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不夜城(05)
日期:2018-05-31 22:00  点击:335
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 楊偉民とおれを引き合わせたのは、おれのおふくろだ。正確にいうと、親父ということになるが。
 おれの親父は台湾人だった。おふくろは、最低のくず野郎と呼んでいた。おれにはなんともいえない。親父はほとんど家によりつかなかったし、おれが自分の確固たる意見を持つようになる前に死んでしまったからだ。とにかく、おふくろは親父のことを嫌っていた。憎んでいた。親父を通して垣間見《かいまみ》える台湾人社会を毛嫌いしていた。親父の死がきっかけになって、おふくろが台湾人社会に頼らざるをえなくなったのは、だから、おふくろにとっては歯噛《はが》みするほど皮肉な結果だった。
 親父は家によりつかない代わりに、金だけはきちんと入れていたらしい。詳しく聞いたことはないが、おふくろが働いているのを見た記憶がないのだから、たぶん、確かだろう。おれとおふくろは、そのころ、初台《はつだい》のマンションに住んでいたのだが、おふくろは日がな一日原稿用紙に向かい、創作と称する文字をだらだらと書き連ねているだけだった。何度か盗み読みしたことがあるが、原稿に書かれているのは親父に対する呪詛《じゅそ》だとか、ポルノまがいの滞れ場だとか、要するに、ただの暇潰しとしか思えないような代物《しろもの》だった。食事はすべて外食だったし、下着以外の汚れ物もすべてクリーニング屋に出していた。時折思いだしたように掃除される部屋には、いつも埃《ほこり》が舞っていた。おふくろは、心底忌み嫌っていた親父が送ってくる金で暮らしを立てながら、生活というものをいっさい放棄していた。
 親父は大阪で死んだ。ナイフで腹を抉《えぐ》られたのだ。酒に酔った上での喧嘩《けんか》が原因だったらしいが、それでおふくろは窮地に立たされた。親父が送ってくる金が、おれたちの生活費のすべてだった。親父の骨を受け取りに大阪へ出向いた直後から、おふくろは仕事を探しはじめた。だが、まともに社会生活を営んだことのないおふくろは給料生活になじむことができず、かといって手に職があるわけでもない。おれたちが食うのにも困るようになるのは時間の問題だった。
 悩みに悩んだ末の結論——おふくろは忌み嫌っていた台湾人社会に救いを求めることにした。自分がこうなってしまったのは、ろくでなしの台湾人が酷《ひど》い仕打ちをしたせいだし、半分台湾人の血を引くおれのためにもなんとかするべきだ、というわけだ。
 スーツケース二個と、ばかでかいスポーツバッグを抱えた十三歳のおれを連れて、おふくろは初台のマンションを出た。その足で歌舞伎町の楊偉民の元を訪れた。いまよりもずっと血色がよく、こってりと太っていた楊偉民はおおげさな笑顔でおれたちを迎え入れた。親父が死んだことは大変に不幸なことだった、親父は自分にとって息子《むすこ》も同然だったのだから、なにも気にせずに世話になればいい、といいながら。薄汚れた薬屋の——そのころでも、楊偉民の薬屋は薄汚れていた——親父なんかを、どうしておふくろが頼りにしようと思ったのか、おれは疑問を感じたが、それは後になってすぐに解消された。
 楊偉民はおふくろにナイトクラブのママの地位と大久保のマンションを差しだした。おふくろはただ、日に何度か店に顔を出すだけでよかった。いっさいの業務は、店のマネージャーが仕切っていた。おれとおふくろは大久保のマンションに荷物を運び、その日の内に歌舞伎町の住人になった。簡単だった。手品師のシルクハットからいつでも鳩《はと》が飛びでてくるようなものだ。
 何日かして、昼間の歌舞伎町をぶらついていたおれに楊偉民が話しかけてきた。おれのことを、孫と呼びながら。
「我々台湾人は、ことのほか身内を大切にすることを信条としている。おまえのお母さんとおまえは、この楊偉民の身内になった。お母さんはわしの娘、おまえは孫だ。わかるか?」
「おじさんが親父のお父さんってことかい?」
 おれの言葉に、楊偉民は微笑《ほほえ》みながら首を振った。
「血は繋《つな》がっておらん。だが、台湾人はみな、同胞なのだ。血が繋がっていなくても、同じものを食べ、同じ言葉を話し、同じ故郷を持っている」
「おれは中国語を話せないし、台湾にいったこともないよ」
「だが、おまえの身体には台湾人の血が流れている。そうだろう?」
 そういって楊偉民は薬屋の奥へ姿を消し、すぐに分厚い本を持ってきた。北京語の辞書。
「悲しいことだが、おまえのお母さんは心の奥で我々台湾人を嫌っている。おまえのお父さんに騙《だま》されたと思っているんだ。わしの身内の中にはそのことを知っていて、おまえのお母さんを快く思っていないものもいる」
 おれは黙って楊偉民の顔を見つめていた。なにをいわれているのか、さっぱりわからなかったのだ。
「わしにも目の届かぬときがある。そんなときにお母さんを守るのはおまえの役目だ。おまえがしっかりと身内の中に根を張れば、お母さんのことをとやかくいいだすものもいなくなるだろう。そのためには、おまえも母国の言葉をしゃべれるようにならなければいかん」
 おれは北京語の辞書を受け取った。
「時間があるときに、わしのところへ寄るんだ。北京語を教えてやろう。それ以外の暇なときにでも、その辞書に目を通しておくとよい」
「わかったよ」
 楊偉民は目を細めておれの髪の毛をくしゃくしゃにした。
「いい子だ、健一。おまえの日本名は高橋健一だが、おまえのお父さんの名字は劉《リウ》だった。今後、わしや身内のものの前では劉健一《リウジェンイー》と名乗るといい」
 楊偉民は手ぢかにあった紙きれに「劉健一」と書き記した。おれは、おれの新しい名前の響きにうっとりした。聞きなれない北京語で発せられたその名に、おれは自分が異世界の住人にでもなったような気にさせられた。
 それまでのおれは、くすんでうらぶれたガキだった。自分の中に流れている台湾人の血をほかのガキどもから必死になって隠し、目立たぬよう、ただそれだけを念じて生きてきた。だが、新しい名前を得たことで、目の前に広がる世界が劇的に変化したのだ。
「おじさん、おれ、頑張るよ」
「おじさんではないぞ、おじいちゃんだ」
「わかったよ、おじいちゃん」
 おれは小躍りしたい気持ちだった。
 だが、すべては嘘《うそ》っぱちだった。おふくろはもとより、おれも楊偉民の身内にはなれなかった。
 おれは必死で北京語を学んだ。おかげで、数ヶ月後には、日本語を話せない台湾人とでもなんとか不自由なく会話を交わせるようになった。そして気づいた。楊偉民の身内のやつらが、おれに聞かれたくない話をするときには、台湾語(※[#「門+虫」、読みは「びん」、26-7]南語)を使って会話していることに。北京語と台湾語じゃ、英語とフランス語ほどの違いがある。
 それでもおれは、いつかは台湾語も教えてもらえるのだろうとたかを括《くく》っていた。だが、おれが台湾語を教えてもらうことはついになかった。

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