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犯人を捜す犯人08
日期:2018-06-26 11:09  点击:291
8 包 囲
 
 電話が鳴り出して、うたた寝していた泉は、目を開けた。
「何だ……」
 夕方になっていた。鳴り続ける電話へ手をのばす。
「──はい。──もしもし。──どなた?」
 と、顔をしかめながら言った。
 一向に何も言わない。
「何だよ。こっちは忙しいんだ」
 と文句を言うと、
「こっちは、いてえよ……」
「何だと?」
「いてえ……。ひでえじゃねえか。どうしてあんなに殴ったんだよ……」
 細い、かすれた声。
「──誰だ?」
 泉は座り直した。
「おまけに……あんな高い所から落っことしやがって……。ひでえ奴だ……」
「おい! 誰なんだ!」
「憶えてろよ……。這《 は》ってでも……どうしてでも、仕返ししてやる……」
「貴様──」
 プツンと電話が切れる。
 泉は、ツーツーという音だけが聞こえる受話器を、じっと握って座り込んでいた。──ドッと冷たい汗が背中を流れて行く。
 
「──母さん」
 と、古畑和男が声をかける。
「どうしたの?」
 伸子は、台所から顔を出した。「夕ご飯、じきだよ」
「父さんは?」
「さあ……。出かけたけどね、お昼過ぎに」
「どこへ?」
「さあ。よく知らないわ」
 和男は、ちょっと考えてから、
「父さん、どうかしてるよ」
 と言った。
「そりゃあ……。あんなに圭子を可《かわ》愛《い》がってたからね。仕方ないよ」
「そうかな」
 和男の言葉に、伸子は、
「どういう意味?」
「それだけじゃないよ。あの様子はまともじゃない」
「和男──」
「分ってるんだろ、母さんだって。とてもじゃないけど……。俺はすぐアメリカへ戻るからね。圭子にはすまないけど、でも、分ってくれるはずさ」
 和男は、軽く肩をすくめて、「出かけて来る」
「出かけるって……。どこへ?」
「ちょっと」
 止める間もなく、出て行ってしまう。
 伸子は、力が抜けてしまったように、ペタッと座り込んだ。
 もう、外は大分暗くなっている。
 圭子の写真。──微《ほほ》笑《え》んでいる圭子。
 あの子が、死ぬ前にあんな笑顔を見せてくれたのは、いつだったろう?
 圭子……。いつからか、何かが狂ってしまったのだ。
 和男がアメリカへ行ってしまうまでは、それでも家の中は何とか平和だった。しかし、和男がいなくなると、急に明りを失ってしまったかのように、圭子も笑うことがなくなり、夫もいつも不機嫌で、よく伸子に当り散らすようになる。
 圭子は、夜遅く帰ることが多くなって、何を訊いても答えないようになって来た。
 相談しようにも、夫はいつも酔って夜中に帰って来て、眠り込んでしまうばかり。
 伸子は疲れ切っていた。──そう、できることなら、死んでしまいたい、とさえ思っていたのだ。
 それが……。それなのに。
 圭子。──圭子。どうしてあんたが先に死んでしまったの?
 母さんを出しぬいて死ぬなんて、ひどいじゃないの!
 伸子は、両手で顔を覆って泣き出した。そして、外が夜になり、部屋が暗がりの中に沈んでも、全く気付かなかった……。
 
「──さ、飲んで」
 と、紀子は紙パックのウーロン茶にストローを差して渡した。
「ありがとう」
 哲郎は息をついた。「──喉《 のど》がかわいてたんだ。生き返った」
「うん」
「生き返った、か……。ケンジの奴、可哀そうに」
「哲郎のせいじゃないよ」
「でも、俺がついててやれたらな」
と、哲郎は言った。「ケンジは生きてたかもしれない」
「二人とも死んでたかもしれないよ」
 哲郎は紀子を見て、
「そしたら、泣いてくれてたか?」
「殴るよ」
「よせ! お前、本気でそういうこと言うからな」
 紀子は笑った。──笑い声が、古びた建物の中に響く。
 今は閉めてしまって、荒れはてた工場。その廃屋の奥に、二人はいた。ボロボロの椅子《 いす》にかけて、哲郎は、紀子の買って来た弁当を食べたところだった。
「でも、紀子……。帰った方がいい。ここにいて、もし一緒に捕まったら、お前まで少年院だぞ」
「離れないよ」
 紀子は、哲郎の肩へ頭をもたせかけた。
「頑固だな」
「もちろん」
 二人の唇が重なる。──紀子は、
「シャケの味がした」
 と笑った。
「もう夜だな」
「真っ暗だね、ここ、夜になったら」
「ああ。──どこかへ移るって言っても、この足じゃ……」
「いいよ、ここで。隠れてよう。──本当の犯人が見付かるかもしれないよ」
「むだだよ。もう指名手配までされてる」
「しっかりして!」
 と、紀子は、哲郎の背中をどやしつけた。
「いてて……。乱暴するなよ」
 と、哲郎は顔をしかめた。
「私、哲郎を守ってみせるからね」
 と、紀子は言った。「家も家族も、全部捨ててやる」
「紀子」
 哲郎の腕に抱かれて、紀子は力一杯顔をその胸に埋めた。
「──好きだよ、哲郎」
「ああ。──分ってる」
「ここじゃ、何もできないね」
「できなくてもいい。お前は俺のもんだ」
「うん……」
 紀子は、哲郎の鼓動をじっと聞いていた。そしてパッと体を起こすと、
「じゃ、行くよ」
 と言った。
「どこへ?」
「じっと待ってるなんて、いや。この手で犯人を捕まえてやる」
「おい──」
「心配しないで、待ってて!」
「紀子。──危いからよせ! 紀子!」
 哲郎の呼ぶ声を背中に、紀子は暗がりの中、用心しながら戸口の方へと歩いて行った。
 錆《 さ》びついた鉄のドアが半開きになっている。紀子は、そっと外を覗《 のぞ》いてみた。
 人の姿が……。錯覚か?
 いや──そうじゃない!
 紀子は、一瞬の内に血の気がひいた。
 警察だ!
 目が慣れてくると、パトカーが二台、三台と集まっているのが分ってくる。そして警官が足音を忍ばせて動いている。
 尾《 つ》けられたのだ。──何てことだろう!
 紀子は、そっとドアから離れると、哲郎のいる方へと戻って行った。
 
「──何か用かい?」
 と、いぶかしげにその男は訊《 き》いた。
 これが?──こんな男がそうなのか?
「古畑と申しますが」
 と、頭を下げて、「こちらに『先生』はおいでで?」
「『先生』?」
 男は、警戒したような目で、「あんた、何者だい?」
 やはり違う。この男じゃない。
「『先生』に取り次いで下さい。古畑とお伝え下されば分ります」
 古畑はそう言って、「よろしく」
 と、また頭を下げる。
 ていねいな口調が却《 かえ》って気味悪いのか、応対に出た男は、
「待ってな」
 と言って引っ込んだ。
 古畑は、そのドアが閉りそうになるのを素早く止めて、男が奥へ入って行くと、スッと中へ入りこんだ。
 安物の香水の匂《 にお》いがしている。──ごく普通のマンションの一室だが、中は「普通」じゃない。
 重いカーテンで仕切られて、奥からは何の物音も聞こえないが、玄関に立つ古畑には、中の様子も大方分っていた。
 古畑は、勝手に上り込むと、カーテンをそっとからげてその中へ入った。
 薄暗い廊下に、紫色の照明が妖《 あや》しいムードをかもし出している。ドアがいくつか並んでいて、その一つが細く開いていた。
 古畑は、そっとそのドアへ近付いた。
「──どうして追い返さなかったんだ」
 と、不機嫌そうな声。
「どうも……帰りそうもなくて」
 と、入口に出て来た男が言っている。
「会いたくないな。──何とか上手《 うま》くごまかして──」
 と言いかけて、「誰かいるぞ」
 廊下へ、あの男が顔を出した。
「勝手に入らないでくれよ」
「ごまかされちゃかなわないからね」
 と、古畑は言った。「出て来てもらいましょうか、 『先生』」
 少し間があって、
「──分った」
 と言う声。「向うへ行ってろ」
「はあ」
 と、応対してくれた男が、チラッと古畑をにらんで玄関へ戻って行く。
 古畑は、そのドアの前で足を止め、ドアを大きく開けた。
「──どうも」
 と、「先生」は言った。「お入り下さい」
 古畑は、中へ入ると、ドアを後ろ手に閉めた。
「本当に『先生』だったんですか」
 と、古畑は言った。「そういうあだ名かと思っていました」
「隠すつもりだったんですが、袖口にチョークの粉がついているのを女の子が見て、『先生』だって……。それが通称になっちまいました。──ま、かけませんか」
 ベッドと二つの椅子、小さなテーブル。それでもう身動きできないくらいの狭い部屋だ。
「古畑さん──」
 と矢《ヽ》川《ヽ》は言った。
「先生」
 と、遮って、「圭子のメモにあった『先生』はあんたのことですか」
 矢川は、ちょっとため息をついて、
「珍しくありませんよ、今どき。先生と生徒の恋なんてね」
 と言った。「それに、もとはと言えば、あの子の方から僕に言い寄って来たんだ」
「そうですか」
「いや、あなたが腹を立てるのは分ります」
 と、矢川は言った。「まあ、多少私も軽率だった。しかしね、圭子はあ《ヽ》な《ヽ》た《ヽ》のことを負担に感じてたんですよ」
「言いわけですか」
「本当の話です」
 と、矢川が言い返す。「いつもここで会うと、圭子は、 『帰りたくない』と言ってました」
「嘘《 うそ》です」
「いや、本当ですよ。圭子は家へ帰りたがらなかった。──お父さんと会いたくない、と言っていたんです」
「圭子が……」
「そうです。──あなたは、圭子を可愛がるあまり、家の中へ閉じこめておこうとした。ボーイフレンドなんか作ろうものなら、殴られた、と言っていましたよ」
「当然です。あれはまだ子供だった」
 と、古畑は言った。
「いや、そうじゃない。圭子はもう大人でしたよ」
「父親の私が、あの子のことは一番良く知っています」
「そうでしょうか」
 矢川は、軽くビールを飲んで、「しかし、分らないでしょう、男をいつ知ったか」
「何のことです」
「圭子の初体験ですよ。少なくとも、僕は初めての相手じゃなかったんです」
 古畑は口をつぐんだ。矢川は続けて、
「まあ、圭子とは何度か寝ました。否定はしませんよ」
 と、ベッドの方へ目をやった。「しかし、あの子は僕の何人かの恋人の一人でしたから、そのことも良く分っていた。──確かに責められれば謝ります。しかし……」
「先生」
 と、古畑は言った。「私はね、ちゃんと知ってますよ」
「知ってる?」
「圭子がいつ男を知ったかね。──ちゃんと分ってます」
 矢川は、じっと古畑を見つめていた。
「──古畑さん! そうなんですね」
 と、目をみはる。「何てことだ!」
「先生にそんなことが言えますか」
「しかし僕は……。あの子が僕の所へ救いを求めて来ていたのも当然だ。──父親に犯されてたんだから」
「犯された、ですって?」
 古畑はムッとした様子で、「とんでもない! あの子は幸せだったんです。いつも、私に抱かれて喜んでいたんだ。それを先生、あんたが、めちゃくちゃにした」
「馬鹿な! 私はね、ちゃんと聞いてるんだ。家へ帰るのは地獄みたいなものだ、と言って泣いてるのを、見てるんですよ」
「でたらめだ!」
 パッと立ち上ると同時に、古畑の右手はナイフを握っていた。
「何するんだ!」
 矢川は怯《 おび》えて声を上げた。 「誰か来てくれ!」
「先生は先生らしくして下さい。みっともない」
「古畑さん……」
 矢川が青ざめた。「──そうか! あんたがやったんですね! 自分の娘を殺したのか!」
「私はね、見るに忍びなかったんです」
 と、古畑はナイフをゆっくりと振り上げて、「あの子があんたのオモチャにされてるのがね」
「オモチャにしてたのは、そっちだろう!」
「私は愛してた! だから──だから、あの子が妊娠したかもしれない、と言ったとき、罪の源を断つしかないと決心した。あの子を殺すことで、あの子を救ったんですよ」
「古畑さん──」
「あの子の恋《ヽ》人《ヽ》も許すわけにいかん、と決心したんです。捜すのにちょっと手間どりましたが……。先生、あの子が向《ヽ》う《ヽ》で待ってますよ」
「古畑さん……。やめて下さい!」
 狭いので逃げる余地がない。
 古畑は、ゆっくりと矢川を追いつめて行く。
「誰か! 助けてくれ!」
 と、矢川が叫んだ。
 と──古畑が立ちすくんだ。そして、ゆっくりと倒れた。
 立っていたのは、二十歳くらいの若者で、
「──古畑の息子です」
 と言った。
「息子さん?」
 矢川の顔が汗で光っている。
「妹と父の間が、まともじゃないことは分ってました。それで、アメリカへ逃げたんです」
 と、古畑和男は言った。「でも、妹からも手紙が来て、父がどうしても自分を離してくれない、と言って……」
「そうですか……」
「矢川先生、とおっしゃいましたね」
 古畑和男は、厳しい口調で、「生徒と関係を持つなんてことは、とんでもないことです」
「それはまあ……」
「当然ニュースが流れるでしょう。あなたも辞めざるを得ないでしょうね」
「いや、しかし──」
 と、矢川は言って、「お父さんは、どうしたんです?」
「痴漢撃退用の電気ショックで、のびてしまったんです。──父のやったことは、きちんと明るみに出しますよ」
 と、古畑和男は言った。「さ、警察へ行きましょう」
「あの──それは何とか……。古畑さん」
 矢川の声が震えた。
「先生。もう無理です。父のことが分れば、自然、話をせざるを得なくなる」
 古畑和男は、ドアを開けて、「パトカーの警官を呼びます」
 と言った。
 
「哲郎……」
 紀子は、しっかりと哲郎に抱きついた。「ごめんね」
「いいんだ。──それより、お前も巻き込まれる」
「もういいのよ」
 逃げようがない。──警官はもうライトで工場の中を照らしながら進んで来ていた。
「哲郎……。諦《 あきら》めないでね」
 紀子は、哲郎の手を握った。
 足音とライトが、揺れながら近付いて来る。そして、明りが二人を照らし出そうとしたとき、
「おい!」
 と、声が響いた。「引き揚げだ!」
 ガヤガヤと騒いでいる。
「引き揚げるぞ! 早くしろ!」
 と怒鳴っているのは、あの小堀という刑事だ。
 ゾロゾロと警官たちが出て行ってしまう。
「──どうしたんだ?」
 と、哲郎が呆気《あつけ》にとられている。
「分んないわよ。でも──本当に帰ったみたい」
 信じられない思いで、紀子がそっと進んで行くと、戸口に人の姿が見えた。
「──いるのか?」
「野田さん!」
「いたか。哲郎も?」
「はい! ここにいます」
「無事か?──良かった」
 と、野田がホッと息をついて、言った。「犯人が捕まった」
 紀子は飛び上って、
「哲郎!──哲郎!」
 と叫びながら駆け戻ったのだった……。
 
エピローグ
 
「古畑も、きっとケンジを殺すのに加わったんだろうと思ってね」
 と、野田は言った。「見張らせといたんだ。しかし、まさか自分の娘を殺したとはね」
「しかも、他の女の子も殺してたんですものね。もっと早く分っていれば……」
 と、紀子は言った。
 紀子は、〈社長室〉へ来ていた。
「助かりました。よく、あの刑事が引き揚げましたね」
「ちょっとおどかしてやったのさ」
 と、野田は言った。「あんなレストランで女と食事とはね。しかも、あの女は小堀の上司の女房だ」
「そうだったんですか」
 紀子は学校の帰りで、ブレザーの制服姿だった。
「君も、ちゃんと学校へ戻れて良かった」
「文句なんか言わせません。矢川先生のことで大スキャンダル。家じゃブツブツ言ってますけど」
 と、紀子は言ってから、「──哲郎が出所したら、足を洗わせて下さい」
「分ってる」
 と、野田は肯《 うなず》いた。
「本当ですか」
 と、紀子は目を輝かせた。「ありがとう」
「事件解決のお祝いだ。それに、泉の奴《 やつ》も逮捕されたしな」
「古畑さんの奥さんが、ケンジさんを助けようとしたらしいですね」
「ああ……。間に合わなかったがね。──しかし、三郎は助かったよ。それに、助けてくれた女の子──良子とかいったかな。浜田の奴が 惚《 ほ》れちまって。第二のカップルが誕生するかもしれんね」
 と、野田は笑った。
 二人がちょっと黙る。そして、
「──じゃあ」
 紀子は立ち上ると、「約束ですから」
 と、ブレザーを脱いだ。
「いいんだ」
 と、野田は首を振った。「力を合せて犯人を見付けた。それでいいさ」
「そんな……。私、約束は守ります」
「必要ない。大体、哲郎が可哀そうじゃないか」
「そっちが文句言うなんておかしいじゃありませんか!」
「頑固な奴だな、全く!」
「約束通り、抱いてもらうまで帰りません!」
 ──二人の「頑固者」は、まだ当分やり合っている気配だった。

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