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「前方ニ|巨大《きょだい》ナ溝《みぞ》発見、右ニ|回避《かいひ》サレタシ」
「了解《りょうかい》」
「北カラ小型夜行生物ノ群レ接近、速度落トシテヤリスゴスベシ」
|恐《おそ》らくアニシナさん発明であろう、超《ちょう》コンパクト・魔動遠眼鏡は、夜間走行には非常に有効だった。おれはヨザックのいる|御者台《ぎょしゃだい》の隣《となり》に陣取《じんど》り、ラリーのナビゲーター役を務めている。路面の|瘤《こぶ》や溝を回避できれば、それだけ脱輪《だつりん》の危険も低くなる。一時的には距離がかさんでも、結果としては効率よく走れるだろう。
「並ンダ岩ノ中央|幅《はば》狭《せま》シ、大キク左ニ逸《そ》レテ通過……いよいよ雪が本格的になってきたね。このままだと車輪を取られて走れなくなるかも。さっきも一台修理中の車を抜いたし……あっ!」
「どうしました?」
おれは反射的に望遠鏡から目を離《はな》した。見てはならないものを目にしてしまったからだ。
「み、見てしまった」
「だから何を、サバクガメの交尾《こうび》と出産ですか? 思春期にアレ見るとうなされるんだよな」
違《ちが》う。そんな野生の神秘ではない。おれの見たのはテレビの|心霊《しんれい》特集もビックリというような、はっきりと判《わか》りやすいオカルト少女だったのだ。
白い顔、白い服、白い髪《かみ》の女の子が、まだ薄暗《うすぐら》いこんな早朝に一人きりで立っていた。しかも額からは真っ赤な血が流れていて、レンズ越《ご》しに恨《うら》みがましい眼《め》でおれを見た。
「うはあきっと事故か何かで亡《な》くなったんだよ! ひーどうしよう、一生|呪《のろ》われちゃったらどうしよう、どうか成仏《じょうぶつ》してください」
「渋谷、仏教国じゃないんだからさ」
コックリさんこそ自力で動かしていたおれだが、幽霊物にはすこぶる弱い。つい先日も草野球チームの合宿で「出る」と評判の民宿に泊《と》まって酷《ひど》い目に遭《あ》った。|壁《かべ》の染《し》みはBOSSの顔に見えるし、水道からは赤くて鉄|臭《くさ》い水が出るし……トイレの水は流れないし。
「ああ、まだいるみたいよ」
「なにーっ!? 村田にも見えるのかーっ!?」
「いや|誰《だれ》にでも見えるでしょ。ていうかあの子、幽霊じゃないし」
ヨザックが手綱《たづな》を引き絞《しぼ》り、羊車は|徐々《じょじょ》にスピードを落とした。すっかり停止した場所に、先程の女の子が黙《だま》って立っている。白に近いクリーム色のストレートヘアと、ごく薄い空色の大きな瞳。全体的に白っぽい子供で、血の赤だけが際《きわ》だっている。どこかで見たような外見だ。
「ほんとだ……幽霊じゃない」
この寒空に非常識な薄着姿だ。ナビシートでカンテラを持ち上げると、細い脚《あし》と剥《む》きだしの|膝《ひざ》が見えた。粉雪が積もり始めた地面には、灰色の影《かげ》もできている。顔の幼さや手足の長さからして、まだ小学校入学前だろう。朝方とはいえ暗い屋外に幼女一人とはどういうことだ。
「なあきみ、なんで夜にお外にいるの? 家はどこ? お父さんとお母さんは?」
簡易戦車から飛び降りながら、身元調査を試みる。女の子は近くにいた羊の毛に指を突《つ》っ込み、暖かな肌《はだ》を愛《いと》おしそうに撫《な》でた。額の傷と血はかなり乾《かわ》いていて、思ったより大きな怪我《けが》ではない。ギーゼラに教わったなんちゃって|治癒《ちゆ》能力でどうにかできないだろうか。
「その傷どうしたの? おにーちゃんに見せてごらん。大丈夫《だいじょうぶ》、痛いことはしないから」
「……けて」
女の子は埃《ほこり》と煤《すす》にまみれた指で、おれの袖《そで》をぎゅっと掴《つか》んだ。
「助けて、おじちゃん」
「ええ?」
おじちゃん呼ばわりに落ち込んでいる場合ではない。幼い女の子を置き去りにするわけにはいかないし、額の傷も手当てしなくては。何よりこの子の両親が、今頃心配しているはずだ。
「勝手に歩いて来ちゃったのかな。なあきみ、家はどっち? どっちから来たの?」
幼女は黙って来た道を指差した。荷台から飛び降りてきた村田が、おれの遠眼鏡を奪《うば》い取る。
「……|煙《けむり》がでてる」
「てことは火事場|迷子《まいご》なのか。現場近くで待機しないと、親に会えなくなっちゃうよ」
幼女の指差した先からは灰色の煙が雪空に立ちのぼっていた。こんな荒野《こうや》に家があるのも不思議だが、とにかくあそこまで連れて戻《もど》らなくてはなるまい。すすり泣く幼女を膝に乗せ、おれたちは羊を走らせた。
燃えていたのは家ではなく、尖《とが》った屋根の二|棟《むね》の建物だった。周囲には十数人ばかりの兵士がいるが、如何《いかん》せん水の少ない乾いた荒野だ。消火活動は難航してるようだ。炎《ほのお》の勢いは強くなるばかりで、一向に鎮火《ちんか》する気配はない。
気になるのは両親や、祖父母など、保護者らしき人々がどこにも見られないことだ。柵《さく》を張り巡《めぐ》らせた|敷地《しきち》の隅《すみ》に、子供ばかりが三十人ほど集まっていた。皆、身を寄せ合って怯《おび》えているが、誰一人声を立てようとしない。|燻《くすぶ》る煙と三角の屋根を見詰《みつ》め、ただただ|涙《なみだ》を流すばかりだ。御者台で、ヨザックが低く|呟《つぶや》いた。
「……まさか」
何を言おうとしたのか聞き返す間はなかった。おれの膝から立ち上がった女の子が、仲間の所に駆《か》け寄ろうとしたからだ。子供達が|一斉《いっせい》に手を伸《の》ばす。
「チャッキー!」
チャイルド・プレイ!? という突っ込みはおいておくとして、|驚《おどろ》いたのは子供達の中に見覚えのある顔があったことだ。特に幼い子を護《まも》るように抱《だ》いているのは、マキシーンの連れである|双子《ふたご》の美少女|姉妹《しまい》だ。
「ああそうか! 誰かに似てると思ったら、子供達みんなスプラッターツインズとそっくりなんだ……待てよ、てことは全員……」
「神族に縁《えん》のある子達だね。恐らく彼なら知ってるだろうけど」
村田の口調はどこか苦々しい。ヨザックが羊を安全な場所に避難させてから、大急ぎでおれたちの元に戻ってきた。
「よーく知ってますよ。この場所はね。オレも昔、こんな教会に預けられたから」
チャッキーと呼ばれた女の子が、フレディの腕《うで》に飛び込んだ。どうして!? と短く咎《とが》められる。こんなときまで語尾《ごび》を略すから、まるで|怒《おこ》っているみたいに聞こえてしまう。フレディはきっとこう言いたいのだ。どうしてあなたただけでも逃《に》げなかったの?
消火にあたる兵士の動きを追いながら、ヨザックは遠く空《むな》しい眼をした。
「神族との間にできた子供だけを隔離して育ててるんでしょう。ちょうどオレたち魔族《まぞく》と人間の混血が、荒《あ》れ野に封《ふう》じられていたみたいにね。でもこの子達の場合は少し事情が違う。神族に縁のある子供なら、生まれつき強大な法力を持つ者もいる。この中には確実に、将来の|優秀《ゆうしゅう》な術者が含《ふく》まれてるんだ。つまり」
内部で小規模な|爆発《ばくはつ》が起こり、屋根の一部が|崩《くず》れ落ちる。
「……非常に価値のある、商品です」
「商品、って」
「兵士として自国の軍で使うことも、術者として異国に売ることもできる。大陸中にこういう子供達は少なくない。特に神族の血を引く者はね……その点、魔族は楽なもんでしたよ? |殆《ほとん》どの場合、魔力なんか欠片《かけら》もなかったから」
黙り込むおれに気を遣《つか》ってか、ヨザックは殊更《ことさら》明るく言った。
子供が「商品」として扱《あつか》われるなんて。今おれはそんなことが当たり前の国にいるんだ。
水を必死で運ぶシマロン兵が、中に職員がいると後方に|叫《さけ》んだ。大切な子供達は|脱出《だっしゅつ》させたが、この|施設《しせつ》で働く人間がまだなのだろう。水自体が不足しているのは判るが、それにしても消火効率が悪い。もう燃焼材もないはずなのに、崩れて燃え尽《つ》きた場所まで鎮火しない。
「不思議だな、左の棟なんかもう炭化しちゃってるのに。いつまでたっても燃え尽きない」
「ああそうか、渋谷は初めてだっけ?」
|眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せたまま、村田は胸の前で腕を組む。頭の中ではいつ頃《ごろ》の|記憶《きおく》が繙《ひもと》かれているのか、凡人《ぼんじん》のおれには想像もつかない。
「こういう|特殊《とくしゅ》な炎はね、水ではなかなか消せないものなんだ」
初めてではなかった。その定義、おれも耳にしたことがある。
「なあヴォルフ、前にもこんなことがあったよな。熟練の火の術者が放った炎は、|普通《ふつう》の水じゃなかなか消えなくってさ」
「ああ。国外れの人間の村が|襲撃《しゅうげき》されたときだな」
地球の友人が意外そうな顔をした。|眞魔《しんま》国で体験したことを全部話してあるわけではない。村田はおれの経験値内訳を知らないし、今のところのレベルも不明なはずだ。
「てことは、この消える気配もない大火事は、誰か魔法使いが魔法でやってる可能性が高いのか!?」
ヴォルフラムは|大袈裟《おおげさ》に溜《た》め息をつく。
「ひとつ、魔法使いじゃなくて術者だ。ふたつ、魔法じゃなくて魔術だ。みっつ、ぼくら以外に魔族がいるか?」
「いません」
「ということは、この火は炎の術者であるぼくが操《あやつ》っているんだな? そんなわけがあるか。いい加減にしろユーリ、少しは頭を働かせろ。いくら大賢者が傍《そば》にいるからって、自分では何一つ考えずにいると、いつのまにか|脳《のう》味噌《みそ》が萎縮《いしゅく》して海綿状になってしまうぞ」
それは現代地球の病気だ。
「これは人間どもの法術の炎だろう。近くに本格的な術者がいて、全力で施設を焼いているんだ。何もかも全《すべ》てを燃やし尽くそうと、今も命文を唱え続けてるに違《ちが》いない」
言われるそばから脳味噌を使ってみた。筋肉ばっか|鍛《きた》えていたせいで、他《ほか》の人より回転が遅《おそ》い。だったらその法術使いを掴まえて、言葉を封じてしまえばいいのではないか。
誰《だれ》か、水を運ぶだけでなく、炎を操っている術者を捜せよ。でないと火事は当分終わらない。やがて施設だけでなく荒野全体を舐《な》めるだろう。
おれはスローモーションみたいにゆっくりと、強大な法力を持つ人を捜し始めた。理論も推理も通用しない。ただ、言葉では説明できない|奇妙《きみょう》な力と、それを操る人物を、似た力の持ち主として感じ取るだけだ。可能かどうかは判らない。だが、ヒントくらいは見つかるはずだ。
双子のうちの一方と、強い視線がぶつかり合う。光り|煌《きら》めく金の|瞳《ひとみ》と、闇夜《やみよ》のまま星もない|漆黒《しっこく》の瞳。胸の魔石が熱を持つ。あの瞳だ。彼女達以外にはいなかった。
ああ、どうかおれの出した結論が間違っていますように。だが、短すぎる祈《いの》りなど叶《かな》うわけがない。予想は的中した。彼女は微《かす》かに動く唇《くちびる》で、強力な法術を駆使《くし》している。おれに|見咎《みとが》められてもなお、焼き尽くすことをやめようとしない。
「フレディっ!」
正直なところ、どっちがどっちかは不明だった。けれど名前を叫ぶおれに反応したところを見ると、彼女がフレディだったのだろう。
「もうやめるんだ、こんなことして何になる!? 今すぐ呪文《じゅもん》をやめるんだ、そしてきみの炎に命じて、鎮火《ちんか》のための水を受け入れるんだ!」
白に近い金の髪《かみ》を揺《ゆ》らして、彼女は首を横に振《ふ》った。|拒否《きょひ》だ。
「考え直せフレディ、何がしたいんだ? きみは大会に出場するために初めて|訪《おとず》れた知らない国で、自分とは関《かか》わりのない施設を燃やし、職員の命を奪おうとしてるんだぞ。それにどんな意味があるんだ!?」
「あなたには」
関係ない。関係ないだと? 村田が顔を横に向けて、|挑戦《ちょうせん》的な金の瞳を確認《かくにん》した。
「……あの子なのか……?」
「そうだ。なあヴォルフ、あのときおれは村中を焼き尽くそうかっていう炎を、どうやって消し止めたのかな」
不意に懐《なつ》かしいことを|訊《き》かれて、フォンビーレフェルト|卿《きょう》は意外そうな顔をする。
「覚えてないのか? 雨だ」
「雨?」
「そうだ。お前は記録的な|豪雨《ごうう》を降らせて、短時間で一気に鎮火させた。待て、お前まさか、あの法術を消し止めるつもりじゃないだろうな。あのときと今では勝手が違うぞ」
ヴォルフラムの言葉を引き取って、村田が冷静な口調で続けた。
「あの子達は神族だ。そしてここは魔族の土地ではなく、法力に従う要素に満ちた人間の大陸だ。きみがこの土地で魔術を駆使しても、あの子達の法術にかなうとは思えない。しかもコントロールし損《そこ》ねて暴走すれば、ダメージを受けるのは他ならぬきみ自身なんだよ。成功の確率の低い策を実行して、きみを危険にさらしたくない」
「成功の確率?」
そんなのはいつも最低ラインだ。理由のない笑いと根拠のない自信がこみ上げてくる。胸の魔石が熱を増すので、服の上からぎゅっと握った。それさえも自らの力となるようだ。
耳や襟《えり》や頬《ほお》に積もり始めた白い雪が、奇妙に心地《ここち》よかった。皮膚《ひふ》から身体《からだ》の中央に浸透《しんとう》して、全ての毒を中和してくれる感じだ。今なら何かができそうな気がする。いつも爆発的にやっていたことが、今なら|制御《せいぎょ》できる気がするんだ。
「打てる確率が低いからって、バットを振ってみない馬鹿《ばか》はいないよ。振らなきゃ絶対に当たらないんだ。運良く四球を選ぶにしたって、バッターボックスで敵にプレッシャー掛けなきゃボールにならない。見逃《みのが》し三振《さんしん》で終わるより、おれなら豪快に空振《からぶ》りしてみるさ。扇風機《せんぷうき》とか言われたって構わない。絶好球を見送って、打てそうだったってベンチで後悔するより、思い切って振って当てに行く……もしかしたら振り逃《に》げできるかもしれないし」
視界の隅《すみ》に見慣れた男の姿が飛び込んできた。軍人らしく背筋をただし、|颯爽《さっそう》と歩くマキシーンだ。居て欲しくない場所に必ずいる。思わず悪態をつきたくなった。
「何でここに、あいつが」
「この付近に馬車を止めて野営してたのかもしれない。ジェイソンとフレディがここにいるのも、奴に気付かれないようにこっそり抜け出したからかな」
刈《か》りポニは何事かを悟《さと》ったらしく、|双子《ふたご》の方へと進んでゆく。おれも慌《あわ》てて走りだした。
「やめろマキシーン! その子に触《さわ》るな!」
「|黙《だま》れ!」
手だけでおれを制しておいて、視線を双子から外さない。
「ここから買い上げてやった恩も忘れて、競技の最中《さなか》に離脱するとは何事だ!」
買い上げたって……? じゃあジェイソンとフレディは、元々ここの子供なのか。
マキシーンがフレディの服を掴《つか》み、雪の積もる地面に引き倒《たお》した。
「やめてっ」
叫びと共に大人の|身体《からだ》が吹《ふ》っ飛ぶ。双子の片割れが金の瞳を燃やし、新たな敵を見据《みす》えている。ジェイソンの力が、妹を守ったのだ。
「勝てばここをくれるって約朿した」
耐えきれず涙を落としながら、少女はおれに叫んでいる。
「勝てば何でも願いを叶えてくれるって! なのに今日ここを通ったら……エイミーもデーナもヘザーもアンディももう買い手が決まったって」
「フレディ」
「約束したのにっ!」
おれはフレディに近づけずに足掻《あが》く。手を貸して起こして座らせて、説得しようにも触れられないのだ。村田がおれの肩を掴む。
ナイジェル・ワイズ・マキシーンが腰《こし》の剣《けん》を抜き放った。
「やめろ、マキシーン! 相手は子供なんだぞ!?」
引き留める指を振り切った。僕は反対だ、声ではない言葉がそう届く。いいんだ、いつかは自分で制御しなきゃならないことだ。
おれを動かすのはおれでしかない。渋谷有利に命令できるのは、村田でもあの人[#「あの人」に傍点]でもなく。
おれだけだ。
周囲が真っ白になるのを予測して、|眩《まぶ》しさに耐《た》えられるようにと|瞼《まぶた》を閉《と》ざす。吹雪《ふぶき》の中央に立たされて、必死で脚《あし》を踏《ふ》ん張っているような感じだ。もうあの女性の声は聞こえない。もうずっと、誰も導いてはくれないのだ。
手を伸《の》ばしても縋《すが》れるものは何もない。誰かが傍にいる温かささえ感じない。まるで白い闇の中を、息を潜《ひそ》めて歩いてゆくような心許《こころもと》なさだ。さっきよりずっと遠い場所に、フレディがぽつんと立っている。倒されそうな強い風に曝《さら》されてはいるが、不思議と音は聞こえない。
おかしい。いつもと何かが違う。奇妙な|言葉遣《ことばづか》いの「彼」が現れない。耳元でハイテンションなBGMも流れないし、右手に扇子《せんす》を持ったような感触《かんしょく》もない。
ただ真っ白な闇の中で、少女とおれが対峙《たいじ》しているだけだ。
これが自分をコントロールするってことなのか? 自らを律するってことなのか?
「聞いてくれフレディ、きみの気持ちもよく判《わか》る……いやおれは、そんな体験をしたことはないけれど、約束を破られたらつらいだろう」
逆の意味でおれらしくない理性的な言葉を並べつつ、内心は非常に焦《あせ》っている。これがおれか!? これがあの暴発モードのおれなのか!?
「だが、暴力は何の解決にもならない。聞いてくれフレディ、自ら引く勇気を知って欲しいんだ。おれはきみたちを斬《き》りたくないんだよ。何とかしてきみたちを助けたいんだ」
「うそ」
少女は小さく頭を振った。先程《さきほど》よりは怒りが弱くなっている。
「……信じない」
「火を消したいんだフレディ。あの中には人がいる。きみも知ってる人だろう? 話したり遊んだりしたかもしれない。食事を作ってくれたかもしれない。そんな人の命を奪《うば》うことが、本当にきみのしたいことなのか? 約束するよ、フレディ。火が消えたらきみたちみんなをここから連れ出す。もっと住みいい所に連れて行ってあげる。きみとジェイソンが願ってたのは、ここより楽しい場所で暮らすことなんじゃないのか? 連れて行くよ、おいで。きっと探す」
おれはゆっくりと十六歳の手を差しだした。どこまでやれるか判らない。けど、どこまでも。行けるところまで。焦《じ》れったいほどの時間をかけて、フレディはおれの指を握った。
「きみたちのための場所をきっと見つける。約束する。絶対に途中で離さない」
宙に出現した|巨大《きょだい》な滝《たき》を目《ま》の当たりにして、村田はただ黙って瞼を閉じた。
自分が何故《なぜ》、この王の治世、この|魔王《まおう》の時代に、渋谷有利の友人として生まれたのかが、少しずつだが理解できたような気がする。
雪は豪雨へと状態を変え、たちまちのうちに燃えさかる炎《ほのお》を消し去った。
だが、彼にはまだ神族に対する痼《しこ》りがあった。連中は魔族にとって|厄介《やっかい》な存在でしかない。
へたをすれば、疫病神《やくびょうがみ》になる。
恐《おそ》ろしい規模の魔術を使いながら、目の前の友人は脱力してしゃがんでいるだけだ。前回までの勢いと威圧感《いあつかん》、あのカリスマの姿はどこへ消えてしまったのか。ユーリ自身も異変に気付いているらしく、不安を誤魔化《ごまか》そうと軽口をたたく。だが、その声に力はない。
「……なんかおれ、ちょっとおかしいみたいよ。ちょっとどうもクールな男になったみたい」
「ぼくには、小さくまとまってしまったように思えるがな」
からかうヴォルフラムの言葉にも、どこか不安が滲《にじ》んでいる。
村田健は白み始めた空を|仰《あお》ぎ、好事の兆《きざ》しを見つけようとした。しかし彼の闇《やみ》の|瞳《ひとみ》は、天の色を知るより先に、灰色の|煙《けむり》で|遮《さえぎ》られてしまった。