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今日からマ王11-7
日期:2018-04-30 20:54  点击:304
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 ヨザックと共に戻《もど》ってきたおれを見て、フォンクライスト卿は真っ青になった。おれらしくない真剣《しんけん》な表情だったから、危険な目に遭《あ》ったと|勘違《かんちが》いしたのだ。だがその|杞憂《きゆう》はすぐに、新たな悩《なや》みへと姿を変える。
「小シマロン王サラレギーとお会いになったと?」
「そう」
「風呂《ふろ》の中でですか」
「そうなんだよ」
「しかし一体|何故《なぜ》このような街道《かいどう》の宿に……」
 彼の|戸惑《とまど》いももっともだったが、爆弾《ばくだん》発言は次に控《ひか》えている。
「それがさー、ギュンター……ばれちゃったんだ」
「はい? 何がでしょうか」
「おれが魔王だってことが」
 聞いた|瞬間《しゅんかん》、目が点どころか真っ白になった。青くなったり白くなったり忙《いそが》しい人だ。
「どどどどうしてそのような事態に!? まさか陛下、ご、ご自分で打ち明けられたのでは」
「違うよ、そこまで|馬鹿《ばか》じゃねえって。もっとまずいことに、見抜《みぬ》かれちゃったんだよ。湯気で瞳の色は判んなかったはずだし、髪だってヨザックが咄嗟に隠《かく》したんだ。なのに簡単にばれちゃうなんて、髪と目の色以外に魔族特有の身体的|特徴《とくちょう》があるんかね」
「それは……陛下の見目麗《みめうるわ》しさと匂《にお》い立つ高貴さは、下々の者には備えもてぬ素晴《すば》らしきものですが……」
「いや、そう思ってんのはあんただけだから」
 サラレギーはこう言ったのだ。おれたちの隣で、|繊細《せんさい》な指で髪を掻《か》き上げながら。
『あなたが王であることは、見る者が見ればすぐに判る』
 胸に掛《か》けた魔石かとも思ったが、これだって国宝級の逸品《いっぴん》ではない。他国にまで噂《うわさ》の伝わる高価な物だったら、彼[#「彼」に傍点]も気軽にくれたりしないだろう。
 だが、思い悩んでいる|暇《ひま》はなかった。
 やっと着替《きが》えを終えた頃には、部屋の前にサラレギーよりの使いが立ってしまったからだ。
 曰《いわ》く、陛下がお食事をご一緒したいと。
 そらきた。シマロン王と朝食を、だ。|偉《えら》い人同士が一緒に飯を食って、おいしかったーごちそうさまーで済むわけがない。つまりこれは単なる会食ではなく、目の前に焼きたてのパンを置いた首脳会談へのお|誘《さそ》いだ。
 首都サラレギーの城に着くまでは、あと数日の|余裕《よゆう》があったはず。なのに|急遽《きゅうきょ》この宿で挑《いど》めと言われても、当方にも心の準備というものがー。
 しかも現段階で対決力ードはギュンター対サラレギーから、おれ対サラレギーに変わっている。可哀想《かわいそう》に「王命により全権特使に任じられた」ことをあれだけ喜んでいたギュンターは、すっかり主役の座を引きずり下ろされてしまった。そう思うと冷や汗と|涙《なみだ》を禁じ得ない。
 とにかくおれたちは借り切ったという小食堂へ向かった。入口前にはご丁寧《ていねい》にもサラレギー本人が、廊下《ろうか》の先を眺《なが》めながら待っていた。大国を統《す》べる高貴な人間なのに、|随分《ずいぶん》フランクな王様だ。護衛する部下も大変だろうなあと他人のことながら同情すると、|何故《なぜ》かギュンターが鼻を詰まらせた。
「なんだよー」
「……陛下がそれを仰《おっしゃ》いますか」
 恨《うら》みがましい目線を投げてよこされる。なんだよ、文句があるならちゃんと言えよ。うるさい教育係は放《ほう》っておいて、今はともかく両国トップ会談に集中すべきだ。襷《たすき》の代わりにエプロンの紐《ひも》をぎゅっと締《し》め、最初の言葉のパンチに備える。
「おはよう、ユーリ陛下」
「ぅおぶはよう、サラレギー陛下」
 初めての首脳会談なので、|緊張《きんちょう》で口が回らない。
 光の中で改めて見る彼は、思ったとおりの美少年だった。風呂場で会ったときと同じように、サラレギーは薄《うす》い色のレンズを鼻に載《の》せている。目をカバーするごく小さい物なので、美貌を損《そこ》なうことはない。全体的にはやはり少女めいた|華奢《きゃしゃ》な|身体《からだ》で、透《す》けるような白い肌《はだ》をしていた。混浴マジックではなかったわけだ。
 初めて目を|奪《うば》われたのは、彼の髪《かみ》の色だった。滑《なめ》らかな|金髪《きんぱつ》は流れるように肩《かた》を覆《おお》い、朝日の下《もと》で輝《かがや》いている。ヴォルフラムやツェリ様のハニーブロンドと違い、白に金を一|滴《てき》垂らしたような淡《あわ》く優しい色合いだ。一口にパツキンーと括《くく》ってしまいがちだが、こうしてみるとそれぞれ異なる趣《おもむき》があるもんだな。
 趣があるって、おれはどこのヒヒジジイですか。
「ユーリ陛下、急にお誘いして申し訳ない」
「お、お招き猫《ねこ》ネコねこ、板、いただきますって……イテ」
 ヴォルフラムに踵《かかと》を|蹴《け》られた。落ち着け、おれ。夏の大会で選手|宣誓《せんせい》の代役に選ばれて、練習した日々を思い出せ。あくまで代役だったから、本番では聞いていただけだけど。
 冷静に|慎重《しんちょう》に話を進めて、この少年王がどんな人物なのかを|探《さぐ》らなければならない。あるいはヴォルフラムとギュンターが判断できるように、少しでも多くのデータを引きださなければ。
 いい奴《やつ》なのか、悪人なのか。信用に足る人物なのか。
「……こちらこそ。朝食をご|一緒《いっしょ》できて嬉しいよ、サラレギー陛下」
 「美」少年王は薄紅色の唇《くちびる》を綻《ほころ》ばせ、ふわりと笑った。
「お互いに陛下と呼び合うのはよそう。我々は対等な立場のはずだ。そうでしょうユーリ|殿《どの》」
「おれは最初から、陛下と呼べなんて言っていないよ、サラレギー」
 あえて敬称《けいしょう》をつけずに、相手の名前を口にする。冷静で強気なふりを装《よそお》ってはいるけれど、実のところはいっぱいいっぱいだ。
 当然だろう。敵は生まれついての王族で、幼い頃《ころ》から帝王《ていおう》学とやらを叩《たた》き込まれ、前王である父親の背中を見ながら成長してきた十七歳。なるべくして大国の国主になった男だ。それに比べてこちらは、周囲がどんなに褒《ほ》めて持ち上げてくれようとも、宝くじに当たって転がり込んできたような玉座だ。人の上に立つ者の心得など、とてもじゃないが学んでいない。
 ヒスクライフ氏や大シマロンのベラールニ世など、これまで幾度《いくど》か地位の高い人物にも会ってはきたが、いずれの場合も渋谷有利本人としてではなく、世を忍《しの》ぶ仮の姿だった。トップ対トップ、キング対キングとしてガチンコ会談するのはこれが初めてだ。今度こそ、おれの言葉が魔族の総意と判断されてしまうだろう。ここで卑屈《ひくつ》な態度しか示せなければ、眞魔国全体が鼻で嗤《わら》われてしまう。
 そのままのあなたでいいなんて慰《なぐさ》めは、実戦では|殆《ほとん》ど役に立たない。持ち合わせている以上の力を発揮しなければ、サラレギーは到底《とうてい》太刀打《たちう》ちできる相手ではない。
 どうか舐《な》められませんようにと、おれは|精一杯《せいいっぱい》背筋を伸《の》ばした。
 プレッシャーで尻《しり》が|椅子《いす》から浮《う》いている感じ。
 まずは語調から選ぶ必要がある。一人称はやは「我が輩《はい》」でいくか。ですます調か、である調か。更《さら》に「ある」は「|R」《あーる》にするべきか。
 だが、決めた覚悟《かくご》は一撃《いちげき》で崩《くず》された。サラレギーがいきなりの熱い抱擁《ほうよう》でぶつかってきたからだ。細い両腕で力いっぱい抱き締められる。
「うひゃ」
「本当に? ではユーリと呼んでもいいんだね?」
「……ど、どうぞ」
 表面的にはどうにか持ちこたえたが、内心で「ひー」と情けない悲鳴。背中に突《つ》き刺《さ》さるヴォルフラムの視線が痛い。針というより紅蓮《ぐれん》の炎《ほのむ》だ。いや待て視線ばかりじゃないぞ、つねってる、お尻をつねられています!
 水面下の鬩《せめ》ぎ合いなどには気付かずに、サラレギーは無邪気な様子でおれの腕《うで》をとって引っ張った。子供みたいだ。
「入って。中で話そう。ところでどうしてそんな|厨房《ちゅうぼう》係のような服を着ているんだい?」
「密航中で着替えがなかったんだ」
「密航?」
 サラレギーはふわりと笑った。
「王が密航? 興味深い国だね、眞魔国は。でもその長い前掛けは、あなたにとてもよく似合うよ」
 専属料理人に変装して、全権特使と小シマロン王の会談を知らん顔で聞くつもりだったのは内緒《ないしょ》だ。
 ビジネスランチとか料亭《りょうてい》で密談とかみたいに、食事をしながら話し合う場面はある。けれどおれは元来不器用なほうで、二つのことが同時にはできない性質《たち》だ。テーブルには豪勢《ごうせい》な朝食が並べられていたが、大食|自慢《じまん》のおれでさえ手をつける気にはなれなかった。
 食欲減退には他《ほか》にも理由がある。
 入口を護《まも》る兵士とサラレギーの護衛の他に、部屋には彼の部下が数人いたが、そのうち一人は知っている顔だった。
 小シマロン軍隊公式ヘアスタイルと公式ヒゲスタイル。痩《や》せて肉のない白い頬《ほお》と、どちらかといえば細い一重《ひとえ》の目。そのせいか全体的な印象は、力強さや精悍《せいかん》さよりも鋭利《えいり》な|凶器《きょうき》を思わせる。黄色と薄い水色が印象的な軍服と、また傷の増えた酷薄《こくはく》な横顔。
 小シマロン王の忠実な飼い犬、ナイジェル・ワイズ・マキシーンだった。
 彼こそ元祖|刈《か》り上げポニーテールだが、もう可愛《かわい》く略してなどやるものか。
「あっテメっ、刈りポニっ!」
 ああまた呼んじゃった……。
 マキシーンはカロリアを|地獄《じごく》にした男だ。こいつが王の命により|無謀《むぼう》な実験などしなければ、大陸南西部は打撃を受けなかった。ロンガルバル川を北上していたおれたちを実験台にして、最凶《さいきょう》最悪の兵器である「地の果て」を開放しようとしたのだ。
 どこで手に入れたのかも判《わか》らない、異なる|鍵《かぎ》で。
 ……ある人物の、左腕で。
 実験台といえば、実験コンビは今頃《いまごろ》何をしているだろう。グウェンダルはアニシナさんの玩具《おもちゃ》にされていないだろうか。元気に悲鳴をあげているだろうか。血盟城での楽しい日常を思い返してみたが、小シマロン最悪の男を前にしては、リラックスなどできなかった。
 後ろに回していたおれの腕に、ヨザックが指先で軽く触《ふ》れた。ヴォルフラムも微《かす》かに|眉《まゆ》を寄せる。刈りポニを知らないのはギュンターだけだ。ところが、本日のナイジェル・ワイズ・絶対死なない・マキシーンは、以前と何かが違っていた。ひっきりなしに|瞬《またた》きをしている。不自然だ。いつもなら冷酷《れいこく》な笑《え》みを浮かべる薄い唇が、どこか余裕《よゆう》なく歪《ゆが》んでいる。
 度重《たびかさ》なる失敗を責められて、国で無能のレッテルでも貼《は》られたのだろう「おや、マキシーンと面識が?」
「知ってるさ」
 喉《のど》の奥から苦みが広がり、握《にぎ》り締めていた拳《こぶし》が震《ふる》えた。右脇《みぎわき》にいたヴォルフが押さえてくれなければ、マキシーンの胸《むな》ぐらを掴《つか》んで|壁《かべ》に叩きつけていただろう。
「こいつがカロリアを地獄にしたんだ」
 だがマキシーンに命令したのは、他ならぬ小シマロン王サラレギーだ。その男は今、目の前で、優しげな|微笑《ほほえ》みを浮かべている。
「そういえばカロリアの|災厄《さいやく》の折には、眞魔国から|救援《きゅうえん》を受けていたのだね。あなたたちの無償《むしょう》の|援助《えんじょ》には本当に感謝している。カロリア委任統治者に成り代わって礼を言わせてもらうよ。当時はまだ、わたしの領土だったからね」
 言葉の裏を読むのは難しい。余計なことをしやがってと言っているのか、心から感謝しているのか。邪気《じゃき》のない|笑顔《えがお》を見た限りでは、言葉どおりに受け取ってもよさそうだ。
「本来なら真っ先に我々がすべきことだった。|遅《おく》ればせながらこちらも経済協力を申し入れたが、フリン・ギルビットに突っぱねられてしまって。もちろんいずれは受け入れてもらうつもりで、人も機材も確保してあるのだが。あとはフリンが態度を軟化《なんか》させてくれさえすれば……ああ、今はもう彼女も国主だ。気軽にフリンなどと呼んではいけないね」
 咎《とが》められた子供みたいに肩を竦《すく》める様子は、|年齢《ねんれい》よりもずっと幼く見える。
 だが、忘れてはならないのは、彼が張本人だという点だ。|一致《いっち》しない鍵と箱を手に入れ、マキシーンに命令したのは王である彼だ。それを隠《かく》すつもりなのだろうか。それとも彼は、おれが現場に居て、|全《すべ》てを見ていたと知らないのだろうか。
「サラレギー、カロリア|被災《ひさい》の原因を何だと思ってるんだ?」
「もちろん承知している」
「判ってるんならそんな|悠長《ゆうちょう》なこと……」
 怒りに震《ふる》える言葉は、途中で|遮《さえぎ》られた。
「すまなかった!」
 サラレギーはいきなりテーブルに両手をつき、淡い金髪の頭を下げた。
「本当に申し訳なく思っているんだ。箱を開ければ恐《おそ》ろしい厄災《やくさい》に|見舞《みま》われるということは、|誰《だれ》もが知っていたはずだ。ましてや本物かどうか疑わしい鍵を使えば、奔出《ほんしゅつ》した力を|制御《せいぎょ》するのも難しい。望む結果が得られるわけがないと、わたしたちも理解していたはずなんだ!」
 顔を上げもせず|叫《さけ》ぶように続ける。言葉を|挟《はさ》む|隙《すき》もなかった。
「|妙《みょう》な切《き》っ掛《か》けで箱を手に入れてから、部下達には繰《く》り返し言い聞かせてきた。保管にも細心の注意を払《はら》い、徹底《てってい》して管理をしてきたつもりだ。確かに他を圧倒《あっとう》する強大な力は魅力《みりょく》的だ。だが世の理《ことわり》に反する人知を超《こ》えた力など、我々人間には操《あやつ》る術《すべ》もない。きちんと判っていたはずなんだ。それにわたしにはあまり……箱の力とやらが信用できないんだ。力は常に、人の中にある。戦《いくさ》で勝利をもたらすのは、箱などではなく人の力だと思っている。民《たみ》も、部下達も皆《みな》、わたしの気持ちを理解してくれていると思っていた。賛同し、従ってくれるものと……」
 サラレギーの勢いに気圧《けお》されてしまって、反論どころか相槌《あいづち》も打てない。
「でも一部の妄信《もうしん》的な兵士達は……力の誘惑《ゆうわく》に抗《あらが》えなかった。『風の終わり』の持つ聖なる力の魅力にとりつかれ、先のことを考えずに浅はかな行動を……いや、彼等だって国のことを考えて、小シマロンの民のために良かれと思ってしてくれた、その結果なのだと思うと咎めるわけにもいかない。それに一部の兵士の暴挙とはいえ、それを察知し、止めることができなかったのはぼくの罪だ。王としての務めを全《まっと》うできなかったぼくの責任だ。国家全域に目を配り、臣下全員の心を掴めなかった。ぼくが……このわたしが王として至らなかったせいだ。兵達には可哀想《かわいそう》なことをしてしまったよ……そうだろうマキシーン」
 |窓際《まどぎわ》に突っ立っていた刈りポニが、大きく肩《かた》を震わせた。無言で唇《くちびる》を噛《か》み締《し》めている。
「返事をするんだ」
 部屋にいたもう一人のシマロン軍人が、低く威圧《いあつ》的な声で窘《たしな》めた。
「……陛下の、仰《おっしゃ》るとおりです」
 マキシーンの|素直《すなお》なお返事に、おれはもう、あれれーという形に開いた口が、すっかり塞《ふさ》がらなくなってしまった。どうしちゃったんだ刈り上げポニーテール、躾《しつけ》のいいわんこみたいな殊勝《しゅしょう》な態度は。故意に抑《おさ》えてゆっくりと、威圧感を与《あた》える物言いは、元祖刈りポニの専売特許だったじゃないか。
 こんなのはおれの知ってるマキシーンじゃない。自業《じごう》自得だから同情はしないけど。
「彼も今では反省している。後任の人選が済み次第《しだい》、身を以《もっ》て罪を償《つぐな》うことになるだろう。カロリアと、大陸南西部の被災した人々が|納得《なっとく》のゆく形で、厳重に処罰《しょばつ》したいと思っている。しかし……」
 必死だったサラレギーの口調がゆっくりになり、声が静かな怒《いか》りを帯びた。
「あなたがたにかけた迷惑《めいわく》に対しては、今この場で謝罪させるべきだろう」
 ナイジェル・ワイズ・マキシーンはのろのろと顔を上げ、主人の様子を窺《うかが》った。
「この愚《おろ》かな男が許されるとは思っていない。だが心からの謝罪だけでも、是非《ぜひ》とも受け入れて欲しい。そうだな?」
 あまり表情を変えない男が、|僅《わず》かに頬を動かした。目の中に|浮《う》かんだ|一瞬《いっしゅん》の光は、あの日サラレギーの名を口にしたときと同じだった。けれどすぐにその閃《ひらめ》きは消え、|諦《あきら》めに濁《にご》った濃茶《こいちゃ》になる。
 男の主人は冷たく、愛情のない声で命じた。
「ユーリに謝罪するんだ、マキシーン。跪《ひざまず》いて、靴《くつ》を……」
 舐《な》めるの!? とおれは半歩ばかり跳《と》びすさった。丁重《ていちょう》にお断りしたくなる。
「頭に載《の》せて」
 舐めるんじゃなくて、頭に載せるの!? それもまた変わったお詫《わ》びの仕方だ。土下座のシマロンバージョンだろうか。まあなんというかうーんいわゆるひとつの異文化コミュニケーションだし、それで気が済むなら|我慢《がまん》もしますけど。
 成程《なるほど》、一癖《ひとくせ》も二癖もある部下達を若くして統率《とうそつ》していくためには、かくの如《ごと》く強気で強硬《きょうこう》な態度でいなければならないものなんだなと、感心するやら反省するやらだ。
 こうしてみると、おれは本当に恵《めぐ》まれている。へなちょこ言いながらも我が|儘《まま》を聞いてくれる人や、|眉間《みけん》の皺《しわ》を深くしながらも|素人《しろうと》意見を採り入れてくれる人、鼻血を垂らしながらも懸命《けんめい》に勇気づけてくれる人や、|趣味《しゅみ》の女装を楽しみながら|潜入《せんにゅう》工作に励《はげ》んでくれる人がいる。初めての異世界で一番不安だったときに、誰よりも近くで手をとってくれた人もいたし。
 おれが現実|逃避《とうひ》している間に、言葉もなく無感情な|瞳《ひとみ》で、マキシーンがゆらりと一歩|踏《ふ》みだした。同じ|幅《はば》だけこちらは後退《あとずさ》りたくなる。いやすぎるー。謝るほうと謝られるほう、どちらが|屈辱《くつじょく》的か判ったものじゃない。サラレギーの顔を立てるためでなければ、こんな恥《は》ずかしいことは最初から辞退している。
 髯《ひげ》が模様を描《えが》く頬《ほお》をいっそう白くして、|刈《か》りポニは|覚束《おぼつか》ない足どりで近寄ってきた。おれを除く|魔族《まぞく》の三人が、奸計《かんけい》に備えて|身体《からだ》を|緊張《きんちょう》させるのが伝わった。だが絶望しきった人間の男は|倒《たお》れるように|膝《ひざ》を折り、床《ゆか》に額がつくほど頭を下げた。
 ヴォルフラムが慌《あわ》てて囁《ささや》く。
「……何をしているんだユーリ」
「え、靴を」
 刈りポニが両手で包み込もうとした右足を上げて、|厨房《ちゅうぼう》用の履物《はきもの》を引っこ抜《ぬ》く。底が薄《うす》く、軽い革靴《かわぐつ》を、濃茶のポニーテールにぽこんと置いた。
「頭に載せるっていうからさ」
「そうじゃないだろう」
「ちょんまげー、って感じで」
「だからお前、そうじゃないだろう!」
「だってさヴォルフ」
 首を横に振《ふ》ると、裸足《はだし》になった右足を見詰《みつ》めていた男が顔を上げた。焦《じ》れったいほどゆっくりだ。濁った視線が|徐々《じょじょ》にのぼってくる。
「相手を|間違《まちが》えてる」
 頭から靴を退《ど》ける。埃《ほこり》で跡《あと》がついてしまい、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
「あんたが謝るべき相手は、おれじゃないだろ。おれなんかどうでもいい。誰に謝罪し、何を償うべきなのか、あんたは自分で知ってるはずだ」
 汚れを払ってやろうと頭に触《さわ》ったのだが、段々照れ隠しが混ざってきて、叩《たた》くような強さになってしまう。
「そうだろ、ナイジェル・ワイズ・マキシーン。ていうかね、もう正直言ってこっちが恥ずかしーんだよマキシーン!」
 ああ、やんなっちゃったんだよ、おれが。
 赤くなった耳に気付いてくれたのか、刈りポニの腕《うで》を掴《つか》んだヨザックが乱暴に引きずって行ってくれた。ドアを開け、部屋の外に出し、警備中の小シマロン兵と短く話す。
 命じた彼もやっぱり緊張していたのか、サラレギーがほっとしたように長い溜《た》め息を吐《つ》いた。
「こういうことがあるたびに、自分の王としての資質に疑問を感じるよ……わたしにはまだ、あなたのように民を導くだけの能力がないんだ。ユーリ、ぼくはあなたが羨《うらや》ましい。あなたのような素晴《すば》らしい王を戴《いただ》く眞魔国国民が、羨ましいよ!」
「そんなこたない、そんなことないってサラレギー!」
 話が違う。予習してきたサラレギー像とは、一八○度違っている。
「顔を上げろよ。|即位《そくい》してたったの二年だし、まだ十七歳になったばっかなんだろ? そんなんで|完璧《かんぺき》な統治をするのは無理だ、そんなの|誰《だれ》にも不可能だよ。ただでさえ小シマロンは大きな国だし、民族も|多岐《たき》に亘《わた》るって聞いた」
「侵略《しんりゃく》したからな」
 おれにしか届かない声で、ヴォルフラムが|呟《つぶや》いた。
「だっ、だからっ、国中に目を配るなんてどだい無理な話さ。おれなんかトップとしては全くの素人で、王様の仕事が何なのか未《いま》だに知らないくらいだよ。助けてくれる仲間が|優秀《ゆうしゅう》だから、なんとかこれまでやってこられたんだ。彼等が一人でも欠けてたら、もっとずっと前に|沈没《ちんぼつ》しちゃってた」
 話が違うぞ! 敵は生まれついての王族で、幼い頃《ころ》から帝王《ていおう》学とやらを叩きこまれ、なるべくして大国の国主になった男のはずだ。妙なカリスマ性を持ち合わせていて、常に臣下の心を掴み、んもう掴んで|握《にぎ》って叩いて揉《も》んで放さない専制君主! のはずだろう。
「この世にパーフェクトな指導者なんかいないんだってサラレギー。何もかも自分で背負い込んじゃ|駄目《だめ》だ」
 なのに何故《なにゆえ》、宝くじ玉座のおれが、緊張関係にある相手国の少年王を励ましてるんだ? やっぱりアニシナさんの仰るとおり、眞魔国情報部は見かけ倒しなのか?
「ありがとう。あなたはいい人だね、ユーリ」
「うっ」
 サラレギーは顔を上げ、レンズ越《ご》しの瞳を潤《うる》ませた。
「ううっ、そんな……そんないい人じゃないデす……」
 だってあのまま放《ほう》っておくと、バカバカバカーぼくのバカーとばかりに、|壁《かべ》に頭を打ち付けかねなかったから。
「魔族の皆《みな》は本当に幸せだと思うよ」
「違うって、サラレギー」
 幸せなのは、皆じゃなくておれのほうなんだって。
「陛下」
 部屋に残った軍人の一人が、主《あるじ》の耳元で唖いた。先程マキシーンを叱《しか》った男だ。こちらの男も公式刈り上げポニーテールなのだが、髪《かみ》と髯《ひげ》の色素が薄い分、マキシーンより柔《やわ》らかな印象を受ける。直立不動で突《つ》っ立っていた元祖刈りポニよりも、サラレギーとの|距離《きょり》が近いのを感じた。
「判ってる、ストローブ」
 名前はストローブ。ローストビーフと間違えないように注意。
 少年王は小さく|頷《うなず》くと、引かれた|椅子《いす》の前に立った。
「深刻な話になるだろうから、座らせてもらってもいいだろうか? わたしは平気だと言っているのに、部下が心配|性《しょう》でね」
 細いから体力もないんだろうな。
 そうぼんやりと考えながら、|今頃《いまごろ》になっておれたちも席に着く。もしかしてとは思っていたが、案の定、給仕は軍服姿の男達だった。気の重いマッスルブレックファーストだ。
 椅子の数は充分《じゅうぶん》にあったのだが、ヨザックは目立たぬように扉《とびら》の脇《わき》に移動した。席順には上座も下座もなく、おれはギュンターとヴォルフラムに挟《はさ》まれてしまう。
 いかにも食の細そうなサラレギーは、オレンジらしきジュースのグラスを持った。
「さて、箱とカロリアの話だけというわけにもいくまい。あなた方もそんなおつもりではなかろうし」
 やっと自分の出番だとばかりに、ギュンターが勢い込んで口火を切った。
「|不躾《ぶしつけ》な質問とは存じますが、そもそも、何故《なにゆえ》このような|庶民《しょみん》の湯宿へ? 我々が公式に訪問することは、前もってお知らせしていたはずですが」
 サラレギーはちらりと一暼《いちべつ》しただけで、すぐに視線をおれに戻《もど》してしまう。見詰め返すと穏《おだ》やかな顔で|微笑《ほほえ》むから、|機嫌《きげん》が悪いわけではなさそうだ。|紹介《しょうかい》前の人物の言葉には、耳を貸さないつもりだろうか。
「サラレギー、フォンクライスト|卿《きょう》ギュンターは優秀な|王佐《おうさ》で、眞魔国の重鎮《じゅうちん》だ。おれよりずっと諸事情に通じてるから、代わりに発言してくれてる。ギュンターの意見はおれのものだと思ってくれていい」
 一気に紹介してしまおうとヴォルフラムの方に身体を向けるが、彼は小さく首を振った。エメラルドグリーンの|瞳《ひとみ》を|眇《すが》め、凜々《りり》しい眉《まゆ》を顰《ひそ》めている。お近づきになりたくないって顔だ。
 部屋に戻ってから嵐《あらし》を起こされても困るので、望みどおりにしておこう。
「彼があなたの腹心の部下なのは判ったよ。でもわたしはあなたと話し合いたいんだユーリ。他の……頭の固い魔族ではなく」
「かた……」
 全権特使フォンクライスト卿は絶句した。
 どうしよう、ギュンギュン|脳《のう》味噌《みそ》沸騰《ふっとう》だ。こうなったらさっさと第一回会談を済ませてしまうしかない。
「わかった、わーかったよサラレギー1おれと話そう。いいよ、ガチンコトップ会談。激論・朝から生卵、おれが田原総一朗《たはらそういちろう》ね」
 人差し指と中指を立てて、テーブル越しに少年王に見せる。
「議題は二つだ。一つは王様でもあるきみが、どうして街道《かいどう》の宿に来ているのか。まあここも充分リッチで豪勢《ごうせい》だけどね。もう一つは……はっきり言うぞ、回りくどい表現はナシだ。もう一つは小シマロンの急進的外交政策の件だ。きみたちが絶賛|鎖国《さこく》中の聖砂国に|接触《せっしょく》するってのは、単なる|噂《うわさ》なのか真実なのか。答えによっちゃおれたちだって対策を練らなけりゃならない。気を悪くしないでほしいんだけど、万が一小シマロンが聖砂国と手を組んで、魔族をバッシングするつもりだったらヤバイからだ」
 サラレギーは頷きながら聞いている。言葉を挟む気はないらしい。
「じゃあまず第一の疑問から|訊《き》くけど、どうしてこの宿にきみがいる? 何でおれたちが着くまで城で待っててくれなかったんだ。ほんの数日だろう。それともきみの王城では、会うのに不都合があったのか」
「言っただろう、サラと呼んで欲しい。親しくなった気がするから」
 がっくりとくる返事をしてくれてから、サラレギーはジュースのグラスを置いた。やっぱり指がとても|綺麗《きれい》だ。手タレになってもやっていけそう。
「二つの問題は密接に繋《つな》がり合っているんだ。順番に答えられなくて申し訳ないね。わたしたちが今、ここにいるのは、眞魔国の皆さんが必ず立ち寄ると思ったからだ。あなたの行程は予想できたから、絶対に会える場所を選んだのですよ」
「なるほどね」
「では|何故《なぜ》ほんの数日間が待てなかったのかと、小シマロンの人間は斯様《かよう》に気が短いかと思われるだろう。そうではなく、実のところ本当に時間がないのです。城であなた方を待ち、その後に出立したのではとても間に合わない。わたしたちは二日後にはこの国を発《た》つ。ユーリ、あなたの艦《かん》が着いたサラレギー軍港から、二日後に出航する予定だ」
「なるほ……どこへ? まさか」
 サラレギーは花びらみたいな唇《くちびる》を引き結び、胸の前で指を組んだ。
「聖砂国へ」
「手回しのいいこと」
 |驚《おどろ》きよりも不快さを滲《にじ》ませて、ギュンターが小さく毒づいた。小シマロン側には聞こえていないだろう。多分。
「あなたが知りたかったのはこれだね、ユーリ。我々小シマロンが、聖砂国と国交を望んでいるかどうか。答えは『そのとおり』だ」
 どう反応したものか迷ううちに、声より先に溜《た》め息がでた。最大の疑問があっさりと解決しすぎて、急な脱力感に|襲《おそ》われる。サラレギーとは正反対の野球|胼胝《だこ》でごつごつした|掌《てのひら》で、おれは自分の額を覆《おお》った。
「……そうか」
「気分を害した?」
「そんなことはないよ。今のところは、まだ」
「何度も書簡をやりとりし、既《すで》に先方と時期を示し合わせてある。海を挟んだ隣国《りんごく》とはいえ、聖砂国まではかなりの航海になる。過去の気象記録と海図を照らし合わせ、綿密な航海計画を立てた結果、この十日の内に小シマロンを発《た》たなければ、|厄介《やっかい》な季節風と海流に巻き込まれることが明らかになった。だからユーリ、わたしが城であなたを待つ時間は、本当に残されていなかったんだ……でも残念だな」
 レンズ越しの目が|悪戯《いたずら》っぽく細められた。|真面目《まじめ》な話をしたかと思うと、すぐに甘えたような言葉を吐《は》く。大国を治める王にしては意外と子供っぽい。一学年とはいえ年上のはずなのに、|傍《そば》で慰《なぐさ》め、|応援《おうえん》したくなるタイプだ。
「残念って、何が」
「わたしの城を案内したかった。この季節は二期|咲《ざ》きの花が開いて、庭園がとても美しいんだ。是非《ぜひ》見てほしいな。ユーリもきっと気に入る」
「へえ、それはいいね」
 おれはサラレギーの言葉を聞き流しながら、これから慌《あわ》ただしくなるなぁと、ぼんやりと考えていた。国交回復の情報が真実だった以上、眞魔国としても何らかの策を練らなくてはならない。二千年に亘《わた》って開国を拒《こば》んできた土地が、小シマロンだけと特別な関係を結ぶのだ。大シマロンを筆頭に他国も|黙《だま》ってはいない泥ろう。
 もちろん眞魔国としても、手を拱《こまね》いて見ているわけにはいかない。おれはそういう外交的|駆《か》け引きは苦手だけど、苦手っつーかさっぱり解《わか》んないけど、ギュンターやグウェンダル、十貴族のお歴々は顔色を変えるに|違《ちが》いない。会議会議の連続になるだろうなあ。
「この旅から戻ったら、わたしの城に|滞在《たいざい》すると約束して。すぐに帰国しなくてもいいんだろう?」
「ああ、うん」
 他国に干渉《かんしょう》するのは不本意だが、うちだけ蚊帳《かや》の外ではいられない。良くも悪くもこの世は競争社会だ。おれの数学の成績で国家の経済面を考えるのは難しいが、取り引きする市場は広いほうがいいに決まっている。うう、早くも頭が痛くなってきた。やっぱりすぐに帰国して、専門家に任せるのが一番だ。
「ごめん、やっぱりすぐに帰国して……」
「そんなユーリ、いま言ったばかりじゃないか。庭園を見せるって。旅から戻ったら城に滞在する約束だろう? 守らないならわたしの船には乗せないよ」
「船?」
 船の話なんかしてたかな。
 |両脇《りょうわき》からギュンターとヴォルフラムが、おれの|膝《ひざ》を何度も叩《たた》く。痛い、痛いって。
「合図の意味が判《わか》んねーって!」
「帰国なんかするな! お前はもう当分帰ってくるな」
 ええっ、酷《ひど》いヴォルフ、それが公認婚約《こうにんこんやく》者の言葉かよ!?
「滞在させますとも。旅から戻り次第《しだい》、サラレギー城で過ごすことをお約束します!」
 どんな時でも過保護なはずのギュンターまで、身を乗りだしておれを売ろうとしている。
「はあ!? あんたたち一体なにを考えて……」
「ですから聖砂国への旅程に、是非とも同行させていただきたい!」
 おれが訊き終わっていないのに、ギュンターは会談相手に言い切った。
 自分の選んだ全権特使のはずなのに、言っている内容がさっぱり理解できない。フォンクライスト|卿《きょう》は、初対面のサラレギーに向かって、聖砂国に連れて行けと|迫《せま》っているのだろうか。
「ギュンター、あんたね、いくら何でもそれは図々《ずうずう》しすぎ……」
「かまわないよ」
「そう当然かま……サラレギー!?」
 少年王は|涼《すず》しい顔で、重大なことをサラリと言った。名は体《たい》を表すとはよく言ったものだ。
「ユーリだけを招待するつもりだったけれど、彼をどうしても一人にしたくないというのなら、二人の乗船も許可しよう」
 それはつまり、小シマロンが聖砂国に|交渉《こうしょう》に行く旅に、おれたち三人を同行させてくれるってこと? |超絶《ちょうぜつ》美形の胸の内からは、万歳《ばんざい》三唱が聞こえるようだった。
「サラ……きみってなんていい奴《やつ》なんだ」
「あなたほどではないよ、ユーリ」
 我が|儘《まま》プーに勝《まさ》るとも劣《おと》らない天使の|微笑《ほほえ》み。このところとみに長兄《ちょうけい》に似てき三男|坊《ぼう》よりも、現時点では本物に近い。
 背凭《せもた》れに全体重を預けて、おれは全身の力を抜《ぬ》いた。
 どうだろう。生まれて初めての首脳対談は。おれとしては百点満点中百二十七点。|誰《だれ》が見ても文句のつけようのない結果だ。外に出て朝日を|充分《じゅうぶん》に浴びて、口笛でも吹《ふ》きたい気分だ。
 解放され、すっかりリラックスすると、急激に空腹感が襲ってきた。
「はあー、せっかくだから朝飯いただこっかなー。もう冷めちゃったかもしんないけどさ。ヴォルフ、そっちのジャムとってくれよ」
 焼きたてだったパンを手にし、紫《むらさき》色の壷《つぼ》を受け取った時だった。
 廊下《ろうか》からただならぬざわめきが聞こえてきた。|扉《とびら》の脇にいたヨザックが、|壁《かべ》から背を離《はな》し腰《こし》に手をやる。全員の剣《けん》が隅《すみ》にまとめられていたのを思い出し、舌打ちして部屋を横切った。
 ギュンターもヴォルフラムも立ち上がり、皆一斉《みないっせい》に同じ場所に向かう。
 |椅子《いす》に座ったままなのは、向かい合うおれとサラレギーだけだ。
「そういえばサラレギー、|物騒《ぶっそう》な|噂《うわさ》を聞いたんだ。きみの政策に反対する過激な連中が……」
「事実だよユーリ」
 そのとき、叩きつけるみたいな勢いでドアが開かれた。続いて|石床《いしゆか》を|蹴《け》る慌ただしい靴音《くつおと》。
「どういうことだ!?」
 聞き慣れた声。
「ここの警備はどうなっている!?」
「……コンラート……」
 ギュンターが、親しかった相手の名前を|呟《つぶや》く。
 駆け込んできたウェラー卿は、血を流す兵士の|身体《からだ》を投げだした。
 一人を除く全員の視線が、抜き身の剣を血に染める彼に集中していたが、おれはただ彼に背を向けて、窓の外の空を見つめていた。
 振り返る必要はないと思っていた。
 
 おれの知ってる男じゃないから。

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11/24 22:38