25 大団円
「君はどうやら誤解しているようだね」
と、安部はゆったりと椅《い》子《す》に寛《くつろ》いで言った。「僕は別に極《ごく》悪《あく》人《にん》ってわけじゃないんだよ」
「善人にも見えませんけど」
と、良二は言ってやった。
安部はちょっと笑って、
「君も、色々迷惑をかけられたからね。少しは事情を知る権利があるだろう」
良二は、椅子に縛りつけられていた。もちろん、笠間の手下が二人、そばに立っている。
一人は、ここに良二がいることを知らせに戻っていた。
「平田千代子さんを殺させたんですね」
と、良二は言った。
「それはね、平田先生の頼みさ」
と、安部は言った。「平田先生は、もともと他に恋人がいたんだ。女子学生のね」
「よくやるよ」
「全くだ。——あの千代子も、結婚したらつまらなくなってしまったんだね。それで平田先生は他の女に、千代子はまた、僕の所に、というわけだ」
「今度の学部の建て直しが絡《から》んでるんだろ」
「その通り。大きな利権だからね。——金山、平田、二人がそれを狙《ねら》って、学部長の椅子を争っていた。僕はうまくその両方を操って、双方自滅するように仕向けて行ったんだ」
「千代子と一緒に?」
「僕は、彼女に、何とか平田と別れたい、と相談を受けた。平田先生は、選挙前で、離婚はしたくなかったんだよ。で、僕は、『先生を殺すしかない』と言った」
あの、夜中に聞いた会話だ!
「でも、殺されたのは彼女の方だった」
「そうさ。平田の弱味を握り、しかも金山を消してしまえば、こわいものはなくなる。それにはあの方法しかなかったのさ」
「平田千代子をホテルで殺して、金山先生に罪を着せる?」
「そう。平田先生にはアリバイが必要だ。千代子をホテルへ行かせるには、君のような若い学生も必要だった」
「ひどい奴!」
「まだ、仕上げはこれからさ。——金山先生は自殺した」
「殺したんだろ」
「俺がな」
と、そばに立っていた、笠間の手下が自慢げに言った。
「警察の方は、行方不明の警部に、疑いをかけてるらしいな。気の毒なことだ」
と、安部は笑った。「大《だい》分《ぶ》、荒っぽいことをやってくれたんで、自殺と見てくれないんじゃないかと心配したがね。警察のほうで、つじつまを合わせてくれたよ」
「これで平田先生は学部長?」
「そうさ。しかし、実質上は僕が権力を握るんだ」
と、安部は言った。
「どうやって?」
「さっきの話を聞いてなかったのかね?」
良二には、やっと分った。
「金を渡すところを——」
「そう。平田先生が現金を、笠間へ渡す。どうしても直接手渡してくれ、と言ってね」
「それを写真にとって……」
「殺人の罪をのがれるためだ。何でも僕の言うことを聞くよ」
「じゃ、自分が学部長になりゃいいじゃないか」
「助教授だよ僕は。それに、学部長となりゃ、色々雑用も多い。陰で糸をひいてる方が面白いじゃないか」
良二は、安部をにらみつけたが、縛られていてはどうしようもない。
「最初に知香を呼んだとき、平田千代子が『あなたはどっちの味方なの』って怒ってたのは?」
「何だ、あれを聞いてたのか、もちろん僕に怒ってたんじゃない。選挙のことで、他の助教授へ電話して、頭に来たのさ」
電話か! 彼女の声しか聞こえなかったのも当然だ。
「僕をどうするんだ?」
「そうだね。——君と、あの若林君の出方しだいだ」
「おとなしく言うことを聞く知香じゃないぞ」
「分ってるさ。しかし君の命と引きかえなら……。あの子を一度、ものにしてみたかったんだ」
安部はニヤリと笑った。
——畜生! 知香の奴、大丈夫だろうか?
今ごろ笠間たちに捕まって……。
「君を殺したくはない」
と、安部が言った。「しかし、若林君の方は、そこの連中が、かなり恨んでいるらしくてね」
「ぶっ殺してやる」
と、笠間の手下が言った。
「ぶっ殺されちゃえ」
「何だと!」
ジロッとにらまれて、
「別に」
と、あわてて良二は目をそらした。
「まあ、君も本気であの娘に惚《ほ》れているようだし、あの娘一人で死なせちゃ可《か》哀《わい》そうだろう」
「何だって?」
「僕がゆっくり味わってから、あの娘をこいつらへ渡す。君と若林君が、二人でドライブの途中の事故で仲良く天国へ、というのはどうだい?」
「そううまく行くかい」
「行くと思うがね」
と、安部は言った。「——仲間が戻って来たようだ」
ドアが開いて、笠間の手下が立っていた。
「どうした、あの娘は?」
「あ、あの……」
と言うなり、その男は部屋の中へ転がり込んで来た。
いや、突き飛ばされたのだ。
部屋へ入って来たのは——知香だった。
「安部先生」
と、拳《けん》銃《じゆう》を構えて、「あくどいことは、ほどほどにした方がいいと思いますわ」
「君ね——」
安部は青ざめたが、「こっちは三人だよ」
「こっちは……」
宍戸をはじめ、知香の手下たちがゾロゾロと入って来る。
笠間の手下二人は、アッサリと降参してしまった。
「——プラス一名だ」
と、入って来たのは、米田警部だった。
「さ、どうぞ、米田さん」
と、知香は言った。「これを手みやげに、大きな顔して警察へ戻れますよ」
「いや、すまんね」
米田はニヤニヤしながら、「笠間たちもこれでおしまいだな」
安部は、体から力が抜けたのか、椅子から立ち上ることもできずにいた。
——知香は、急いで良二の縄を解いてやって、
「良かった! 大丈夫?」
「君も無事だったんだね」
二人は、しっかりと抱き合ってキスした。
「——君らは、パトカーが来る前に、どこかへ行っててくれんかな」
と、米田が言った。
「そうします。——さ、みんな行くわよ」
笠間の手下たちは、一緒に、縄で縛り上げられている。
「さて、ゆっくりお話をうかがいますよ」
米田が、安部の肩をポンと叩《たた》く。
良二と知香は、早々に建物を出たのだった。
「——お嬢さん」
と、宍戸が言った。
「宍戸さん。これで笠間たちのことは心配ないわ。私と良二君のこと、そっとしておいてよ」
「分りました」
宍戸はため息をついて、言った。「おひまな時にはいつでも、仕事にいらして下さい」
ひまだから、ちょっと泥棒でも、ってわけにはいかないだろうが。
——遠くにパトカーのサイレンが聞こえていた。
「じゃ、ここで」
と、宍戸は一礼して、「お嬢さん、これからどこに?」
「そうね」
知香は、良二の腕をつかんで、「この人と相談して決めるわ。差し当りは、あの〈愛の巣〉にいるつもり」
「じゃ、お幸せに」
「あなたも気を付けて」
と、知香が手を振ると、
「へえ。——行くぞ」
宍戸の一声で、その素早いこと! 知香の手下たちは、たちまち姿を消してしまった。
「——凄《すご》いね」
と、良二は目を丸くしている。
「さ、あそこへ戻って」
と、知香はニッコリ笑った。「ゆっくり、話をしましょ」
「そうだな」
「それともドライブでもする?」
「あの車で?」
と、良二は言った。「いいけど……。君、やっぱり免許取ってから、運転してくれないかな」
「おい、良二」
と、和也が声をかけて来た。
——昼休みのキャンパスである。
良二は芝生に寝転がっていた。
「一人か」
と、和也は言った。「彼女は?」
「今来るよ。——お前、紀子は?」
「うん、今来る」
二人は何となく笑い出した。
大学も、やっと平《へい》穏《おん》に戻っていた。
平田も安部も逮捕され、スキャンダルがマスコミをにぎわして、しばらくは大騒ぎだったのだ。
「——今、聞いて来たんだ」
と、和也が言った。
「何を?」
「大学の建て直しさ。当分はないってことだよ」
「そりゃそうだろ」
「しかし、お前たちのアパート。あそこだけは取り壊すかも、って話なんだ。古いからな」
「そりゃまずいな」
もう隠れている必要もないのだが、二人して、すっかりあの屋根裏部屋に落ちついてしまっているのだ。
「でも、住いが変るのも、いいかもしれないぞ。大体、マンションだってあるんだし」
「分ってる。——ところで、うまく行ってんのか、紀子と」
「まあな」
和也はニヤニヤして、「見ろよ」
良二は、芝生の向うから、楽しげにおしゃべりしながらやって来る、知香と紀子を見つけた。
それにしても——あんなことがあったなんて、夢みたいだ。
もちろん、あの明るい笑顔、笑い声は夢じゃない。そして、やさしく知香が良二にキスしてくれる、その感触も、夢じゃないのだ。
知香たちが走って来た。その軽やかな足取りは、いかにも明るいキャンパスの芝生に、よく似合っている……。 本書は一九九四年二月光文社文庫として刊行されました。 キャンパスは深《しん》夜《や》営《えい》業《ぎよう》
赤《あか》川《がわ》次《じ》郎《ろう》