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不夜城(28)
日期:2018-05-31 22:20  点击:307
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 別の身分を手に入れようと躍起になっていたころがある。二十《はたち》ぐらいだったか、楊偉民に見放され、ゴールデン街のゲイバーで働いていたころだ。
 百パーセントの日本人か百パーセントの台湾人。おれが欲しかったのはそういう身分だった。新たな自分を仕立てあげて、渋谷でも六本木でも銀座でもいい、どこか別の場所で一からやりなおそうと思っていた。どちらにしろ、堅気になるつもりはこれっぽっちもなかったのだが。
 おれはあるおカマから浮浪者が戸籍を売ってくれるという話を聞いた。そのおカマは全共闘世代だが柔道部に所属していて、青臭いアジ演説をぶつ阿呆どもの頭をかち割る役目を大学からおおせつかっていた。そして、やりすぎた。ひょろひょろの学生を思いきりアスファルトに叩きつけて殺してしまったのだ。おカマは逃げた。日本全国を放浪した。そして上野にたどり着き、そこの浮浪者から戸籍を買って新しい身分を手に入れた。おカマになるまでの経緯は決して話そうとはしなかったが、学生活動家を殺し全国を放浪し浮浪者から戸籍を買うまでの話は、酔うと必ず口を割って出るのだ。
 新宿には、今ほどじゃないがそのころも浮浪者がうじゃうじゃしていた。おれは店がはねた後の明け方、西口の地下通路や中央公園に足を運んでは目を光らせた。懐に、おれを雇っていたおカマを脅してせしめた五十万を忍ばせて。だが、おれの目論《もくろ》みは呆気《あっけ》なく失敗した。二十そこそこの浮浪者なんてどこにもいなかったのだ。いくら戸籍を買ったところで、年齢が二十も三十も違うんじゃ話にならない。
 自分の馬鹿さ加減に腹を立てる気力もなく、おれは中央公園のベンチに座って茫然と空を見上げた。
 次に狙ったのは、台湾を食いつめて逃げてきた流氓だった。二十そこそこというのはいなかったが、二十五ぐらいの流氓なら何人でも見つけることができた。おれはその中の一人と話をつけ、パスポートと外国人登録証を譲り受けた。おどおどした目つきの男で、おれから五十万をひったくるようにして受け取るとその夜のうちに歌舞伎町から姿を消した。指紋を取られれば一発で別人とわかるのだが、そのときはそのときというだけのことだ。
 おれは新しい身分を手に入れ、有頂天《うちょうてん》だった。雇い主のおカマをそそのかして、渋谷か六本木に店を出せばすべてが変わるのだと愚かにも信じこんでいた。一足先に渋谷の松濤《しょうとう》にアパートを借り、区役所にも足を運んですべての手続きを整え、そこに住みこんだ。
 おれの幸せな気分は長くは続かなかった。当然だ。
 松濤のアパートに引っ越して一ヶ月ほどしたころだ。数人の流氓が部屋に押しこんできた。そのころの台北では流氓同士の抗争が勃発していた。おれがパスポートと外国人登録証を買った若い流氓は鉄砲玉として敵対する幹部を殺し、日本へ逃げてきたのだ。知らなかったのはおれだけだった。台湾からそいつを追ってきた殺し屋たちはそいつの顔を知らなかった。そいつの名を名乗るおれを殺そうとしたのだ。
 おれは必死になって弁明した。やつらが問答無用でおれを殺さなかったのは、おれが後生大事にパスポートと外国人登録証を抱え、日本の正規の手続きを踏んで暮らしていたからだ。逃げ惑っている鉄砲玉なら、よっぽどの馬鹿か度胸があるかでなけりゃそんなことはしない。さっさと偽造パスポートかなにかを手に入れて姿をくらますに決まっている。
「馬鹿なことをしたな、小僧」
 おれがただの間抜けだということを認めた首領格の男が、おれを見下ろしていった。真暗な、底なし沼みたいな目だった。
「別の人間になりたかったら、まず内側から変わんなきゃならねえ。外見だけ変えようとしたって、見るやつが見ればすぐにわかっちまうんだよ。おまえは臆病な間抜けだ。だれにだってそうしか見えねえ。名前を変えようが住む場所を変えようが、おまえが臆病な間抜けだってことはすぐに見抜かれる。わかったら、もう二度と馬鹿なことはやめな。臆病なのは変えようがないだろうが、物事を見極めようとする心がありゃ、間抜けでなくなることはできるんだからな」
 そいつはそういうと、手下たちに手を振って出ていった。最後に部屋を出たやつが、おれの顔に唾を吐きかけていった。
 翌日、おれはアパートを引き払った。だれにもその夜のことは話さなかった。代わりに黙って台湾人の連中がすることを観察するようにした。特に楊偉民と流氓のやり方を。新しい身分を手に入れようなんて気持ちはもうなくなっていた。殺し屋の言葉がおれの耳にこびりついていた。身分を変えようなんて、馬鹿な考えもいいところなのだ。基本的なところで人の内側は絶対に変わらない。おれは半々として生まれ、半々として死んでいく。それだけだ。
 一年後、おれに説教を垂れた殺し屋が歌舞伎町の住人として舞い戻ってきた。台北での抗争は終結したが、殺人の容疑で警察に手配され、日本へ逃げてきたのだ。
 その殺し犀は歌舞伎町では陳錦《チェンジン》と名乗っていた。偽名だ。だが、中身はまったく変わっちゃいなかった。いつも真暗な底なし沼のような目で周りを見渡していた。
 陳錦はおれを覚えていた。おれが陳錦に歌舞伎町の動向を教えるようになるまで、それほど時間はかからなかった。

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