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不夜城(16)
日期:2018-05-31 22:09  点击:309
 16
 
 
 助けて。
 流暢《りゅうちょう》な日本語を話し、夏美と名乗った中国女は、だれに対して助けを求めたのだろうか。その翌日には、買い取ってもらいたいものがあるとおれに電話をしている。嫌な匂いがプンプン漂ってきそうな女だということは確かだ。
 アパートの外で待っていた徐鋭たちに残りの金を渡し、おれは歌舞伎町へ舞い戻った。日曜の歌舞伎町でできることなどたかが知れているが、おれに残された時間は絶望的に短い。しくじれば、元成貴が孫淳を差し向けてくるのは目に見えていた。孫淳が相手と知れば、崔虎も考えを変えるだろうか。
 区役所通りに入り、バッティングセンターの脇を曲がってしばらく歩くと、目当ての雑居ビルが視界に入ってきた。いくつものクラブが入った古ぼけたビルだが、タイ人たちの手が加わって、外からはうかがい知ることができない内臓が収まっている。
 エレベータで五階まで上がり、一番奥の店のチャイムを鳴らした。〈くるみ〉というなんの変哲もない看板があるが、当然、明かりはついていない。
 しばらく沈黙があって、ドアが開いた。ドアは二重になっていて、奥のは分厚いスティール製だ。暗い目をした褐色の肌のタイ人が、黙っておれを招き入れた。やはり日曜のせいか、秘密カジノからはいつものような熱のこもったけたたましい喚声が聞こえることはなかった。
 タイ人はムエタイ崩れで、細いが強靭《きょうじん》さを感じさせる身体つきをしていた。こいつは日本語も北京語も、英語すらも話せない。だが、裏の世界に共通の言葉を理解することはできる。おれの身体に素速く視線を当て、物騒なものを持ちこんでいないことを確認したのがそれだ。
 ドアの外が映しだされている二台のモニタの前に、このカジノを取りしきっている中年のタイ人がいた。おれはボブと呼んでいる。正式な名前はあるのだが、タイ人の名前を覚えるのは、図鑑と首っぴきで昆虫や草花の学術名を頭に叩きこむのと同じ手間がかかるのだ。
「久しぶりだな、ボブ」
 日本語でいった。
「ほんとに久しぶりね、健一さん。博奕《ばくち》からは足を洗ったのかと思ったよ」
「最近は競輪の方で忙しくてね」
「他人に金を張って勝負するの、馬鹿のすることよ。馬に賭けるよりはマシだけど、ね」
 ボブは片目をつぶってみせた。その表情は、コロンビア人の娼婦《しょうふ》を相手に、ボディガードをしてやる代わりに一発やらせろと迫っているイラン人のようだった。何気ない素振りを装いながら、目の奥で貪欲《どんよく》な光が輝いている。
「いいんだ。どうせ、博奕で儲けようとは思ってない」
「わたし、日本人の考えること、ほんとにわからないときがあるよ」
「おれもそうさ」
 おれはそういい返しながら、賭場《とば》へ視線を送った。
 店内は細長い造りになっている。奥にカウンターがあり、手前がボックス席。今は、ボックスがすべて取り払われ、四、五メートルほどの縦に細長いテーブルが置かれていた。そのテーブルの中央には、派手な服を着た中年の女がでんと座り、忙しげにカードを配っていた。賭けに参加しているのは、五人。三人が親と同じ中年のタイ女。ボディコンを着こんだ店に出勤する前の若いタイ人ホステスが一人。もう一人が、おれの目当ての遠沢だった。
「今日は勝負しに来たの?」
 おれの視線に気づいたのか、ボブが歯切れの悪い声できいてきた。
「いや、遠沢に用があってね」
 ボブは舌打ちした。
「たまには遊んでいってよ、健一さん」
「金ができたらな」
 大袈裟に肩をすくめてみせるボブの脇を通り抜け、賭けに興じている遠沢の背後に回った。その瞬間、ボディコンのホステスが罵声《ばせい》を上げ、ミニスカートの尻の下から札束を引っ張りだし、親の中年女に投げつけた。
 テーブルと客を取りまくように立っている男たちのうちの、一番年配に見えるやつが、親に手を差しだした。親は自分の取り分の中から数枚の札を抜き、そいつの手に叩きつけるように放り投げた。そいつは素速く札の枚数を確かめると、手元に置いてある金庫からさらに数枚の札を取りだし、手早く数えてからホッチキスで止め、また金庫の中にしまいこんだ。
 テラ銭の徴収だ。ここで行われているのは、オイチョカブやバカラに似たトランプ博奕だ。客は二枚のカードを配られる。その手札の合計の一の位が八か九になれば勝ちだ。一回の勝負に二、三分しかかからないし役が多いので、好き者にはたまらない博奕なのだ。また、一勝負ごとにテラ銭を徴収できるので、胴元にとっては笑いが止まらない博奕でもある。
「女は下品だからいけねぇや」
 遠沢がぼそりとつぶやいた。おれに向けた言葉だった。
「勝ってるのか?」
「いや。熱いんだよ、これが」
「頼みがあるんだ」
「もう少し待て。このままじゃ、熱すぎてやってらんねぇ」
 それを聞いて、いますぐ遠沢を連れだすのを諦めた。風俗関係のルポライターとしては一流だが、博奕狂いのせいで世間を狭めている。そういう男に博奕を途中でやめさせたら、絶対に根にもたれる。
 すぐに次の勝負が始まった。遠沢の傍らには、十万でまとめたズクが四つ積んであった。遠沢がいくら用意してきたのかはわからなかったが——百万かあるいは百五十万か。二百万ということはないだろう——負けがこんでいることは確かだ。
 札が配られ、歓声が飛んだ。遠沢のズクは七つに増えた。遠沢はおれがいることも忘れたように、背を丸め、真剣な表情でカードを配る親の手元を見つめていた。
 歌舞伎町の中国人社会を取材したいと、遠沢からおれに電話がかかってきたのは、もう何年も前のことだ。あちこちに散らばった細い糸をたぐりよせて、遠沢はやっとおれを見つけたのだ。中国人社会のなかにどっぷりと浸かっている日本人の高橋健一を。
 遠沢におれの名を教えたのは楊偉民だった。楊偉民の遠い親戚筋に当たる横浜中華街の人間から口ききがあったのだ。楊偉民の紹介とあっては適当な口実をつけて断ることもできなかった。遠沢に何人かの人間と面通しをさせ、おれ自身は一歩引くかたちで遠沢の取材につきあってやった。遠沢と深くかかわるつもりはこれっぽっちもなかった。
 それが変わったのは、博奕を通じてのことだった。開設記念競輪を開催している京王閣で、遠沢とばったり出くわしてしまったのだ。一コーナーの金網の裏で、おれを見つけた遠沢は嬉しそうに笑ったものだ。まるでアブノーマルなセックスを嗜好《しこう》する同好の士を見つけたとでもいうように。
「なんだ、劉《りゅう》さんも競輪をやるんだ」
 そのころには、遠沢はおれを高橋ではなく、劉と呼ぶようになっていた。
「暇潰しにね」
 おれは気のない返事をした。目にうつる遠沢の下卑《げび》た笑顔が、熱心に歌舞伎町を取材して歩いている男のそれと同じものとはとても思えなかった。博奕をする人間には二通りある。博奕で金が儲かると本気で考えている馬鹿と、ケツの穴からすべてが抜け落ちてしまうような博奕がもたらすマゾヒスティックな官能に中毒しているやつだ。遠沢は後者のように思えた。そんなやつとかかわって、ろくな目にあったためしがない。
「決勝はどうなると思う?」
 おれの素振りに気づいた様子もなく、遠沢は競輪新聞を握りしめていた。
「三枠からだ」
 おれはいった。三番の選手は大本命だった。普段のおれは穴から車券を買うのだが、その年の記念に限っては、世界が破滅したって三番の頭は固いように思えたのだ。
「意外と固いんだなぁ。劉さんなら、もっと遊び心のある車券を買うのかと思ったよ」
 相変わらず下卑た笑いを浮かべたまま、遠沢は自分が買うつもりの車券を告げた。三番車とは別のラインの番手につく、神奈川の選手が遠沢の狙《ねら》い目だった。
「七番の捲りに乗っかったとしても、せいぜいヒモが限度じゃないか」
「おれと同じ名前なんだよ。下の名前の字が違うんだけどね」
 遠沢は嬉しそうに新聞を指さした。なるほど、その選手は遠沢健二という名で、遠沢の賢治と読み方は同じだった。
「何年か前のダービーの準決勝でさ、こいつのおかげで大儲けさせてもらったことがあるんだよ。あんときは、すげえ脚だったなぁ」
 口調がすっかりうちとけていた。長いこと一緒につるんで博奕を打ってきた相棒に語りかけているようだった。少しばかり気に触ったが、咎めるつもりはなかった。遠沢が口にしたダービーのことを思いだしていたのだ。そのレースでおれは遠沢健二という選手のせいで大損をさせられた。
「覚えてるよ。おれはあのレースでパンクして、決勝には来られなかったんだ」
「そいつはご愁傷さま」
 遠沢はいって、ぺろりと舌をだした。目が勝ち誇ったように輝いていた。
「ま、あんときの決勝は雨のせいで逃げることしかできない二流の駒が勝っちまったからね、準決でパンクしてよかったのかもしれないよ」
 その口調で、遠沢が準決勝で儲けた大金を決勝ですってしまったことがわかった。おれはにやりと笑い返した。
「そいつはご愁傷さま」
 おれたちは過去の特別競輪の結果を語りあいながら、決勝までの時間を潰した。違沢はよどみなくしゃべりつづけていたが、決勝のレースが始まった途端、しゃべりすぎで舌がどうにかなったんじゃないかと思えるぐらいぴしゃりと口を閉じた。金網を両手で握り締め、膜がかかったように濁った目を血走らせて、バンクを駆ける選手を睨みつけていた。
 レースは、三番車の尻が競《せ》りになったことがすべてだった。地元の選手に遠征組のマーク屋が競りかけていったのだ。そのマーク屋はクズにも劣る野郎だった。先行ラインの間隙をついて、遠沢健二のいる南関ラインが主導権を握った。三番車は捲りを打ったが、尻で競っていた連中はそのスピードについて行けず、見事にちぎれた。凄いスピードで捲りきった三番車の後ろには、南関勢がぴたりと続き、七番車が頃合を見計らって番手捲りにかかった。その瞬間、おれの車券は紙くずになった。
 結局、ゴール寸前で遠沢とその後ろの選手が七番車をかわし、結果は4−6。筋にもかかわらず配当は五千円を超えた。三番車の人気で一本かぶりだったのだ。
「よっしゃ」
 遠沢が低い抑えた声で気合を発した。さっきまで膜がかかったようになっていた目は、欲しいものを手にいれたガキみたいに曇り一つなく輝いていた。
「いくら取ったんだ?」
 払戻し所へ小走りで駆けていく遠沢の背中に、おれは悔しさの入り混じった声をかけた。
「内緒」
 遠沢は顔をこちらに向けて、にかっと笑った。
「そこで待っててよ。奢《おご》るからさ、飲みに行こう」
 断ろうとして口を開けたが、諦めて言葉をのみこんだ。遠沢はおれの返事も待たずに人ごみの中に姿を消していた。
 十分ほどして、遠沢は戻ってきた。ぺしゃんこだったショルダーバッグが外見から目立つ程度に膨らんでいた。
「いくらあるんだ?」
「へへへぇ」
 遠沢は悪ガキみたいに笑ってバッグの中を開けてみせた。五百万はありそうだった。
「奢られるよ、遠沢さん」
 おれはバッグの中のズクの束に目を吸い寄せられていた。
 おれたちは白タクで歌舞伎町に向かい、普段は足を向けることもないバカ高いだけが取り柄の寿司屋で腹を膨らませた。その後は、キャバクラのはしごだ。遠沢は金を文字どおりばらまいた。欲に目が眩《くら》んだ女たちが入れ替わり立ち替わりおれたちにまとわりつき、おれたちは遠慮会釈なしに女たちの下着の奥に手を突っ込んだ。ブランディをガブ飲みし、喉が渇いたといってはドンペリのピンクを浴びた。そんな高級な酒は置いてないという店は、即座に飛びだした。一ブロック離れただけの店に移るのにもタクシーに乗りこみ、嫌がる運転手に札束を叩きつけて大笑いした。
 楽しかった。これほど楽しかったのは久しぶりだった。楽しすぎて、気がつくと夜が明けかかっていた。
 最後の店で、遠沢はバッグの中身をテーブルの上にぶちまけた。
「これが残りだ」
 五百万以上あった金は十分の一に減っていた。
「奢られすぎたかな」
「いやぁ、こんだけ楽しい思いをできるなんて滅多にないからさぁ、気にしなくていいよ。どうせ、博奕で稼いだ金なんてあぶく銭なんだし。それよりさ——」
 遠沢は内緒話をするように、テーブルの上に身をのりだした。
「噂でさ、タイ人が秘密カジノを経営してるって話を聞いたんだけど、劉さん、知らない?」
「知ってるよ」
 酒のせいで、おれはずいぶん口が軽くなっていた。
「紹介してよ」
「取材か」
「まさか。これから、この金をまた増やしにいくのさ」
 声も顔も笑っていたが、目は真剣だった。おれは遠沢の本質を知ったつもりになり、この瞬間に、酒を飲んでいないときでも、遠沢に対するガードを下げる気になった。博奕には波がある。遠沢も今は上昇気流に乗っているのだろうが、いつかは落ち目になる。そのときまでに、なにか使い路を考えておけばいいのだ。
 おれは遠沢をカジノへ連れていった。遠沢はそこで、五十万の金を二百万まで増やした。遠沢から紹介料として五十万を受け取り、おれたちはその夜の馬鹿騒ぎを切り上げた。
 以来、おれと遠沢は持ちつ持たれつで付き合うようになった。歌舞伎町の裏の世界で取材することが必要になれば、遠沢は必ずおれに連絡を取ってきたし、おれはおれで、遠沢の取材能力を活用させてもらうというわけだ。おれの読みどおり、遠沢には立派な使い路があったのだ。
 
 三十分も待たずに、違沢はパンクした。
「飯でも食おうぜ。奢るから」
 放心したようにテーブルの上を見つめている遠沢に、おれは声をかけた。
「ああ」
 振り返った目の下には、ドス黒い隈《くま》ができていた。ここ一年ほど、遠沢は落ち目もいいところだった。おれが知っているだけでも一千万以上の借金があるはずだ。雑誌で遠沢の原稿を目にすることもなくなった。借金の取り立て屋が遠沢の出入りする編集部にまで押しかけるようになり、干されてしまったのだ。
 おれたちは〈くるみ〉を出、目に止まったラーメン屋ののれんをくぐった。ラーメンと餃子《ぎょうざ》、それにビールを頼んだ。
「ちきしょうめ」
 ビールを一息に飲み干して、遠沢は呪いの言葉を吐いた。
「いくらやられたんだ?」
「百五十」
 いまの遠沢に百五十万もの金を貸す馬鹿はどこのどいつだろうと思いながら、おれは遠沢のコップにビールを注ぎたした。
「博奕を控えて、おれの仕事をする気はないか」
「やるよ」
 遠沢はおれの言葉が終わる前にこたえていた。
「いくらくれる?」
「五十」
「よし。で、なにをすればいい?」
「呉富春《ごとみはる》を覚えてるか?」
「頭がイカれた殺し屋だ。たしか、元成貴《げんせいき》を怒らせていなくなったんだろう」
「戻ってきた」
 遠沢はビールを飲む手を止めて、まじまじとおれを見た。
「想像以上に頭がイカれてるんだな」
「元成貴に富春を連れて来いといわれた。三日以内に、だ」
「やれやれ」
 遠沢は興味がなくなったとでもいうようにテーブルの上に視線を戻し、ビールに口をつけた。
「富春が見つかったのは昨日だ。元成貴は手下を総動員して探してるが、お手上げってところらしい。富春は新宿以外にねぐらを持ってるってことだ」
「だろうねぇ」
「あんた、池袋や渋谷にも知り合いがいるだろう。聞いて回ってくれないか」
「おやすい御用だ。それで五十万なら、おまえさんの尻を舐《な》めてもいい」
「もう一つあるんだ」
「やっぱりな……」
「たいしたことじゃない。富春は残留孤児二世だ。日本名は坂本富雄。千葉のどっかに両親が住んでる。探しだして、富春から連絡がなかったかどうか確かめてもらいたい」
「残留孤児だったのはどっちだ?」
 遠沢は、母親の名前を教えろなどということは聞かなかった。耳を傾けただけで、おれが富春の個人的なことをなにも知らないということをしっかり把握したのだ。
「母親だ」
 おれも余計なことはいわなかった。
「どこの省で、何年に帰国したかは?」
「吉林。八二年か八三年のどちらかだと思う」
「なんとかなると思うよ」
「助かるよ」
 おれはそこでやっとビールに口をつけた。
 携帯電話が鳴った。目で遠沢にことわりを入れ、ポケットから電話を取りだした。
「元さんに、あんたに電話しろといわれた」
 富春を見たという男だった。
「富春《フーチュン》を見かけたときの状況をできるだけ詳しく話してくれ」
「十時ちょっと前。明治通りを大久保の方に歩いてた。やたらにきょろきょろしてるんで、おかしいと思ってつけてみたんだ」
「そいつが呉富春だと気づいたのは?」
「職安通りの手前でタクシーに乗ったんだ。車内の明かりで顔がはっきり見えた。あいつは呉富春に間違いない」
「前に富春を見たことがあるのか?」
「あいつが叔父貴《おじき》を殺したとき、おれは側にいたんだ」
 押し殺した声だったが、怒りの感情は充分に伝わってきた。あの殺しの現場にいたというなら、見間違うことはないだろう。
「後は追わなかったのか?」
「タクシーが来なかったんだ。もし、後を追えたら、おれが殺してやったんだ」
「タクシーはどっちの方角に走っていったかわかるか」
「明治通りをまっすぐ。見えなくなるまで追ったけど、どこにも曲がらなかった」
 富春に、迂回《うかい》しながら目的地に近づくという頭はない。たぶん、まっすぐねぐらへ向かったのだ。早稲田《わせだ》近辺か池袋、富春が隠れているとすれば、その辺りが妥当だ。
「タクシー会社は?」
「個人だった」
 タクシーの線から富春を探すのは諦めるしかなさそうだった。おまわりでもないかぎり、個人タクシーを一台ごとに調べるなんてできるはずもない。
「わかった。また、なにか思いだしたら電話をくれ」
 おれは電話を切った。
「手がかりはあったかね」
 遠沢が餃子を頬張りながら聞いてきた。ラーメンには手をつけていない。食欲がないのだ。げっそりとやつれた遠沢の横顔に、嫌なものをみたような気がした。シャブをやっているのかもしれない。落ち目の博奕打ちにはよくあるパターンだ。
「タクシーで明治通りを北上したそうだ」
 おれは疑念を振り払った。遠沢がシャブで身を持ち崩そうが、おれの知ったことじゃない。おれが頼んだ仕事をやっている間だけまともでいてくれたらいいのだ。
「じゃぁ、渋谷や六本木より、池袋を重点的に探ってみた方がいいな」
 そういって遠沢はおれに手を突きだしてきた。おれは財布を探り、十万のズクを抜きだした。
「足りないよ。五十の仕事なら、半金で二十五もらわなきゃ」
「それだけ渡したら、あんた〈くるみ〉に戻ってまた博奕をはじめるだろう。あんたがいくら負けようがおれには関係ないけど、明日の朝叩き起こされて、調査費用を貸してくれといわれるのだけはごめんだからな」
 遠沢は恨みがましい目でおれを見つめていたが、やがて諦めたようにズクを受け取った。
「ほんとに友だち甲斐がないよな、おまえさんは」
「死に急いでる人間を友だちにしても、ろくなことにはならないからな」
 おれはいってやった。遠沢の顔色がほんの少しだけ変化した。
「シャブが切れて仕事にならないようだったら連絡してくれ。元成貴に頼んで安く回してもらうから」
 それがとどめだった。遠沢の口もとが激しく震え、濁った目がおれの肌を突き刺しそうな視線に変わった。
「くそったれが。あんた、自分だけが利口だと思ってるんだろうが、そのうち、足もとをすくわれるぜ」
「おれの足もとは泥だらけだよ」
 おれはそういって席を立った。遠沢はぽかんとした顔でおれを見つめていた。

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