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住宅街のど真ん中にある時間ぎめの駐車場にBMWをとめた。
「おまえはマンションへ戻れ。おれから連絡があるまで部屋を出るな」
「いや。わたしも行く」
夏美の顔を凝視した。夏美は絶対に退《ひ》かないというように、挑戦的に唇を突きだしておれの視線を受けとめた。
「なんだって?」
「健一の邪魔はしない。ただ、見てるだけだから」
「だめだ。おれとおまえがいっしょにいるのが富春に気づかれたら、おれの計画がおじゃんになる」
「見たいのよ、富春がどんな顔をしてるか」
「おれが後で教えてやる」
「自分の目で見たいの」
「降りろ」
おれはいった。うんざりだった。これ以上議論する気はなかった。
「おれのルールに従えないならそれまでだ。降りろよ。好きなところへ行ってくれ」
「わたしはなにも……」
「おれのいう通りにするか、おさらばするかだ。それ以外はない」
夏美は口を閉じた。ただ、強い光を発する目をおれに向けていた。
「どうするんだ?」
「なにか手違いがあったらどうするの? わたし、いつくるかわからない連絡を待ってなきゃならないわけ?」
おれの肩から力が抜けた。夏美はどうあっても抵抗し通すつもりらしい。
「手違いなんかない。もし、元成貴にばれたら、富春を掴まえてあんたのところへ連れていくところだったといえばすむ話だ。いいか、おれと富春が落ち合う場所におまえはいちゃいけないんだ。元成貴に見つかればあの女は何者だって話になる。おまえの悪知恵のせいで富春が〈紅蓮〉を襲ったと知ったら、元成貴はおまえを許さない。おまえを匿《かくま》ってたおれのこともだ」
「…………」
夏美は上目づかいにおれを見つめていた。反論はできないが、どこか納得できないって顔つきだった。
「富春におまえが見つかった場合もやばい。あいつはおれにはめられたと思うだろう。それにおまえとおれの仲を勘繰る。あいつは銃を二丁持ってるし、腕っぷしも強い。おれは殺されて、おまえはまたあいつに殴られつづける生活に逆戻りだ」
「見つからなければいいんでしょ」
「おれはいつも最悪の場合を想定して動くんだ」
噛んで含むようにいってやった。
「じゃあ……」
「なんだって富春の面《つら》なんか拝みたがるんだ!?」
「あいつがおろおろしてるところを見たいのよ。あいつが……あいつが不幸になるところを見たいの」
夏美は唇を噛み締め、声を絞り出していた。身体全体が細かく震え、その振動で目尻に溜まっていた涙がこぼれ落ちた。
ため息をもらし、夏美の小さな頭を抱きよせた。
「おまえの復讐はおれが請け負った。あいつは死ぬ。必ずだ。だから、それ以上の高望みはするな。失敗するだけだ」
「わたし……わからない」
「わからなくてもいい。おれのいう通りにしてればいいんだ。なにも心配はいらない」
「信用できないのよ。健一のこと信じたいけどできないの。だって、弟同然の人を見捨てようとする人じゃない。わたしなんてぜんぜん関係ないんだよ。見捨てられるに決まってる。富春が見つかっちゃえば、わたしなんか邪魔なだけでしょう?」
夏美はおれの腕の中で震えつづけていた。涙に濡れた声は聞き取りにくくてしかたがなかった。それでも、おれには夏美の声がしっかりと聞こえた。
「おれは戻ってくる」
「信じない……」
「いや、信じるさ。おれはまだおまえとやってない。おまえを抱くために戻ってくる。これならどうだ? それでも信じられないか?」
夏美は顔を上げた。顔はびしょびしょだったが、もう涙はとまっていた。
「健一、わたしとしたいの?」
おれはうなずいてやった。
「ああ、したい」
夏美の目がぱっと輝いた。
「わかった。信じてあげる」
泣くふりをしていただけのような明るさで、夏美は微笑んだ。その微笑みを車内に残して、おれは車を降りた。熱気が押し寄せてきたが、背中に生じた悪寒は消えなかった。