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トットチャンネル(65)
日期:2018-05-30 16:37  点击:303
  初めての旅
 
(夢《ゆめ》じゃないかしら!)
 トットに凄《すご》い仕事が来た。それは、京都を皮切りに、大阪、広島、福岡、大分、宮崎の、それぞれの街の、大きな劇場で催《もよお》されるファッション・ショウの司会だった。トットは、戦争中が小学校だし、女学生の時は、戦後のゴタゴタで、修学旅行というものを、したことが、なかった。だから、東海道線に乗って九州まで行けるなんて仕事が、自分に来るなんて、本当に信じられない嬉《うれ》しさだった。これも「ヤン坊《ぼう》ニン坊トン坊」で、パーッと、名前が出たお陰《かげ》に違《ちが》いなかった。「スキー毛糸」という毛糸会社の、ニットのショウで、沢山《たくさん》の、ファッションモデルも、ずーっと一緒《いつしよ》に旅行する、という事だった。NHKの仕事のほうも、うまく、やりくりが、ついた。パパは、
「十日間も?」
 と、反対したそうに言ったけれど、いつものように、ママが、うまく説得してくれた。トットは、青森に疎開《そかい》したとき以来、初めて、自分で荷物を作った。(あの時の旅と、なんという違いだろう)
 東京駅から、汽車に乗るのも、初めてだった。どんなに我慢《がまん》しようとしても、うれしくて、顔が笑っちゃうのだった。ガタン、と汽車が動き出したとき、トットは思わず、ホームに立ってる知らない人にも、手を振《ふ》った。汽車の窓からの景色は、何もかもが珍《めず》らしく、顔を窓にくっつけて、ずーっと外を見ていた。モデルの人達《ひとたち》の中には、旅馴《たびな》れた人がいて、
「横浜駅では、シュウマイを買うと良いのよ」とか、「豊橋では、チクワを買う事に決めてるの」と教えてくれた。当時、京都までの所要時間は、八時間だった。
 二時間くらい走った時、トットは、金の鯱《しやちほこ》のついた、建物を発見した。
「わあー、名古屋城!」
 トットは感動した。本当は、それは、熱海《あたみ》の旅館だったんだけど、トットは知らないから、屋根の上の鯱を見て、すっかり名古屋城と信じてしまった。だから、そろそろ次は、京都だと思ったので、荷物など整理し始めた。そこに車掌《しやしよう》さんが通りかかったので、トットは、一応、念のため、と思って聞いた。
「次は、京都ですね?」
 車掌さんは、トットの顔をじーっと見ると、少し、びっくりした声を出して、こういった。
「いま、熱海を出たところですから、次は沼津です。名古屋までは、あと四時間です」
 というなり、どこかに行ってしまった。
 トットは、学校で、地理と歴史を、ちゃんと習っていなかった。なぜなら、戦争に敗《ま》けた、と決まったとき、日本の歴史と地理は、大きく変った。でも、新らしい教科書を作る余裕《よゆう》は、当時の日本には全く、なかったので、トット達は、古い教科書の、違うとされた所を、すべて、墨《すみ》で塗《ぬ》りつぶしたものを渡《わた》された。ほとんどが、真黒の教科書だった。�日本は■■■■■■■の歴史があり、■■■■■であり、■■■■■■■のである�
 こういう工合《ぐあい》だった。地理も同じようなものだった。勿論《もちろん》、自分で勉強すれば良いのだけれど、トットは、フランス革命だの、マリー・アントワネットだの、フーシェのことは、くわしく勉強したのに、自分の国のことは、怠《なま》けてしまった。そこで、基本的なところが欠如《けつじよ》しているので、人から見ると、冗談《じようだん》をいってる、と思われるところが、よく、あった。でも、トットの同級生で、
「豊臣秀吉と、信長と、家康は、三人兄弟なんでしょう? 誰《だれ》が長男?」
 と、トットに聞いた女の子がいるから、トットだけでは、ないらしかった。
 富士山も、生まれて初めて、近くで見た。子供の時、小学校に通う大井町線の、自由ヶ丘の手前のカーブの所で、富士山のてっぺんを見たことがあるけど、まるごと[#「まるごと」に傍点]見るのは、初めてだった。その品の良い形に、トットは、拍手《はくしゆ》したい気持だった。そして、今さらのように、北斎《ほくさい》だの広重《ひろしげ》という人の、うまさを、しみじみと、思った。
「次は、名古屋! 名古屋!」といって、車掌さんが歩いて来た。トットは、急いで、
「恐《おそ》れ入ります、名古屋城は、どっちの窓から、見えますか?」と聞いた。車掌さんは、チラリと、トットを見ると、いった。さっきと同じ車掌さんだった。
「ここからね、名古屋城は、見えないんです」
 がっかりしたトットは、続けた。
「だって、石川五《いしかわご》右|衛門《えもん》が、名古屋城の鯱のとこに登って、�絶景かな、絶景かな!�って、いった、って聞いたんで、高い所にあるのかな? って、思ったものですから……」
 車掌さんは、トットから目をそらすと、手許《てもと》の時刻表かなんかを見ながら、早口でいった。
「五右衛門が登ったのは、京都の南禅寺の山門と、芝居《しばい》なんかでは、やるようだけどね。名古屋城に登ったってことは、聞いてないねえ。それに、名古屋城は焼けちゃって、これから復原するって、聞いてるけどね」
 関西なまりの、親切そうな人だったけど、なるべく、トットに、かかずり合いたくない、という感じだった。
 こうして、キョロキョロしてるうちに京都に着いた。長い間の憧《あこが》れの町だった。絵や写真や、映画では見ていたけど、自分の足で歩いて、京都の空気が吸える、というのは、特別の気分のものだった。日本旅館に泊《とま》ることになったトットは、ここでも、何もかもが珍らしく、女中さん達を質問ぜめにした。パパの仕事の関係で、小さい時から洋風に育ったトットには、すべてが、エキゾティックに見えた。夕方、南座でのリハーサルに出かけようとしたトット達に、美しく着物を着た旅館の、おかみさんが、
「おはよう、おかえり」
 と、柔《やわ》らかく細い声を、門口で、かけてくれた。
(まるで、自分の家にいるようだ)とトットは、思うのだった。
 次の朝のことだった。トットは、暗いうちに起きた。なんか、ワクワクして寝《ね》ていられなかった。「わあー、京都に来てるんだあー」叫《さけ》びたい気持だった。トットは、朝御飯《あさごはん》の前に、一人で、すぐ近くにある清水寺《きよみずでら》に行ってみようと、決心した。朝もやの中を、トットは、跳《と》びはねながら、清水寺に向った。坂を登ると、清水寺があった。誰の姿も見えなかった。本堂と思えるところに頭をつっこんだトットは、切角《せつかく》、来たんだから、ちゃんと、おがんで行こうと、考えた。靴《くつ》をぬいで、大きな祭壇《さいだん》の前の、厚い朱色《しゆいろ》のお座ぶとんの上に、すわった。どうせなら、鉦《かね》も、木魚《もくぎよ》も、叩《たた》いたほうが、御利益《ごりやく》が、ありそうだ。トットは、いろいろ鳴らしながら、心をこめて、お祈《いの》りもした。しばらくした時だった。誰かが後ろからポンポンと、トットの肩《かた》を叩いた。ふり返って見ると、それは緋色《ひいろ》の袈裟《けさ》をお召《め》しの、偉《えら》そうな年老《としと》ったお坊《ぼう》さんで、その後ろに、何人もの、いろんな色の袈裟のお坊さんが、ずらりと並《なら》んでいた。お年を召したお坊さんは、トットに、おっしゃった。
「ちょっと、そこ、どいて、もらえませんか?」
 トットは、愛想よく、
「どうぞ、どうぞ、交代しましょう」といってお座ぶとんを、ゆずった。そしてトットは、満足して、坂を降りた。
 何も知らない、という事は、恐《おそ》ろしいことで、あの清水寺の、有名な管長さんの、お座ぶとんにすわって、鉦を叩いたり、木魚を鳴らしたりしてたわけなんで。しかも、みなさんの、朝の、おつとめの前に。
 こんな風に、すべての街で、みなさんに、ご迷惑《めいわく》を、かけながら、トットは、生まれて初めての旅を、心ゆくまで、楽しんだのだった。

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