19 隠しどり
ドアをノックすると、
「誰だ?」
と、面倒くさそうな口調で、返事が返って来た。
「ウイスキーをお持ちしました」
「頼んでないぞ」
と、川北は言った。
バスローブをはおって、どうやらシャワーを浴びたばかりらしい。
「ホテルからのサービスでございます」
と、村松は、澄まして言った。
「何だ、そうか。——じゃ、置いてってくれ」
「失礼いたします」
村松は、ドアを細く開けておいて、中へ入った。
ベッドには、やはりバスローブを着た女の子が寝そべって、週刊誌をめくっている。
村松は、盆をテーブルの上にのせた。
「こちらでよろしいでしょうか」
「ああ、いいよ」
川北は手を振った。
村松は、チラッとドアの方へ目をやった。隙《すき》間《ま》から、草間のカメラが覗《のぞ》いている。
しかし、川北がベッドから離れすぎていて、少女と一枚のカットに入らない。別々の写真では意味がないのだ。
「——他に何かご用はございませんでしょうか」
と、村松は言った。
「もういい。行ってくれ」
と、手を上げて見せ、川北がベッドの方へ近付いて行く。
「失礼いたします」
と、頭を下げた村松の耳に、カシャッとかすかな音が聞こえた。
廊下へ出て、ドアを閉めると、村松は息をついた。もう草間はドアから離れている。
「——どうです?」
と、村松は急いで歩いて行くと、言った。
「大丈夫。しっかり二人がうつってますよ」
と、草間は肯《うなず》いた。「カメラの性能を信じるだけだ」
「やれやれ。——行きましょうか」
村松はボーイの帽子を取って、汗を拭《ぬぐ》った。「ばれたらどうしようと思って、ドキドキしてましたよ」
「あなたのことは知ってるでしょう、川北も」
「ええ。でも、この格好だし、もう、少し酔ってたようですしね」
「スクープだ!——どうします、これから」
エレベーターに乗って、草間は言った。「ともかく、このフィルムを持って帰りますがね、私は。後で一杯?」
「いや、結構です」
と、村松は首を振って言った。「ちょっと約束ができまして」
「ほう。彼女と?」
「そんなとこです」
と、村松は言った。
「そりゃ羨《うらや》ましい。——ま、のんびりするんですな」
エレベーターがロビーのフロアに着くと、草間は、
「じゃ、これで。——メリー・クリスマス」
と、言って、歩いて行った。
ロビーは、この時間も、まだ若い人たちで混雑していた。その人ごみの中に、草間の姿が消える。
「やれやれ……」
村松は、ふっと肩の力を抜いた。
これで、川北の足もとをすくう手伝いをしたことになる。——もちろん、後悔はなかった。何と言っても、「身から出たさび」というやつである。
しかし、草間が後で知ったら……。村松の「彼女」が、五月麻美のことだと知ったら、仰天するだろう。
借りた制服を返しに、村松は地階へと下りて行った。
川北は、首をかしげていた。
「どうしたの?」
と、少女が言った。
「いや……。考えてみたら、ここは君の部屋だな」
「そうよ」
「どうしてウイスキーがサービスで来るんだ?」
川北は、そう言って、「それに——何だか見たことのある顔してたな、あのボーイ……」
「そう? どうでもいいでしょ、そんなこと!」
少女は素早くバスローブを脱ぎ捨てると、ベッドへ入った。
川北はちょっと笑って、
「全くだ。どうでもいい!」
と、声を上げ、自分もベッドへ潜り込んで行った……。
「そんなことがあったんですか」
と、啓子は言った。
「女房の姿を見たもんでね、つい……」
水島は、啓子の部屋のソファにかけて、言った。「役者失格かもしれないな。こんなことで現場を離れて」
啓子は首を振った。
「そうは思いませんわ。——プロでいるってことと、人間らしくあることと、矛盾しないでしょ?」
水島は、微《ほほ》笑《え》んで、
「ありがとう」
と、言ってから、すぐ真顔に戻った。「しかし——どうしてエリが」
「永田エリさんも、川北竜一と……。ずいぶんひどい男ですね」
「まあ……人の色恋ざたに、口を出してはいけないかもしれないが、あの男は、責任をとるってことがない。逃げてばかりいる男ですよ」
「永田さんを殺したのは、誰なのかしら」
「見当もつきませんね」
と、水島は言った。「あんなに人から恨まれる理由のない人もいなかった。本当です」
「恨みじゃないんですね、きっと」
「しかし……分らない」
水島は首を振った。
ドアをノックする音。——啓子は急いでドアを開けに行った。
「佐々木さん——」
「すまない。ともかく大変で……」
水島を見て、佐々木が目をみはる。
「いや、どうも……。こちらの娘さんが、連れて来てくれたんです」
「水島さん! 捜してたんですよ」
と、佐々木は言った。
「何か?」
「捕まったんです。二五階で、刃物を持ってうろついていた女性が」
「刃物?」
「あなたの奥さんですよ」
佐々木の言葉に、水島はサッと青ざめた。
川北は、まどろんでいた。
酔いも手伝って、少女を抱いたかどうかも、よく憶えていない。
しかし、ともかく……。同じベッドに入ってるんだ。ちゃんと、抱いてやったんだろう。
少女が、少し体を起こした。
「どうかしたのかい?」
と、川北は言った。
舌足らずな声になっていた。少女は、ドアの方へ目をやって、
「ちゃんと閉めなかったの?」
と、言った。
「何だって?」
「お客様みたい」
川北は頭を持ち上げて——唖《あ》然《ぜん》とした。
ユリアが、開いたドアからゆっくりと入って来た。
「ユリア……」
「呆《あき》れた」
と、ユリアは冷ややかに言った。「仕事はどうしたの?」
「仕事?」
川北は、目をパチクリさせて、「そうだった! 仕事か!」
「もう遅いわ」
と、ユリアは言った。「それどころじゃなくなったのよ」
「——何のことだ?」
「ともかく、ちゃんと部屋へ戻ったら?」
ユリアは少女の方を見て、「あなた、いくつ? まだ子供じゃないの」
「そう見えるだけさ。もう一八。——なあ」
と、川北が言うと、
「ごめんなさい」
と、少女が舌を出した。
「何が?」
「私、一四。——中学生なの」
一気に、酔いが醒《さ》めた。
「何だって!」
「早く出たら?」
と、ユリアが言った。「人に見られたら、大変よ」
「ああ……。おい、ユリア! 待ってくれ!」
川北はパンツとランニングシャツだけで、他の服をかかえると、ユリアの後を追って、少女の部屋から飛び出した。
——残った少女はクスクスと笑っていたが……。
少しして、電話が鳴った。
「はい。——もしもし。——うん、今出てった。凄《すご》くあわてて。——おかしかった!」
と、思い出して笑っている。「——え?——うん、そうね。じゃ、仕度してる。——川北さん? 全然、酔っ払っちゃって。何も分んなかったみたい」
少女は、伸びをすると、
「じゃあ、後でね。——はい」
電話を切ると、少女はベッドから出て、バスルームへ入って行った。
口笛が、最新のアイドル歌手の曲を吹いていたが、やがてシャワーの音に消されて、聞こえなくなる。
しばらく、シャワーの音が続いて、それが止まると、今度は少女の口ずさむ歌が、聞こえて来た。
ドアが——部屋のドアが、静かに開いた。
もちろん、バスルームの少女には、何も分らなかった。