見開《みひら》き
NHKのスタジオの壁《かべ》を背中にして立っているトットに、カメラマンが、
「これは、見開きで行きますからね」
と、レンズを、のぞきこみながら、いった。トットは、アサヒグラフのグラビアにのるので、いま、写真を撮《と》られているところだった。カメラマンは、朝日新聞の秋元啓一さんで、のちにベトナム戦争の報道写真を、沢山《たくさん》、撮った人だけど、この頃《ころ》は、呑気《のんき》に、トットの写真なんかを撮りに来てくれていた。
「見開き」
と聞いて、トットは、
「わかりました」
といった。そして、目を、なんとか実際より大きく見えるように、開《あ》けて、まばたきをしないようにして、カメラを見た。秋元さんは、カメラから顔を離《はな》すと、いった。
「顔、もっと自然にして下さい」
トットは、ますます目に力を入れて、大きくしながら、いった。
「だって、見開き、なんでしょう?」
突然《とつぜん》、秋元さんは、しゃがみこんで笑った。編集の男の人も、大声で笑った。トットには、意味が、わからなかった。
(見開きです、といったから、目を大きく開いているのに……)
秋元さんは、随分《ずいぶん》、長く笑ってから、少しボサボサの髪《かみ》の毛を、かくようにして、トットに、いった。
「ごめんなさいね。見開きっていうのは、君の目のことじゃなくて、グラビアの頁《ページ》でね、開いて両方の頁に、またがる写真のことを、いうんです。なるほどね、僕《ぼく》たちには、あたり前になってることが、違《ちが》う世界の人には、わからないんだなあ。気をつけなくちゃ。顔は、ふつうで、いいんですよ、じゃ、いきますよ!!」
トットは、とても恥《はず》かしかった。それは、見開き、という言葉を知らなかったこともあるけど、それより、目を大きく開くのは、不自然なこと、と思いながら、無理して、ポーズをしてた自分に対してだった。でも、考えてみると、雑誌の見開きを、自分の目と勘違《かんちが》いしたのは、確かに、おかしいことだった。トットも、少し首を、すくめながら笑った。でも、そのおかげで、とても、雰囲気《ふんいき》のある、楽しい写真が出来上った。
それにしても、その現場の人達《ひとたち》にとっては、日常的な言葉だけど、トットのように、初めて聞く人間にとっては、びっくりしちゃう、というのが、沢山あるのにも、トットは驚《おどろ》いた。
特にテレビは、映画から来たもの、歌舞伎《かぶき》から来たもの、アメリカから来たもの、いろんな言葉が、ゴチャゴチャに混っているので、憶《おぼ》えても憶えても、きりがなかった。
『ケツカッチン』
F・Dさんが、お化粧室《けしようしつ》でメーキャップをしてるトット達にむかって、叫《さけ》んだ。
「古川緑波《ふるかわろつぱ》さん、ケツカッチンですから、急いで下さい!!」
トットは、とび上って、心配そうに、F・Dさんに聞いた。
「古川緑波さん、どっか、お悪いんですか?」
F・Dさんは、それこそ、見開きのとき、トットがしたように、目を、まん丸くして、いった。
「どこも悪くありませんよ。ケツカッチンというのは、ここの仕事と、次の仕事が、時間的に余裕《よゆう》が無いんで、こっちを、きちんと決まった時間に終らせなきゃ、いけない、っていうこと。こっちのケツが、次に、ぶつかっている、ということ。わかった?」
わかったけど、トットは、あまり、美しい言葉では、ないと思った。だから、自分では絶対に使わなかった。奇麗《きれい》な女優さんが、
「私、ケツカッチンですから、よろしく!」
なんて言ってるのを見るのも、あまり好きじゃなかった。小学生のとき、ひと頃、はやった、お尻《しり》をぶつけて遊ぶ「ドンケツ」は、面白《おもしろ》い響《ひび》きがあって、嫌《きら》いじゃなかったけど。貴族的な古川緑波さんにも、ケツカッチンは、似合っていないように、トットは思った。
『消えもの』
御飯《ごはん》をたべるシーンがあって、トットが、お膳《ぜん》の前にすわっていると、ディレクターが来て、せわしい調子で、トットに聞いた。
「消えもの、どしたの?」
トットは、夢《ゆめ》を見ているのかと思った。(このディレクターは、私に、何を聞いているのかしら? 消えもの? おばけのドラマじゃないのに。何が消えたというのかしら……)
その瞬間《しゆんかん》に、小道具さんが、大きなお盆《ぼん》にのせて、エッサエッサと運んで来たものを見て、ディレクターは、安心したように、
「ああ、来た来た」
といった。
(消えものが、来た?)
見ると、果物だの、おつけものだの、お味噌汁《みそしる》だの、焼魚だのが、並《なら》んでいた。つまり、喰《た》べて、なくなるものを、消えもの、というのだと、トットは理解した。そして、「消えもの」というのは、たべものが主《おも》だけど、時には、ドラマの中で、投げつけて、割れてしまうコップだとか、まるめて、どうにかなっちゃうハンカチといった、消耗品《しようもうひん》も、そう呼ぶ、ということも、あとになって、わかったことだった。
『なめる』
トットの大好きな、永山ディレクターが、リハーサルのとき、トットを指しながら、いった。
「ここで、Aカメラさん、黒柳君の肩《かた》を、なめて下さい」
トットは仰天《ぎようてん》した。そこで急いで、いった。
「なめて頂かなくて、結構です」
でも、永山さんは、まるで聞こえなかったような様子で、響きのある声で続けた。
「で、肩をなめたら、Aカメラさん……」
トットは、もっと大きな声で、必死で、いった。
「なめて頂かないで、結構です」
やっと気がついて、永山さんは、トットに、いった。
「なめる、ってこと、君、気にしてるの? 君の肩なめ[#「肩なめ」に傍点]、どうして、反対なの?」
(肩なめ?)
トットは、少し狼狽《ろうばい》した。
(あれ? 私、何か、思い過し、したかな?)
たしかに、これは、トットの思い過しだった。
なめる、というのは、ある物越《ものご》しに、何かを撮ることで、例えば、「花をなめる」または、「花なめ」といったら、手前に花を置いて、その花越しに、むこうに居る人を撮る、ということだった。トットは、小さい声で、永山さんに、いった。
「なめて下さって、結構です……」
『バミリテープ』
F・Dさんが、上の副調整室との連絡用のレシーバーを、はずしながら、トットに、いった。このレシーバー風のものを、スタジオでは、インカム[#「インカム」に傍点]と呼ぶ。恐《おそ》らく最初アメリカから来たときは、Intercommunication=[#「=」は------------------]
相互《そうご》通信・連絡=[#「=」は------------------]
と呼ばれていたんだろうけど、これでは、あまりに長いので、日本流に、短かく、インカムになったらしい。そのインカムを、はずしながら、F・Dさんは、トットに、いった。
「バミリテープ、持って来ますから、ちょっと、動かないで、ここに立っていて下さい」
「バミリテープ?」
何度、口の中でくり返してみても、見当のつかない言葉だった。何が来るのだろう……。トットは、物凄《ものすご》いものを期待して、待っていた。
F・Dさんは、まるで、手ぶらのように、もどって来ると、いきなり、トットの足許《あしもと》に、しゃがんで、いった。
「ちょっと、足、どかして下さい」
トットが、とびのくと、F・Dさんは、手の中に持って来た、幅《はば》一センチくらいの、ビニールテープのような絆創膏《ばんそうこう》のような巻いたものを、少し引っぱって千切ると、スタジオの床《ゆか》に、小さな×じるしを、作った。そして、上から手で、こすりつけるようにして、よく貼《は》りつけた。そして、トットに、
「ここですからね」
といった。つまり、トットが、むこうから歩いて来て、止まる位置なんだけど、どうして、こんな、バンソーコーみたいなものが、バミリテープ、なんて、おごそかな名前で呼ばれるのか、トットには、わからなかった。でも、よく観察していると、スタジオの床の、俳優さんが、確実に立たなくちゃいけない点だとか、椅子《いす》などを、芝居《しばい》の途中《とちゆう》で動かして来て、決められた所に、きちんと置く、その場所を、
「バミる」
と、みんなが言ってることに、気がついた。
多分、「場《ば》をみる」から来た「場見る」に違いなかった。それが、変化したのか、自分の立つ所に、×じるしをつけて貰《もら》いたい俳優さんは、
「ここ、バミって下さい」
と、F・Dさんに、頼《たの》んだりしている。そしてF・Dさんは、「はい、バミりましょう」なんて、いう。
つまり、「バミる」「バミって」「バミリテープ」となっていったのだ、と、トットは、自分流に解釈した。それにしても、この、どこの家にも、どこの会社にもあるビニールテープみたいなものが、テレビ局に来ると、俄然《がぜん》、
「バミリテープ」
と、特別な名前で呼ばれるのは、変っている、と、トットは、自分の足許の、小さい×じるしを見ながら、思っていた。