ヤン坊《ぼう》 ニン坊 トン坊(㈼)
そして、NHKはじまって以来、という、大がかりなオーディションは、終った。トット達《たち》のような新人は、他《ほか》にいなくて、みんな、もう放送に馴《な》れてる女優さん達だったから、万事、スムースに進んだ。でも、セリフは上手だけど、「私、歌の譜面《ふめん》、すぐ読めないのよ」という人も、中にはいた。トットは、何もかも、人より秀《すぐ》れてるところは、なかったけど、音楽学校を出ているから、楽譜を、その場で見て、すぐ歌う訓練は、出来ていた。だから、「困った困った……」といってる、どこかの女優さんに、少し教えてあげたりした。考えてみると、オーディション、というのは、誰《だれ》もがライバルであるはずなのに、トットは、同じドキドキの苦しみを味わった同士、といった親しみを、みんなに感じていた。
「トン坊を、やって下さい」
と、いわれていたトットは、とにかく、出来る限り、小さい男の子のような声を出してみた。一年間のNHKの養成期間に、こういう訓練はなかったけど、有難《ありがた》いことに、主役をやれなかったおかげで、いろんな変った役を勉強したので、どんな風にやれば、どんな声が出るか、見当がついていた。トットがトン坊をやるときは、勿論《もちろん》、ヤン坊とニン坊をやる人と、一緒《いつしよ》だった。でも、一通りやると、係りの人が、トットに、
「あなたは、もう一度、トン坊を、やって下さい」といって、違《ちが》う、ヤン坊やニン坊を、トットのいるマイクのところに連れて来た。そして、その係りの人は、耳につけてるレシーバーで、ガラスのむこうの副調整室からの指令を聞くと、その場で、ヤン坊とニン坊の役を、とりかえて、
「もう一度、はじめから、お願いします」
といったりした。それは、トットと同期生の誰かのときもあれば、すでに有名な女優さんの時もあった。トットは、思った。
(いいなあ、みんなは、ヤン坊だの、ニン坊だの、いろいろ、やれて。私は、もしトン坊が、よくなかったら、落ちて、それで、おしまい!)
でも、これまで、何度となく、通行人の役を降ろされたり、日本語がヘンだから、直して来い! と、先輩《せんぱい》にいわれたり、ディレクターに無視されたりが、あたりまえのようになっていたから、
(あまり、多くは、望むまい!)
と、決心していた。でも、本当のことを言って、絵本や童話を、自分の子供に上手に読んでやるお母さんになる予定で、NHKに入ったトットだもの、この、「ヤン坊ニン坊トン坊」のような番組が、もし、やれたら、それは、
(夢《ゆめ》が、かなったことになるのに……)
と、ひそかに思っていた。
それから、また別のヤン坊ニン坊が何度か来て、そのたびにトットがトン坊をやって、とうとう、オーディションは、終った。係りの人は、
「しばらく、お待ち下さい」
といって、副調整室に入っていった。
厚い木の、ついたてが、ガラスのむこうの審査員《しんさいん》と、スタジオのトット達を、相変らず仕切っていた。だから、中で、いま、何が行われ、どんな人が、なにを言ってるのか、全く、わからなかった。スタジオの中は、誰も彼《かれ》もが、一生懸命《いつしようけんめい》やった、とわかる紅潮《こうちよう》した顔で、だまって、腰《こし》かけていた。でも、お互《たが》い、この初めてのオーディションというものを一緒にやり、いま、�結果を待つ�という心細さ、というか、競《きそ》い合ってるという恥《はず》かしさ、というか、同時に、スリルを味わっている、という複雑な思いでいた。だから、顔を見合わすと、誰かれなく、やさしく、ほほえみあったりするのが、一寸《ちよつと》、悲しい、と、トットは思った。ただ、女優のオーディションというのは、優劣《ゆうれつ》よりも、その役柄《やくがら》に、合うか[#「合うか」に傍点]、合わないか[#「合わないか」に傍点]が、まず、第一、という事が、まだしも他の社会の競争にくらべて、気が楽だった。
七、八分して、係りの人が、紙を持って入って来て、いった。
「では、これで、オーディションを終ります。御協力ありがとうございました。役が決まりましたので、お伝えします。
ヤン坊、文学座の、宮内順子さん
ニン坊、同じく文学座の、西仲間幸子《にしなかまさちこ》さん
トン坊、NHK劇団の、黒柳徹子さん
以上です。みなさん、本当に、ありがとうございました。また、よろしくお願いします」
トットは、立ち上ったけど、何もいえなかった。トットの同期生の五期生のみんなが、そばに来て、「よかったわね」と、口々に、いってくれた。他の女優さん達も、みんな立ち上り、それぞれ、さよならを言ったり、解放された感じで、話し始めた。トットは、だまって、立っていた。トットにくらべると、お兄さん役のヤン坊とニン坊になる、文学座の二人は、大人っぽく、新劇の女優さんらしく、さっぱりとした、立居振舞《たちいふるまい》だった。係りの人が、
「それじゃ、作者の飯沢匡先生、作曲の服部正先生、それから�ヤン坊ニン坊トン坊�の、実際の担当者たちを紹介《しようかい》します」
と、いった。そのとき、トットは、初めて、今まで、ついたてのむこうにいた審査員を、見たのだった。
その日、トットは、その頃《ころ》の一張羅《いつちようら》を着ていた。白い小さい衿《えり》のグレーの無地のシャンタンの身頃《みごろ》に、グレーに白の大きな水玉の、やはりシャンタンの、ふくらんだフレアー・スカートの、ワンピースだった。髪《かみ》は、ポニー・テールで、頭のてっぺんには、当時、大流行の、帽子《ぼうし》とも、ヘアー・バンドともつかない、わらじ型[#「わらじ型」に傍点]のものを、のせていた。黒のベルベットだった。同期生の男の子たちは、それを、
「エジソン・バンド」と、呼んでいた。昔、頭を良くするためにと売り出した、エジソン・バンド、というものに、形が似てる、という話だった。
トットは、自分が選ばれた、ということを、うれしい、と思うより先に、とても恐縮《きようしゆく》していた。それに、あとで、選んだ人が、後悔《こうかい》しなければいい、と、オドオドと考えていた。(いつもみたいに、結局は、降ろされたら、どうしよう)とも、思っていた。だから、係りの人が、
「このかたが、作者の飯沢匡先生ですよ」
と、トットに紹介してくれたとき、トットは、おじぎをするなり、必死で、いった。
「私、日本語が、ヘンですから、直します。歌も下手ですから、勉強します。しゃべりかたも、ちゃんと、しますから」
そのとき、飯沢先生が、いって下さったことを、トットは、そのあと、何度も、何度も、思い出した。だって、そんなこと、NHKで、誰一人、いってくれたことが、なかったから。飯沢先生は、にこにこ、しながら、こういったのだった。
「直しちゃ、いけません。あなたの、その、しゃべりかたが、いいんですから。ヘンじゃありません。いいですか? 直すんじゃありませんよ。そのままで、いて下さい。それが、あなたの個性で、それが、僕《ぼく》たちに、必要なんですから。大丈夫《だいじようぶ》! 心配しないで!」
……それまで、トットの�個性�というものは、みんなの邪魔《じやま》だった。
「君の、その個性、なんとか、なりませんか。ひっこめて、もらえないかねえ」と、いわれ続けてきた。「ひっこめて」と言われても、どうしたらいいのか、トットには、わからなかった。でも、とにかく、
(ふつうの人のように、どうしたら、なれるかしら?)と、つとめて来た。それなのに、飯沢先生は、
「そのままで、いて下さい」と、いって下さった。トットは、急には信じられなかった。でも、胸の底から、うれしさが、こみあげて来た。たった一人でもいい、トットの個性を、必要とする人に、逢《あ》えたんだもの。
飯沢匡、という人について、トットは、何も知らなかった。
丁度、このとき、昭和二十九年、飯沢先生は、朝日新聞を、やめた。それまでの、ジャーナリストと、劇作家、という二つの仕事を、一つに、しぼるためだった。そして、この年、文学座のために書いた「二号」という芝居《しばい》で、第一回岸田演劇賞を、受賞した。
トットが、トン坊に決まったニュースに、有頂天《うちようてん》になった大岡先生は、トットに、こう、耳うちした。
「放送界には、真船《まふね》(豊)上皇《じようこう》、北条(秀司《ひでじ》)天皇が、いらっしゃいますが、飯沢先生は、別格で、ハイカラでも、いらっしゃるので、飯沢|法王《ポープ》、と、私どもは、かげで、お呼びしてるんでございますよ。それと、やはり、忘れては、いけないことは、飯沢先生が、世界で最初に、原爆《げんばく》の写真を、雑誌に、のせたかた、ということで、ございましょうね」
戦後すぐ、アサヒグラフの編集長になった飯沢先生は、日本がアメリカから独立した日に、それまで、机の引き出しに、かくしてあった、広島の原爆の写真を、アサヒグラフに、のせた。これが、世界に最初に紹介された、原爆の恐《おそ》ろしさだった。日本人も、それまで、見たことのない、原爆の、写真だった。外国からも、増刷の注文が殺到《さつとう》した。
「一見、やさしそうに見えるけど、こわいかたです」
と、大岡先生は、小声でいい、
「それにしても、トットさまのデビュー作品が、飯沢先生で、本当に、よろしゅうございました」
と、つけ加えた。トットも、そう思った。
こうして、トットの、本当の意味のデビューは、この、「ヤン坊ニン坊トン坊」と、決まった。そして、放送が始まった。ところが、第一週目で、ヤン坊の宮内順子さんが、文学座の旅公演と、ぶつかって、続けられなくなり、ちょっとして、ニン坊の、西仲間さんが、赤ちゃんが出来て、お休みをしなくちゃならなくなり、配役は、こう変った。
ヤン坊 NHK劇団の、里見京子
ニン坊 同じく 横山道代
トン坊 同じく 黒柳徹子
そして、この番組は、爆発的にヒットし、この三人は、NHKの三人|娘《むすめ》として、マスコミに、とりあげられ、注目されることに、なるのだった。
でも、もし、トットが、このオーディションに受からず、
「あなたの、そのままが、いいんです」
という、飯沢先生に逢わなかったら、恐らく、放送界に残ることは、なかったに、ちがいない。いくら元気で、楽天的なトットでも、ヘンとか、邪魔、という圧倒《あつとう》的な声に、自信を失って、きっと、他の道を探して、歩いて行ったに、違いなかった。