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〈カリビアン〉の三階には、トイレと四畳半ほどの小部屋がある。この一帯が赤線地帯だった頃の名残だ。前の店主はこの小部屋を倉庫代わりに使っていた。おれがこの店を譲り受ける気になったのも、結局はこの部屋のせいだ。昔読んだ小説で、アル中の私立探偵が行きつけの飲み屋の奥に自分専用の部屋を持っていた。探偵はへろへろに酔っぱらうとその部屋で前後不覚になって眠るのだ。まだ世の中の仕組みがよくわかっていなかったおれは、その探偵に妬みに近い感情を覚えたものだった。この小部屋を見たとき、もう長いこと忘れていたその感情を思いだした、というわけだ。なんの意味もない感傷だが、だれに文句をいわれるわけでもない。それに、おれが前後不覚になるまで酔うということは滅多にない。単に、休息を取るための部屋。そういうことなのだ。
部屋に入ると、むっとする空気に全身を包まれ、汗でシャツが張りついた。手探りで電球の位置を探りあて、スウィッチを入れた。裸電球に照らされて、部屋の様子が視界に飛びこんできた。目をしばたたきながら、部尿の隅に置いたソファ・ベッドに腰をおろした。指先は相変わらずかすかに震えていたし、心臓の鼓動も早かった。
「富春が戻ってきた」
指先に視線をあてて、そう口に出してみた。目の前に死神が現れたような気がした。
おれと富春は似た者どうしだった。少なくとも、身体の中に流れる血が半分は日本人、もう半分は中国人のもの——といっても、おれの場合は台湾人だが——という点では兄弟のようなもので、どちらもそれまで自分が属していた世界とは別の世界に受け入れてもらおうとして、手厳しく拒否されたという点では同じコインの裏表みたいなものだった。
富春は、いわゆる残留孤児二世だ。戸籍上の名は、たしか坂本富雄とかいう名前だと聞いたことがある。八二年だか三年だかに、大陸の吉林《ジーリン》省から、親父、お袋、二人の兄妹と共に帰国してきた。お袋が残留孤児だったのだ。おれが富春と初めてあったのは、八九年の冬。そのときにはすでに富春はほとんど自暴自棄になっていた。
富春とは、区役所通り沿いにある台湾クラブでであった。おれはいつものように宝石や衣類を捌《さば》いていた。富春はカウンターの端っこで、ひとりグラスを傾けていた。口の中でなにやらぶつぶつとつぶやき、視線に触れるすべてのものを徹底的に破壊しつくしてやるといった目を、落ち着きなくあたりにさまよわせていた。
その視線がおれの顔の上でとまった。面倒なことになるのかとおれはうんざりした。だが、違った。富春はおれの顔を見て、懐かしいものにであったように目を細めたのだ。富春は北京語で、中国人かと聞いてきた。おれは、半々《パンパン》だ、と答えた。狼の群れの中に聞違って紛れこんでしまった野良犬同士が、お互いの存在を敏感に察知したようなものだ。
それから、おれたちは組んで仕事をするようになった。ヤバい仕事の時は、富春が必ずおれの横にいた。富春の凶暴さはあまねく響き渡っていたので、おれたちが何かを企まないかぎり——おれはいつだってまっとうに商売をしてきた。つまり、そんなことはなかったということだが——おれをカモろうとする阿呆はいなかった。楊偉民の後ろ盾を失っていたおれは強力な支え棒を手に入れたようなものだったし、富春は生まれて初めて得た「相棒」というものの存在にすっかり舞いあがっていた。
おれたちは精力的に仕事をこなした。立ち止まってしまったら、ふたたび走りだすことができなくなるというように。よくやったのは、「同胞《トンパオ》」からかっぱらうことだ。目星をつけた中国人留学生の背後を、おれが調べあげる。まずい点がなにもないとわかると、富春が出かけていって、哀れなカモを殴り倒し、財布をかっぱらってくる。
金はたいした問題じゃない。良家の子弟たちの持つクレディットカードが、おれたちに金の卵を運んでくれるのだ。富春が財布を手に入れると、おれはまず、クレディットカードを使って買えるかぎりの新幹線や飛行機のチケットを買った。そのチケットを金券屋へ持っていけば、八割から九割の率で換金してくれる。その次はデパートだ。いくつものデパートの子供服売り場へいって、店員に怪しまれない程度に子供服を買ってくる。電化製品なんかに手を出すと、必ずパクられる。子供服というのがミソなのだ。だれも、子供のことは疑わない。子を持つ親のことも疑わない。二、三日してから、前もって話をつけておいた女にその服を持たせてデパートへいかせる。子供の誕生日に知人から送られたのだが、サイズがあわない、引き取ってもらえないだろうか。そういわせる。大抵のデパートは、ろくに商品を調べもせずに引き取り、代わりに金額分の商品券を女に手渡す。
もちろん、その商品券は金券屋に直行することになる。女に手数料を渡した残りが、おれと富春の取り分だった。おれたちはその金を四分六分で取り合った。おれが六分だ。富春は別に不平をいわなかった。この世界では腕力よりも頭を使う方が大事だということを知っていたのだ。
おれたちはいいコンビだった。仕事のとき以外は極力顔を合わせないようにしていたが、富春の考えていることは顔を見なくたって手に取るようにわかった。富春は、おれがなにを考えているかなど気にしたこともなかった。そのころにはすっかり落ち目になっていたおれの運もようやく上向いてきたような気がしたものだ。
だが、やがて、おれは富春を持て余すようになった。富春の暴力衝動がおれの予想を超えて暴走しはじめたのだ。ある日、富春はカモを殴り殺した。そんな必要はまったくなかったのだ。一度殺してしまうと、富春には歯止めが効かなかった。おれがどれだけいさめても、富春は殺すのをやめなかった。そのうち、おまわりたちが街をうろつくようになって、おれたちは逼塞《ひっそく》を余儀なくされた。
おれは富春との仕事で貯めた金でこの店を手に入れ、頭を低くして嵐が過ぎ去るのを待とうとしたが、富春は違った。金で殺しを請け負うようになったのだ。中国人だろうが日本人だろうがおかまいなしだった。金をもらえなくても、富春は殺しをやったんじゃないかと思う。富春の心の中にはなにかが欠落していた。それを削り取ったのは日本人と中国人なのだ。
富春は中国にいたころの話をよくしたが、日本に来てからのことはほとんど口にしなかった。
「日本でかよった最初の学校はクソ溜めだった」
一度だけ、酔った富春がおれにいったことがある。
「徹底的にいじめられたぜ。日本人のくせにどうして日本語がしゃべれないんだとか、くせぇ匂いがするのはどうしてだってな。悔しかったらなにかいい返してみろよ。どいつもこいつも同じだった。クソだ。だから、おれはいい返してやったんだよ。日本語じゃなくって、この拳でな」
富春は握り拳をうっとりした目で眺めながら話を続けた。
「もちろん、学校はクビになった。おふくろは大慌てさ。せっかく、天国のような日本に帰ってこれたのに、なんだっておまえは問題を起こすんだってな。おふくろはなんにもわかっちゃいなかったのさ。自分だって親戚から冷たい目で見られ、ろくに日本語が話せないせいで仕事にもつけなかったってのにな。これでもおれはおふくろ思いの孝行息子だったんだぜ。おふくろを悲しませちゃいけねぇと思って、必死で日本語を勉強した。役所が新しい学校を世話してくれることになったんだ。次の学校じゃ、同じようなヘマは絶対にするもんかって思ったんだよ。おれが残留孤児の二世だってことは、生徒には隠してくれって頼んだんだ。だが、だめだった。新しい学校じゃ、おれはいないも同然だった。先公以外だれもおれに話しかけてこなかった。おれが訛り丸出しの日本語をしゃべったって、だれも気にもとめなかった。変な言葉をしゃべる新入りなんて、どうだってよかったんだ。受験勉強の邪魔にさえならなきゃな。おれはとんだ道化《どうけ》だったのさ。前の学校の方がまだマシだった。やつらにはさんざん馬鹿にされたが、それでも相手をしてもらえたからな。あるとき、隣に座ってたやつに、中国に行ってみたくはないかと聞いたんだ、なにをトチ狂ったんだかな。そいつは迷惑そうにおれを見ただけで、すぐに参考書に視線を戻した。その瞬間、おれの頭の中でプツンと音がしてなにかが切れちまったんだ。気がついたら、そいつはおれの目の前で頭から血を流してぶっ倒れてた。おれの手は椅子《いす》を握ってた。ほら、学校によくあるあのパイプ椅子だ。おれはその椅子をしっかり握り直して、そいつの頭に叩きつけてやった。何度も何度もだ。それで、少年院に行くことになったのさ」
おれが富春《フーチュン》から聞いたのはこれだけだ。おれには富春の頭の中でなにが起こったのか、正確に分析することができた。ヘマさえしなけりゃ、富春をうまく飼い馴らすことができるとさえ思っていた。そんなのは、おれの思い上がりにすぎなかった。おれは富春を遠ざけるようになった。
そして、富春は元成貴《ユェンチョンクィ》の怒りを買うことになったのだ。