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不夜城(02)
日期:2018-05-31 21:58  点击:318
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 先頭のチンピラが〈紅蓮《ホンリェン》〉の扉を開けた。透きとおった声のカラオケが通路にこぼれてきた。目ざとくおれの姿を見つけた女たちが、客をそっちのけで立ちあがり、歓声を上げた。腹を空かして主人の帰りを待ち侘びていた犬のような声。
 おれは愛想笑いを浮かべて女たちに手を振り、一番奥にある目立たないボックス席に腰をおろした。チンピラたちは反対の奥にある従業員の控え室に姿を消した。
 煙草に火をつけ、店内を眺めまわした。客は半分ほどの入り。ほとんどが日本人。脂でぎとついた顔をてかてかに光らせて、日本語をよく理解できないホステス達を口説いている。
 正面に視線を移した。カラオケを歌っているのは李桂梅《リーグイメイ》。この店に三人いるママのひとりだ。王成香《ワンチョンシャン》、黄秀紅《ホヮンシウホン》は、それぞれ馴染《なじ》みの客のテーブルについている。
 三人のママはそれぞれに個性的だ。共通しているのは金にがめついことぐらいしか思いつかない。ママたちは家賃、仕入れなどの経費を折半でまかなう。店に来ている従業員やホステスもそれぞれのママが調達し、給料を払う。要するに、ひとつの店の中で三軒のクラブが営業しているのだ。市場みたいなものだと思えばいいのかもしれない。バブルが弾けてからこっち、こんなシステムで店をやりくりしている中国人や台湾人の店はかなり多い。黙っていても金が転がりこんでくる時代は終わったのだ。
 黄秀紅が客になにかを囁いて、立ちあがった。尻のつけ根までスリットが入ったチャイナ・ドレスをくねらせて近づいてきた。
「遅かったじゃない」
 きれいな北京語。秀紅は、おなじだけきれいな日本語を操ることもできる。数年前に失脚した党幹部の娘で、北京大学から東京大学へ国費留学し、そのまま新宿に居着いてしまったという経歴は伊達《だて》じゃない。だが、客と話す時以外は、決して日本語を使おうとはしなかった。身内で話す時は、上海語しか使わない。つまり、おれは身内じゃないってことだ。
「雨が降ってるからね」
 いいわけにもならない言葉を口にして、秀紅がくわえた煙草に火をつけてやった。視界の隅に、女たちがひとり、またひとりとカウンターの横の薄いカーテンで遮ってあるだけの奥の部屋へ消えていくのが見えた。すぐに、子供じみた嬌声が聞こえてくる。
 今回はなかなかいいブツが回ってきた。おおかた、どこかの倉庫で眠っていたものだろうが。
「わたしの甥《おい》がエアコンを欲しがってるの」
 秀紅が誘うような眼差《まなざ》しをこっちへ向けた。
「もう、夏も終わりだぜ」
「夏の間は国に戻ってて、ついこのまえ帰ってきたばかりなのよ」
「いくら出せるんだ?」
「五万」
 舌打ち。五万ぽっちじゃ、おれの懐へはほとんど入らない。
「甥が住んでいるのは1Kのマンションだから、それほど大きいのはいらないの。メーカーにもこだわらないわ」
「あたりまえだ」
 ソファに背を預け、天井に向けて思いきり煙を吐きだした。こんな馬鹿げた仕事を引き受けていたら、そのうち足元が覚束なくなるに決まっている。だが、秀紅との関係を密に保っておくのは、おれのような根なし草にはそれなりの意味がある。
「二週間ぐらいかかるぞ」
 天井を見上げたまま、いってやった。秀紅がほっとしたように息をもらす気配が伝わってきた。
「助かるわ、健一。なにかあったら、わたしにいってね」
 元成貴の情婦にそういわれるのは、思ったよりは気分のいいものだった。
 奥の部屋へ消えていた女たちが戻ってきた。新しい装飾品を指や手首、首に巻きつけ、口もとをゆるめながら。
「もうすぐ、毛皮が欲しいっていいだすわよ。あの子たち」
 秀紅はろくに吸ってもいない煙草を灰皿に押しつけた。もはや若くはなく、かといってくたびれきったわけでもないというような目で、客の相手をしはじめた女たちを眺めていた。
「いいさ。金さえきちんと払ってもらえるならな」
 おれがとっちめてやったチンピラが、カーテンの仕切りから姿を現した。おれの視線に気づいたのか、秀紅が腰を上げた。
「ゆっくりしていってね。お金はいらないから」
 あたりまえだ。ふたたび口に出そうになった言葉を、喉《のど》で押し潰《つぶ》した。
「健一さん、今日の分です」
 秀紅の色っぽい尻を眺めていると、チンピラが恐縮したようにおれの前に立ち、茶色い封筒を差しだした。
 五十万というところか。シケた金だ。今の日本じゃ、五十万なんてはした金にもならない。だが、おれのような商売をしている人間には、女たちがもたらしてくれる情報は必要不可欠だ。たまにはこうして、機嫌を取ってやらなきゃならない。
 封筒の中から十枚ほどの札を引き抜き、チンピラに手渡した。
「たいした額じゃないがおれの奢《おご》りだ。今夜はみんなでパーっとやろう。手のあいてる女を呼べよ」
 チンピラの顔がぱっと輝いた。
「ありがとうございます、健さん」
 おれはなんでもないというように軽く手を振った。別に大物ぶりたいわけじゃない。ただ、この雨の中、ねぐらへ戻ってひとり酒を啜《すす》る気になれなかっただけだ。
 ケチな故買屋にだって、たまにはそんな夜がある。

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