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悪魔を追い詰めろ!08
日期:2018-06-26 11:14  点击:264
8 平手打ち
 
「お疲れさま」
 と、金山靖子は言って、フーッと息をついた。
 このところ、というか年齢《とし》のせいだろうが、仕事がすむと一休みしないでは動けないのだ。
 このN女子学園の食堂で働くのは、決してきつい仕事とは言えない。こんなことで参っていたのでは、先が思いやられる。
「しっかりしなきゃ」
 と、靖子は呟《 つぶや》いて立ち上った。
 食堂は、もちろんお昼休みが一番混み合うが、学生は必ずしも十二時に食べるとも限らないので、午後四時まで開いている。
 もっとも、三時以降は何人かが飲み物やパン類を買いに来るくらいで、ほとんど仕事はないのである。
 四時十五分。──もう十五分もぼんやり座っていたのだ、と知ってびっくりする。
 一緒に仕事をしていた人たちは、みんないなくなって、もう靖子一人しか残っていなかった。
 靖子は、ロッカールームへと歩いて行ったが──。ふと、風が吹いて来るのを感じて振り返った。
 食堂の入口が開くと、こういう風が来るのだが、もう扉は閉まっているはずだ。
「──誰かいるの?」
 と、靖子は呼んでみた。
 遅れて来た学生でもいるのなら、売ってあげようと思ったのである。
 しかし、何の返事もない。──気のせいだろうか。
 靖子はロッカーの置いてある廊下へと出た。制服を脱いで、ロッカーへしまう。
 夜の仕事もある日だが、時間が空いているので、厚子に夕ご飯の用意をして行ってやれるだろう。
 靖子は、財布を開けた。──大丈夫。これだけあれば、おかずくらいは買って帰れる。
 スッと、人影がロッカーのかげに隠れた。全く音はしなかった。靖子は、他の誰かが、しかも自分を殺そうとしている誰かが、三メートルと離れていない所にいることなど、全く知らなかった。
「早く行きましょ」
 と、靖子は呟《 つぶや》いた。
 ロッカーのかげに潜んだ男は、静かに細い針金を両手の間にピッと張った。
 この針金が靖子の首を一巻きしたら、ほんの二、三秒で靖子の命はなくなっているだろう。
 バタンとロッカーの扉が閉まる。男は静かにロッカーのかげから出ようとした。
 そのとき、食堂の通用口のドアが開く音がした。男はパッと身を元の通りに潜めた。
「──お母さん」
 と、顔を出したのは、厚子だった。
「厚子! 何してるの、こんな所で?」
 靖子は目を丸くした。「学校の人に見付かったら叱《 しか》られるわよ」
「大丈夫です」
 と言ったのは、ここの高校の制服の少女で、「私、間近紀子といいます」
「あ……。この間、厚子がお世話になった……。ありがとうございました」
 と、靖子は頭を下げた。
「いいえ。今日、担任の先生から話をしてもらいまして」
「はあ?」
「お母さん! 私、ここの事務で働くことになったのよ。高校は夜学へ通って」
 と、厚子が言った。「いいでしょ?」
「厚子……。突然何ごと?」
 靖子が呆気《あつけ》に取られている。
「勝手なことをして、すみません」
 と、紀子は言った。「でも、ここの事務で働けば、安全ですし、終りもきちんとしています。収入も安定しますし。──厚子さんも、夜学へ通った方が勉強しやすいと言うので」
「お願い、お母さん。お母さんが寝込んだりしたら大変だもの」
 と、厚子が言った。「ね、私のしたいようにさせて」
 靖子は、ちょっとの間迷っていた様子だったが、
「──分ったわ」
 と肯《 うなず》いた。 「間近さん……。よろしくお願いします」
「ええ、ご心配なく」
 紀子は、厚子の肩を叩《 たた》いて、 「良かったね」
 と言った。
 三人は、食堂を出て、学園の中を歩いて行った。
「大久保先生が、あなたのことを事務長さんに紹介してくれるから」
 と、紀子は言った。「あなたは事務能力抜群ってことになってるのよ」
「わあ、大変だ」
 と、厚子は笑った。
「──ところで」
 と、紀子が歩きながら、「一つ、うかがいたいことがあるんです」
「私に、ですか?」
「大久保先生の大学時代の先輩で、真田さんという人がいます。その人の奥さんが、この間自殺したんです」
「まあ」
「その後、調べてみると、奥さんは家の預金を全部使い切っていたそうです。団地の噂では、奥さんは覚醒剤を使っていたというんです」
「覚醒剤……」
 靖子が、ふっと目をそらす。
「ね、お母さん」
 と、厚子が言った。「私、お母さんがその団地に行ったことあるの、知ってる」
「え?」
「誰か、その団地に知ってる人がいるんでしょ?」
「どうしてそんなこと──」
「教えて下さい」
 と、紀子は言った。「先日、安東先生が亡くなったのは、みゆきさんが飲んだコーラに何《ヽ》か《ヽ》入っていたからなんです」
「コーラに?」
 と、靖子が言って、青ざめた。
「ええ。たぶん麻薬の一種だと思います。もし、あなたが何も知らずに売っていたコーラに何か入っていたとしたら……」
「──まさか!」
 と、靖子は足を止めた。
「お母さん。何か知ってたら、言って」
 と、厚子が母親の腕をつかむ。
「厚子……。お母さんは何も──何も知らなかったのよ!」
「分っています」
 と、紀子が肯く。「後は私に任せて下さい。ともかく、このまま放っておくわけにはいかないんです」
 靖子は、青ざめた顔で、しかししっかりと紀子を見て、
「分りました」
 と、肯いた。「何があったのか、私には分りませんので……。知っていることはお話しします」
 三人は、校舎の少し手前の並木道にいた。ふっと風が起こって、木々の枝を揺らした。
「私が、仕事であの団地へ行ったとき──」
 と、靖子が言いかけたとき、バシッという音がした。
 靖子がハッと胸を押えると、その場に崩れるように倒れた。──紀子が、サッと青ざめて、
「危い! 伏せて!」
 と、厚子を引張って地面へ転ばせた。
「お母さん!」
 ぐったりした靖子から、血が流れ出す。
「撃たれた!」
 紀子は危険を承知で、「ここにいて!」
 と叫ぶと、校舎へ向って駆け出した。
 ちょうど、大久保が校舎から出て来る。
「間近、どうした?」
「大久保先生! 救急車を!」
 と、紀子が叫んだ。「金山さんが撃たれたんです!」
「分った!」
 大久保が校舎の中へ駆け戻る。紀子は足を止め、靖子たちの方へ戻りかけた。
 車が一台、猛然と走って来ると、紀子の前を遮るように急停車した。
「馬鹿! 伏せろ!」
 野田だった。紀子があわてて頭を下げると、バン、という音と共に車の窓ガラスが粉々に砕け、頭上に降って来た。
「──もう大丈夫だ」
 ドアが開き、野田が降りて来る。「行っちまったぞ」
「助かった!」
 と、立ち上った紀子はガラスの破片をはたき落して、「危いところだった?」
「二、三秒遅かったら、今ごろ、頭がふっとんでる」
 と、野田は言った。
「そしたら、もっと数学のできる頭と取り替える。──それより、金山さんを」
「よし」
 野田が駆けて行く。紀子は後を追った。
「──お母さん」
 厚子が呆《ぼう》然《ぜん》と座り込んでいる。 「何も聞こえないみたい。──死んじゃったの?」
「どけ」
 野田が、靖子の心臓の辺りに耳を押し当てて、
「──まだ打ってる。弾丸が心臓をそれていれば助かる見込みはある」
 大久保が走って来て、
「今、救急車が来る」
 と言った。「どうです?」
「一刻を争うね」
 野田は、一瞬考えて、「待つか、それとも五分でも早く病院へ運ぶかだ」
「どっちがいいと思う?」
 と、紀子が訊《 き》いた。
「──俺は病院へ運んだ方がいいと思う」
 と、野田は言った。
「厚子さん、任せてくれる?」
 と、紀子は訊いた。
 厚子は涙を拭《 ぬぐ》うと、紀子をしっかり見つめて、
「はい」
 と肯《 うなず》いた。 「どうなっても、文句は言いません」
「そうと決ったら、車へ運んでくれ」
 と、野田が言った。「毛布を出しておく」
 靖子をそっと車へ運び込むと、
「傷口を布で押えるんだ」
 と、野田が言った。「何でもいい。出血を少しでも止めろ」
「任せて」
 紀子は、パッとブレザーを脱いだ。「行って!」
「よし。動かないように押えてろ」
 野田がアクセルを踏み込む。車が猛然と飛び出し、窓ガラスの破片が辺りに飛び散った。
 
「──免許停止だ」
 と、野田が渋い顔で言った。「みっともねえっちゃありゃしねえ」
「でも、すてきだったわよ」
 と、紀子は言った。
 紀子は、病院の白衣を着ていた。野田が苦笑して、
「お前だって、何も裸になるこたあない」
「だって、布がなかったんだもん」
 と、紀子は平気なもので、「見たのは厚子さんとあなたと……。ま、病院の入口じゃ、大勢見てたわね」
「当り前だ。年ごろの娘がパンツ一つで駆けてりゃ、誰だって見る」
 二人は、病院の廊下のソファに座っていた。
「──ああ寒い。お母さん、早く服持って来てくれないかな」
「パンツ一枚だろ? 風邪ひくぞ」
 野田が上着を脱いで、紀子にかけてやった。
「本当はパンツも脱いで使おうかと思ったけど、やめたんだよ」
「お前は面白い奴《 やつ》さ」
 と、野田は言った。「しかし、とんでもないことになったな」
「あの団地にいる誰か、だね」
 野田は、ちょっと息をついて、
「一億円の損害だ」
 と言った。
「何が?」
「取引きがパアになる。それをよそへ任せる代りに訊き出した。その団地の薬を扱ってる元締の名前をな」
 紀子は、野田を見て、
「ありがとう」
 と言った。「悪いね」
「お前の裸を、また拝ませてもらったさ。しかし、一億は高いな」
 と、野田は首を振った。
「あ、お母さんだ。──ここよ」
 と、紀子が手を振る。
 間近由利が風《ふ》呂《ろ》敷包みを抱えてやって来た。
「紀子! どういうことなの?」
「うん……。後でゆっくり説明する」
 と、紀子は言って、「──この人、野田さんっていうの。うちの母」
「初めまして」
 と、野田が挨《あい》拶《さつ》すると、由利はだしぬけに平手で野田の頬《 ほお》をひっぱたいた。紀子が目を丸くして、
「お母さん!」
「うちの子は十七なんですよ! いい年齢《とし》をして! 結婚するつもりですか?」
 野田が唖《 あ》 然《 ぜん》とし、紀子があわてて、
「お母さん……。勘違いしないでよ」
 と、止める。
 すると、そこへ──。
「紀子さん」
 と、厚子がフラッとやって来た。
「どうした? お母さんは?」
 厚子は、床にペタッと座り込んでしまうと、
「助かった!」
 とひと言、ワーッと泣き出してしまった。
 わけが分らずにいた由利は、野田の方へ、
「あの子にも手を出したんですか?」
 と訊いた。
「違います! 私は紀子さんに指一本触れちゃいません! 誓いますよ」
 と、野田はあわてて言った。「チラッと裸は見ましたが……」
 野田は、今度は由利の平手を危うくよけたのだった……。

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