ソプラノ・ブス
「ねえ、NHKだったら、いいお母さんになるやりかた、教えてくれるかしら?」
トットは、履歴書《りれきしよ》を書き終ったとき、もし、誰《だれ》かがそばにいたら、こんな風に聞いてみたいな、と思った。でも、本当のところ、この質問の意味を理解するのには、かなりの説明が必要だった。そして、その説明とは、次のようなものだった。
それは、音楽学校の卒業を前にして、なぜ、トットが新聞の求人欄《きゆうじんらん》など、一生懸命《いつしようけんめい》、見ていたか、ということになり、それは、�世界的なオペラ歌手になる予定だった�ということにさかのぼり、では、どうして、�なりたいと思ったのか?�ということになると、こうなるのだった。
高校一年のとき、イタリア製のオペラ映画�トスカ�を見て、「あれになる!」とトットは決めた。トスカは、美しい歌姫《うたひめ》の役なので、その扮装《ふんそう》は、終戦後、まだ着るものまで余裕《よゆう》のなかった日本人の服装とくらべると、もう、夢《ゆめ》としか見えなかった。
大きく豊かに胸をあけたドレス。その胸元や袖《そで》などには、豪華《ごうか》なレースやリボン。首には、揺《ゆ》れるたびに、ピカッ! と星じるしが、いくつも出るダイヤモンドのネックレス。髪型《かみがた》は、何本もの縦《たて》ロールで花飾《はなかざ》りつき。そして、その美しい人は、大きい扇《おうぎ》で、ちょっと顔をかくすように、優雅《ゆうが》に現れると、いきなり、世にも高いソプラノで、
※[#歌記号、unicode303d]ア・ア・ア・ア〜〜〜〜
と、歌ったのだった。それは圧倒《あつとう》的で、トットの、すべての感覚を、かき乱した。
「ああ、あの人になろう!」
躊躇《ちゆうちよ》なく、トットは決心した。
「あれは、どこに行ったら、教えてもらえるのかな?」学校の友達《ともだち》に相談すると、
「やっぱり音楽学校じゃないの?」ということだった。次の日から音楽学校さがしが始まった。ところが、東京中、走りまわり、いくつかの音楽学校の窓口で、かけあってみたものの、高校一年で入れてくれるところは、なかった。でも、トットは必死だった。(ほかの人より、一日でも早く学校に入ろう。早く入れば、それだけ早く役がもらえる!)
顔も才能も、肉体的条件も無視だった。この幼稚《ようち》な考えは、�なんでも先着順�という、戦争中の配給制度が、小さい時から身にしみついている結果に違《ちが》いなかった。一列に並《なら》んで、たべものや着るものを貰《もら》うときには、早く並んだものの勝ちだった。その頃《ころ》は、何を配給してるのか、わからなくても、人が列になってれば、すぐ、その列のうしろに並ぶ、というのは、習慣だった。あわてて列のうしろについたら、お葬式《そうしき》だった、なんて笑い話が、あるくらいだった。
そんなわけで、トットは、とうとう東洋音楽学校(現在の東京音大)と話をつけ、次の年、高校二年になったらば、試験を受けさせてもらうことに、こぎつけた。その頃は、まだ、いろんな所に空襲《くうしゆう》で焼けた学校があり、建物は復興できずにいた。だから一人でも多くの生徒を学校は欲《ほ》しがっていた。なにしろ、この東洋の前に、期日的に試験に間に合ったM音楽学校の試験官は、トットに、はっきり、こう聞いた。
「いくら、寄付してもらえますか?」
トットは、何のことか、始めは、わからなかった。そして、(寄付の額で入れるのかも知れない!)とわかったときは、とても驚《おどろ》いた。でも残念ながら、こう答えるしか、なかった。本当だったのだから。
「私、両親に内緒《ないしよ》で試験、受けに来てますから、それは、駄目《だめ》だと思います……」
そして、当然のことだけど不合格だった。それと、もう一つ。この頃は、六三三制が決まった過渡期《かとき》だったので、世の中は、中学五年で卒業する人、高三で卒業する人、混乱の時代だった。だからこそ、こういう約束《やくそく》も、トットは、音楽学校と、とりつけることが出来たのだった。
次の年、本当にトットは試験を受け、合格し、東洋音楽学校の生徒になった。
生徒になった途端《とたん》、すぐわかったこと。それは、オペラ歌手には、先着順ではなれない、ということだった。
それと、もう一つショックだったのは、あの映画�トスカ�の美しい女の人の歌った声は、本人のものではなく、他の声のいい人が歌ったものに、トスカ役の人が、口を合わせたのだ、と知らされたことだった。同級生の少し意地の悪い男の子が、あたりを見廻《みまわ》してから、小声で教えてくれた。大声でいっては、さしさわりがありすぎるからだった。
「ほら、ソプラノ・ブスに、テノール馬鹿《ばか》って、昔《むかし》からいうじゃないか? あれだよ」
そんなことがいえるのも、その子がバリトンだったからで、失礼しちゃうことに、トットは、ソプラノだった。
それでも四年間、トットは頑張《がんば》った。たまには、自分の声の中に、あのトスカのときの雰囲気《ふんいき》を感じるときさえあった。
学校は、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》で、有名な鬼子母神《きしもじん》のすぐ近くにあった。お昼休み、よくトットは友達たちと、境内《けいだい》のベンチに腰《こし》をかけ、焼きいもを喰《た》べては、音楽の話をした。その焼きいもは、鬼子母神の隣《とな》りの小さな店、おじいさんとおばあさんがやってる石焼きいも屋さんから、毎度、買ったものだった。鬼子母神は、安産の神様だとかで、お腹《なか》の大きい女の人が、毎日、何人も来ては、お祈《いの》りをしていった。お母さんらしい人につきそわれた若奥《わかおく》さん風の人もいたし、子供をゾロゾロ連れて、「またですよ!」という感じのオバさんもいた。寒そうな顔で走って来て、おがんで、またすぐ走って帰る、やせた女の人もいた。たまには、お腹の大きい犬が、神社の境内を横切ることもあって、トットたちは大笑いをした。そして、卒業も間近になったある日、トットが気がついたとき、友達みんなは、就職が決まっていた。みんなは、焼きいもを喰べて、楽しくしていただけではなかった。別にトットに秘密にしてたわけではないらしかったけど、トットが、「アレレレ……」と思ったときには、
「私、コロムビア」
「あたし、藤原歌劇団!」
「僕《ぼく》、テイチク」
「私、中学の先生」
と、口々に、いっていた。中でも三浦洸一《みうらこういち》さんという人は、すでにレコーディングというのを済ませて、レコード歌手としてのデビューが決まっている、という話だった。
そして、トットは何も決まっていなかった。本当のこといって、こんなに、びっくりした事はなかった。自分のぼんやりにも、あきれた。でも、トット本人だけでなしに、パパにもママにも、あまり真剣《しんけん》に、卒業してから就職、ということについての考えはなかったらしい、と思えて来た。パパは前から、なるべく、早いとこ、お嫁《よめ》に行ってほしい、というようなことを、ほのめかしていた。女の子が、男の社会で苦しむのを多く見て来たし、特に、パパの音楽の世界では、泥《どろ》まみれになっていった女の子も沢山《たくさん》、知っていた。
それにしても、自分だけ、身のふりかたが決まっていない! とわかったとき、トットは悲しかった。オペラ歌手が駄目にしても、この四年間は、自分にとって、何だったのだろう、と、はればれしなかった。