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今日からマ王15-5
日期:2018-04-30 21:27  点击:460
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 テリーヌは船旅を|満喫《まんきつ》していた。
 |凪《な》いだ海を|往《ゆ》く「うみのおともだち」号は、揺れも少なく快適だ。またいつもなら自分を|膝《ひざ》から離さない山脈隊長も、最近では時々こうして|木桶《きおけ》の上で|甲羅《こうら》干《ぼ》しさせてくれる。いくら好んで|一緒《いっしょ》に居るとはいえ、テリーヌ自身はどちらかというと|束縛《そくばく》されるのが|嫌《きら》いなほうだから、たとえ|束《つか》の間でも独りにしてもらえるのは有り難い。
 |依存《いぞん》傾向《けいこう》が軽減しているのかもしれない、とテリぼんはぼんやりと思った。それもこれも海のなせる|業《わざ》なのだろう、きっと。
 無論、焼き過ぎはお|肌《はだ》に良くないが、長い長い骨の一生だ、骨黒な時期があったって構うまい。今日も山脈隊長の手の油を|塗《ぬ》って、午後から|日向《ひなた》テリぼっこだ。
 まさかそこであんな場面を|目撃《もくげき》してしまおうとは、テリーヌは夢にも思っていなかった。彼女(?)が無意識にとってしまった行動を、一体|誰《だれ》が責められようか。
 
 デッキの前方にはフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムが、航海の無事を|祈《いの》る|女神像《めがみぞう》よろしく立っていた。
 口元に|吐潟物《としゃぶつ》を付けたままで。
 ヴォルフラムの|船酔《ふなよ》いは相変わらずだった。魔族最悪の秘術、ギュンターの守護とやらを受けたのに、吐き気に|襲《おそ》われずに済んだのは僅か二日間だけ。これでは一体何のために、あの|薄《うす》気味悪いお守り|袋《おくろ》まで持たされているのか|解《わか》らない。
「……しかも|髪《かみ》の毛で編んであるんだぞ……」
 ユーリ風に言えば一〇〇%ウールで高級感たっぷりだそうだが、実際はギュンターのケ・ジュウワリ、異国の人名風の響きだ。
 彼は|懐《ふところ》から灰色の|巾着袋《きんちゃくぶくろ》を取りだすと、|呪《まじな》いのアイテムを海風にぶらぶらさせた。ぶらぶら、ぶらぶら。
「何だ、今日は吐いてねえのか」
 ぶらぶらさせた袋に|釣《つ》られたわけではあるまいが、アーダルベルトがふらふらと近寄ってくる。相変わらずの肉体派だが、彼にしてみればここ数日は、かなりお|疲《つか》れ気味だった。目の下にははっきりとした|隈《くま》ができている。|自慢《じまん》の筋肉も|萎《しぼ》みがちだ。
 とはいえ、好意を持っている相手でもなかったから、心配してやる気にもなれずに、ヴォルフラムは|不機嫌《ふきげん》そうに鼻を鳴らした。それどころかつい先日までは、魔族の敵と目されていた人物だ。慣れない航海で体調を|崩《くず》したとしても、気に掛けてやるつもりはない。
 ところがアーダルベルトは生気の|抜《ぬ》けた顔で、ヴォルフラムに一包の粉薬を差しだした。
「使えよ。船酔いの薬だ。もっとも人間用だから、お前さんにゃあ効かねえかもしれんがな」
「ハァ? 何言ってるんだ、自分で飲め」
「オレが? 吸血|蝙蝠《こうもり》の眼球と毒々チチカエルと|腐《くさ》った|梨《なし》と魚人|殿《どの》の|鱗《うろこ》をすり|潰《つぶ》して粉にした|酔《よ》い止めをオレが飲むって? 飲むわけないじゃねえか」
 親切だったのか|嫌《いや》がらせだったのか判らない。アーダルベルトは|甲板《かんぱん》の|手摺《てす》りに掴まり、筋肉に物言わせて危険なほど身を乗り出した。
「オレは別に船酔いじゃないからな」
「だったら何だ、どうしてそんなげっそりした顔をしている? 言っておくが、お前を|乗艦《じょうかん》させるために、僕等は多大な犠牲を|払《はら》っているんだからな! いざというときに体調不良で役に立たないなんてことになったら、その筋肉、部位ごとに分けて海に投げ込むぞ」
 乗り物酔いは人を過激にする。だがアーダルベルトはその発言を笑い飛ばすどころか、言われてがっくりと|項垂《うなだ》れた。
「いっそ海に投げ込んぢまいたいぜ……」
「な、なんだグランツ、一体全体どうしたんだ」
「この|辛《つら》さ、お前さんにゃ判らないだろうなあ」
 彼は遙《はる》か遠くの水平線を眺《なが》めながら言った。目が虚《うつ》ろだ。
 
「あの声が耳について離れねえんだ……おとぉさま、おとぉさま、ってな。ああしかも|語尾《ごび》がちょっと疑問調だ。小首を|傾《かし》げて、おとおさま? って感じ」
「な、ななな、ななななナニーっー!?」
 ヴォルフラムは飛びすさり、
「キサマ、|魔族《まぞく》を裏切って人間達に|与《くみ》したばかりでなく、|隠《かく》し子までいたのか!? しかもそんな|幼気《いたいけ》で|可愛《かわい》い女の子を、よりによってユーリ救出のためのこの|艦《かん》に、こっそり連れ込んでいたのか!?」
「オレの|物《もの》真似《まね》が|幼気《いたいけ》で可愛く見えたのか? お前……そりゃ|重症《じゅうしょう》だ」
 アーダルベルトは|頑丈《がんじょう》な|腕《うで》で|金髪《きんぱつ》を|掻《か》き回し、絶望たっぷりの声で|唸《うな》った。
「百五十年近く生きてきたが、まさか自分が毒女の|毒牙《どくが》にかかるとは思わなかったぜ! オレだけは大丈夫と思っていたのに」
「ああ、またアニシナ|絡《がら》みか」
 美少年は何となく|納得《なっとく》した。アニシナが絡んでいるとすれば、どんな不気味なことが起ころうと不思議ではない。筋肉男にどうして|娘《むすめ》ができたのかは不明だが、毒女に|関《かか》わった以上、|諦《あきら》めるしかないのだ。
「娘には|疎《うと》まれるよりも好かれるほうがずっと|嬉《うれ》しいじゃないか。まあ可愛い娘が相手では仕方がない、密航の件は聞かなかったことにしておこう」
「だ、だからどうしてオレに娘がいると思うんだ!?」
 すっかり父親モードに|突入《とつにゅう》したヴォルフラムは、他人の言うことなど聞いちゃいない。たとえ相手が虫の好かない男でも、グレタの自慢を語れればそれで満足なのだ。
「確かに男親は、おとーさま? と呼ばれるのには弱いな。そんな疑問調でおねだりされたら、欲しい物は何でも買ってあげてしまう。そうだ、|歳《とし》はいくつなんだ?」
「え、と、歳? 歳か? |老《ふ》けて見えるが、実際はまだ三十……四、五か」
「五歳か! うちは十歳なんだ。では父親としては僕のほうが|先輩《せんぱい》だな」
「おい待て、お前さんいつ父親に……」
 どっぷり父親モードに突入したヴォルフラムは、他人の|戸惑《とまど》いも気にしやしない。たとえ相手が|顎《あご》の割れてる男でも、|愛娘《まなむすめ》のことをひけらかすことができればそれでいいのだ。
「うーん、五歳ならまだまだ子供だな。グレタが五歳の|頃《ころ》なんか、ぬいぐるみがなければ|寝《ね》られなかったと想像してるぞ、僕は。特製の|玩具《おもちゃ》なんか|貰《もら》うと、すごく喜びそうだな。黄色いアヒルとか|与《あた》えてみるのはどうだろう」
「アヒ……」
 下半身を|筆巻《すま》きにされたまま、人魚のポーズで「おとぉさま?」と呼び|掛《か》けるマキシーンに、黄色いアヒルなど通用するだろうか。いっそヴォルフラムを部屋に|引摺《ひきず》って行き、思う存分「おとぉさま|地獄《じごく》」を体験させてやりたい。
「こうなったら一か八か|催眠《さいみん》法術で、毒の中和を|図《はか》ってみるか」
「催眠法術?」
 |既成《きせい》の単語に一文字足しただけのような用語に、ヴォルフラムは反応した。船酔いの解消に効果がありそうな|響《ひび》きだ。
「前々から不思議に思っていたんだが、神族でも人間でもないお前が、どうやって法術を|会得《えとく》したんだ?」
 グランツの元若|旦那《だんな》は青い|瞳《ひとみ》を|眇《すが》め、そんなこと聞いてどうすると|怪語《けげん》そうな顔をした。
「口で言うほど簡単じゃないぜ。そりゃもう、顎が割れるくらい訓練を積んだんだ」
「顎が!? それは生まれた時から割れてるんじゃないのか!?」
 え。これだから箱入り美少年は困る。笑えない|冗談《じょうだん》を|失笑《しっしょう》するどころか、真に受けてびっくりしてしまう。
「生まれた時からって、そいつぁ誤解もいいとこだ。だったらお前の長兄は、生まれた時から|眉間《みけん》に|皺《しわ》が寄ってたのか?」
「いやそれは、寄ってなかっただろうけど」
 顎と皺では|微妙《びみょう》に|違《ちが》う。
「第一、顎の割れてる赤ん|坊《ぼう》なんかいるか? 見たことあるか?」
「ない……気がする」
「だろう。よーく覚えておけ、顎も腹筋同様、|鍛《きた》えれば鍛えるほど割れてくるんだよ。使い込めば使い込むほど熟練するんだ」
「割れ顎の熟練か」
 ヴォルフラムは、|悔《くや》しいが勉強になったと|頷《うなず》いている。ここを父親学級か何かと|勘違《かんちが》いして、娘を持つ親に悪人はいないと信じているのだろう。一刻も早く父親モードから覚めて、いつもの彼に|戻《もど》らないと危険だ。
 しかし彼等はこの|恥《は》ずかしい会話が、った。全世界の骨一族に向けて|中継《ちゅうけい》されていたのを知らなかった。
 
 一方その頃|血盟城《けつめいじょう》では、グウェンダル、アニシナ、グレタの大中小三人組が「組み組み骨っちょ」の|一片《いっぺん》に|巨大汁碗《きょだいしるわん》状の機材を|繋《つな》ぎ、聞こえてくる通信を|固唾《かたず》を|呑《の》んで聞いていた。
 どうでもいいような内容だったが。
「どうです、この『ビリビリイエスイエス電波受信中』略して『びいえすくん』の性能は。これさえあれば骨通信から出合え系|決闘中継《けっとうちゅうけい》まで、どんな音でも拾えます。んー? あらあら」
 アニシナは切り|揃《そろ》えられた|綺麗《きれい》な|爪《つめ》で、びいえすくんの|縁《ふち》を|辿《たど》った。
「ヴォルフラムが筋肉に|騙《だま》されていますよ」
 長兄は長い指で頭を|抱《かか》えて|眩《つぶや》いた。
「弟よ……」
 グレタが膝の上から|精一杯《せいいっぱい》手を|伸《の》ばし、グウェンダルの頭を|撫《な》でてやる。
「よしよし、グウェン。泣かないでー。きたえたからってアゴが割れるわけないよねえ、なのグレタだって知ってるよ。生まれついての毒女がいないのとおんなじしくみだもん」
「フォンウィンコット|卿《きょう》は生まれついての毒女といえるかもしれませんね」
 アニシナの何気ない一言に、毒女に|恋《こい》する五秒前の少女は色めき立った。
「え、それだーれ? グレタそのひとの|弟子《でし》になるべき!?」
「グレタはまず、年女になってからお考えなさい」
「えー」
 グレタは不満げな声をあげた。眞魔国の干支《えと》は動物が五百七十七種類だ。生きている内に年女になれる確率はそう高くない。
「でもヴォルフはそういう単純でおマヌケなところが、ちゃーむぽいんとなんだって言ってたよ」
「おやグレタ、そんな|褒《ほ》め言葉をヴォルフラムに聞かせたら、きっと嬉しさのあまり|舞《ま》い上がってしまいますよ。陛下も|隅《すみ》に置けませんね。|叱《しか》るときは叱り、褒めるときはきちんと褒める、よい|躾《しつけ》っぷりです」
「言ってたのユーリじゃないよー?」
「では|誰《がれ》です?」
「ぎーぜらー!」
 大人しく落ち込んでいたグウェンダルが、文字では表現できない悲痛な|叫《さけ》びを発した。
「あら、あの|屈強《くっきょう》な男どもを|操《あやつ》ることにのみ|悦《よろこ》びを見いだす|軍曹殿《ぐんそをどの》が、ついに年下の男の子も照準に入れたのですか。まあ|恐《おそ》ろしい、まあ楽しみ。おは、おは、おははははは」
 ああ弟よ、きみを泣く。
 いずれの世界でも、兄は|苦悩《くのう》していた。
 
 処刑者《しょけいしゃ》リストの最後には、確かに神族らしからぬ響きの名前が載《の》せられていた。
 ジェイソンとフレディ。
 例によって鳥の羽ばたきみたいな文字は読めなかったし、|試《ため》しに指で辿ってみても|無駄《むだ》だったが、一番下に書かれた二行を見た|途端《とたん》に、泣きじゃくりたいような|衝動《しょうどう》が込み上げてきた。
 |捜《さが》してたんだ、きみたち二人を。もうずっと。
 |他《ほか》の三人はいずれも外海帰りの男達で、首都近くの施設に|隔離《かくり》されている人物だった。ヘイゼルは、いやベネラはその名前を聞いただけで誰だか|判《わか》ったらしい。額に|拳《こぶし》を当ててぎゅっと目を閉じた。
 にも|拘《かかわ》らず|同胞《どうほう》の救出に関して彼女達は非常に|慎重《しんちょう》で、|生贄《いけにえ》のために危険を|冒《おか》すかどうかの結論は、夜のうちには出なかった。胸の痛みを感じる|程《ほど》、近しい知り合いだったのに。
「彼等だって|覚悟《かくご》はできている」それがベネラとしての主張だ。祖国を捨て、別天地を求めて船で|漕《こ》ぎ出すと決めた時に、心の準備はしてあるというのだ。失敗したらどんな運命が待ち受けているか、成功の確率はどれ程か、それを知った上で|皆《みな》旅立つのだと。
「|生憎《あいにく》ジェイソンとフレディには、教えてくれる人が誰もいなかった」
 そう、あの二人はおれという未熟な|奴《やつ》の手しか借りられなかったために、自分達の行く末を想像できなかったのだ。
「覚悟しておけなんて誰も言えなかった。知らなかったんだから。それどころか生まれ故郷に帰れば幸せな未来が待ってるなんて思い込ませて、聖砂国に送り届けた。|殆《ほとん》ど|詐欺《さぎ》だ、騙したも同然さ!」
「言いたいことは理解できるよ、陛下」
「だったら!」
「だからといってあたしたちが、今回だけは例外とカウントする理由にはならない」
 ヘイゼルはどこまでも冷静だった。
「|畜生《ちくしょう》ッ! ああご婦人の前で|汚《きたな》い言葉を使ってすみませんね、畜生ッ!」
 おれは|貰《もら》った飲み物のカップを|丁寧《ていねい》に|床《ゆか》に戻してから、|壁《かべ》を|叩《たた》いて部屋を後にした。追われているところを助けられ|匿《かくま》ってもらい、食事まで|頂戴《ちょうだい》しておきながらこの非礼だ。|逃《に》げてきた通路の壁には所々に火が|点《とも》されていて、|辛《かろ》うじて|松明《たいまつ》を持たなくても歩ける。
 ヨザックと、それに多分コンラッドも|一緒《いっしょ》だ。
 |狭《せま》い道を来た方向と反対に進むと、数分歩いただけで壁の明かりは|途切《とぎ》れた。|闇《やみ》に迷い込まないよう、火のない場所には絶対に足を|踏《ふ》み入れない。
 おれは|暗闇《くらやみ》と人の世界の境界線を|跨《また》ぎ、石と土の交ざり合った壁に寄り|掛《か》かった。|右脚《みぎあし》は闇、左脚はこの世にある。
 言葉もなく、|唸《うな》り声ばかりの状態に|焦《じ》れて、ヨザックが事も無げに言う。
「どうせおやりになるんでしょ?」
 朝練に参加するか|訊《き》くみたいな調子で。
「ま、五人くらいなら不意打ちで何とかなるかもねー。二人だったらもっと簡単だけど」
「でもこっちは」
 |一旦《いったん》言葉を切って、|薄《うす》明かりで二人の顔を|眺《なが》める。数に入れていいんだよなコンラッド。もしこれがおれの予想どおりサラレギーの|入《いれ》知恵《ぢえ》だとしたら、大シマロン政府だって|阻止《そし》を命じるはずだ。
「三人だぜ? しかも一人はおれ。長打力、|戦闘《せんとう》能力共にゼロ……内野ゴロが精々だ。くそー、ヘッドスライディングすれば内野安打になるかな」
 本当は全速力で|駆《か》け|抜《ぬ》ける方が早い。
「陛下に危険なことはさせられませんよ」
 コンラッドが|溜息《ためいき》混じりに言った。久し|振《ぶ》りに見る、こうなると思ったという顔だ。
「だからといって御自分でされるというのを、止める権利もありませんけど……。人手に関しては、まあどこの国にも金で動く連中はいるはずです。うまく使えばそれなりの戦力にはなるでしょう。ああご心配なく」
 眞魔国組の、おれたちお金無いよポーズに気付いて、ウェラー卿は|懐《ふところ》を叩いた。
「公費がでてますから」
「大シマロンてお金持ちねー|坊《ぼっ》ちゃん」
「ねー、グリ江ちゃん」
 顔を見合わせ、|戯《ふざ》けるおれとグリ江ちゃん。
「問題は言葉の壁です」
 実は英語ペラペラだった身を|以《もっ》てしても、聖砂国語は理解不能だ。つまりおれの|魂《たましい》は、神族として生きた経験がないらしい。もっとも|魔族《まぞく》の唱える|輪廻《りんね》転生リサイクルリストに、神族が加盟しているかどうかは不明だが。
「参加!」
 急に声を掛けられて|振《ふ》り向くと、厚底|眼鏡《めがね》の通詞氏が|頬《ほお》を紅潮させて立っていた。|白徽《しろかび》状の|顎髭《あごひげ》が、興奮のためか逆立っている。
「参加を。ひとり、|従兄弟《いとこ》」
「あの中に従兄弟がいるの? そりゃ気が気じゃないよな。アチラさんは……ああ、お|祖父《じい》さんお|祖母《ばあ》さんがこっちのクラスの人なんだっけ」
 とにかくこれで言葉の心配はなくなった、|凄腕《すごうで》二人がいるとはいえ、相手の数を考えたら非力なチームだ。だからといってフレディとジェイソンを見殺しになど絶対にできない。
「その代わり、不可能だと判断したら|即座《そくざ》に中止します。そこだけはご理解下さい」
「いいよ。でもきっと不可能じゃない」
 いつもどおり、|根拠《こんきょ》のない自信だ。|腕《うで》を首の後ろに回し、|遣《や》り取りを|面白《おもしろ》そうに見ていたヨザックが、今にも頭をぶつけそうな|天井《てんじょう》を見上げた。もちろん星はない。
「あーあ、雨天中止になんないですかねー」
 せめて順延だったら、作戦を練る|暇《ひま》もあったのに。
 
 翌日は|生憎《あいにく》の晴天だった。
 当地で生活しているアチラが、こんなに晴れるのは|珍《めずら》しいと感心するくらいに雲もなく、寒空に白っぽい太陽が高い。風は冷たく頬を|刺《さ》すが、降り注ぐ光は冬にしては暖かい。そういえばこの国は現在冬だが、春の|訪《おとず》れはあるのだろうか。
 首都を歩く限りでは、民衆の格差や|奴隷《どれい》制度などまるで感じない。美しい街並みと、満たされた表情の市民達。同じ色、同じ造りに統一された建築物と、|髪《かみ》も|瞳《ひとみ》も、おおよその服の色まで同じ人々。
 |賑《にぎ》わう商店、|微笑《ほほえ》み、|挨拶《あいさつ》し合う顔見知りたち。寄り|添《そ》って歩く若い男女、|気遣《きづか》い合って歩く老夫婦、真ん中に子供を|挟《はさ》んだ幸福そうな家族。
 |完璧《かんぺき》だ。
 何もかもが完璧過ぎて、ひょっとしておれは|騙《だま》されているんじゃないかと不安になる。聖砂国で奴隷階級が|虐《しいた》げられているなんてのは|捏造《ねつぞう》された|虚辞《きょじ》で、真実は目の前にあるとおり、誰もが幸福に暮らす平和な土地なのではないかと。金色の|洪水《こうずい》に|目眩《めまい》がした。
 だがそんな想像はすぐに|掻《か》き消された。細い通りから転がり出てきた子供が、美しく|装《よそお》った女性の|脚《あし》にぶつかったのだ。それから|僅《わず》か三分弱の間に見せつけられた光景は、楽園にあってはならないものだった。
 |汚《よご》れた服を|纏《まと》った子供は、|薄暗《うすぐら》い路地に逃げ帰った。
 血を流しながら。
 おれもコンラッドもヨザックも、彼が無事に逃げおおせるよう|祈《いの》り、胸の内で何度も謝りながら見守った。
 明らかに|異端《いたん》であるおれは、髪と瞳を|隠《かく》すためにフードを|目深《まぶか》に|被《かぶ》り、|俯《うつむ》き|加減《かげん》で人混みに|紛《まぎ》れている。白と金ばかりの土地ではただでさえ目立つのに、下手に動いてこれ以上人目を|惹《ひ》くわけにはいかない。
 こんな|恰好《かっこう》をしているのは、ほんの|一握《ひとにぎ》りの異国人だけだ。とはいえ、少数ながら出島から先まで足を延ばす商人もいてくれたお|陰《かげ》で、雪の中の|碁石《ごいし》状態にはならずに済んだ。
 おれの|動揺《どうよう》をよそに、街は何事もなかったかのように元に|戻《もど》った。皆、慣れているのだろう。日常的に起こっている、ごく当たり前の出来事だという|証拠《しょうこ》だ。こんな|些細《ささい》な事件で息を|呑《の》み、|喉《のど》を|渇《かわ》かしているのは自分だけなのかもしれない。
「まさかこの人混み、時間がきたら全員が|処刑《しょけい》見物に押し掛けるんじゃないだろうな……会場は|何処《どこ》だって?」
「中央広場です。見せしめですからね」
 ヨザックの返事におれは舌打ちした。お|袋《ふくろ》がいたら品が悪いと耳を|弾《はじ》かれそうだ。
「そんな人目の多い所で……|趣味《しゅみ》が悪いぜ、イェルシー」
 |欧州《おうしゅう》連合みたいな名前のくせに。あれはEUか。ヨザックが右頬を引き|攣《つ》らせた。笑いを|堪《こら》えているらしい。
「|今更《いまさら》何を|仰《おっしゃ》います坊ちゃん、ヴァン・ダー・ヴィーアじゃ大観衆の中心でモルギフ振り回した張本人が。あれだって|歴《れっき》とした公開処刑だったんですよ。しかもまさに本日と同様、子供相手の。観客大喜び、絶賛の|嵐《あらし》、興奮のあまり|逝《い》っちまったじーさんまでいたじゃないですか。それを見事に坊ちゃんがぶち|壊《こわ》しにしたんでしょう」
「そうでした。うわはー、おれに武器を持たせても、|猫《ねこ》の耳に小便ほども役に立たないと証明してしまった」
 動物愛護協会に|睨《にら》まれそうな|間違《まちが》え方だ。本当は何だっけ、猫にごはん?
「|豚《ぶた》に|珍獣《ちんじゅう》もありそうだよな」
 どんなに|空《から》元気をだしてみても、自分がどれだけ小心者でプレッシャーに弱いのか、|誰《だれ》よりもおれ自身が一番よく知っている。本当は不安と|焦燥感《しょうそうかん》で押し|潰《つぶ》されそうだ。失敗したらどうする? いや元々成功の見込みの|薄《うす》い作戦だ、けれどもしおれたちがしくじったら、あの二人は目の前で処刑されるのか? ジェイソンとフレディが殺されるのを、手を|拱《こまね》いて見ることになるのか?
 |汚《きたな》い話だが、|冗談《じょうだん》でも言って気を紛らわせていないと、胸がむかついて胃の内容物をぶちまけそうだ。朝食抜きで助かった。物資不足の結果だが、世の中何が幸いするか|判《わか》らないものだ。
 ウェラー卿《きょう》と通詞・アチラは少し前に、急募《きゅうぼ》した助っ人を配置に就《つ》かせるために離《はな》れていた。後の|叱責《しっせき》が|面倒《めんどう》だからか、ヨザックは借り物のマントの内でおれの|肘《ひじ》を|掴《つか》んでいる。|触《ふ》れていた指に力が加わり、熱がいっそう伝わった。
「|怒《おこ》ってますか」
 |唐突《とうとつ》に彼が|訊《き》いてきた。顔は正面の|噴水《ふんすい》を向いたままだ。臨時処刑場と決められた中央広場は、|石畳《いしだたみ》の道を東へ二ブロックだ。|全《すべ》ての建物は正確な同心円上に配されているので、道案内も簡単だ。
「何を? なんだよ急に真顔になっちゃってグリ江ちゃん」
「オレのしたことを、怒ってます?」
「怒る理由がないだろ、もうずっと助けられてばっかりだ」
「そうじゃなくて」
 プログラムされた時刻になったのか、|一際《ひときわ》高い石柱から四方に水が|噴《ふ》き出した。日射しを受けて小さな|虹《にじ》が|架《か》かる。真ん前に|陣《じん》取って待っていた女の子が、七色の|幻想《げんそう》に喜んで手を|叩《たた》いた。でもきみはこれから、人の死を知ることになるんだよ。おれは|呟《つぶや》いた。親が良識派で、時間までに帰宅させてくれるのを願うばかりだ。
 お庭番は|水飛沫《みずしぶき》に目を|遣《や》ったまま、やっと|注釈《ちゅうしゃく》を入れてくれた。
「ヴァン・ダー・ヴィーアでのことです。オレの態度とか、行動とかです」
「ああ、最初は結構|辛辣《しんらつ》だったっけ」
 もう何年も前のように感じるが、実際にはそう月日は過ぎていない。地球時間では約半年という短さだ。その|頃《ころ》からおれたちはシマロン|絡《がら》みで、世界中を行ったり来たりしているのだ。
「まああれは仕方ないさ。おれも信用なかったし。こんなガキがいきなり王様デースって現れたって、あっさり信じられるものじゃないよな」
 実のところ現在だって大して変わってはいない。成長株ではなくて済まないという気持ちでいっぱいだ。おれの後ろめたさを知ってか知らずか、お庭番は|硬《かた》い口調で続ける。
「それでもあれは主君への態度じゃなかった。ご存知ないかもしれませんが、オレはシマロンの活字が読めたし、どんな|儀式《ぎしき》が|催《もよお》されるかにも|詳《くわ》しかった。なのに陛下を|闘技場《とうぎじょう》に送り込んだんですよ。騙したも同然でしょう」
 そうだったのか! 全然、まったく、さっぱりぽんと気付かなかったけど、バレるのも|恥《は》ずかしいから|黙《だま》って|頷《うなず》いておこう。
「本来なら打ち首もんだ。|魔族《まぞく》の処刑じゃ首は落としませんけどね。今思うと恥ずかしくて|身悶《みもだ》えしちまいますよ。ホントに……ほんとに申し訳ない」
「恥ずかしさ具合では引き分けってとこか」
 |束《つか》の間の|幻想《げんそう》を見せてくれた噴水が終わり、石柱からは弱い水流が|溢《あふ》れるだけになった。女の子は母親と手を|繋《つな》いで、石畳を東へと歩き始める。ああ、やっぱり。
「初対面の印象はどうでもね」
 人波の流れが|徐々《じょじょ》に東に向かっている。
「今は今だから。|頼《たよ》りにしてるから。特に今回のミッションでは、小シマロンからずっと頼りにしっぱなしだから」
 それに気付いていながらも、おれたちは二人ともまだ噴水の前に|佇《たたず》んでいた。
「だから今更そんなこと明かさなくていいよ、ていうか|寧《むし》ろ言われても困るって。あっ、それともおれの気を紛らわせようとして、わざと|優《やさ》しい言葉を|掛《か》けてくれてんの?」
 ありがとな、グリ江ちゃん。おれは彼の立派な|上腕《じょうわん》二頭筋を叩いた。布の上からでも|羨《うらや》ましいような張りで、中身の|詰《つ》まった良い音がする。
 うん、肉体も満点だ。
「|親父《おやじ》がよく頭|抱《やか》えてるやつ、ほらあれだキンムヒョウテイ? それ提出するのがおれだったら、あんたは今やオールAだよ。急に昔のことなんか反省しなくても|大丈夫《だいじょうぶ》。あ、それともグウェンダルに説教でも|喰《く》らわされたのか? だったらおれが話を付けておくから」
「いーやあの人はできた上司ですから、オレを落ち込ませるようなこたぁ言わないです」
「じゃあコンラッドに……?」
「あんな裏切り者にどうこう言われる筋合いはないね。あ、やだわ|坊《ぼっ》ちゃん、そんな困ったような顔しないでぇ、グリ江も困っちゃう」
 |普段《ふだん》はごく自然にチェンジするオネエ様口調だが、今のはあからさまな照れ隠しだ。彼が照れるなんて|珍《めずら》しい。急転直下、これから|雷雨《らいう》にでも|見舞《みま》われるのだろうか。
「ただ謝りたかっただけなんです。ちゃんと言っておかなくちゃと思って」
 そう言うとヨザックは|妙《みょう》に晴れ晴れとした表情で、噴水から目を|離《はな》しておれを見た。
「よかった、これで気が済んだ」
「気が済んだって、ヨザック」
 灰色のフードの下から、オレンジの|前髪《まえがみ》と半ば|隠《かく》れた青い|眼《め》が|覗《のぞ》いている。有り得ないと|一生懸命《いっしょうけんめい》言い聞かせつつも、ほんの|僅《わず》かな不安を口にした。
「どっか行っちゃったり、しないよな」
「どこかって何処へ。元々オレは国外任務が多いですからね、ずっとお|側《そば》にいるってわけにもまいりませんが」
「そうじゃなくて」
 現実になるのが|恐《おそ》ろしくて、その先は言葉にできない。彼までも目の前から消えてしまったら、もう誰の名前を呼べばいいのか。
「……そうじゃなくてさ……いや」
 |握《にぎ》った|拳《こぶし》で|瞼《まぶた》を|擦《こす》った。
「何でもないよ」
「変な坊ちゃんー」
 ヨザックはおれの肘から手を離し、背中を反らすようにしてケラケラと笑った。いつもの彼らしく、陽気に。|腰《こし》じゃなくて後ろに|剣《けん》背負ってると、|抜《ぬ》きにくいのよねえとかぼやきながら。
 時を告げる楽器が鳴り|響《ひび》き、それまでゆっくりと歩いていた人々が、|一斉《いっせい》に早足で東へと向かい始めた。行き先は二ブロック先の広場だ。今日は特別な|催《もよお》しがあるから、|見逃《みのが》すわけにいかない。おれの目には神族の市民達が、|皆《みな》そう|囁《ささや》き合っているように映る。
「あれ、ちゃんと持ちました?」
 小声で|訊《き》かれて|頷《うなず》き、|確認《かくにん》するように|汗《あせ》ばんだ手をぎゅっと握り|締《し》めた。指の間には使い古した紙と、それに包んだ粉の|感触《かんしょく》。
 助けるから。
 低く、|殆《ほとん》ど音にならないくらい低く|呟《つぶや》いた。
 必ず助けるから。

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11/24 15:42