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不夜城(71)
日期:2018-05-31 22:47  点击:443
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 秀賢のマンションに辿《たど》りついた時、ようやく遠くの方でサイレンが聞こえだした。
「ここで本当に大丈夫なの?」
 おれの顔を冷やすための氷を用意しながら、小蓮がいった。部屋の鍵は秀賢の死体からかっぱらってきた。一度は孫淳に奪われたベレッタ、小蓮の持っていた黒星、弾丸が数十発、それに携帯電話。あの墓地で、おれはそれだけのものを手に入れた。
「二、三時間はな。孫淳は自分のやってることをだれにも報せてなかったはずだ。少なくとも、上海のやつらはおれたちがここにいるなんて気づきもしない」
 おれはユニットバスの鏡を覗きこんだ。血は止まり痛みは鈍痛にかわっていたが、顔の表面が熱を持ち腫れはじめていた。
 小蓮が、氷を入れて口を縛ったコンビニの袋を持ってきた。おれはそれを受け取った。頬骨に氷を押しつけて、リビングに戻った。小蓮が小犬のように後をついてきた。
 小蓮はたいしたものだった。人をふたり、殺したばかりだというのに動揺のかけらもみられなかった。墓地からこのマンションへ戻ってくる間、小蓮がしたのはおれの怪我を心配することだけだった。
「どうして富春を殺した?」
 小蓮が立ち止まる気配がした。しばらく間があって、小蓮は口を開いた。
「健一が殺せっていったのよ、わたしに。覚えてる?」
「ああ」
 おれはソファに腰を下ろした。小蓮はキッチン・シンクの脇に立ったままだ。
「もう一度聞くぞ、小蓮。どうして富春を殺した?」
「わたしが撃たなかったら、健一、富春に殺されてたわ」
 煙草をくわえた。小蓮の目を見たまま火をつけた。
「おまえたち、名古屋でなにをしてきた?」
 小蓮は答えなかった。だが、おれにはそれで充分だった。富春を撃った時の小蓮の目。燃えていた。自分さえ燃やし尽くしてしまいそうな憎悪の炎で。おれは何度もあんな目を見てきた。欲の深い人間が、自分の物をかっぱらいに来た相手に見せる目だ。小蓮は富春を憎んでたわけじゃなかった。小蓮にとって富春はただのゴミ屑《くず》だ。憎む対象にすらならない。だが、すでに小蓮のものになったものを取り返しにきたとなれば話は別だ。小蓮はありったけの憎悪をこめた目で富春を睨みつけるだろう。
 後は調べればすぐにわかる。たぷん、富春は名古屋で叩きをやったのだ。それも、裏の世界のやつからかっぱらったに違いない。その金を持って、小蓮はふけた。その金を頭金にして、マンションを買った。そんなところだ。
「富春は金を追っかけてきたわけじゃないぞ」
「わかってるわよ」
「ならいい」
 おれは煙草の灰を落とした。灰は床に落ちて散らばった。その灰をスリッパの底で踏み潰した。電話が鳴った。
 小蓮を見あげた。小蓮はおれに問いかけるような顔をしていた。おれは電話に手を伸ばした。
「はい?」
 北京語でいった。相手が息をのんだ。
「黄秀紅?」
 尋ねると、受話器の向こうで低いため息が漏れた。
「秀賢は?」
 秀紅がいった。
「孫淳は? の間違いじゃないのか」
「孫淳は?」
「ふたりとも、死んだよ」
 秀紅は押し黙った。おれは新しい煙草をくわえた。
「殺してやる」
 煙草が半分ほど灰になったところで秀紅が口を開いた。語尾が震えていた。
「あんたは賭けに負けたんだ。諦めろよ」
「必ず殺してやるから」
「その前に、あんたが死んでるよ」
 受話器を握ったまま電話を切った。そのまま、天文の店の番号をプッシュした。一回目の呼び出し音が鳴りおわらないうちに相手が出た。従業員だった。天文は店にいた。
「どこにいるんだ!?」
 従業員に代わると、天文はいきなり怒鳴った。
「おまえが知る必要のない場所だ」
「ふざけるなよ。あんたと爺さんのおかげで、おれがどれだけ迷惑してるか——」
「警察か?」
「ああ、店の前はおまわりだらけだ。入れ代わり立ち代わりおまわりたちがやってきて、なにか見なかったか、思い出したことはないかと聞きにくる」
「爺さんは?」
「銃声が聞こえなくなった途端にいなくなったよ」
「すべてをめちゃくちゃにしたのは爺さんだ」
「知ってる」
 天文はため息を洩らしながらつぶやいた。
「いつから知ってたんだ?」
「銃撃戦がはじまってからさ。おれをなんだと思ってるんだ? あの爺さん、慌てふためくおれを眺めながらいったよ。なにも心配することはない、あれはわしの手の者だ。ふざけやがって。みんなでおれをコケにしてるんだ」
「爺さんは〈薬屋〉か?」
「まさか。爺さん、元成貴が殺されるとは思ってもいなかったんだ。あんな用心深い人間が歌舞伎町に戻るわけがない。上海のやつらが目の色を変えてるからな。あんたは爺さんをうまく出し抜いたんだよ」
「わかった。また連絡する」
「待てよ。この落とし前はきっちりつけてもらうからな」
「流氓みたいな口のききかただな、小文」
 天文の罵声が返ってくる前に受話器を置いた。顔を上げると、小蓮がなにかを問いたげにおれを見つめていた。
「なぜ、逃げなかった?」
「何度も逃げようと思ったわ」
 小蓮はまっすぐおれの目を見ていた。
「おまえは逃げるべきだった。そうすりゃ、いまごろは富春だけじゃなくおれもくたばってた。おまえのあのマンションを知ってるのはおれだけなんだ。ほとぼりが冷めてから戻ってくれば、なにも問題は起こらない。なぜだ? 理由を教えてくれ」
「二十何年も生きてきて、わたしと同じ人間を見つけたの、はじめてだったのよ」
「だめだ。おれは信じられる理由が欲しいんだ」
「知ってるわよ」
 小蓮は吐きだすようにいった。
「だから、逃げなかったんじゃない。健一はわたしの言葉なんか絶対に信じない。でも、身体を張れば、認めてくれる。だから、身体を張ったのよ。信じなくてもいいから、わたしが身体を張ったんだっていうことだけは認めてよ」
 小蓮の肩が小刻みに震えていた。それでも、信じられなかった。
「わかった」
 なんとかいえたのはそれだけだった。小蓮から目をそらし、氷入りの袋をきつく顔面に押し当てた。氷がおれの感情を冷やしてくれればいいと、願っていた。無駄だった。
「なにか、雑巾《ぞうきん》の代わりになるようなものを探してくれ」
 頭を振りながら立ち上がった。黄秀紅がここにおれたちがいることを知っている。ぐずぐずしている暇はない。
「それで、おれたちが手を触れた場所をきれいに拭くんだ。指紋を残したくない。台所は念入りにな」
 小蓮は返事もせずに動きはじめた。それを眺めながら、もう一度電話に手を伸ばした。時報や天気予報の番号をくり返しプッシュした。今時の電話機には、リダイアルという面倒な機能がある。天文の店の番号は残しておきたくなかった。

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