12 代 休
代休っていうのは、学生時代、最も嬉《うれ》しいことの一つじゃないだろうか。
もちろん大人から見りゃ、学生なんて気楽な稼業で、
「学生のころに戻りたい」
なんてよく言っているが、その実、もし戻ったら、いやなことが目について、
「やっぱり大《ヽ》人《ヽ》でいい」
とか、言い出すんじゃないかな。
でも学生と大人の決定的な違いの一つは、「休み」である。
学生には、夏休みのように社会人にはない長い休みがあるが、逆に、普段の日に、
「用事があるから休みます」
ってわけにはいかない。
有給休暇ってやつである。
学生にとっては、それに代る貴重な休日が、「代休」なのだ。
十月十日、体育祭が終った翌日、当然代休となって、私は昼ごろまで眠ってしまった。
もちろん、昨日の火事のこと、有恵が火をつけたんじゃないか、という噂《うわさ》のことも気にはなっていたが、だからといって、代休の楽しさを忘れることもない。
体中が痛かったけれど、それでもせっかくの休み。家で寝てるだけで終らしてなるものか!
つまらないことに意地になって、起き出すと、
「お母さん、出かけて来るね」
と、昼食もそこそこに立ち上った。
「あら、どこへ?」
母が、ちょっと困ったように、「遅くなるの?」
と訊《き》いた。
「別に……。何か用事あったっけ?」
「そうじゃないんだけどね……」
と、母は、何だか煮え切らない。
「何よ?」
「ええ、あの——ほら、昨日、せっかく顔も合せたし、この機会にあ《ヽ》れ《ヽ》するのもあ《ヽ》れ《ヽ》じゃないか、って——」
照れて口ごもっているところは、十代だね、全く。
「昨日の黒田さんって人?」
「そ、そうなの。もし、良かったら、今夜夕食でもどうだろうって電話して来たのよ。あの——もちろん、あなたが忙しけりゃ、今日でなくたっていいんだけど」
「別に構わないわよ、今日でも。夕ご飯までに帰って来ればいいんでしょ?」
「そうしてくれる? 七時に迎えに来てくれることになってるの」
「じゃ、外でおごってくれるんだ。へえ、うんと高いもの食べよ」
「奈々子——」
「ご心配なく。私、質より量だから」
私は、急いで自分の部屋へ飛んで行った。——見たい映画があったんだ。
平日なら、そう混んでないだろう。
「そうだわ、奈々子」
着替えていると、母が顔を出して、「十時ごろ、今井さんって方《かた》から電話があったわよ」
「え?」
有恵から?——昨日のことが頭をかすめた。
「あの——クラスの子?」
「そうだと思うわ」
「何か言ってた?」
「別に。まだ寝てます、と言ったら、『じゃ結構です』って。——ね、いつかの、自殺しかけた子?」
「そうよ」
「じゃ、起こせば良かったわね」
しかし、母としては、まだ寝てます、と答えて当然だろう。
「いいわ。電話してみる」
私は出かける仕《し》度《たく》をしてから、有恵の家に電話してみた。
しかし、いくら鳴らしても、誰も出ない。母親は、仕事があるのだから、それに出ているのだろう。
気にはなったが、どうしようもない。私は予定通りに、外出することにした。
「——お母さん」
玄関の所で、思い付いて、「夜までは、家にいるの?」
「ええ。——ちょっと美容院へ行くかもしれないけど」
「私、外から電話するから、もし、今井さんから電話があったら、用事、聞いといてくれない」
「いいわよ」
「それか、連絡場所が分ったら、メモしておいて」
「はいはい」
「じゃ、行って来ます!」
私は、ほとんど走り出すように、秋の爽やかな空気の中へと出て行った。
甘かった……。
世の学校の大半は十月十日が運動会で、従って、今日は、たいていの学校は、「代休」だったのだ。
——凄《すご》い混みようで、それでもせっかく来たんだから、と、立ち見も覚悟で、中へ割り込む。
何とか、スクリーンの見える位置は確保したものの、いざ映画が始まったら、やたら大柄な女の子が目の前に立ってしまったのである。
ま、こればかりはお互い様で文句を言うわけにもいかない。——仕方なく、その子の肩越しに首を伸して、スクリーンに見入ったので、映画が終った時は、すっかり首が疲れてしまった……。
それでもまあ、映画の方は、好きなスターがなかなかカッコ良くうつっていて、満足。
痛む首をさすりながら、映画館を吐き出されて見ると、次の回を待つ行列ができているので、びっくりした。
——そこへ、
「奈々子」
ポンと肩を叩《たた》かれて振り向くと——。
「久枝! 何よ、来てたの?」
「奈々子も来てんじゃないかと思ってたんだ!」
山中久枝は、ニヤニヤしながら、「これ、見たい、って言ってたでしょ」
「だけど、少しは空いてるかと思って来たのよ。久枝も立見?」
「私、指定席」
「わ、大富豪!」
「映画見てて、よく痴漢とか出るじゃない。だから、母上の命令で、いつも指定席なの。学生席との差額は母上がもってくれるのよ」
「いいなあ。私もその手で行こう!」
「いい時ばっかりじゃないわよ」
「どうして?」
「そりゃ、今日みたく混んでりゃ、いい気分、だけどさ、これが、入りの悪い映画でガラ空きだったら、どう?——指定席なんて私一人、なんてことあるのよ。みっともないっちゃありゃしない」
私は、笑い出してしまった。
「何だか久枝らしい話ね」
「どういう意味、それ?」
「だけど、昨日の、死にそうだって騒いでた同じ人間とは思えないよ」
「それが若さよ」
と、久枝は気取って、「あ、そうだ。そこで何か食べてかない? ここのケーキ、甘くなくて、おいしいのよ」
「うん、いいよ」
その店もいい加減混んでいたが、何とか席を確保できた。
「あ、そうだ。ちょっと家へ電話かけて来るわ」
「勝手に頼んどく?」
「任せる! 紅茶とね」
私は店の入口近くにある公衆電話へと走った。——家へかけると、割合スンナリと母が出る。
「もう帰って来るの?」
「今、山中さんと会っちゃって、一緒なの。ね、今井さんからは?」
「あの後はないみたい。お母さん、今戻って来たんだけど。美容院が混んでてね」
どこもかしこも混雑である。
「じゃ、六時ぐらいまでには帰れると思うから」
と、電話を切って席へ戻る。
——確かに、ケーキは甘味を抑えてあって、おいしかった。久枝は二つも頼んだのだ。
「——本当に有恵がやったのかなあ」
と、久枝が言った。
「まさか。そんなことしないと思うけどね」
もちろん、私にも自信はない。
特に、あの直前、三年生に殴られていたことを考えると……。有恵が、学校そのものを恨んだとしても、分る気がする。
「学校やめるんなら、それきりになるんじゃないかと思うけどね」
と、久枝は言った。
確かに、有恵のためには、別の学校へ移った方がいいかもしれない。
人間、心機一転ってことがあるものなんだから……。
「そうそう。それより、例の生徒会長の選挙よ、問題は」
と、久枝が言った。
「どうせ、矢神さんじゃないの?」
「そりゃ決ってるけど、問題は相手」
「負けると分ってて、立つ人がいる?」
久枝が、何となく黙って、私を見つめた。
「——よしてよ」
と、私は笑って、「入学早々で立候補なんて!」
「でも、噂《うわさ》よ」
「噂? 何よ、それ?」
「奈々子が、矢神さんの対立候補って」
「まさか!」
「知らないのは当人だけじゃない?」
「——ね、久枝、本当なの、それ?」
「うん」
「冗談じゃない! 私、絶対にいやよ」
と、私は宣言した。
「でも、それが矢神さんの希望なら……」
「誰の希望だって——」
と、私は言った。「いやなものはいや」
絶対にいやだ。私は、断固として断るつもりだった……。