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悪魔を追い詰めろ!09
日期:2018-06-26 11:14  点击:287
9 凶 行
 
「電話ですよ」
 と、証券会社の男が言った。
「放っとけばいいわ」
 と、倉田信子は男の胸に頬をこすりつけた。「時間がもったいない。どうせ大した用じゃないわよ」
「そうですか……」
 男はもう一度信子の上にかぶさる。
 ──昼間とはいえ、きちっとカーテンも閉めて、寝室は暗かった。もちろん、男の抱擁に夢中になっている信子には、どうでもいいことだったのだが。
 ──電話は一旦鳴りやんだが、二、三分するとまた鳴り出した。
「いやねえ……」
 信子は起き上って、「待っててね」
 と言うと、ガウンをはおってベッドから出た。
 寝室にも電話はあるが、男といるところで夫と話したくなかった。たぶん、こう何度もかけてくるというのは……。
「──はい、倉田です」
 と、信子は言った。「──もしもし?」
「俺だ」
 と、男の声が言って、信子はちょっと息をのんだ。
「──どうも」
「まずいことになったな」
 と、男は言った。「あの女を追い詰め過ぎた」
「でも──仕方なかったんですよ。分ってるでしょ。私……言われた通りにしただけで……」
 信子は寝室の方へ聞こえないかと気にして、チラッと目をやった。
「ああ、しかし何《ヽ》か《ヽ》あったときには、責任を取らなきゃな。そのために金を払ってるんだ。分るだろ?」
「ええ……。でも、もう死んじゃったんですから、あの人。ばれっこありませんよ」
「それはどうかな」
 と、男は言った。「ともかく、しばらくおとなしくしてることだ」
「はい……」
 と、信子はむくれている。「じゃ、どうするんですか? 買いに来る人には?」
「それはこっちが考える。あんたは、身の回りのものに気を付けろ」
「身の回りのもの?」
「客のリストとか、薬のメモとか、見付かってまずいようなものはないか?」
「それは大丈夫ですよ。散々注意されましたものね」
 と、信子は肩をすくめて、「書いたものとかは一切ありません」
「それは確かだね? 万が一、警察の手が入ったときでも、何も証拠になるものが残っていなければ平気だ」
「何もありませんよ。──いやだわ、手入れなんてあったら、主人に──」
「万が一、と言ったろ」
 と、男は笑って、「心配することはない。大丈夫だ」
 信子はなおも心配そうに、
「でも──」
 と言いかけたが、「分りました。じゃ、何もしなくていいんですね、私」
「ああ。安心して、証券会社の奴に抱かれてろ」
 信子はギョッとして、
「あの──何のことか──」
「ちゃんと分ってる。あんたのことは隅から隅まで」
 と、男は低く笑って、「じゃ、近いうちに使いを出すから、それを待っててくれ」
「はい……」
「それじゃ。──邪魔したな、お楽しみのところを」
 電話が切れた。信子は、ちょっと受話器をにらみつけて、
「いい気なもんね」
 と呟《 つぶや》いた。 「こっちだって、大変なんだから」
 そう。充江の場合は──あれで死んでしまうとは思わなかった。
 普通は、預金がなくなったら、知人とか友人、サラ金辺りで借金してくる。それがふくれ上って、どうにもならなくなると、死ぬこともあるが、充江の場合は例外で、誰かからお金を借りる、なんてことは思いもよらなかったらしい。
 まあ、いずれにしても、あのままいけば中毒になって死んだも同然になるのだから、それが多少早くなったというだけのこと。
 いくらかは可哀《かわい》そうに、と思わないでもないが、結局自分が馬鹿だっただけじゃないの、と信子は思った。
 そう。──この「副業」のおかげで、ずいぶんぜいたくをしている。この副収入がなくなると、信子にとっては痛いのである。
 今は、そんなことどうでもいい。
 あの人がベッドで待ってるわ。──でも、どうして私の恋人のことまで知ってるんだろう?
 見張られてるみたいで、いやね、と信子は思った。
 寝室へいそいそと戻ろうとして──。玄関の方で物音がしたので、びっくりして振り向いた。
 誰だろう?──まさか、主人が?
「どなた……」
 こわごわ玄関の方を覗《 のぞ》くと、信子はホッと息をついた。 「何だ。あなたなの」
 そして、ふと眉《 まゆ》を寄せると、
「どうやって入って来たの?」
 玄関は、ちゃんと鍵《 かぎ》をかけてあったはずなのに。──それが、信子の最後に考えたことだった。
 
「──ここか」
 と、大久保はそのドアの前で言った。
「〈倉田信子〉、間違いありません」
 と、紀子が肯く。
「よし。呼んでみよう。返事があったら、何て言う?」
「お届け物です、とでも?」
「そうか。それがいいな。お前、そういうことになると、よく頭が回るな」
「どういう意味ですか、それ?」
「ま、ともかく押すぞ。──いいか」
 大久保の方はドキドキしているのである。
 それも当然かもしれない。何しろ危いことにかけては、紀子の方がベテランである。
「先生」
「な、何だ?」
「もし、先生が殺されたら、誰かに言い遺《 のこ》したいこととか、ある?」
 誰かがふき出すのが聞こえた。振り向くと、
「おい、先生をからかうもんじゃない」
 と、野田がやって来る。
「野田さん。来てくれたんですか」
「相手はプロの殺し屋かもしれん。少なくとも、人を殺すのを何とも思ってない男だ。俺《 おれ》も、お前のお袋さんにまたひっぱたかれたくない」
 紀子も、そう言われると赤面してしまう。
「どいて。俺が鳴らす」
 と言って、野田はチャイムを鳴らした。
 しかし、なかなか返事がない。野田はハンカチを出して、それでドアのノブをつかみ、回してみた。
「──開くぞ。危いかもしれねえ。退がってな」
 大久保はパッと言われる通りにわきへどいたが、紀子は動かず、
「平気。慣れてる」
「よし、入ろう」
 ドアをパッと開け、野田は少し頭を低くして中へ入った。
「──鉄砲弾《 だま》は飛んで来ないようだ。上るぜ、先に」
「ええ」
 しかし、続いて上ろうとした紀子は、立ち止った野田の背中に、危うく追突しかけた。
「何よ。急に止らないで」
「足下にご用心だ」
「え?」
 と、覗き込んで、紀子は息をのんだ。
 女が倒れている。ガウンがはだけ、下は裸である。首に赤い筋が入って、そこから血がカーペットへと溢《 あふ》れ出ていた。
「──死んでる?」
「ああ。針金でやると、首がちぎれる寸前になる。アッという間だったろう」
 大久保も、こわごわ覗いて、目をみはっていた。
「この女が?」
 紀子は、落ちついた声で言った。
「そうだろう。倉田信子、まあ間違いない。──しかし、ずいぶんアッサリ殺されちまったもんだ」
「一一〇番しなきゃ」
 と、紀子は言った。「あなたはいない方がいいんじゃないの?」
「気をつかってくれて恐縮だね」
 と、野田は言った。「俺も放っておくわけにはいかん。戻って、早速当ってみる。せっかく一億も出して手に入れたネタがパーじゃな」
「先生は──。大久保先生! 大丈夫ですか?」
 紀子は大久保が玄関の上り口に青くなってしゃがみ込んでしまっているのを見て、びっくりした。
「うん……。いや、すぐに治る」
「素人《しろうと》さんにゃ刺激が強すぎるさ」
 と、野田が言って、「──おい、誰かいるぞ」
 と、緊張した。
「え?」
 紀子の方が緊張するより早く、奥から男が一人、裸にバスタオル一つ腰に巻いて出て来たのである。
「アーア……」
 と、大欠伸《 あくび》して、 「すっかり眠っちゃいましたよ。どうして起こして──」
 と言って、紀子たちに気付いてギョッとする。
「あなた、何してるんですか?」
 と、紀子が訊くと、
「私──あの、N証券の者で、こちらの奥様に、何かとごひいきにしていただいてる者です」
 と言って、自分の格好に気付き、「あの……つまり、色んな意味でごひいきに──」
「眠ってたのかい」
 と、野田が言った。「じゃ、気付かなかったんだね」
「何のことですか?」
「これだよ」
 その男は、床に倒れているもの《 、、》に初めて気付いたのである。
「誰か、客があって──。おい!」
 と、野田が言いかけたときには、その男はもう気絶してあ《ヽ》ら《ヽ》れ《ヽ》も《ヽ》な《ヽ》い《ヽ》格好で、カーペットに大の字になってのびていたのである。
 
「──先輩。真田さん」
 と、大久保が声をかけると、しばらく間を置いて、真田は顔を上げた。
「ああ、大久保か」
「この間は……。奥さんのことは何と言っていいか」
「もういい。──俺も悪かった」
 と、真田は息をついた。
 公園のベンチに、真田は座っていた。
「──どこのお嬢さんだ?」
 と、真田が紀子に気付いて言った。
「あの──僕の担任しているクラスの子で、間近といいます」
「間近紀子です」
「間近。──変った名だね」
 真田は会釈して、「大久保、心配するな。ちゃんと会社へは行ってる。今日は休みを取ったんだ」
「そうですか……」
 大久保は、池を眺めて、「確か、ここで奥さん……」
「うん」
 と、肯いて、「あいつの死に顔が寂しそうでな。気になってるんだ」
「真田さん……」
「銀行の預金がゼロになるまで何も気が付かないなんて、亭主失格だ。そうだろ?」
「いや……」
「俺は、あいつが自殺しようとしてることさえ、気付かなかった。何て鈍い奴かと呆《あき》れるぜ」
 と、唇を歪《 ゆが》めて笑うと、 「──さっき、サイレンが聞こえてたな。また誰か死んだのか?」
「ええ」
 と、紀子が言うと、真田はびっくりした様子で、
「──本当に?」
「はい。奥さんに覚醒剤を売っていた女です」
「何だって?」
「倉田信子。──ご存知ですか」
「倉田……。ああ、確か自治会の会長をやってるんじゃないか? 女房は役員だったから知ってる。その女が?」
「団地内の人に、他にも何人も覚醒剤を売っていたようです」
「何て奴だ!」
 と、真田は身を震わせて、「ぶん殴ってやる! どこだ!」
「たぶん──地獄の方じゃないでしょうか」
「そうか……。死んだって言ったな」
「殺されたらしいです。口封じに」
 と、大久保が言った。
「ひどい話だな」
 と、真田は首を振って、「世の中にゃ、信じられないようなことを平気でやる奴がいるな」
「全くです」
 大久保は肯いた。「とても同情できませんね。外国へ行ってる亭主には同情しますが」
「犯人は、人の命なんか何とも思ってないんです」
 と、紀子が言った。「麻薬なんかやるのはゆっくり自殺していくようなものです。分っていて売るのは殺人ですから、もともと、人一人、殺すのなんか何とも思っちゃいないんです」
 紀子の言葉に、真田はじっと考え込んでいたが、
「──君は憎んでるんだね、そういう奴のことを」
「悪魔です、そんな奴。必ず、必ず見付けて崖《 がけ》っぷちまで追い詰めてやります」
 紀子の口調は、抑えてはいたが、激しい怒りの漲《みなぎ》るものだった。

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