拙者《せつしや》の扶持《ふち》
その頃《ころ》、NHKでは、本番当日、出演者に出演料を払《はら》っていた。トット達《たち》劇団員には、NHKの庶務《しよむ》が、一ヶ月働いた時間を計算して、職員と同じ二十五日に月給袋《げつきゆうぶくろ》を手渡《てわた》してくれていた。でも、外部の出演者は、ラジオもテレビも、本番の前に謝金係りの女の人が、スタジオに来て、茶封筒《ちやぶうとう》に入れた、その番組の出演料を、顔と名前と照合して渡した。俳優さん本人が、中に入ってる領収書に住所と名前を書いて、その女の人に渡すと、現金の入った袋が、手の中に残る、という仕組みだった。NHKの頭文字《かしらもじ》をとって「日本|薄謝《はくしや》協会」とか「ケチケチケー」とか、みんな、いろんなことを言ってたけど、とにかく、その日のうちに、必ず現金が貰《もら》えちゃう、というのは、新劇の舞台《ぶたい》で暮《くら》していくことの難かしい俳優さん達《たち》にとっては、結構ありがたいことに違《ちが》いなかった。トットにしても、ほとんど、月給袋をもらった日に、洋服一枚と、靴《くつ》かハンドバッグを買っちゃうと、もう、手許《てもと》には、何も残らないくらいの月給で、あとは、毎日、家を出るとき、ママから百円、おこづかいを貰ってる身だった。だから、領収書にサインして袋を受けとる、外部の俳優さん達を、どんなに、うらやましく、毎回、見てたか、わからなかった。
この出演料が、あるとき、もう一寸《ちよつと》で、大変なことになるところだった。それは、テレビの時代劇の時だった。ある新劇の中年の俳優さんが、この出演料を、いつものように、本番前に受け取った。普通《ふつう》なら、カバンとか、上着のポケットにでも入れて、鍵《かぎ》のかかるロッカーにしまうんだけど、もう本番直前で、すっかり扮装《ふんそう》をしていたので、ふところに、何気なく、しまった。この人の役は忍者《にんじや》で、密書を殿様《とのさま》に届ける役目だった。ところが、途中《とちゆう》で敵にやられてしまって、虫の息になる。そのとき、同僚《どうりよう》の忍者が、かけよって来るので、その密書を、その人に渡し、本人は息たえる、というストーリーだった。本番になった。途中までは、トントンと進んだ。そして、とうとう、何人もの敵に囲まれ、遂《つい》に、バッサリと切られるクライマックスになった。敵は姿を消した。「う〜む」地面に倒《たお》れて、もがいていると、同僚の忍者が近よって来た。虫の息で、忍者は、近づいて来た同僚に、いった。
「ふところの……ふところの、密書を殿へ……」
同僚は、いそいで、もがいてる人の、ふところに手をつっこんで、手にさわったものを取り出した。カメラ、その手許に近よる。クローズ・アップ。ところが、本来なら、それに「密書」と書いてあるはずだった。でも、よく見ると、これが、あの、出演料の茶色の袋だった。同僚は、ハッ!! と気がついて、思わず「これは……」と、いってしまった。もがいている忍者も、何か様子が、おかしいと薄目《うすめ》をあけて見てみると、なんと、さっき受け取った出演料では、ないか……。このとき、この人、ちっとも騒《さわ》がず「それは、拙者の扶持でござる。密書は、もっと奥《おく》……」といって、息たえた。同僚の忍者は、ふところの、もっと奥に手をつっこみ、見事に密書を殿にとどけた、という、この話は、その日のうちに、NHK中に、伝わった。ナマ本番の俳優の心得として、立派だ、ということで。御本人《ごほんにん》は出演料を衣裳《いしよう》のふところに、しまう、という不注意は、俳優の心得として「ありうべからざることで、ござる」と恥《は》じていた、という話も、ついでに、伝わった。それでも、時代劇の中で、親指と人さし指で輪を作って、仲間の武士に「OK」と、合図をしたという俳優も出て来てる時代なので、この「扶持」という、セリフにない言葉が、すぐ出るのは、やはり、たいしたものだ、と、みんなは、面白《おもしろ》がりながらも、ほめたたえた。
それでもナマ番組では、とり返しのつかないことも、相変らず、起っていた。
カメラにむかって話をする、落語家の人や、漫談《まんだん》の人、また司会のようなことをする人で、カメラが、ついたとたんに、さり気なく話し出す、というのに、まだ馴《な》れない人が、大勢いた。カメラの上の赤いランプがつき、F・Dさんが、キューを出すんだけど、みんな、たいがい、キューを出す人のほうを向いていて、キューが出ても、すぐ話し出さずに、キューを出した人に、自分を指さし「私、写りました? いいんですね? 始めますよ?」というジェスチャーをし、それから、おもむろにカメラにむかって、おじぎをしてから始めた。また中には、キューを出した人に、おもむろに、うなずいて、それから急に、カメラのほうに笑顔《えがお》になって、あいさつをする人もいた。若い女の人の中には、キューを見損《みそこ》なって、写ってるのかどうか、半信半疑で、困った顔で舌を出して首をすくめたり、キョロキョロしてるところが、たっぷり写ってる、なんてことも、しょっちゅうだった。始まるときが、そんな風だから、終りも、うまくいかない事が多かった。
「では、さようなら」と、カメラにいって、おじぎをした人が、いつまでも写ってる。仕方なく、何度もニッコリして「本当に、さようなら」なんていってるのに、まだ写ってる。中には、横をむいて「まだ写ってるんですか?」と聞いたりしてる人もいた。時には、F・Dさんが「あと何秒です」と終りの秒よみを、指で知らせてる最中に、勝手に「では、ごめん下さい」と帰っちゃう人もいたりして、あと、壁《かべ》だけが、時間まで写ってる、なんてこともあった。
帰っちゃう、といえば、トットも出ていたドラマで、左卜全《ひだりぼくぜん》さんが凄《すご》いのを、やった。森繁久彌《もりしげひさや》さんが、おまわりさんで、犯人を探し出す、という推理劇のドラマの時だった。卜全さんは、死んでお棺《かん》に入ってる役だった。劇中、森繁さんの推理が進行するにつれ、お棺の中の卜全さんも、証拠《しようこ》として、何度も画面に写った。四回くらい写ったあとだった。卜全さんは、もう自分の出番は終った、と思ったか、お棺から出て、さっさと化粧室《けしようしつ》に入り、お化粧を落して、帰り支度《じたく》を始めた。ところが、もう一回、お棺の中のシーンが残っていたのだった。カメラがポーン!! とお棺を写すと、なんと、中の死体がない。森繁さんは絶句した。トットは、すぐ次のシーンに卜全さんの孫の役で出る事になっていた。でも、死体が忽然《こつぜん》と消えてしまった。元来、死体が消える、というスリラーじゃないから、森繁さんが、どんなに上手に即興《そつきよう》にセリフをいって、つないでも、説明のしようも、つじつまのあわせようもなかった。例によって、誰《だれ》かが「終」のパターンを、カメラに、おっつけて、この番組は終ってしまった。化粧室で、これを聞いた左卜全さんは、あの歯のない口を、大きく開けて、フヮフヮフヮと笑ってから、
「いやあー、それは、失敬しましたぁー」といった。トットの見たところ、卜全さんは、それほど、大事件とも思っていないようで、呑気《のんき》というか、面白い人だな、と、トットは、おかしかった。
ラジオのスタジオで、事件が起った。それは、トットの先輩《せんぱい》の名古屋章さんが巻き起したのだった。これから本番、というとき、名古屋さんの右手の人さし指が、使ってないマイクスタンドの穴から出なくなる、という事件だった。マイクスタンド、というのは、マイクロフォンを立てる器材で、いってみれば、電気スタンドのようなもの。電球のかわりに、マイクを、のせる、と思って頂けば、いいんだけど、高さは、立ってる男の人の胸のところくらいまであり、ガタガタしないように、頑丈《がんじよう》な鉄で出来ていて、下に行くほど、太く重くなっていた。放送に使う、みんなが、とりかこむマイクスタンドの上には、勿論《もちろん》マイクが、のっているけど、スタジオの方々に、このマイクの、のっていない、本番で使わないマイクスタンドが、何本も置いてあった。マイクは、俳優だけじゃなく、音響《おんきよう》効果さんや、音楽を演奏する人達も沢山《たくさん》使うので、マイクスタンドは、予備のため、あっちこっちに置いてあった。そして、マイクスタンドのてっぺんには、マイクを固定する心棒をさしこむための、穴が開いていた。その穴から、なぜ、名古屋さんの指が、ぬけなくなったのか、というより、なぜ、そんな穴に名古屋さんが指をつっこんだのか、というと、それは、こういうことだった。テストも終り、あと一寸で、本番というとき、名古屋さんは煙草《たばこ》を吸った。スタジオの中は禁煙《きんえん》なので、名古屋さんは、そーっと、隅《すみ》のほうで、吸った。そして「さあ、本番だ!」というので、いそいで、すいがらを捨てに行こうとしたけど、時間もギリギリだったので、丁度、手近にあったマイクスタンドの、てっぺんに、こすりつけて煙草を消した。そして、誰も見ていないのを幸い、その穴に、すいがらを、つっこんだ。ところが、なかなか下に落ちていかないので、指をつっこんで、ギュウギュウ押《お》しこんでいるうちに、悪いことは出来ないもので、人さし指が、金輪際《こんりんざい》、ぬけなくなった、というわけだった。ナマ本番の恐《おそ》ろしいところは、どんなことがあろうとも、時間が来たら、始まってしまうことだった。このころ、ラジオの二枚目、一手|販売《はんばい》という売れっ子だった名古屋さんは、最初から出ていた。仕方なく、名古屋さんは、台本を口でくわえると、左手でマイクスタンドを持ちあげ、マイクのところまで、やっとの思いで運び、左手に台本を持って、放送が始まった。ページをめくるとき、誰か手の空いてる人が親切に見ていて、めくってくれる時もあったけど、みんなが忙《いそ》がしいとき、名古屋さんは、歯でページをめくった。その間、右手の人さし指は、マイクスタンドの中に、つっこんだままの形だった。そして、自分の出番が終ると、また台本を口でくわえ、恐縮《きようしゆく》しながら、みんなの邪魔《じやま》にならないところまで左手でマイクスタンドを運んだ。トットが見ていると、名古屋さんは、離《はな》れたところで、必死に指を引きぬこうと努力していた。でも、穴の中の指は、すでに、ふくらんだらしく、どうしても抜《ぬ》けない。しまいには、スタンドを足ではさんで、体ごと、ひっぱるんだけど、駄目《だめ》みたい。そうこうしているうちに、自分の出番になる。またマイクスタンドを、静かに大急ぎで運び、マイクのところに置くと、二枚目の声で、台本を読んだ。物音をたてないために、名古屋さんが、すべて、コソコソと静かにやるのが、当然とはいえ、おかしかった。誰かが石鹸水《せつけんすい》を持って来て流しこんだけど、マイクスタンドから、ぬけない指は、まわりの狼狽《ろうばい》とは無関係のように、なんとも優雅《ゆうが》に、地面を指さしてる形のまま、動かなかった。しかも、マイクスタンドが馬鹿々々《ばかばか》しく重いだけに、ごくろうさま! という感じも強くした。みんなは、気の毒、という気分と、意外な出来ごとに、始めは同情もし、手をかしていたけれど、だんだん、おかしくなってきた。どう見ても、片手に台本、片手の指はマイクスタンドの中、という恰好《かつこう》は、滑稽《こつけい》だった。みんなが我慢《がまん》してるのに、一人、年上の女優さんが、クスッ! と笑った。こういう場合、一人だけ始めに笑う人がいると、あとは、せきを切ったようになるものだった。笑いは、一度はじまると、涙《なみだ》より始末が悪かった。涙なら止めようがあっても、笑いは、止まらない。とうとう、マイクの前の全員が笑い始めてしまった。笑わないのは、名古屋さんだけだった。名古屋さんが必死に、なればなるほど、また、おかしくて、みんなは笑った。たまに息を整えて、なんとか喋《しやべ》り出した人も、途中から、また笑い出して、笑いながらでは、セリフがいえないので、間があく。そんなわけで、次々と間が空き、会話として、成り立たなくなって来た。トットは、ガヤガヤだったので、一生懸命《いつしようけんめい》やったけど、やっぱり笑いがこみあげて来て、声も、とぎれがちだった。
そうこうしてるうちに、時間が来て、グチャグチャのまま、本番が終った。勿論、ラジオを聞いてる人達にしてみると、なにがなんだか、わからないままだった。第一、聞いてる人の誰一人として、スタジオで、そんなことが起ってるだろう、なんて、想像もつかないに決まっていた。全員がディレクターから、ひどく叱《しか》られた。叱られる、とわかっていても、こういう時の、おかしさは、止まらないのだった。
しかも、もっと、おかしかったのは、本番が終ったと同時に、どういうものか、あんなに、とれなかった名古屋さんの指が、スポン! と、抜けたことだった。