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元成貴と約束した時間までまだ間があるのを確認して、おれは〈カリビアン〉へ戻った。麺の汁を吸った上着とシャツが不快だった。それに、黒星。こいつを持ったまま元成貴とあうわけにはいかない。
自分の部屋にあがる前に、オウディオのスウィッチを入れ、崔健《ツイジェン》のCDをセットした。ヴォリュームを目一杯にあげて、スタートさせる。小気味のいいリズムと崔健の嗄れた声が狭い店内をいきなり圧倒した。
大陸から逃げだしてきた連中にとっちゃいまでも語り草になるほどの大串件だが、天安門でのことに、おれはことさらな感慨を抱いたことはない。�祖国�は、おれにとっちゃガキどもが目をひんむいて夢中になっているファミコン・ソフトの中の架空の王国のように遠い存在だ。だから、テレビの画面が映しだす光景を、おれは漫然と眺めていた。顔見知りの中国人たちが、ひっきりなしに電話をかけてくるのがわずらわしく、単に「おれもテレビで見てるよ」ということを伝えるためにテレビをつけていたのだ。学生どもが戦車に轢《ひ》き殺されるのを見ても、なにも感じなかった。おれの生きている世界の方がよっぽど残酷で非情だったからだ。
それでも、画面を見ていて引っかかるものがあった。広場に集まった学生どもが口ずさんでいた歌。その歌は針でつつかれた無数の風船が立てる音のようにおれの心を揺さぶった。おれは画面をじっと見つめていたが、目にはなにも映っていなかった。学生どもの口ずさむメロディが何度も頭の中でリフレインしていただけだ。
その歌が、崔健という名のロック・ミュージシャンの『一無所有《イーウースォヨウ》』という歌だと知ったのは、数日後だ。おれはあらゆるつてを総動員して、崔健のミュージック・テープを手に入れた。それ以降はことあるごとにそのテープに耳を傾けた。しまいには、テープが擦りきれて、裏面の音が混じってくるほどになった。日本で崔健のCDが手に入るようになったのは最近のことだ。店が暇なとき、おれはよく歌詞を志郎に訳して聞かせてやった。酔ったときには曲にあわせて歌いさえした。おれに、�祖国�を想う気持ちがあるとしたら、それは崔健の声の中にある。
曲が『這兒的空間《ヂョールダコンジェン》』に変わった。この狭っ苦しい場所という意味のタイトルだ。おれは曲を聞きながら、狭っ苦しい自分の部屋へあがった。小さなクローゼットの奥に銃を隠し、放り投げるように服を脱ぎ捨てた。身体中、汗まみれだった。まともに顔を合わせて交渉ごとをするには、崔虎はおれには重すぎる相手だ。
タオルを滞らして頭と体を拭い、ソファにへたりこんだ。アコースティック・ギターが優しくメロディを奏で、崔健が『一塊紅布《イークァイホンプー》』を歌いはじめていた。
あの日おまえは一枚の 紅い布きれで
おれの両目を覆い 天を覆った
おまえは聞いた なにが見える?
そのあと、崔健は「幸せが見える」と歌った。
おれは、「なにも見えやしねぇ」と答えた。