17 死 体
〈双子は三人〉
「——何、これ?」
と、その紙に書かれた言葉を見て、浅井由美は言った。
「これが手がかりか」
塚田は、その紙を手にとった。「〈双子は三人〉……。何か意味があるんだ、この言葉に」
「でも、双子なら二人でしょ。三人なら三つ子だわ」
「そりゃそうだけど、これはきっと全然別のことを指してるんだよ」
伊沢啓子は、塚田と浅井由美が、〈ミステリー・ナイト〉の「手がかり」を一緒に覗《のぞ》き込んでいるのを、少し離れて、眺めていた。
佐々木はもちろんその意味を知っているのだろう。しかし、啓子も、それが何なのかは知らない。
「ねえ、何か考えてよ!」
と、由美が塚田をつついている。
啓子は、ふっと笑った。——まるで子供のようだわ、あの子。
無邪気とか、天衣無縫という意味での「子供らしさ」ならともかく、浅井由美は単に「子供じみている」だけだ。確かに見かけは可愛いが、頭の方は空っぽというか、ろくに勉強などしたこともない、という感じである。
啓子は、由美に、
「しっかりしてよ! せっかく一番に着いたのに!」
と、せっつかれている塚田が、可《か》哀《わい》そうになった。
佐々木が、いつの間にか啓子のそばへやって来ていた。
「——大分苦労してるらしいね」
と、佐々木は低い声で言った。
「そうね。難しいの?」
「いや、すぐに思い付くはずだ。誰も分らないんじゃ、困るからね」
啓子は、庄子ユリアの方へ目をやった。
いかにもスターらしい雰囲気を、ユリアは身につけている。
「早く片付いてくれると、君の所へ行く時間が取れるんだがね」
と、佐々木が囁《ささや》いたので、啓子はちょっと笑った。
そしてふと——啓子は、塚田が自分の方をそっと見ていることに気付いた。
そうだ。塚田から電話があったとき、「佐々木さん?」と呼びかけたっけ。塚田は察している。啓子と佐々木のことを。
でも、塚田の視線には、嫉《しつ》妬《と》や腹立ちは感じられなかった。——悔んでいるのだろうか。
でも、もう遅い! そうよ。
啓子は、しかし何となく少し佐々木から離れた。なぜなのか、自分ではよく分らなかったが……。
「双子……。何のこと?」
由美がしきりに首をかしげていると、部屋のドアをノックする音がした。
「どうやら、他にもこの部屋を見付けた人がいたようですね」
と、佐々木が言うと、庄子ユリアは、ドアの方へと歩いて行った。
「——どうぞ」
と、ドアを開けて中へ入れると、
「ウソ! 庄子ユリア? わあ、本物だ!」
と、どう見ても高校生ぐらいのカップルの女の子の方が、飛び上る。
「おい、それよりさ、先に進もうぜ」
と、こっちは男の子の方が積極的。
小づかいが助かる、という現実的な理由があったのかもしれない。
ユリアがドアを閉めない内に、
「すみません……」
と、また一組のカップルが顔を出した。
ユリアのいる〈2521〉号室は、たちまち人で一杯になってしまったのである。
「あれ?」
と、村松完治は言った。「草間さんじゃないですか」
草間は、ホテルのロビーに入って来て、これからどうしたものかと迷っているところだった。
あの〈たれ込み〉の電話の通り、川北竜一が未成年の女の子と寝ているとしても、真《まつ》直《す》ぐ行ってドアをノックし、開けてくれるとは思えない。
それに、同じ部屋の中にいたというだけでは、記事としてはショックが小さいだろう。
ドアを開けて、いきなり中をとれる、そんなうまい手がないだろうか、と草間はここへ来る車の中で考えていたのである。
「やあ、村松さん」
草間は、五月麻美のマネージャーのことはもちろん良く知っていた。
お互いにチラッと素早く相手の手にしている物を見ていた。
草間の手には全自動カメラ。村松の手にはウイスキー一びん。
「草間さん。——何かネタさがしですか」
草間は、ちょっと間を置いて、
「まあね」
と、言った。「知らなかったな」
「何です?」
「五月麻美がこのホテルにいたとはね」
「いや——」
「とぼけてもだめ。そのウイスキー、彼女の好きなレーベルじゃないですか」
村松は、苦笑した。
「かなわないなあ、草間さんには」
もちろん、草間とて、五月麻美とこの村松が、二人で泊っているのだとは、考えてもいないのである。
「内緒にして下さいよ。ね?」
と、村松は言った。「今、彼女の機嫌をそこねると、クビです」
「相手次第だなあ。有名タレント? 作家? ディレクター?」
「そんなんじゃないんです。本当ですよ」
と、村松は言った。「ただ……このところ、川北竜一とうまく行ってない。ご存知でしょ?」
「まあね」
「そのうさ晴らし、ってわけで。飲んで騒ごうってだけなんです」
草間は、耳を疑っていた。村松の話が本当かどうかはともかくとして——そんなことはどうでもいい——少なくとも、五月麻美は、川北と一緒ではないのだ。ということは、あの電話が本当だという可能性が高くなることでもある。
「しかし、川北もここにいるんでしょ?」
と、草間は言ってみた。
「ええ。でも仕事でしょ。彼女は別に川北に会いたくて来たわけじゃないんです」
「なるほど」
草間は、少し考えてから、言った。「ね、村松さん。力を貸してくれませんか。悪いようにはしませんから」
「何です? 怖いな、どうも」
と、村松は笑った。
「川北はね、未成年の女の子を連れ込んでるんです」
「——何ですって?」
「中学生。一四歳ですよ!」
「本当ですか?」
「まず間違いないんです。もし、五月さんが川北と切れたがってるんだったら、これは絶好の機会ですよ」
村松は、少し黙って突っ立っていたが、やがて口を開いた。
「彼女に訊《き》いてみます」
「そうして下さい。僕はここで待ってます」
「分りました」
村松は、エレベーターの方へ、急いで歩いて行った。
もし草間の話が本当なら、そしてそれがどこかで記事になったら……。たとえ法律的に罰せられなくても、川北のスターとしての生命は、終りになるだろう。
五月麻美も、川北から自由になる。
しかし、村松は、女心の複雑なことを、いやになるほど知っていた。特に麻美のようなタイプの女のことは、よく分っている……。
本当に、川北に愛想をつかしているのかどうか。今一つ、村松は自信を持てなかったのである。
どうしよう?——村松は、迷っていた。
庄子ユリアのいる〈2521〉の部屋の中は、大変な騒がしさだった。
ここへやって来た三組のカップルが、封筒の中の手がかりを解けなくて、立ち往生という格好である。
庄子ユリアも、面白がって、それぞれのカップルを眺めている。
啓子は、正解が出るのを待っていた。ここまでいたのだ。どうせなら見届けてやろう、と思った。
「ちょっとトイレを借りていいですか」
と、由美がユリアに訊いた。
「ええ、どうぞ」
由美がトイレに入って、塚田は一人になった。
佐々木は、部屋の前の廊下に出て、他にも誰か来ないか、見ている。
啓子は、そっと窓辺に立って、舞い落ちて来る雪を見ていた。
「——あれが〈佐々木〉かい?」
気が付くと、塚田が立っていた。
「ええ。このホテルの人なの」
「そうか。感じのいい人だね。プロだよな」
と、塚田は言って、一緒に雪を眺める。
「彼女が戻るわよ」
と、啓子は言った。
「構わないよ」
塚田は、肩をすくめた。「あのクイズが解けなくて、愛想をつかされりゃ、却《かえ》って嬉《うれ》しいようなもんだ」
「まさか、そんなことで——」
「いや、そうなるかもしれないよ。そうしたら、僕も会社にいられなくなる。クビの方がいいね。なまじ、とんでもない支社へやられるよりは」
「しっかりしなさいよ」
啓子の言葉に、塚田はちょっと顔を赤らめた。
「すまないね。今さら君にこんな——」
「やめて」
と、啓子は遮った。「あなたにはあなたの生き方があるでしょう。誰にも邪魔されたくない、人生の目標が。それに自信を持つのよ。それが生きる、ってことだわ」
塚田の頬《ほお》は紅潮していった。——恥じて、赤くなっているのではない。何かを決心したような表情だった。
「〈双子は三人〉ね……」
と、啓子は窓の外を見ながら呟《つぶや》いた。
「え?」
「ここは何階?」
「二五階……。そうか、〈二《ふた》五《ご》〉か。じゃ——〈2532〉?」
「そうね。でも、〈32〉まではナンバーがないはずだわ。〈は〉を〈0〉と考えたら?」
「〈2503〉」
と、塚田は肯《うなず》いた。「そうか。〈2503〉号室だ」
「たぶん、そうね」
「——何してんの?」
と、トイレから出た由美がやって来る。
「今、解けたよ」
と、塚田が言った。
「本当に?」
「ああ。——行ってみよう」
「ええ!」
由美は、すっかり夢中になって、塚田の手を引張る。啓子も、その後からついて行った。
廊下にいた佐々木は、塚田たちが出て来たのを見て、
「おや、どうしました?」
と、言った。「あの謎《なぞ》は?」
「分った、と思います」
と、塚田は言った。「〈2503〉へ行ってみたいんですが」
佐々木は、ちょっと眉《まゆ》を上げた。
「なるほど。——鋭いですね」
と、肯いて、「じゃ、ご案内しましょう」
と、先に立って歩き出す。
啓子は、その三人から少し遅れてついて行った。
どうして、わざわざ塚田にあんなことを教えたりしたんだろう? 自分でも、よく分らなかった。
ただ、今はどうでも、かつて自分が愛していた男が、あんな女の子に馬鹿にされている姿を、見たくなかったのかもしれない……。
「——ここです。スイートルームですね」
佐々木が、マスターキーを出して、ドアを開ける。「何が飛び出して来ますか……」
明りが点いている。
四人は、スイートルームのリビングの部分へと入って行き、足を止めた。
「いやだ!」
と、由美が青くなって、塚田にしがみついた。
リビングの床に、女が倒れている。
啓子は、すぐにそれが永田エリだと気付いた。——うまいもんだわ。
胸にナイフが突き立って、上衣は血で染まっていた。それは本物のように生々しかった。
土気色の顔、そして、カッと見開いた目……。
「あの——これは——」
と、塚田も青くなっている。
佐々木が、ちょっと笑って、
「ご心配なく。うちでお願いした役者さんです」
「なあんだ」
と、由美が息を吐く。
「これから、この犯人を見付けるわけです。探偵、川北竜一さんの力を借りて、ですね。この方は、永田エリさん。ベテランの役者さんです。——永田さん、ご苦労様。もう役はおしまいですよ」
佐々木は歩いて行って、かがみ込んだ。「永田さん。さあ——」
言葉が途切れる。佐々木は手をのばして、そっと永田エリの肩に触れた。
啓子は、まさか、と心の中で呟いた。これも趣向よね。そうでしょう?
ずいぶん長い時間がたったようだった。
立ち上った佐々木は、青ざめていた。
「——何てことだ。本当に死んでる!」
由美が、
「また! びっくりさせようなんて……」
と笑いかけて、やめた。
「とんでもないことになった。——ここから出て下さい。警察を呼ばなくては」
「佐々木さん——」
「君は部屋へ戻って」
と、佐々木は厳しい声で言った。「連絡するから」
「分ったわ。でも——」
何を言おうとしたのか。
啓子は、そのまま黙って、廊下を歩いて行った。