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今日からマ王13-5
日期:2018-04-30 21:09  点击:378
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 台風で荒《あ》れ狂《くる》う日本海。
 九月頃《ころ》にテレビで視《み》るのと同じ光景が、目の前に広がっていた。違うのは、おれ自身が船に乗って、嵐《あらし》の真《ま》っ直中《ただなか》にいるってことだ。嵐といっても空は青い。雲の流れが多少速いとはいえ、冬の澄み切った高い空がどこまでも続いている。風もそう強くはなかった。
 なのに波だけがうねり、渦巻《うずま》き、ぶつかり合っている。船縁《ふなべり》を舐《な》めるように上った横波が甲板《かんぱん》を薙《な》ぎ払《はら》い、頭上から襲《おそ》いかかってくる高波が帆柱を折った。
 巡航《じゅんこう》していた護衛艦《ごえいかん》が、荒《あら》い潮流に阻《はば》まれてみるみるうちに遠くなってゆく。
 空と海を交互《こうご》に見比べると、天国と地獄《じごく》を見ているような錯覚《さっかく》に陥《おちい》った。
「タコじゃ……ないよな」
「もちろん違う。聖砂国の大陸周辺には、天然の防壁とも呼べる特殊な海流がある。この地域の海が凪《な》いでいるのは年に十数日だけだ。その期間を逃《のが》したら、どんなに腕のいい水先案内人でも彼《か》の国には近づけない。目に見えない、けれど絶対に突破《とっぱ》されることのない城壁《じょうへき》を持っているようなものだよ。だからこそ何千年も鎖国《さこく》状態を維持《いじ》できたんだ」
 水飛沫《みずしぶき》でずぶ濡《ぬ》れになりながら、おれたちは操舵《そうだ》室に移動した。酒落《しゃれ》にならないくらい船体が傾《かたむ》くので、キャビンの壁に付いた手摺《てす》り伝いにそろそろと進む。昔なつかしい遊園地によくある、フライングパイレーツに乗っている気分だ。
 塩水で手を滑《すべ》らせたサラレギーが、斜《なな》めになった床《ゆか》で転びかける。
「危ないサラ!」
 おれが手を伸《の》ばすより先に、ウェラー卿《きょう》が彼の細い肩《かた》を掴んで引き寄せていた。そうだった、あまりに華奢《きゃしゃ》で儚《はかな》そうなので、ついついお節介《せっかい》を焼きたくなってしまうが、素人《しろうと》のおれが心配するまでもなく頼《たよ》りになるボディガードが付いているのだった。一方こちらの身辺警護役は、右手を目の上に翳《かざ》し、遠くを眺《なが》めている。
「残念、巨大《きょだい》タコ斬《き》りをお見せできそうにない。ってあー判《わか》ってますよ、タコじゃないってんでしょ。これが聖砂国名物の海流だって仰《おっしゃ》りたいんでシょ?」
「どうでもいいけどヨザック、そんな端《はし》っこに立ってると危ないから! 早く戻《もど》れ、こっちに戻れってば。いくらあんたの上腕《じょうわん》二頭筋が立派でも、波に攫《さら》われたら掴まるとこないから」
「ひどいわ、陛下ったらオレの身体《からだ》だけが目当てだったのね」
 どちらがボディガードか判りゃしない。
 船室の入口まで退却《たいきゃく》してきたヨザックは、おれだけに向けて難しい顔をしていた。
「……護衛艦が肉眼で確認《かくにん》できなくなった。二隻《せき》ともです。沈《しず》んだわけではないだろうけど、かなり離れてしまいましたよ」
「それはつまり……どういうことだ?」
「丸腰《まるごし》で敵地に乗り込む羽目になったってことです」
 成程《なるほど》、彼みたいな生まれついての兵士は、身を守る剣《けん》もないのを不安に感じるのだろう。けれどおれたちは平和外交使節団だ。平和外交を唱える者が、大袈裟《おおげさ》な装備で固めてたら本末転倒《てんとう》だろう。護衛艦が難破していないことは祈《いの》るが、身近にいなくても構わない。
「それもこれも自分達が無事に聖砂国に着いてからの話だよ。とにかくなんとかしてこの難所を切り抜《ぬ》けないと、このままじゃ海の藻屑《もくず》になっちまう」
 船のコントロール中枢《ちゅうすう》も案の定水浸《みずびた》しだった。舵輪《だりん》にしがみついていた船員三人は、全体重を掛《か》けて船体を真《ま》っ直《す》ぐに保とうとしている。横倒《よこだお》しにならないように、タイミング良く大波を乗り越《こ》えなければならない。
「花形操舵手は誰《だれ》だ!?」
 板前の世界みたいな呼ばれ方だ。サラレギーの声に、髪《かみ》の色が一番濃《こ》い男が振り向いた。
「自分です、陛下! ですができれば船室のなるべく奥で、柔《やわ》らかい物に寄り掛かっていて欲しいです!」
 サラレギーは衝撃《しょうげき》で飛ばされないように眼鏡《めがね》のフレームを押さえながら訊《き》いた。
「この海域を通った経験は?」
 花形は眉《まゆ》を上げ両目を丸くして、虚《きょ》を突《つ》かれた顔をした。
「もちろんありません、陛下」
「船長はどうだ」
「ございません、陛下。聖砂国に近付こうなんて、国雇《やと》いの貨物船は考えもしません」
 少年王は舌打ちし、わたしだけか、と呟いた。おれには何が彼だけなのかは判らない。誰か聞いたかと皆《みな》を見回すが、船員達は舵輪を固定するのに必死だ。とても耳には入るまい。おれは思わず拳《こぶし》を握りしめて、言っていた。
「頑張《がんば》ってくれ、とにかく頑張ってくれよ。協力できることがあったら何でもするから、遠慮《えんりょ》しないで言ってくれ」
 花形の右側で唸《うな》っていた小柄《こがら》な男が、食いしばった歯の聞から軋《きし》んだ声を漏《も》らした。
「ありがとうございます……ですが、お客人方は、どうか安全な船室にいらしてくだ……」
 人の動く気配がしたのでふと振《ふ》り返ると、ウェラー卿が部屋を出ていくところだった。髪も肩も大シマロン軍服の背中も、びっしょり濡れて色が変わっている。
「どこへ……」
「船室に戻っていてください。サラレギー陛下も」
 追い始めてしまったおれの足は、サラを押し付けられたヨザックの不満げな声でも止まらなかった。きっと何か状況《じょうきょう》を変える策があるんだ、そう思うと一刻も早く知りたかった。
「何するつもりだ、ウェラー卿」
 降りかかる波が容赦《ようしゃ》なく全身を濡らす。気を抜けば足元を掬《すく》われる。手摺りにしがみつきながらでは、遅《おく》れないようにするので精一杯《せいいっぱい》だ。
「返事をしろよっ」
「人捜《ひとさが》しです」
 船倉に続く階段を駆《か》け下りながら、ちらりとこちらに顔を向けた。流されていないか確かめてから、諦《あきら》めた表情で溜息《ためいき》を吐《つ》く。
「来るなと言ったのに。仕方がない……危険ですからもっと近くに」
「自分の乗ってる船の運命が掛かってるんだ。どんな作戦なのか知りたくもなるさ。おれがどこへ行こうと勝手だろ?」
「お陰《かげ》でグリエはサラレギーを船室に閉じ込めてから、大慌《おおあわ》てであなたを追ってこなければならない……相変わらず、護衛泣かせのひとだ……気をつけて、濡れて滑ります。きちんと足元を見てください」
「判ってる」
 濡れて額に貼り付いた前髪を掻《か》き上げる。塩辛《しおから》い水は目にも鼻にも入り、喉《のど》の奥まで沁《し》みて苦しい。ヒリつく顔を拳《こぶし》で拭《ぬぐ》うと、目頭《めがしら》がますます痛くなった。
「ああ、擦《こす》ると……」
 ウェラー卿はそれ以上言わずに口を噤《つぐ》み、荷箱の間を黙《だま》って過ぎた。先程くぐった床板を持ち上げ、薄暗《うすぐら》い船底を覗《のぞ》き込む。奴隷《どれい》と呼ばれた神族の人々が、閉じ込められている場所だ。
 内部は悲惨《ひさん》な状況だった。大人の膝《ひざ》まで浸水《しんすい》し、とても座ってはいられない。掴まる棒などどこにもないので、船が傾く度《たび》に壁に叩《たた》きつけられる。それでも彼等は悲鳴をあげない。低く呻く《うめ》だけで耐《た》えている。
「おーい!」
 おれの声に、幾《いく》つもの金色の灯《ひ》が集まる。決死の思いで聖砂国を逃れたのに、今また連れ戻されんとしている人々の眼《め》だ。
「大丈夫《だいじょうぶ》かー?」
 馬鹿《ばか》なことを訊いた。大丈夫なはずがない。早急《さっきゅう》に避難《ひなん》させないと、浸水の速度が上がったら真っ先にアウトだ。でもそれを通じない言葉で、どう説明すればいいのか。
「なあ、皆を早くここから出さないと大変……」
 ウェラー卿は船倉の中央にとって返し、火の点《つ》いた洋燈《ランプ》と破り取った紙片を持って飛び降りた。おれも恐《おそ》る恐る梯子《はしご》を下る。
「この中で船乗りか、海軍で働いていた者がいればいいんですが。聖砂国の海運関係者なら、この難所を越える技量を持っているかもしれない。少なくとも小シマロン船員よりは、海流についての知識もあるでしょう」
「あ、そうか。お客様の中にドクターはいらっしゃいませんか作戦だな?」
 なんだそりゃ、という失礼な顔にもめげず、神族の中心で声を限りに叫《さけ》んでみる。
「助けてくださーい! この中に船の運転できる人がいたら……ああくそっ、言葉が通じねえ」
「持って」
 ウェラー卿はおれに洋燈を押し付けると、大きめの紙に木炭で図を描《か》いた。えーと、太陽?
「発電所マーク?」
「違《ちが》いますっ」
「じゃあ何……コンラッド、あんたもしかして絵がへ……ああ解《わか》った! 舵《かじ》、舵を描きたかったんだろ!? ちょっと貸せよ」
 借越《せんえつ》ながら平均美術成績五段階で2のおれが絵筆を握《にぎ》らせてもらい、紙の裏に大きく舵輪を描いた。これでどうだ。ラウンドガールよろしく頭上に掲《かか》げる。
「誰かいないか!? 船の舵をとれる人っ。この絵、この輪っかを回せる人だ」
 最初の内こそ変人でも見るような眼で、おれたち二人を眺めていた神族達だったが、やがて貼り付いていた壁から身をはがし、ゆっくりとした足取りで近寄ってきた。一人の男が怖《お》ず怖ずと手を挙げる。頬が痩《こ》け、今にも倒れそうだが、濃金の瞳《ひとみ》だけは爛々《らんらん》と輝《かがや》いている。
「操縦士さんですか? やったコンラッド! いたよ、いた」
「ええ」
「駄目《だめ》モトでも訊いてみるもんだなッ」
 名前も尋《たず》ねないまま男を梯子に促《うなが》す。早く操舵《そうだ》室に連れて行き、荒海《あらうみ》を乗り越えてもらわなくてはならない。先に登ったコンラッドの手を握り、おれも船底から抜け出そうとする。
「ちょっと待った」
「何か?」
「この人達を残してはおけないよ」
 突《つ》き刺《さ》さる百以上の視線。まさか入口はここだけなのか?
「今はそんな……」
「けど、もし船が沈んだら? こんな底にいたら脱出《だっしゅつ》することもできない。なあ皆さん、この床板、板、開いてるから! 今は緊急《きんきゅう》事態だから見張りもいない。いつでも救命ボートに乗れるように、準備だけでもしておいてくれ」
 彼等は不安な顔を互《たが》いに見合わせるばかりだ。言葉が通じない不自由さを痛感する。
「いいね、開いてるから!」
「陛下、早く」
 聞き慣れた呼び方を耳にしてほっとする。おれたちは言葉が通じて本当に良かった。
「コンラッド」
 木箱の縁《ふち》を頼《たよ》りに船倉を戻《もど》りながら、隣《となり》を早足で歩くコンラッドに訊いた。どうしても腑《ふ》に落ちなかったのだ。
「あの人達はどうして出ようとしないんだろう」
 あそこは、まるで穴みたいなのに。
「同じ人間のされる扱《あつか》いじゃないよな……神族と人間は違うって言われてもさ。おれだったら暴れてる。どっかに訴《うった》えてる」
「抗《あらが》わないように教育されていたのでしょう、これまでは。でも」
 その時だった。ウェラー卿《きょう》の前を歩いていた男が急に振り返り仲間に向かって言葉を投げた。
「今後は、どうなるか判《わか》りません」
 取り残される仲間達への指示だろうか。一言二言は控《ひか》えめな小声だったが、次第《しだい》に熱っぽい叫びになった。内容はさっばり理解できなかったが、船が大きく揺《ゆ》れ、三人揃《そろ》って荷箱にぶつかった時に、おれにも聞き取れる単語が混ぎる。
「忘れるな、べネラが!」
 べネラ? この神族の男は今、べネラと言ったか?
 自分宛《あて》の手紙にあった単語だ。地名か人名かは不明だが、おそらく固有名詞だろうとギュンターは言っていた。その前の動詞の部分は確実ではないが、べネラという名前だけは聞き取れた。痩《や》せこけた男の、口角泡《こうかくあわ》を飛ばしそうな激しい台詞《せりふ》の中に、知っている単語をはっきりと聞いたのだ。
「なあ、べネラって言った!? 今、べネラって呼んだよな?」
 男の服を掴《つか》んで荒っぽく揺さぶる。食糧《しょくりょう》調達に来た少女と同様に、布にべルトを通しただけの粗末《そまつ》な物だ。
「教えてくれ、べネラって何だ? そいつが唯一《ゆいいつ》の希望だってジェイソンは言うんだ。助けてくれってフレディが言うんだ。教えてくれよ、どうやったら救えるんだ? べネラって、あんたたちの何なんだ!?」
「陛下」
 枯《か》れ枝みたいな細い肉体は、おれの腕《うで》に振《ふ》り回されて苦しそうだった。喋《しゃべ》るどころか息をするのもままならない。
「ユーリ!」
 腹の辺りを掴まれて、神族の男から引き離《はな》される。コンラッドの左肩《ひだりかた》がおれの顎《あご》にぶつかった。痛みでやっと冷静さを取り戻す。
「言葉が通じていない」
「そうだった、ごめん……済まなかったよ……こんな質問、美術2の成績じゃ絵にも描けないしな」
 理由も判らず責め立てられた男は、恐怖《きょうふ》と驚《おどろ》きで顔を強《こわ》ばらせていた。伝わるかどうかは考えずに、もう一度頭を下げる。
「……行こうか、船が沈《しず》んでからじゃ遅《おそ》いもんな」
「上からですか」
「はあ?」
 冗談《じょうだん》ともとれる発言に、逼迫《ひっぱく》した事態を一瞬《いっしゅん》だけ忘れた。
「美術の2というのは上から二番目ですか」
「馬鹿だなあコンラッド、下からに決まってるだろ。いいんだって、別に慰《なぐさ》めてくれなくても」
 軽口を叩きながら階段を登ったが、少しだけでも上向いたおれの気持ちはすぐに打ち砕《くだ》かれてしまった。甲板《かんぱん》は相変わらずこの世の終わりみたいな有様で、波に攫《さら》われまいと必死の船員が至る所にしがみついている。中には太いロープを使い、身体《からだ》を柱に結びつけている者もいた。余程《よほど》注意深く進まないと、横波に足元を掬《すく》われて真《ま》っ逆様《さかさま》だ。
 海はこんなにも渦巻《うずま》いているのに、空はまるで別世界みたいな美しさだ。頭上から注ぐ陽光は明るく暖かい。その分、自然に苛《さいな》まれているおれたちが、地獄《じごく》で罰《ばつ》を受けているような気持ちにさせられた。
 集中力が切れたのは、息を吸おうと瞬《まばた》きした瞬間だけだ。甲板の端《はし》に寄らないように気をつけていたのに、頭上から襲《おそ》ってきた緑の波に顔を打たれて、通路にあった手招《てす》りから指が外れた。
「あ、っと」
 船の端の柵《さく》に腹が食い込み、辛《かろ》うじて転落を免《まぬか》れる。厨房《ちゅうぼう》服の背中もしっかりと掴まれていて、ウェラー卿の反射神経に感謝した。いつもの声が、大丈夫《だいじょうぶ》ですかと訊《き》いてくるはずだ。おれはあと一歩で落ちるところだった海面を、そっと乗り出して覗《のぞ》き込んだ。隣に来ていたコンラッドも茶色の瞳を海面に向ける。そこには渦があった。周囲の波とは異なる濃紺《のうこん》の円だ。
「大丈夫です、か……」
「危ないとこだった」
 渦の中央は奇妙《きみょう》に明るいブルー、じっと見ていると吸い込まれそうだ。この感じには覚《おぼ》えがあるが、どこで味わったものなのか思い出せなくてもどかしい。見上げると肩が触《ふ》れる程近くにいるコンラッドも、同じことを考えているようだ。今にも白い手が伸《の》びてきて、首を掴んで引っ張りそうな。恐《おそ》らくそうされても苦しみもなく、自分のいる場所にも気付かないうちに、肺が潰《つぶ》れるほど深い底まで連れて行かれる……。
 遠くで名前を呼ばれた気がして、おれは無意識に、半歩だけ踏《ふ》み出した。
 落ちないはずだった。
 背中を押されさえしなければ。

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