかの墓が荒《あ》らされたとか……」
「おれは地元の者じゃないから知らないけど、この時期の曇り空は普通じゃないの?」
「普通じゃないのは空だけじゃなくて動物もです。渡りが多すぎますよ。多いと言えば……」
フリンがお茶まで付き合わされている部屋に、心配そうな感想を加える。
「囚人の移送も多いです。去年まではそんなじゃなかったのに」
「なんだかこの川を北上して、河口にあるケイプって場所に移されるんだってさ。そっちは楽園みたいな刑務所《けいむしょ》らしいよ。老後を過ごすのに打ってつけなんだって」
「この前の船もその前も、みんな同じことを言ってました。ケイプに行くって。あそこはいろんな畑があっていいですよ、一年中何かが実ってます。でも変です、囚人が送られるのは変です。だってケイプの刑務所は、二年も前に|閉鎖《へいさ》されてるんです。変だなあ」
デビドは変だと繰《く》り返した。おれも疑問には思ったが、|所詮《しょせん》、自分達の目的地ではないので、当事者に教えようとはしなかった。連中にはもっと過酷《かこく》な運命が待ち受けていて、それを悟《さと》らせないために、看守や係員が嘘をついているのかもしれない、もしそうなら山脈隊長達には気の毒だが、おれにできることは何もない。
カッパーフィールド商店のデビドは要《い》らん物まで売りつけて、来た時と同様に帰っていった。緑色の濁った水を掻き分け、確認《かくにん》もできない遠くの岸まで泳ぐのだ。やはりかなりカッパ度が高い。けれど来年には彼も十二歳。給料のいい兵役生活に突入《とつにゅう》する。等身大の革袋を引っばって、冷たく汚い川を泳ぐこともない。
移送される側になるかもしれないが。
先発隊の軌道をカロリア国境に修正してから、既に半日あまりが経っている。最も早い集団は小シマロンに上陸した。また|急遽《きゅうきょ》東回りでギルビット商港へ向かった二隊は、カロリア自治区で情報収集を開始しているはずだ。
フォンヴォルテール卿は上陸の一報をグレタに教えてやろうと、地獄の研究室へと足を向けた。しかし一体何故、自分が足繁《あししげ》く通わなければならないのだろう。国主不在の|緊急《きんきゅう》事態において全兵士を|統括《とうかつ》し|捜索《そうさく》の指揮まで執《と》っている彼が、ろくに進展もない経過報告のために、いちいち出向くのも妙な話だ。
次からはあちらを執務《しつむ》室に呼び寄せよう。グウェンダルはそう決めながら扉《とびら》を押した。
相変わらず防音設備は完璧だ。重い扉が開いた途端《とたん》、大音量が流れ出る。
「んあーっ! ずるいよアニシ……あぐっ」
押し殺した子供の悲鳴。すわ|虐待《ぎゃくたい》かと広い部屋の奥に駆《か》け込むが、いたのは赤くなるまで鼻を摘《つま》まれたフォンウィンコットの末裔、リンジーだった。
「わたくしのことはどう呼ぶように教えましたか」
「はぇふ……ホンカーヘルヒホフひょう……れふ」
「そのとおり。今日初めて会ったばかりの年長者相手に、名前の呼び捨ては|礼儀《れいぎ》知らずもいいところです」
さすが、子供の夢に出てくる悪役女性第一位(眞魔国総研調べ)だ。たかが呼び方くらいのことでも、子供相手に|容赦《ようしゃ》がない。
解放されたリンジーは床《ゆか》に尻餅《しりもち》をつき、|浮《う》かべた|涙《なみだ》を|掌《てのひら》で拭いた。|傍観《ぼうかん》していたはずのグウェンダルは、気づくと「よーしいいぞ男の子だ」と|拳《こぶし》を|握《にぎ》り締《し》めていた。
グレタはおキクギュンターを膝に乗せ、何事か静かに言い聞かせている。
伯父《おじ》バカな気持ちに浸《ひた》っていると、おキクとがっちり目が合ってしまった。ふて寝《ね》とやさぐれを乗り越《こ》えた男の目は、先刻までと|微妙《びみょう》に光が違《ちが》う。
「グウェン! ユーリ見つかった!?」
「いや」
失望しかけるグレタに人形は言った。|稼働《かどう》部分である顎《あご》と|目蓋《まぶた》をカタカタ鳴らして。
「|大丈夫《だいじょうぶ》ですよグレタ。我が国の|優秀《ゆうしゅう》な兵士達が、必ず陛下をお探ししますとも」
「わかってるよぉ……」
古代都市名つき教育法|実践《じっせん》中のフォンカーベルニコフ卿アニシナは、疲《つか》れ果てて両足を投げ出す子供を、背筋を反らして見下ろしている。隣《とな》りに突《つ》っ立っている|木偶《でく》の|坊《ぼう》は何だ!? グウェンダルは|幼馴染《おさななじ》みの身を案じて、蹴倒《けたお》そうかと身構えた。
抜《ぬ》けるような白い肌《はだ》(全裸《ぜんら》)の大男は、ウィンコットの毒に翻弄《ほんろう》される雪ギュンターだ。魂《たましい》の抜けた……とはいえ、あいつはまだ生きている……状態で動き回ると、生前の超絶《ちょうぜつ》美形とはかなりの違いが生じてくる。
髪《かみ》に艶《つや》はないし肌は不健康だし瞳《ひとみ》は濁《にご》っているし、顎はだらしなく外れているし、頬《ほお》はげっそりと肉が落ちている。しかも、腹も尻も股《もも》もどことなく張ウがなく、小柄《こがら》なアニシナの脇に立つと、上背ばかりある無能な大男にしか見えない。
雪を詰《つ》め込まれていたときのほうが、ずっと可憐で美しかった。ゾンビになりかけている過程なのだから、美しさを求めるのは酷かもしれないが。
「さあ、リンジー。次は何をして遊びますか?」
マッドマジカリストとフォンウィンコット・リンジー、そして雪ギュンターの二人と一体は、この半日、ありとあらゆる遊びを試みていた。リンジーが望んだ隠《かく》れん坊、鬼女《おにおんな》アニシナごっこ、超魔動ヨーヨー、魔動コマ、懐《ふところ》怪物魔族くん。アニシナの提案した怨《おん》魔魔《まま》ごと(妻の自立が最終|到達《とうたつ》点)、魔積み木|崩《くず》し(娘《むすめ》の自立が最終到達点)、魔林|蹴球《しゅうきゅう》、|恐怖《きょうふ》・死霊《しりょう》の|盆踊《ぼんおど》り等々、数え上げたらきりがない。
「今度はあなたが決める番です。雪ギュンターを使ってしたい遊びを遠慮《えんりょ》無く言ってごらんなさい」
ウィンコットの末裔は床にべったりと座り、両手両足を投げ出して天井を向いた。
「もう飽《あ》きちゃったーぁ」
「なんですって? 本当に?」
おキクギュンターがかっと目を見開く。ビームがカーテンの一部を焼き切った。
「うん。もう雪ギュンター飽きちゃった。もういらないや、|誰《だれ》かにあげる」
子供って|残酷《ざんこく》。
しかしリンジーの殺意さえ覚える言葉は、操《あやつ》り主であるウィンコットの末裔が傀儡《かいらい》を手放すことを意味していた。
雪ギュンターは、解放された。
「わほほほほほほほ」
喜び庭かけ回る犬みたいな声を発し、おキクは床を転がった。赤い殺人光線が乱れ飛び、子供を抱《だ》いた乳母《うば》が悲鳴をあげる。やがて吸盤《きゅうばん》が剥《は》がれるような奇妙《きみょう》な音とともに、人形の口から魂が抜けた。天井近くを迷走し、立ちつくす雪ギュンターにきゅぽんと入る。
「……ギュンター?」
グレタが怖《お》ず怖ずと問いかけた。雪ギュンターは|徐々《じょじょ》に肌の色を取り戻《もど》し、背筋もまっすぐに伸《の》びている。心臓が動き、血液が身体《からだ》を巡《めぐ》り、脳が活動を始めたのだ。
「大成功です」
ほくそえむアニシナ。小さくて可愛《かわい》いグレタとリンジーに|被害《ひがい》がなかったことに、ほっと胸を撫《な》で下ろすグウェンダル。
しかも復活したフォンクライスト卿ギュンターは、喜ばしいことに生まれ変わっていた。新たな才能や精神的成長を得て、真ギュンターにバージョンアッブしたのだ。もはや前ギュンターとは比べようもない。執務に対する姿勢と情熱も、まるで別人を見るようだ。
さあ仕事するぞ! という気迫《きはく》が全身から、オーラとなって滲《にじ》み出ている。
「私がもろったからにはもうらいじょうぶ、全て私にお任せくらはい!」
でも、顎は外れたままだった。
「ほひゃ、それれはさっそく溜まった雑務から……ひぇくしゅん!」
しかも、全裸で大威張《おおいば》り。
久方ぶりの文化生活に、正直からだが馴染《なじ》めない。
「……なんだか布がチクチクするのですよ。ほんの少し裸《はだか》で過ごしただけなのに……こんなことでは陛下に嫌《きら》われてしまいますね。陛下は服を着ている私の方がお好きですから」
試したのか!? と一人だけ心の中で突っ込んだ者がいた。
|喋《しゃべ》り方はすっかり|普通《ふつう》に戻っている。遠慮と手加減を知らない女、フォンカーベルニコフ卿アニシナに、顎《がく》関節を元通りに嵌めてもらったのだ。すっかり身形《みなり》を整えて、フォンクライスト卿は十余日ぶりに血盟城の大本営へと戻ってきた。ごく自然に感嘆《かんたん》の言葉も浮かぶ。
「ああ……久々の職場、久々の王城の空気……えぶしゅえぶしゅえぶしゅっんっ! どうも埃《ほこり》が……えぶしゅんっこんちきしゅー」
様にならない。
「ここに陛下がいらっしゃらないのが淋《さび》しいのではなくて、陛下のお側《そば》に私がいられないのが淋しいのです、ああ陛下……陛下を賛美する歌第七十二番を捧げます……冬を愛する陛下は、ココロほにゃらひとー」
微妙に歌詞をごまかしている。
グウェンダルは小さく舌打ちした。|先程《さきほど》までの決意はどこへやら。これでは真ギュンターになっても全然変わらないではないか。扉の向こうへ顔を出していたグレタが、慌《あわ》てて首を引っ込める。
「誰か来た! すごいものおぶってるよう」
「閣下! 前置きなくっ、ご報告いたしますっ」
「どうした」
誰に指示を|仰《あお》ぐのが無難かは、兵士間でもそれなりに理解されているようだ。息を切らして走ってきた衛兵は、グウェンダルの前に跪《ひざまず》き背中を向けた。負ってきたのは、ぐったりとして|瀕死《ひんし》の骨格見本だ。寝覚《ねざ》めの悪そうな姥《うば》捨《す》て山である。
フォンウィンコットの跡取《あとと》りであるリンジーは、初めて見る種族に大興奮だ。
「どうかご無礼お許しください。こいつ……この骨飛族《こつひぞく》は限界を超《こ》えて精神感応《かんのう》を続けたため、疲れ果てて動けぬ状態でして」
「構わない。とにかく速《すみ》やかに事実を」
「実は『族の何者かが……そのー自分には判りかねるのですが。陛下から言葉を賜《たまわ》ったというのです」
「言葉を? 直接会ったのか」
「そのようです」
「一体、何と言われたんだ」
兵士が首を捻《ひね》って背中に顔を向けると、骸骨《がいこつ》は空気の抜けるような音を発した。野晒《のざら》しにされた髑髏《どくろ》の眼窩《がんか》の穴を、風が吹《ふ》き抜けるような物悲しい音だ。
「こんばんみ、と」
挨拶《あいさつ》だろう、多分。フォンヴォルテール卿《きょう》は座り慣れた執務《しつむ》机につき、右手を振《ふ》って報告の続きを求める。
「ええと、訳します…一族の、者、見た、陛下。旅する、していた、川、船で」
「直訳ではなく、意訳してくれ」
「はい。わたしの父の父の父、遠い血筋の|親戚《しんせき》が、流れる川の旅に出た。友と酒を酌《く》み交《か》わし、互いの人生を語り合う。川は大地を割り裂いて、蕩々《とうとう》と海まで流れゆく」
骨飛族ってけっこう詩人だ。居合わせた全員が新発見。
「見知らぬ土地で巡り会いしは、風の便りにのみ聞きし|御方《おんかた》。その美しき黒瞳は、我の惨姿《ざんし》を見つめ給《たま》う」
「略せ、詩はいい! いや、詩は素晴《すば》らしいが、今は略せ」
「はっ、どうも小シマロンを北上するロンガルバル川で陛下に|接触《せっしょく》した様子です。夜のうちに一番近くに埋まっていた骨地族に電波を送り、そいつが墓を抜け出してかなり歩き、また次に埋まっていた骨地族、次に転がっていた骨飛族という具合に精神感応が行われたようで」
「彼等は埋まるのが大好きですからね」
それまで|黙《だま》っていたアニシナが言った。物欲し気な目で骨を眺《なが》めている。危険だ。
「ロンガルバル川を北上……ということは……ケイプか」
「それが、ケイプの|刑務所《けいむしょ》に送られる、|囚人《しゅうじん》移送船らしいのです」
「囚人!? 何故《なぜ》そんな船に乗っているんだ」
さあ、と答えに詰まったきり、兵士は言葉をなくしてしまった。ユーリ陛下の行動は、時にまったく予測がつかない。
「ど、どうしましょうっ! 囚人だなんてそんなっ陛下の御身《おんみ》に万が一のことが起こったりたりたり……ああっあのお美しい陛下がそんなっ、野獣の群れの中に子羊を投げ込むようなものですっ」
羊がどういう|活躍《かつやく》だったかを知る由《よし》もなく、ギュンターは一人で|狼狽《ろうばい》しまくった。
「何故そこで心配されるのかが不思議です。男の中に男を放り込んだところで、性格が悪くなる程度のものでしょうに」
グウェンダルの頭の中では、誰をどう配するかの計算が始まっていた。自分が向かえれば一番いいのだが、王都をギュンターに任せていいものかどうか。それに、確かケイプの収容所は、二年程前に|閉鎖《へいさ》されている。移送の目的が|収監《しゅうかん》でないのなら、一体なぜ囚人を大量に運ぶ必要があるのか。
フォンビーレフェルト卿の現在位置はどの辺りだろう。勝手に城を飛び出したので、骨牌《かるた》の|中継《ちゅうけい》点も教えていない。|恐《おそ》らくギーゼラと|一緒《いっしょ》だろうから、彼女の判断力に期待するか。
いずれにせよ、ヴォルフラムが向かってくれれば……。
グレタがとんでもない悲鳴をあげた。|滅多《めった》なことで泣き|叫《さけ》ぶような子供ではない。声に|驚《おどろ》いた骨飛族も、疲《つか》れ切った羽をばたつかせている。
衛士二人に|両脇《りょうわき》から支えられ、半ば引きずられるようにして、男が一人運ばれてきた。最初はそれが誰なのか、グウェンダルにもギュンターにも判らなかった。首を伸ばすこともできない様子で、床《ゆか》を見たままで言葉を絞《しぼ》りだす。
「……閣下……お許しもなく……参りましたことを、お詫《わ》び……」
必死に顔を上げようとする。左目は爛《ただ》れた皮膚《ひふ》で塞《ふさ》がれ、頬《ほお》や鼻にも治療《ちりょう》を怠《おこた》った火傷《やけど》がある。灰色から白に近くなった髪《かみ》と髭《ひげ》が、辛《かろ》うじて顔の半分を隠《かく》していた。
「ヒューブっ!」
何月ぶりかで名前を呼んで、グレタが男に駆《か》け寄った。
グリーセラ卿ゲーゲンヒューバーは、衛士の腕《うで》を逃《のが》れて冷たい床に平伏した。