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アンバランスな放課後28
日期:2018-06-26 11:44  点击:294
 28 三人のテーブル
 
 その夜、私はせっせと明日の演説会の原稿を作っていた。
 母は珍しく——というと皮肉に聞こえるかもしれないが——家にいて、色々と電話をかけまくった挙句、
「もう遅くなっちゃったわね」
 と、私の所へやって来た。「晩ご飯はどうする?」
 私は目をパチクリさせて、
「お母さん……何も用意してないの?」
「だって忙しかったのよ」
 全く! どういう母親だ?
 でも、私も、演説の原稿作りに夢中で、お腹が空《す》いていることも忘れてしまっていたのだ。
 言われると、急にお腹が空いて来た。
「一時間くらい待ってくれたら、何か作るけど……」
「いい! どこかこの近くで食べよう」
 と、私はあわてて言った。
 私はまだ死にたくなかった!
 二人でマンションを出て、さてどこへ行こうかと歩き出すと、
「おい、奈々子」
 と、呼ぶ声。
「——お父さん!」
 父が、タクシーから降りて、手を振っている。
「あなた。何かご用だったの?」
 と、母が訊《き》いた。
「いや、近くへ来たんでな。——出かけるところか」
「お母さんが、晩ご飯作るの忘れたの」
「いやねえ。忘れてないわ。うっかりしてただけよ」
「どこが違うの?」
「三人で食事か? 黒田君と」
「そうじゃないわ。今日はあの人、出張ですって」
 と、母が言った。
「そうか。じゃ、一緒に六《ろつ》本《ぽん》木《ぎ》辺りへ出て食べるか」
「わあ! やった!」
 と、私は跳びはねた。
 とたんにお腹の方がグーッと音をたてたのだった……。
 
「あ、ねえ、あそこにいるの、TVスターの……」
 といった声が聞こえたりするところが、いかにも六本木。
 夜中の二時までやっているというイタリア料理の店は、まだこの時間は割合に静かである。
 普通なら、一番混み合う夕食時間なのだが、ここが混むのは十二時過ぎだということだった。
 スパゲティだの何だの、色々頼んで、まずはオードブルでお腹を取りあえずなだめておく。
「——そうか十二月二十七日にしたのか」
 と、父は母から聞いて、肯《うなず》いた。「いいじゃないか。奈々子ももう子供じゃない」
 父が、黒田のことをどう思っているにせよ、その口調に、そんな気配は全くなかった。
「——それで、あなたにお願いがあるんですけど」
 と、母は言った。
「何だ? お前と黒田君の仲人《なこうど》をしてくれと言われても断るぞ」
「まさか!」
 と、母は笑って、「大体あなたは独身じゃありませんか」
「冗談だよ。何だ、頼みって?」
「奈々子のこと。私がハネムーンに行ってる間、みててやってほしいの」
「ああ、そりゃ構わないとも。——ただ、奈々子の方でいやだと言うんじゃないか?」
「そんなことないわ」
 と、私は言った。「でも、その間はお父さん、一人で寝てよ」
「もうこりたよ」
 と、父は苦笑した。「一生、女ぬきの人生を送ろうと決心した」
「怪しいもんだ」
 と、私は言ってやった。
「じゃ、いいのね」
 母はホッとした様子。「それで——あの事件、何か分ったの?」
「いや、今、警察で調べてくれてる。今のところ、連絡はないな」
「すぐに犯人、捕まらないね」
 と、私は言った。
「うん……。早く捕まってほしいが……。おい、千代子、ワインでも飲むか?」
 父は、ワインリストをもらって、眺め始めた。
「——ちょっと失礼」
 私は、席を立って、トイレに行った。
 店の奥の廊下の突き当りがトイレである。私が戻ろうとすると、やって来る若い男が一人。
 狭い廊下なので、体を横にして、すれ違おうとすると、
「おい」
 と、その若い男が突然私の腕をつかんだ。
「何するんですか」
 私はその男をにらんだ。「声出しますよ」
「出せよ」
 二十歳ぐらいらしい、その男は、私をにらんでいる。——その目には、怒っている色があった。
「あんた、誰?」
「俺はな、河井知子の弟だ」
 と、男は言った。
 河井知子の弟?——父のマンションで殺された、あのOLの弟か。
「親父と一緒だな」
「ええ……」
「ここでお前のこと、半殺しにしてやりたいぜ。俺やお袋《ふくろ》の気持が、少しは分るだろうからな」
 その声は、震えていた。
「お気の毒だったと思うわ」
 と、私は言った。「殴って気が済むのなら、殴って下さい」
 その男は、じっと私を見ていたが、やがて息をつくと、
「その内、親父に会いに行くからな!」
 と、言うと、店の方へと戻って行った。
 私は、ホッと息をついた……。
 席に戻りながら、店の中を見回すと、あの若い男が、出て行くところだった。
「——トイレはあの奥?」
 と、母が立ち上る。
「そう。突き当りよ」
 私は席に着いた。——父と二人になると、あの弟のことを言い出そうと思って——。
「どうかしたのか?」
 と、父が訊《き》く。
「ううん。別に」
 私は首を振った。「何か用だったの、お母さんに?」
「いや、お前に話しておこうと思ったんだ。それと、確かめたくてな」
「何を?」
「母さんが黒田と会ってるんじゃないってことだ」
「今日? だって出張って——」
「そうじゃない」
 と、父は言った。「会社へ問い合せた。黒田は今日、休みを取ってる」
「じゃ、どうして、嘘《うそ》ついたんだろ?」
「分らん。——まあ、大して理由のないことかもしれんが……」
「何か分ったの?」
「どうやら、黒田の妻の両親が、こっちへ出て来るらしい」
「じゃ、黒田と会いに?」
「いや。私とさ」
 と、父は言った。「心配になったんだろうな。娘のことで問い合せをしたし、向うも黒田の所へ、連絡を入れてるだろう。娘が電話に出なかったりすれば、心配するはずだ」
「そうだね。いよいよ大詰めか」
 と、私は言った。「でも——ねえ、もしかして」
 と、ハッとして、
「黒田、逃げちゃったんじゃない?」
「うむ。——その可能性はある」
 と、父は肯《うなず》いた。「それきり姿を消してくれれば、罪を認めるようなもんだからな。しかし、母さんがどう思うかは別だ……」
 私と父の話は、それきりになった。母が戻って来たからだ。
 ——母は大いに食欲を発揮した。私や父がびっくりするくらい、沢山食べたのである。
 幸せ一杯、というその様子に、私と父は、複雑な思いで、目を見交わしたのだった……。

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