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会議は、確かに回っていた。
円卓会議と聞かされて、母親が大好きな物語を連想したおれが愚《おろ》かだった。アーサー王と円卓の騎士《きし》だ。そういえば中学の美術部に、オタクの岸《きし》と呼ばれる奴《やつ》がいたっけな。
おれはドーナツ形のテーブルの中央に座らされ、魔王就任時の|挨拶《あいさつ》しか交《か》わしたことがない魔族のお歴々に周りをぐるりと囲まれていた。しかも彼等が|紹介《しょうかい》される度《たび》に、テーブルは必要なだけ回転し、該当《がいとう》する人物が正面にくる。円卓といっても|中華《ちゅうか》料理のターンテーブル状態。
回るのは中央でなく周囲だけど。
ずっと続いたら酔《よ》いそうだ。なんだか時計の中心にでもなったような気分。しかも一人だけ真ん中で、集中する視線が痛い痛い。
「こっ、これは、何かの罰《ばつ》ゲームですカ」
|膝《ひざ》の上で両手を|握《にぎ》り締《し》めた。回転には比較《ひかく》的強いはずなのに、脇《わき》の下に嫌《いや》な|汗《あせ》をかいている。六〇度ばっか移動して正面に止まったアニシナさんが、やや吊《つ》り気味の空色の目を|眇《すが》めた。
「どうしました陛下、その御髪《おぐし》は」
「大|魔動《まどう》脱臭機・ニオワナイナイくんに吸われたら、こんな時代|遅《おく》れなコーンヘッドにされちゃったんだよ」
魔術の日常利用に人生を賭《か》ける女、実験実験また実験のフォンカーベルニコフ|卿《きょう》アニシナは、眞魔国三大魔女として、セクシークイーン・ツェリ様と並び称《しょう》される|微笑《ほほえ》みを|浮《う》かべた。
「まあ、あの試作機を、陛下|御《おん》自らがお試《ため》しくださったのですか? これはこれは身に余る光栄、是非《ぜひ》とも後ほど使い心地《ごこち》の案統計にご協力ください。ご|一緒《いっしょ》に改良型のニオワナイナイシクステーンくんも如何《いかが》ですか」
「……スマイルだけで結構であります」
どうかゼロ円でありますように。
|先程《さきほど》受けた紹介によると、円卓に着いているのは十貴族、つまり十の地方の代表者、もしくは全権を委任された代理人達だ。
ヴォルテール地方からはフォンヴォルテール卿グウェンダルが、クライスト地方からはフォンクライスト卿ギュンターが出席している。その右隣《みぎどなり》には血気|盛《さか》んな若者といった風情《ふぜい》のフォンウィンコット卿、|蟄居《ちっきょ》中であるフォンシュピッツヴェーグ家当主の代理の男、フォンビーレフェルト家の駐《ちゅう》王都代表に任じられているヴォルフラム、フォンカーベルニコフ卿デンシャムから決定権を委《ゆだ》ねられたアニシナさんが座っている。その横には不自然に|身体《からだ》を離《はな》して、ラドフォード地方の軍人だという男がいた。フォン・シュフォール卿、フォンギレンホール卿は本人が出席していたが、名前は覚えられなかった。一度に|記憶《きおく》できるのは、おれの|脳《のう》味噌《みそ》では精々九人までだ。
フォングランツ家の人が居るべき席には、|何故《なぜ》か大きなクマちゃんが鎮座《ちんざ》していた。不適切な発言でもあったのだろうか。
円卓から外れた|壁際《かべぎわ》には、上級以外の貴族達や要職者のための|椅子《いす》が並べられていて、知った顔がいくつかあった。女性の姿もちらほらと見られる。
畏《かしこ》まった態度のギュンターが|咳払《せきばら》いをして、薄緑色《うすみどりいろ》の紙を広げた。
「では陛下、開会前に欠席者からの一報を読み上げます。えー、本日は御前会議の|招聘《しょうへい》おめでとうございます。第二十七代魔王陛下がご健勝であらせられますることを心よりお慶《よろこ》び申し上げます。一身上の都合により本日|馳《は》せ参じられませぬことを深くお詫《わ》び申し上げますとともに陛下の御許《おんもと》に跪《ひざまず》けぬ悔《くや》しさ自らの不甲斐《ふがい》なさに臍《ほぞ》を噬《か》む思いであり地団駄踏《じだんだふ》みつつ雨の廏舎《きゅうしゃ》で藁《わら》と馬糞《ばふん》にまみれて転がりまわりつつも馬に|蹴《け》られて気が遠く……え、えー、以下略。次に参りましょうか。本日この佳《よ》き日に御前会議の|開催《かいさい》を心より祝福いたします。膝の上の鶏《にわとり》と共に、白組の勝利を祈《いの》る」
アニシナさんが小さく舌打ちした。
他《ほか》にも何通かの手紙を朗読してから、議長であるらしいギュンターは|突然《とつぜん》の開会宣言をした。|響《ひび》き渡《わた》る銅鑼《どら》の音と同時に、全員が|一斉《いっせい》に立ち上がる。慌《あわ》てておれも従おうとしたのだが、その前に嫌な金属音がして、両手両足を椅子に固定されてしまう。しかもお誂《あつら》え向きに、頭上からはスポットライトの|目映《まばゆ》い光が降ってきた。
「え? ええっ!?」
「申し訳ございません陛下。実は前魔王現上王陛下が、あまりにも|頻繁《ひんぱん》に|逃亡《とうぼう》……いえ、中座されたきりお戻りになられなかったために、今回よりそのような措置《そち》をとらせていただくこととなりました。少々|窮屈《きゅうくつ》とは存じますが、どうかお気になさらずに」
「気になるよッ、|普通《ふつう》気にするだろ」
この状態では|天井《てんじょう》から金盥《かなだらい》が落ちてきても避《よ》けられない! ていうかツェリ様、ミーティングはちゃんとやっとけよ。
「因《ちな》みにこの|特殊《とくしゅ》な円卓も、一定の方向しかご覧にならなかった前魔王陛下のために改造いたしました。これで美醜《びしゅう》にかかわらず、発言者の顔を見て意見をお聞きになれます」
「つまりカッコイイ人しか見なかったんだねツェリ様は……」
さすがに愛の狩人《かりうど》だ。ロックオンしたら絶対に視線を外さないわけか。それにしても手足|拘束《こうそく》スポットライト状態では、閣議というより取調べだ。山田《やまだ》くん、カツ丼《どん》とっちゃってー。
「そして此度《このたび》より更《さら》に新方式を導入、各地方への|迅速《じんそく》な報道が可能になりました。ご覧ください陛下、我等魔族の知恵《ちえ》と技術の集大成、現実時間|生中継機《なまちゅうけい》能です。えーい、開け土間《どま》!」
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ばさっと上がったカーテンの向こうには、とっぱらった|壁《かべ》の先に青空が広がっていた。|石床《いしゆか》の突端《とったん》には数え切れない程の鳩《はと》達と、宙に浮かぶ骨飛族《こつひぞく》軍団が控《ひか》えている。午後の日差しに照り映《は》える骸骨《がいこつ》の群れは、|地獄《じごく》のような光景だった。
「なんか鳥|臭《くさ》いと思ったら……」
「民間会社より引き抜《ぬ》いた調教師による御用鳩便と、骨飛族の持つ特殊な意思伝達能力を同時に使えば、双方向《そうほうこう》での時差のない意見|交換《こうかん》も可能です。つまり急な招聘により現場に間に合わなかった御前会議要員も、地元に居ながらにしてこちらの経過を聞き、活発に意見を伝達することができるのです!」
……びば伝書鳩、ぶらぼーコッヒー。
どんな原理なのかは知らないが、骨飛族にはある種の意思伝達能力が備わっているという。骨伝導《こつでんどう》というよりは骨《ほね》パシーだ。理科実験室より愛をこめて。
「今こそ申しましょう。意見があるなら現地で|怒《おこ》っているんじゃない、会議室で怒ってやるのです!」
興奮気味のギュンターをよそに、他の人々はどうでもいいという顔つきだ。|唯一《ゆいいつ》、フォンカーベルニコフ卿アニシナさんだけが、わたくしの魔動に任せておけばいいのにと呟いていた。
「まだ掛《か》かるようなら別室でやってくれ、フォンクライスト卿。我々にはあまり時間がない」
「全国|選《よ》りすぐりの鳩が……あ、いえ結構です……では議題に移りましょうか」
熱弁を振《ふ》るっていたギュンターがやっと座り、ようやく話し合いが始まった。
最初の数件は農産物の関税やら|隣接《りんせつ》国への|援助《えんじょ》予算やら、おれの知識では太刀打《たちう》ちできない案件ばかりだったので、答え「よきにはからえ」だった。このフレーズ「フォンヴォルテール卿と担当者に一任する」と同義語だ。長男の|眉間《みけん》の皺《しわ》がいっそう深まってゆく。
やがて何枚目かの書類を捲《めく》ったギュンターが、改まった口調で次の議題を告げる。
「では次は本会議の最重要|事項《じこう》でもある、小シマロンの急進的外交政策についてご説明申し上げます」
「小シマロンの外交政策?」
両手両足を固定された椅子の上で、自分の身体が|緊張《きんちょう》するのが判《わか》った。なるほど、これがグウェンダルの言ってい「火急の用件」か。
大小二つのシマロンは、強大な軍事力で隣の大陸を支配している国だ。約二十年前にあった魔族と人間の戦争も、人間側の最大勢力はシマロン軍だったらしい。
こっちの世界の地理や歴史に疎《うと》いおれが知っているのは、実際に現地に行ったからだ。大シマロンでもえらい災難に遭《あ》ったが、小シマロンはもっと酷《ひど》かった。そもそもの|発端《ほったん》は小シマロン領カロリアの貴人だったマスク・ド・貴婦人フリン・ギルビットが、館《やかた》の地下からウィンコットの毒を持ち出したことなのだが……。
その先に実に色々あって、連中は大陸の一部分を自ら破壊《はかい》した。最凶《さいきょう》最悪の最終兵器である箱を、|間違《まちが》った|鍵《かぎ》で開いたせいだ。おれたちはその公開実験に巻き込まれ、箱の|脅威《きょうい》を目《ま》の当たりにした。自分でもよく助かったものだと思う。あれはまさに九死に一生スペシャル顔負けの体験だったな。
とにかく、大小それぞれのシマロンには、永世平和主義のおれでさえいい印象をもっていない。戦火を生き抜いた|魔族《まぞく》の皆《みな》さんは、その何倍も複雑な心境だろう。
「我が国の|諜報《ちょうほう》機関と信用できる情報筋からの双方より、小シマロンが近々、急進的な外交政策を採るという情報が入りました。眞魔国としてはどうあってもこの政策を阻止《そし》し、国力の均衡《きんこう》を維《いじ》持しなければなりません」
「ちょっと待った、なんでうちが他国の外交に口をだすの? おれだってシマロンは苦手だけどさ、それっていわゆる内政|干渉《かんしょう》なんじゃねーの?」
「干渉せずに済むのであれば、我々とて人間になど関《かか》わりたくはない」
フォンヴォルテール卿はテーブルに肘《ひじ》をつき、長い指を顔の前で組んだ。
「だが今回の件はあまりに急すぎるし、もしも成功すれば我が国にとって過去最大の脅威となるだろう。積極的に介入《かいにゅう》してでも、小シマロンの動きを止めなくてはならん」
「い、一体どんな恐《おそ》ろしい政策なんだろ」
世界史に弱い高校生の脳味噌では、二つくらいしか思いつかなかった。ヒトラーとかヒトラーとかヒトラーとか……一つだよ、いや一人で三つ。
小さく咳払いをして、ギュンターが言った。
「小シマロンは、聖砂国《せいさこく》との国交を回復しようとしているのです」
は?
「あの、二千年以上も|鎖国《さこく》状態の続く聖砂国と、積極的に交流を持とうとしているのですよ」
はあ?
「なんということだ! 小シマロンが聖砂国と手を組んだだと!?」
「信じられん、この世も終わりかもしれんぞ」
「何を言われます、諸卿《しょきょう》の|皆様《みなさま》方。今こそ我等魔族の総力を結集し、奴等《やつら》に、目にもの見せてやるべきです。これ以上人間どもをのさばらせておくわけには参りませんぞ!」
「聖砂国の特産物は七色のマモイモでしたかのう、死ぬまでに一度は食してみたいものですのう」
室内はざわめきに包まれた。おれ以外の魔族の皆さんは、動揺《どうよう》を隠《かく》しぎれない様子だ。ところで聖砂国ってどこ?
調教師の指示で伝書便の鳩が一斉に飛び立ち、バサバサと激しい羽音が響いた。骨飛族が一足|遅《おく》れてその後を追い、カタカタと物悲しい骨音が響いた。頑張《がんば》れコッヒー。
決して伝わらないエールを送りながら、おれは怖《お》ず怖ずと口を挟《はさ》んだ。
「あのー」
「はい陛下」
「……国交を回復することが、一体どうして悪いんでしょうか」
「はい!? 陛下!?」
|超絶《ちょうぜつ》美形、|驚愕《きょうがく》の表情。
「だってさ、これまでろくにお付き合いのなかった国と国が、積極的に交流しようとしてんだろ? 世界的に見てそれはとってもいいことなんじゃないの? 文化的にも経済的にも進歩できるし。日本だってずーっと鎖国したままだったら、おれは未《いま》だにチョンマゲ結《ゆ》ってたかもしれないんだし」
「お前は本当にへなちょこだな!」
「う」
外交問題|素人《しろうと》の初歩的な質問は、フォンビーレフェルト卿の美少年ボイスで|遮《さえぎ》られた。心の底から|呆《あき》れ返っている口調だ。
「お前の育った世界の言葉でいうと、徹底《てってい》的にへなちょこキングだなっ」
「やめろよヴォルフ! 人前でそんな、何度も何度も。ていうか変な英語を覚えるな」
それは「へなちょこながらも王様である」という意味なのか、それとも「キングオブヘなちょこ」という|罵倒《ばとう》なのか。
「聖砂国がどういう国なのか、お前は知っているのか?」
知らない。聖がつく単語で知っているものといえば、ホテルの部屋の|抽斗《ひきだし》に必ずある聖書だけだ。口籠《くちご》もったせいでバレてしまったのか、元プリ|殿下《でんか》の顔が厳しくなる。
「この際だから教えておいてやる」
ヴォルフラムは広げた地図を指し示した。
「いいか、ここが眞魔国、そしてこっちの大陸が大小両シマロン、この線の内側が……」
|微妙《びみょう》な息継《いきつ》ぎがあってから、|不愉快《ふゆかい》そうな言葉が続く。
「シマロン領だ」
「こんなに!?」
おれはカステラの包み紙で見るような地図に手を載《の》せた。点線を指先で辿《たど》ってみて、その内側にある島や大陸に触《ふ》れる。国名を表記した文字が、直接|脳《のう》味噌《みそ》に飛び込んできた。
「……ヴァン・ダー・ヴィーアもシマロン領なのか……ああ、ヒスクライフさんとこは、同じ大陸でもギリギリ頑張ってるんだね。それにしても広いな」
「そして聖砂国は、ここだ」
右手首を掴《つか》まれて、広げた紙の下方に誘導《ゆうどう》された。ヴォルフラムは、おれがまだ文字を読み慣れないのを知っている。聖砂国と明記された菱形《ひしがた》の土地は、地球での表示と同じだとすればかなり南だ。南極大陸のすぐ手前といったところ。島というには大きすぎるが、両シマロンのある大陸よりは狭《せま》かった。うちを一として比較《ひかく》すると、二・五から二・八くらいだ。
人差し指と親指で陸の形をなぞってみて気付いた。大雑把《おおざっぱ》にだが、他の土地は茶色や緑で色分けされている。けれど手の下にある四角い大地は輪郭《りんかく》だけだ。山地も平原も川もなく、真っ白なままだ。
「ものすごく平らでツルッとした……」
「地形が不明なのです」
おれの教育に命をかけているギュンターに、あっという問に否定されてしまった。
「申し上げましたとおり、二千年以上も鎖国状態が続いております。聖砂国の現状どころか、地形も気候も判りません。何一つ情報がないのです。取り引きを許された数少ない商人達は、定められた港にしか立ち入れません。聞くところによると人工の小さな島があり、決してそこを出られぬよう監視《かんし》されるのだとか」
「長崎の出島《でじま》だな? ポルトガルだな?」
カステラっぽく、いや|一般《いっぱん》的高校生にも理解できそうな話になってきた。
「しかも情報を漏《も》らす目的で、地図や書物を持ち出そうものなら大変なことに。疑いを掛《か》けられて拷問《ごうもん》された者もおります」
「……シーボルト事件だね」
「ええ、こっぴどく絞《しぼ》られたそうです」
「なんだユーリ、お前も絞ると色々出る口か?」
誤解です。二重に誤解しています。
「とにかく、聖砂国ってとこの実態は、|誰《だれ》にも知られてないわけだ。それにしても二千年以上って凝いな、地球で言ったらキリスト教が始まる前から鎖国してんのか。気が遠くなるね。そして今、閉《と》ざされた|扉《とびら》が小シマロンによって開かれようとしている! って理解で正しい?」
「素晴《すば》らしいです陛下。ああ本当に陛下のご聡明《そうめい》さには、いつもながら感服いたします」
「でもさー」
おれは地図から右手を離《はな》し、|妙《みょう》な癖《くせ》のついてしまった髪《かみ》を撫《な》でた。
「国交回復はやっぱり、いいことなんじゃ……」
「お言葉ですが陛下」
ずっと耐《た》えていたらしいフォンヴォルテール卿が、やけに丁寧《ていねい》な言葉で続けた。王様であるおれに|遠慮《えんりょ》しているのか、他の出席者達は口を挟《はさ》まない。
「我々魔族とシマロンは現在、|緊張《きんちょう》関係にある。それはご存じでしょう」
「ご存じですけど……なんだよグウェン、あんたに敬語使われると、なんかケツの座りが悪」
「であれば、敵対に近い存在の国力増強がどれほど危険か、それもご理解いただけるかと。聖砂国の資源や兵力がどれほどのものかは把握《はあく》できていない。だが、広大な大地を持つ国には、それに伴《ともな》う人口が予想される。小シマロンと彼《か》の国が同盟を結び、両者の兵力が併合《へいごう》された場合……不本意ながらもこう言わざるを得ない」
|眉間《みけん》の皺《しわ》をいっそう深くして、グウェンダルは|両腕《りょううで》を組んだ。
「我が国の戦力では、太刀打《たちう》ちできまい」
室内が軽くざわめき、何人かが溜《た》め息をついた。他の数人は|憤慨《ふんがい》してテーブルを叩《たた》き、残りの者は|黙《だま》って|天井《てんじょう》を見つめた。一人だけ鼻で笑った者がいる。
「その話の|信憑性《しんぴょうせい》は?」
異様に落ち着いた声だと思ったら、|緊急《きんきゅう》事態には慣れきっているフォンカーベルニコフ卿アニシナ女史だった。実験中のアクシデントに比べれば、こんな告白など|衝撃《しょうげき》のうちには入らないのだろう。
「信頼《しんらい》できる情報筋からの……」
「情報筋とはどこです? 首筋ですか鼻筋ですか煮込《にこ》むと|美味《おい》しいスジ肉ですか? それともあなたたちご|自慢《じまん》の、顔と筋力で選んだ『ドキッ! 男だらけの情報部員、情報漏洩《ポロリ》もあるよ』ですか?」
「む……か、顔と筋力ばかりではなく、きちんと選考した情報部だ」
「|嘘《うそ》をおっしゃい。だったら|何故《なぜ》、|諜報《ちょうほう》要員は見た目のよろしい能なし男ばかりなのですか。それ以外の構成員といえば伝令役の骨飛族だけではないですか」
なるほど、映画で観《み》るとおり、スバイは顔が命であると。どこかの雛人形《ひなにんざよう》みたいだな。
アニシナ嬢《じょう》は|椅子《いす》を|蹴《け》って立ち、首を反らせて顎《あご》を軽く上げた。とても小柄《こがら》な人なのに、威圧《いあつ》感はグウェンダルに劣《おと》らない。
「では|訊《き》きますが、その情報をもたらした諜報要員は、どう報告したのですか。小シマロンが急進的外交政策を採ろうとしている、目的は聖砂国との国交回復だと? そう言いましたか、ええそう報告したのでしょうね」
彼女の|喋《しゃべ》り方は非常に居丈高《いたけだか》で高圧的だ。だが逆にいえば自信に満ち溢《あふ》れているため、心が揺《ゆ》らいでいる者は参ってしまいやすい。うおおアニキもしくは姐御《あねご》ついていきますぜーと両足に|縋《すが》り付きたくなる。選挙では必ず浮動《ふどう》票を獲得《かくとく》するタイプだ。
「お集まりの皆《みな》さんは当然ご存じでしょうが、聖砂国が諸外国と断絶したのは二千年以上も前です。その時代にはシマロンなど存在もしておりません。つまり前者にとって後者はとるに足らぬ外界の新勢力、昨日今日できた瘡蓋《かさぶた》のようなもの。ほんのドジョッコだのヒヨッコだのですよ。なのに国交『回復』とは何ともはや、言葉の使い方からして|間違《まちが》っています。そのような関係下で小シマロンが国交を願い出たところで、聖砂国がそう簡単に首を縦に振《ふ》るとお思いですか。どうですフォンヴォルテール|卿《きょう》、一三〇年近くかけて無駄《むだ》に成長したあなたが、生まれたばかりの赤ん|坊《ぼう》にオトモダチニナッテと言われたらどう思いますか。対等の立場で友好の|抱擁《ほうよう》を交《か》わし、共に生きようなどと|誓《ちか》う気になりますか? ああ、あなたなら絆《ほだ》されてしまうかもしれませんね。けれどそんな|状況《じょうきょう》でうっかり抱《だ》き締《し》めてしまうのは、過剰《かじょう》なほど小さいもの好きのあなたくらいです。正常な思考能力を持っていれば、赤ん坊相手に本気になどなりますまい」
机の上で組まれたグウェンダルの指が、小刻みに動いている。だったら最初から例に使うなという、心の|叫《さけ》びが聞こえる気がした。
アニシナは腰《こし》に両手を当て、|余裕《よゆう》の口調で発言を続けた。今や室内の四割は、赤い|悪魔《あくま》の虜《とりこ》だ。
「仮に交流を聞き入れられたとしても、彼の国が人間達の望みどおりに小シマロンに兵力を貸し与《あた》えるでしょうか。いいですか、あの[#「あの」に傍点]、聖砂国ですよ? ご近所付き合いさえ|面倒《めんどう》がった聖砂国が、わざわざ海を越《こ》えて戦争を仕掛《しか》けるために人員を割《き》くとお思いですか? わたくしの判断では確率は髪の毛一本分くらい。修道の園の|坊主《ぼうず》の髪の毛一本、つまり単なる剃《そ》り残しですね! こんなに低い数字に踊《おど》らされて、やれ|脅威《きょうい》だやれ戦争だなどと騒《さわ》ぐのは、愚《おろ》かな者のすることです。まったく、これだから男は使いものにならないのですよ」
最後の一言に俯《うつむ》いた者が数名いた。使いものにならない人達だろう。
「……アニシナさんて、やっぱ、ちょっといいよなぁ……」
だが、おれには、命が惜《お》しければ彼女だけはやめておけと至上命令が下っている。高い位置で結《ゆ》い上げた真っ赤なポニーテール姿の彼女は、そう悪い人には見えないのだが。
「たかが剃り残し程度の可能性に動揺《どうよう》し、この国も終わりだなどと頭を抱《かか》えてどうしますか。雁首揃《がんくびそろ》えて悲嘆《ひたん》にくれるよりも、この中の誰かを現地に派遣《はけん》して、情報の|真偽《しんぎ》を実際に|確認《かくにん》するのが先でしょう。そして万に一つでも聖砂国が小シマロンと国交を開始し、兵力に関する無理な要求を呑《の》みそうであるならば、その時は国家をあげて阻止《そし》すればよいことです。たかだか毛一本程度の確率ですよ。剃り残した髪など剃ってしまえばいいのです!」
「剃り残しの話はもう|勘弁《かんべん》してくださいー」
何故かギュンターが啜《すす》り泣いた。辛《つら》い思い出でもあるのだろうか。
「成程《なるほど》。フォンカーベルニコフ卿の意見ももっともだ。陛下はどう思われる」
やっと指の動きの収まったグウェンダルに急に振られて、おれは|奇妙《きみょう》な声をあげてしまった。
「にょ、にょきにはからえ」
「結構。では他の皆は」
反論する者は|誰《だれ》一人いなかった。すっかり議長の座を|奪《うば》ったグウェンダルは、|不機嫌《ふきげん》そうな青い目を一度伏《ふ》せた。だがすぐに平素の彼を取り戻《もど》し、腰にくる重低音で全員に告げる。
「だが問題は、誰を行かせるかだ。知ってのとおり我が国と小シマロンは緊張関係にある。現状を考えれば、兵を率いて乗り込んで向こうを|刺激《しげき》するわけにもいかん。警護は最低限になるだろう。身を守ることに長《た》けた武官ならば安心だが、我が国の特使として公式に訪問する以上は、それなりの地位の者を送らねばなるまい。さもなくば連中に軽《かろ》んじられ、付け入る|隙《すき》を与えるばかりだ。|慎重《しんちょう》に選ぶ必要がある。慎重にな。もし志願する者があれば、先生|怒《おこ》らないから黙って手を挙げなさい。こうして目を閉じている間に」
「グウェンダル、それでは誰が立候補したか判りま……」
ギュンターの突《つ》っ込みが入るよりも早く、その場の全員の手が挙がった。さすが、眞魔国を治めるトップ集団の皆さんだ。挙げようとしたおれの右手首には激痛が走る。拘束《こうそく》されているのを忘れていた。
「全員か」
自分も顔の脇《わき》まで右手を挙げながら、フォンヴォルテール卿は眉間の皺をまた深くした。出席者をぐるりと見回すが、アニシナさんの処《ところ》で視線が止まった。
「フォンカーベルニコフ卿は辞退するように。小シマロンを破壊《はかい》して余計な混乱を招……い、いや、|発酵《はっこう》中の毒の品質管理という重要な仕事があるだろう。それから、ヴォルフラム。お前もだ」
「何故です兄上!? 自分の身を守る術《すべ》は|弁《わきま》えています。それにぼくなら、前魔王陛下の血を継《つ》いでいる。地位にしたって申し分ないでしょう。武人としての心構えと国を愛する気持ちは誰よりも持っているつもりです。どうかぼくを……」
「ではお前は、し損じたときに臍《へそ》を引き裂《さ》いて償《つぐな》う|覚悟《かくご》があると?」
想像したら血の気が引いた。ひー、腹を切るよりも痛そうだ。
「この場で|承認《しょうにん》され小シマロンヘの任を負えば、それは王命を受けたに等しい。魔王陛下の名の下《もと》に眞魔国総意の代行者として遣《つか》わされることになる。|些細《ささい》な事でもしくじれば、お前だけではない、王の、果ては国の責とされるんだ。|後悔《こうかい》し、頭を下げるくらいでは済みはしない。命で償うだけの決意があるというのか」
ヴォルフラムは形良い唇《くちびる》をきゅっと噛《か》んだが、すぐに|拳《こぶし》を|握《にぎ》り締めて顔を上げた。外見は|華奢《きゃしゃ》な美少年だが、彼は意外と熱い男だ。今ではおれもそう知っている。
「王に忠誠を誓った日から、その覚悟はとうにできています」
|長兄《ちょうけい》はこれまで以上に苦い顔になった。それはそうだろう、グウェンダルにしてみれば目の中に入れても痛くない末の弟だ。敢《あ》えて危険な土地に向かわせたいはずがない。けれどそれ以前におれは、フォンビーレフェルト卿の言葉に打ちのめされてしまっていた。怒りっぽくて我が|儘《まま》な天使のごとき美少年が、自分の命の話をしている。覚悟があると。
王に忠誠を誓った日から、と。
王って誰だ。
おれは無意識に唾《つば》を飲み込んだ。うまくいかずに舌が上顎《うわあご》にくっつく。口の中がひどく渇《かわ》いている。
おれだよ。
ヴォルフは、おれと彼との間の話をしているのだ。
舌がうまく動かなかった。だからといってここで黙り込むわけにはいかない。これは王様が知っておくべき問題だ。おれが本当に眞魔国の王だというのなら、自らの眼《め》で確かめておくべき現実だろう。拘束されて手が挙げられないので、全員の注目を集めるよう叫ぶ。
「はいはいはいはーいっ、おれっ、おれおれおれおれーっ」
しまった、声がソプラノになっちゃった。
「おれが直接、小シマロンを見てき……」
「|駄目《だめ》だ」
「駄目に決まってるだろう!」
|一瞬《いっしゅん》にして|却下《きゃっか》されてしまった。しかも左右ステレオでだ。
「なんでだよっ、国の存続に関《かか》わる重大な問題なんだろ? だったらおれが直接見に行くべきじゃないか。敵情視察だって大事な仕事だろ」
「お前は小シマロンで死にかけたばかりだろう! 我々魔族にとってシマロンがどれだけ危険な土地か、あんな目に遭《あ》わされてもまだ判《わか》らないのか!?」
「なんだよヴォルフ、自分が駄目だしされたからって僻《ひが》むなよっ。だって今度はちゃんと国の代表として、公式に訪問するんだろ? だったら向こうだってお客様として、丁重《ていちょう》におもてなししてくれるはずじゃん。おれだってねー、それなりにニュースは視《み》てるんだから、国賓《こくひん》の扱《あつか》いくらい知ってんだってば」
「国賓? シマロンの連中が我々を国賓として迎《むか》えるだって?」
美少年はわざとらしく声を高め、アメリカンな仕種《しぐさ》で両肩《りょうかた》を竦《すく》めた。
「奴等《やつら》にとって我々は、この世で唯一《ゆいいつ》敗北を喫《きっ》した敵国だぞ。それは二十年たった今でも変わるものじゃない。そんな憎《にく》い相手を賓客としてなど扱うものか」
「……だってそれが大人の対応ってもんだろう」
仲が悪くたって、いやたとえ戦争中であっても、話し合いのために訪問する使者は丁重に迎えるべきだ。国際社会ってそういうもんじゃないのか? 揺《ゆ》らぐ自信に必死で言い聞かせる。
「甘い。まったくもってお前は甘すぎるぞユー……」
ヴォルフラムの言葉を遮《さえぎ》って、眞魔国史上初・双方向《そうほうこう》バーチャル|生中継《なまちゅうけい》サテライト鳩《はと》部隊の担当者が|緊張《きんちょう》した声をあげた。
「申し上げます! たった今、欠席された方々からの返信が参りました。読み上げます『えー? 聖砂国ってどこだっけぇ。でもぼかぁ鳩より鶏《にわとり》のが好きだなぁ』……フォンカーベルニコフ|卿《きょう》デンシャム閣下からです」
|遅《おそ》い。しかも内容がないよ。
「続いてはラドフォード地方より……何っ? 飛行中のアズサ二号がワシイヌに|襲《おそ》われて行方不明だと!? なんということだ……惜しいハトを亡《な》くしました」
調教係はがっくりと肩を落とした。これまた役に立っていない。では骨飛族のほうはどうかというと。
「聖砂国といえば南方の白い大地、神の力が最も及《およ》ぶ土地と聞いておりねえあなた、今夜のおかずは熟《う》れ熟れ茄子《なずび》よ……と、とのことで……ひっ、熟れ熟れ茄子だとォ!? あんな恐《おそ》ろしい物を一体どんな夫婦《ふうふ》がっ」
気になるのはナスを使ったおかずの実態だが、伝言ゲームに関しては大失敗のようだ。場を取り仕切っていたグウェンダルの指が、再び忙《せわ》しなく動き始める。結論のでる様子のない会議に、|苛々《いらいら》が募《つの》ってきたのだろう。
「斯《か》くなる上は、私が……」
「そりゃ困るよー。グウェンが王都を離《はな》れちゃったら、政治経済誰が|面倒《めんどう》みてくれるんだよ」
お前の仕事だと言わんばかりに睨《にら》まれるが、実際問題として統治の基本は適材適所だ。才能のない王様が何もかも一人でやっていたら、あっという間に国家は|転覆《てんぷく》してしまう。顔も頭も脚《あし》の長さでもおれに勝《まさ》り、知識も経験も豊富な彼が実務を受け持ってくれているからこそ、おれみたいな粗忽《そこつ》者が国主なんかやっていられるのだ。|眉間《みけん》の皺《しわ》を深くさせてしまって申し訳ないが、フォンヴォルテール卿にもう少々|頑張《がんば》ってもらう他《ほか》ない。
けれど……今はもうたまにしか思い出さないが、そもそもこの布陣《ふじん》はグウェンダル自身が望んだものだ。あの懐《なつ》かしい戴冠《たいかん》式の日には、彼は自分が国を治めるつもりでいたはずだ。ただ計算|違《ちが》いだったのは、おれが|素直《すなお》で従順な王様じゃなかったことだけど。
苦労の多い長兄は、額にかかった髪を掻《か》き上げながら言った。
「とにかく、陛下とフォンビーレフェルト卿、フォンカーベルニコフ卿は駄目だ。|諸々《もろもろ》の雑務を成り代わって処理してくれる者があれば、私自身が行けるのだが。フォンウィンコット卿がこの地を離れるのは危険すぎるので、次善の案としてはフォンロシュフォール卿を推《お》すが……」
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「私が参ります」
思い詰《つ》めたような発言に、場内の誰もが一瞬言葉を失った。まさかの人物だったのだ。
「できることならば陛下より御言葉を拝命し、私が彼《か》の国に参ります」
注がれた全員の視線の先で、フォンクライスト卿ギュンターはおれだけを見詰めていた。