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アンバランスな放課後24
日期:2018-06-26 11:42  点击:264
24 迫 害
 
「やったね!」
 私は、いささか興奮していた。
「ええ、びっくりしました」
 と、竹沢千恵も、少し汗をかいている。
「さ、急がないと、午後の授業が始まっちゃう」
 私は、テーブルの上を片付け始めた。
 ——水曜日の昼休み。
〈今、学校を考える〉という集いには、もしかしたら一人も来ないのでは、という私と千恵の心配を裏切って、ホールが満員になるくらいの生徒がやって来たのだ。
 一応、お茶ぐらい出そうよ、というので、家から持って来た紙コップ百個、すっかり使い切ってしまった。
「あ、コップは私がやります」
 と、千恵が言った。「芝さんは、資料の方を」
「そう? じゃ、悪いけど」
 空っぽになったホールを、二人して駆け回る。——千恵は使った紙コップを、大きなビニール袋へ放り込んで行く。私は、配ったアンケート用紙を、せっせと集めて回った。
 意見の方は、そう活発に出たというわけではなかった。しかし、ともかくこれだけの生徒が出てくれたということ自体、やはり意味のあることだ。
「——今夜、うちへ来て、金曜日の打合せしない?」
 と、私は言った。
「私、今日はピアノのレッスンで——」
「そう。じゃ、いいの」
「七時過ぎでもいいですか?」
「もちろんよ!」
 と、私は言った。「夕ご飯、一緒に作って食べようか」
「いいですね」
 と、千恵はニッコリ笑った。
 実際、この千恵の明るい笑顔に出会うと、こっちまで楽しくなってしまう。
「でも、百人はいたわね。びっくりしたわ、正直なところ」
「本当ですね。——矢神さんがどう出て来るか、見もの」
「無茶はしないでしょ」
「ええ。でも、黙ってはいないと思うんですよね」
 と、千恵は言った。「——これでいい、と。この袋、ちょっと捨てて来ます」
「手伝う?」
「大丈夫です。——早くしないと授業に遅れちゃう!」
 千恵は、サンタクロースよろしく、大きな袋をかかえると、ホールを出て行った。
 私は、アンケート用紙と、録音したカセットを持って、ホールの中を見回した。
「——椅《い》子《す》もちゃんと戻した、と……。これでいいわ」
 廊下へ出て、私はギョッとして足を止めた。——目の前に矢神貴子が立っていたのである。
 一人ではなかった。いつも、矢神貴子は一人ではいない。
 後ろに立っているのは、何だか気がとがめているような顔の、山中久枝だった。
「何か」
 と、私は言った。
「大盛況だったようね。おめでとう」
 と、矢神貴子は言った。
「ありがとう」
「金曜日にも開くの?」
「そのつもり」
「いいことだわ。私も出てみようかしら」
「よろしかったら、ぜひどうぞ」
「でも——」
 と、矢神貴子は微《ほほ》笑《え》んで、「対立候補の私が出るってのもおかしなものね」
 そして、私の手にしているアンケート用紙とカセットを見て、
「それが今日の意見?」
「ええ」
「どんな結果が出るか、楽しみね。——じゃ、また」
 足早に立ち去る矢神貴子の後から、久枝があわててついて行く。
 私は、ホッと息をついた。
 もちろん、表面上はああしてにこやかだが、内心、穏やかでないものがあるのかもしれない。
 何といっても、矢神貴子のようなタイプは、自分の知らないことがある、ということを面白く思わないからだ。
 私は、教室の方へと歩き出して——ふと、手にしたカセットとアンケート用紙に目を落とした……。
 
 午後の初めの授業が、半分ほど進んだ時だった。
 教室のドアがノックされて、先生が開けると、
「あの——ちょっと」
 と、他の教科の女性教師が顔を覗《のぞ》かせた。
「芝奈々子さん、いる?」
「はい」
 と、私は立ち上った。
「ちょっと」
 手招きされて、私は席を離れた。
 廊下へ出て、ドアを閉めると、
「何ですか?」
「ね、あなた、今日お昼休みに、ホールで何かやったんでしょ」
「ええ」
「竹沢千恵さんも一緒だった?」
「ええ、そうです」
「そう。——竹沢さんがどこにいるか、知らない?」
 私は、ちょっと青くなった。
「それじゃ——姿が見えないんですか」
「そうなの。午後の授業に、出ていなくて。保健室にも訊《き》いたけど、行っていない、ってことで」
「おかしいわ。ゴミを捨てに行ったんです。そのまま教室へ戻ると言ってたのに」
「もう三十分もたってるから、気になってね。そしたら、生徒の一人が、もしかしたら、あなたが知ってるかも、って」
「見て来ます」
 私は、小走りに廊下を急いで、外へ出た。
 ゴミ焼却炉が、校舎の裏手にある。大きなゴミは、そこへ捨てることになっていた。
 私は、裏手に出て、
「竹沢さん」
 と、呼んでみた。「——竹沢さん、いない?」
 ゴミ焼却炉の手前に、紙コップを詰めたビニール袋が、落ちていた。
 やはり何かあったのだ。私は、千恵を一人でやるんじゃなかった、と後悔した。
「——芝さん」
 と、低い声で呼ばれて、私は飛び上った。
「竹沢さん! どこ?」
「ここです」
 道具置場というのか、掘《ほつ》立《たて》小屋が一つ、隅の方にあって、その隅から、竹沢千恵が顔を覗《のぞ》かせているのだった。
「良かった!——どうしたの?」
 と、駆けて行くと、
「あの——みっともないんですけど」
「え?」
 小屋の角を曲って、びっくりした。
 竹沢千恵が、下着だけの、裸同然の姿で立っている。
「どうしたの? 服は?」
 千恵が黙って指さした方を見ると、木の枝に、服がぶら下っている。
「干してるんです。少しは乾かないかなあ、と思って」
「寒いじゃない! 何かあったの?」
「ええ……。ゴミ捨てに来たら——待ち伏せされてたらしくて」
「まあ」
「いきなり地面に押え付けられて——灰を溶かした真黒な水をザブザブかけられたんです」
 私は言葉もなかった。
「けがとかはなかったんですけど……。真黒になっちゃって。で、そこの水道で、ともかく服を洗って、できるだけ落としたんです。それから、頭と体を洗って。誰も見てなくて良かった」
 そう言って、ハクション、とクシャミをした。
「風《か》邪《ぜ》引くわよ。——待ってて。保健室へ行って、何か毛布でももらって来るから」
「いいです。あの服着て、保健室まで行きます」
「でも——」
「同じですもの、濡《ぬ》れてるのは。——ひどい目にあっちゃった」
 千恵は、呑《のん》気《き》に言ったが、さすがに、笑顔もこわばっている。
「ごめんなさいね」
 と、私は、言った。「私と組んだばっかりに、こんなことに……」
「芝さんが悪いわけじゃないんですから」
「でも——」
「これで終らないかもしれませんものね」
 と、千恵は言った。
 私は、激しい怒りが胸に湧《わ》き上って来るのを感じた。
 おそらく初めて——私は、矢神貴子を、選挙で破ってやりたい、と思ったのだった。

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